2012年8月31日金曜日

晦日に月が出るとは


 夜、歩いていてふと見上げると、

 「お!今日は満月だ。」


 家に帰ってカレンダーを見ると今日の日付のところに月の形が描いてあって、その横に確かに満月と書いてある。そして今日の日付は8月の終わり、晦日だ。

 ここでちょっと説明させてほしい。晦日(みそか)は月の最終日である。昔は一か月の終わりは三十日つまり三十(みそ)・日(か)でみ・そ・かである。
 そして12月の最終日だけを晦日と呼ばず、大をつけて大晦日(おおみそか)という。

 『晦』(かい)という字の意味は、だから月の終わり、そして(月の終わりで夜月が出なければ暗いから)暗いという2つの意味がある。そして晦の訓読みはつごもり、すなわち月がこもる・つきこもり⇒つごもり(月がかくれる)というのが語源である。

 長々と説明したが、何が言いたいかというと、晦日に満月を迎えることである。
 日本開闢以来、つい140年前までは、晦日に月が出る、ましてや満月を迎えることなど金輪際(この金輪際の語源はこの宇宙の端まで極めてもあり得ぬという意味である)あり得ないことだったのである。

 それはこんな成句・ことわざが昔あったことからわかる。

 『買わぬ富くじが当たれば、晦日に月が出るだろう。』

 言葉の論理とは面白いもので、どんなでたらめであり得ぬことでも、あり得ぬ偽の前提を置けば全体として『真』の文になるのである。

 140年前まで日本は旧暦だった。月の運行をもとにした旧暦では月末は新月、つまり月は夜空には出ないのである。

 明治以前の人にとって今日のような晦日に満月を仰ぐような夜は、絶対なかったのである。

2012年8月25日土曜日

アミコ前謎の美少女集団


 一体なんだろう。ダンスの練習のようにもみえる。
 この動画には入っていないが時々、中断させ、指示を与える太めのおっさんがいた。これが話題の(?)演出家か。

近くの医院で薬を処方してもらいました


 いつものようにアミコ図書館からの投稿です。

 今日は土曜日だが町医者は開いているので見てもらった。月曜日に診てもらったところで、薬をもらったがよくならないというか効かないので、また行った。別のところへ行けばいいんだろうが、ここは土曜診療をやっているのと遠くへ行くのはしんどいのでまたここにした。

 「抗生物質は効きませんか?」

 「ええ、症状は変わらず、咳き込みがちで、痰が出ます。」

 「そうですか、じゃあ、細菌性ではなくアレルギーかも。」

 といって胸に聴診器を当てる。

 「変な音はしていませんなぁ~」(いったいどんな音じゃ!)

 「抗アレルギー剤と総合感冒薬に変えておきましょう。」

 「これでよくなると思いますよ。」

 で、薬が変わって、診察代と薬代で締めて1800円。

 こんなやり取りの問診?と胸に数秒聴診器を当てただけである。まあ、こんなものと予想はしていたが、ええかげんなもんである。これで薬が見当はずれだったらどうするんだ!

 老人の体になるとちょっとした病気(風邪)でも若いときと比べると長引くという。でも他の重篤な病の前駆症状ということもあるから、なかなか症状が治まらないと心配である。
 

2012年8月24日金曜日

巣立ちは近い

 今日の西麻植駅のツバメです。こんなに大きくなりました。巣立ちはもうすぐです。親鳥2羽は餌を運ぶのをやめ、巣の近くにとまって、チチチチ、と鳴いています。まるで、早く飛び立ちなさいよ、と催促しているようです。

2012年8月22日水曜日

つばくろの家


 朝の駅舎の天井を見上げると、蛍光灯の横に作られた巣の中からツバメの可愛い雛が頭をちょこんと出している。親はせっせと往復して餌を運んでいる。
 夜、同じように見ると、親は巣にとまっているか、駅舎の天井の桟や梁にとまっている。夜なので餌はとれないが雛たちを守っているのであろう。

 これがお盆頃(14日)の話しだ。ところが一週間ほど前、朝見ると、無残に巣は壊されている。

 お椀状になった巣は半分割られたように壊されているのでもう巣としては機能しない。雛は支えられずに落ちたのであろうか。下を見たが白い糞の跡があるだけで雛はいない。

 「誰がこんなことをしたのだろう。」

 場所から見て、猫や蛇の仕業ではない。心無い人のいたずらである。傘などをのばせばとどくからそれで壊したのだろう。
 雛がいないということは落ちて死んでしまったのだろうか。むごい情けないことをするなぁ、と思いながらあわただしく朝の通勤電車に乗った。

