2019年5月31日金曜日

わが町の鎌倉時代の遺跡遺物その1、報恩寺の板碑

20180623

 鎌倉時代元寇のリアル歴史ゲームの影響で、最近は鎌倉時代にはまっています。

 伝世で代々大切に伝えられてきた歴史的遺物はわが町にはほとんどない。平安末期院政期に作られた藤井寺の御本尊なんかが数少ない伝世のものであろう。鎌倉時代の建物などは火事、兵火、風水害により毀損されてなくなっているかそうでなくても800年も経れば各世代ごとに注意して大修理を行わなければ木造の建物など今に残る筈はない。そういうわけでわが町には江戸以前の建物などは全く残っていない。また什器、美術品、その他の器物なども散逸したり、壊れてなくなったり、盗まれるなどで失せてしまいわが町で鎌倉時代のものを見つけることはできない。だから鎌倉時代の遺跡遺物は、発掘により見つけ出されたものか、石造の供養塔、五輪塔などが残っているのみである。

 その石造の供養塔の中で一番古いものは報恩寺にある板碑(素材は阿波の青石)がある。鎌倉時代末期の正和年間(西暦1310年代)、元亨年間(1320年代)の年号のある三基の板碑である。昨日、見学に行ってきた。

 報恩寺の板碑の説明板

 三基の板碑はお寺の庫裏(くり)の庭にあるため、ご住職さんに頼んで庭に入らせてもらい写真を撮る。風化が進み、表面は地衣類に覆われていて刻まれた文字や線刻が極めてわかりにくい。板碑上部の梵字のような線刻は説明板によると阿弥陀三尊種子ということだ。幅広の板碑の下部に六月と刻んであるのは読めた。


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