 そして次の日、駅舎に入ると天井に近い壁にこのようにボール紙で神棚のようなものが作られている。

 よく見るといるいる、4つの雛がかわいい頭を出している。


 思うに、壊され落ちた雛をすぐ保護し、このようにボール紙で巣の代わりを作って壁に設置したのだろう。

 「壊すのも人、そして落ちた雛を救い、巣の代わりを作るのも人、はたして親ツバメはどうするのだろう。」

 見ていると親が餌を運んできた。頻繁に往復しているようだ。


 実はツバメは犬や猫ほどではないが人と共生する生き物である。ツバメは足が弱くほとんど歩けない。体も小さく華奢で、大きな生き物に狙われたらひとたまりもなく親、子ともにやられてしまう。そのため、駅舎、家の軒など人の住むところに巣をつくる。このような場所には猛禽類は近づかない。
 人もツバメが我が家に巣作りをして子を育てたり、毎年、ツバメが子育ての為に帰って来るのは縁起が良いと歓迎したものである。

 そのようなツバメと人の関係はずっと続いていたものである。しかし、このように人に頻繁に巣を壊されるようになったら、どうなるだろう。ツバメは家の軒を借り、安心して子育てをし、人は幸福をもたらす縁起物としてそれを見るという共生関係は、なくなるだろう。

 巣を壊した人に激しい憤りを感じる。一方、ダンボールで巣をつくり直した人の話はもしかして美談になるかもしれないが、ツバメからは同じ人間という生き物である。傘を振りかざし、恐らく鬼のような形相で巣を壊したヒトという生き物が、今度は人工のものの中に雛を移して見たこともない巣が近くに出来上がっている。野生の動物だと本能がこのような人工の巣も場所も拒否するであろう。

 しかし、『こんな危険なところは二度と御免だ!』とも言えず、雛のためせっせと再びこの場所で子育てをしなければならないツバメが哀れである。数千年にもわたって共生を続けられてきたのでまだ人を信頼しているのだろうか。

 今朝、見ると、もう巣立ちが近いのかもしれないほど、大きくなって巣から飛び立たんばかりにして餌を親からねだっていた。

 来年もここにツバメの巣をつくるのだろうか。

2012年8月20日月曜日

夏風邪か


 先週末くらいから、胸のあたりがもやもやして咳が出るようになった。昨日は痰ものどに絡むようになった。大して気にはしていなかったが、今日は咳込がちになり、少し胸も苦しくなり、痰もよけいに出るようになった。

 「これはやばい!」

 熱こそ出ていないが放っておくわけにはいかない。

 薬局で薬を買うか、病院で診察、そして処方してもらった薬を手に入れるか、どちらが経済的か考えてみた。
 この時点では、まあ夏風邪くらいだから、たいしたことはあるまいと考え、売薬で済ますか、近所の医者に行くかの二つの選択肢にした。

 薬局で薬を買う場合はもちろん原価で買わねばならない。咳止め、去痰剤(キョタンと入れたらさすがパソコン一発で変換した)、消炎鎮痛剤・・・などなど、口のうまい商売人気質の薬剤師にかかったら2つも3つも薬を売りつけられ、数千円かかるだろう。
 それより医者の処方で保健割引で診察・処方薬のほうが安いかもしれない。しかし、初診でレントゲンとかその他の診察器械を使い診察してもらったら、5000円以上とられるかもしれない。

 「どっちにしよう」

 訓練所が終わり、4時半には家に帰った。

 思い切って、家の近くの内科に行った。すると問診だけで、

 『夏風邪でしょう、お薬を5日も飲めばおさまりますよ。」

 さらさらと処方箋を書いてくれて(ホントは医師のパソコンのプリントアウトだけど)、道を隔ててすぐ前にある薬屋で薬を手に入れた。
 咳止め、去痰剤、抗生物質3種類、5日間。
 診察代1050円、薬代480円、締めて1500円弱、薬局で薬のみを単独で買うより診察処方保険割引で薬を手に入れた方が安かった。

 でもいつもこんなにお得感のある場合のみではない。もう20年も前だけど(もうその病院には2度といっていないので・・)、風邪で我が町にある児童淫行科、いや間違った!耳鼻咽喉科に行った。タダの風邪なのに(結果3日で自然と治った)、肺のレントゲンだの、喉の写真だの、鼻の奥をファイバーで撮影したりして、一万円以上取られた。

 今回はよかったが、医者代というのは向こうの言い値でとられるので、貧乏人には恐ろしいところである。大枚はたいた財布はすっからかんになり、その後の諸出費にも困るようになり、節約のため栄養のある食べ物も始末して買わなくなったりして、結果、体調が悪くなる。

 さて、五日間のこの処方の薬で治るだろうか。

2012年8月18日土曜日

定期券の旅


 南部循環バス定期を使い、新浜本町で降り、勝浦川の橋を渡った。長大な橋で、ヒョコタンヒョコタン歩いて渡り切るのに10分かかった。

 大昔、藩政時代には、もちろんこんな橋はなかった。津田の村から勝浦川を渡るのには『渡し船』が用いられていた。
 津田側から撮った写真に江戸時代の渡しのイメージを重ねてみた。

 橋の真ん中まで渡ると、下に潟が広がってきた。

 橋を渡り、対岸から潟に降り、散策した。
 一面広がる管状の丈の高い植物は、葦、葭、真菰であろうか。

 かなり大きな潟湖がある。真夏の暑さのためか水鳥はいない。

 葦をかき分け干潟に足を踏み入れると、たくさんの蟹が真横に歩いて(当たり前だ!蟹が縦に歩けばおかしい!)逃げ出した。

 ここは比較的自然な「潟」が残っている。最も半分くらいの面積は運動場に埋め立てられている。
  
 江戸時代以前はこのような潟、洲、河原はマージナルな土地で、制外の場所、封建的身分関係から外れた人が住んでいた。
 遊芸人、遊女(売春婦)・・・など。

 芝居などする遊芸人のことを川原者(かわらもの)と呼んだが、実際にこのような河原に住んだ(というよりそこしか住めなかった)ことからきているのはご存じのとおりである。
 また、遊女もこのような場所を住処としていたものが多い。江戸の公認遊郭は吉原(よしわら)が有名であるが、このよしわらは水辺の葭(よし)が繁った原、葭原(よしわら)を埋め立てて作ったところからきているといわれている。いかにも遊女の場所にふさわしい。

 また、違法な遊女ではあるが、廉価で遊ばせてくれる『夜鷹』はこのような場所で商売することが多かった。最も安いのはわずか16文、当時のかけそばいっぱいのねだんである。ビンボーな庶民の男たちはこちらを買った。ただし品質は保証の限りでなく、人三化七(ほとんど妖怪変化のような・・・)か恐ろしい病気持ちで、しばらくすると男の鼻がポトリと落ちたそうである(梅毒で)

 最後の写真はその夜鷹のイメージ図を重ねてみました。
 この夜鷹は美人なので48文お払いください。
 

2012年8月16日木曜日

花火で送り火


 一か月ほど前、スーパで買い物をしたら

 「これ、サービスに差し上げています。どうぞ」

 といってこんなものをくれた。

 今日は我が町の阿波踊りの最終日であるとともに送り火で先祖の御霊を送る日だ。京都の大文字山の送り火(大文字焼き)も今日だ。
 9時前に鴨島駅前に行って少し踊りを見た後、家に帰って、以前もらった花火があることを思い出し、送り火代わりに花火をした。

 派手な花火より


 線香花火が『送り火』にふさわしい。

休み明け

 薄明時、蜩(ひぐらし)のカナカナという侘しい声を聞きながらブログを書いています。

 5日におよぶ休みも終わり今日からまた訓練再開です。休みが多いのはいいのでしょうが、休み明けのどうしようもない気分の落ち込みは困ります。

 何度も夜中に目覚め、4時過ぎればもう寝られません。早朝起きて、シャキッとしててきぱき行動できればいいんでしょうが、ぼんやり過ごす時間が多いです。老化・衰えをひしひしと感じています。

 年齢にあわせライフスタイルをかえなければならないのでしょうが、まだ慣れることはできません。体は老化の一途ですが、頭はまだ若さを追い求めているところがあります。

 これからいったいどうなるのだろうか。人生あと老・病・死が待っています。穏やかな終末を迎えたいと思います。

 朝から陰気な話になりました。

 陽気な1日を心掛け、楽しい訓練になるようにしたいです。これから昼の弁当を作ります。

2012年8月15日水曜日

8月15日津田海岸町

海を見に行こう
 ここしばらく海を見ていない。海を見たいが、以前、佐古や蔵本においてあった自転車は家に引き上げたので駅から海へと遠出するにはバスを使わなければならない。

 バス定期が使えるところを探した。津田海岸町の木材団地でバスを降り、しばらく歩けば海へ出られるので、そのコースで海を見に出発した。
 海岸町木材団地前でバスを降り、歩き出した。始発駅の徳島駅前は、嫌になるほど人や車であふれていたのに、ここでは直線道路を延々2キロ歩いても人っ子一人いやしない!車が数台通るのみである。

 曇っていて、ぜんぜん蒸し暑くない。人気がなく、ゴーストタウンのようなので、荒れ果てた荒野を突き進む感じだ。幅広い道路はさえぎるものがなく、帽子が飛ばされそうな強い風が吹きまくるもので、夏とは思えぬ涼しさである。
 20分ほど歩いて海の見えるところに出た。
 
 動画もあるでよ

2012年8月13日月曜日

雨の中でこそ踊ろう あわ踊り


 まさか、雨というのでやめたんじゃないでしょうなぁ
 雨こそ、あわ踊りにとって環境抜群です。
 大雨ならなおよろし。

 蒸し暑い夜の大雨は天然のシャワー、気持ちよい。
 みんな裸になろう。そして踊り狂おう。

 ボディーソープやシャンプーをふりかけよう。
 むくむくと泡立つ泡の中で思い思いに裸踊りをしよう。

 これがホントの泡おどり

2012年8月12日日曜日

禅問答


 未熟な学徒に真理を教えるのに問答法は有意義である。しかし、これは時間と教師の気長な善導、そして工夫が必要である。そのような回りくどい方法を排して、これが真理だと、一方的に押し付けることは教師としてはたやすいが、それでは本当に学徒が真理に達したとは言えない。

 古代ギリシャにおいても我が東洋の禅においても問答法真理・悟りに達するため教師が用いた方法である。
 古代ギリシャの哲学者、たぶんソクラテスだったと思うが、無知と思われていた奴隷相手に問答法を用いで正方形のきっちり2倍の面積を持つ同じ正方形を作図させた。教師自ら真理を教えることなく、奴隷から問答法によって真理(答え)を引き出したのである。真理を生み出す元は奴隷の中にあるのであり、教師はそれを生み出す手助けをするのみである。真理を赤ちゃんに例えるなら、産むのは母親(この場合奴隷)であり、教師はいわば産婆の役である。ソクラテスはこれを産婆術と名づけた。

 仏教、特に禅宗においても問答法は真理・悟りに導く方法であった。しかしギリシアのそれとはずいぶん違っている。
 ギリシャの問答法は、公理・定理を立て、また概念、定義をはっきりさせ、その上で論理に従って緻密に言葉を積み重ね真理に近づいていくものであった。

 これに対し禅の問答は???、意味不明の飛躍、なんでそうなるのとしか言いようのない問答がつづく。そして真理。悟りに到達する時はわずか一語の問答であってもパッとワープするように終着点に着く。

 わたしらの凡人にはちょっと理解しがたい問答となる。これを
 『禅問答』
 という。
 しかし凡人には理解できぬ高邁な問答は、おバカな問答と紙一重である。これをおちょくった有名な落語がある。
 引用しておくから是非読んでみてください。
 ここクリック

 さて、この禅問答を踏まえたうえでこれをご覧ください。先日(8月10日)の我が郷土の新聞に載った記事です。

 よくわからない木造ですが、膝の下に猫を抑え、短刀を振り上げ猫の首に振り下ろそうとしているところです。この人は禅宗のお師匠さんです。

 禅宗には公案と呼ばれる問答の研究課題のテーマが昔から多くあります。その一つ『南泉斬猫』(なんぜんざんみょう)です。私は禅宗には詳しくはありませんが、三島由紀夫の小説「金閣寺」にこの『南泉斬猫』が出てくるので有名になり、それで知った人が多いのです。私もその一人でした。

 かなり難解なテーマらしく私などは全くわかりません。

 上の記事ではネコに仏性があるかどうか言い争っていた弟子に対し無益な論争はすべきでないと戒めた、とありますが、その戒めのため、なんとこの写真の像のように

 『スッパリと猫の首を落としてしまったのです』

 老師がそれをやったのですから、かなり深いさとしの意味があるはずですが、あなたわかります?私などはこの老師に対し、慈悲の実践仏教者として

 「なんちゅうことをさらすねん!」

 と思いますが、いまだにあ~だのこ~だの後の宗教家、哲学者がのたまってますから、なにか深遠なわけがありそうです。

 そしてこの論争の時、居なかった老師の第一の弟子が帰ってきて、老師がその第一の弟子に向かってお前ならどうした?と聞いたそうです。
 そうするとその弟子は、自分のはいていた履(はきもの)を頭にのせてすたすたと山門を出て行きました。
 それを見ていた老師は

 「ああ、あの時、お前がいてくれたら、猫の命は助かっただろうに。」

 と慨嘆したそうです。

 私にとっては老師が老師なら弟子も弟子、まったくわけのわからぬ行動です。

 小説に取り上げた三島由紀夫によればこの猫はこの上なく美しくかわいい子猫あった。それは美のエロスの象徴であり、それをめぐって禅寺の僧侶たちの争いになった末、老師が迷妄をたつため子猫の首をスッパリ斬ったのである。

 そうならばわかりやすい。でもそうとすると次の疑問は、第一の弟子の履を頭にのせる行動はなに?
 う~ん、履は足に履くもの、頭に載せるのは、『倒錯』している。つまり

 「子猫をエロスの対象とするような倒錯した性欲の寺にはいられぬとすたすた履を頭に出ってたわけか。」

 昔から寺、修道院などに飼われていた豚、羊などは僧たちの性欲のはけ口として使われたとはよく聞くが・・・・
 猫では穴がちっさかろうに・・・・・

 ととと、おっと、これも禅問答!わけのわからぬ自己問答でした。お忘れあれ。

2012年8月9日木曜日

本日のやまさんの心象風景


 真夏は暑いから辛抱するんだ。曼珠沙華の咲くいい季節になったら、人生最後の旅をするんだ。だらだらと長期はいけないな。けじめをつけて10日から2週間ってとこかな。

 九州の温泉巡りがいいな。もう一度長崎の坂を歩いて、夜、山から夜景を見るんだ。いいだろうな。

 今はひたすら行と瞑想にふけり、曼珠沙華の咲く時を待つんだ。

 曼珠沙華の歌を聞いてじっと我慢のやまさんです。

明と暗のあわいに咲く二つの花


 立秋も過ぎこころなしか朝夕は涼しくなったような気がする。

 早朝列車を待っていた(私はやたらと早く駅に行く、まだ6時台である)、無人の小さな駅で、最近はホームのまわりの手入れをする人もなく、雑草がホームのあちこちに生えている。柵には、たぶん栽培のため植えたのであろう植物が、手入れするもののないまま、繁茂し、からみついている。

 元は柵のそばに花壇があったらしいが茂る葉っぱに隠れて見えない。多くの種類の多年草があったに違いないが、見たところ生存競争に勝った植物だけが葉を広げ、花を咲かせ、実をつけている。

 目立つのは朝顔である。野生化したためか花の数は数えるほとしかないが、葉っぱが葛や蔦のように混み合って繁っている。これも野生化したためだろうか、やたらと葉が大きい。

 葉の陰に隠れるように咲いている縹色(はなだ色)の小さな朝顔を写真に撮った。

 いつもこの駅では13分ほど待つ。列車を待つ間、線路ぎわをみた。線路といっても非常に小さな駅であるため対向列車のための入れちがいの分岐線がなく、一本の線路のみでそれがすぐ畑に接している。
 そこに一本だけ雑草の花が咲いていた。去年の夏にも取り上げた月見草(ホントは白い品種なんだけど)である。
 夜暗くなると咲き、朝日とともにやがてしぼむ夜の花である。

 まだ夜の名残を味わっているのか、朝日を恥じらうことなくポッカリ咲いているが、日とともにしぼむ花である。

 片や朝日に咲く花、片や朝日とともにしぼむ花、花どうし、顔を合わすこともないと思ったが、明と暗のあわい(間)のこのひと時、二つの花を同時に咲かせ見せてくれる。

 自然の絶妙さには感心するばかりである。

男は顔じゃない

どこの誰とは言いませんが、今日配信された写真をみておもった。

 『男は顔じゃない!』

ググルはサービス精神旺盛


 午前3時半に目覚めて、眠れなくなった。しばらく横になっていたが眠れそうにない。こんなに早くから起きてもすることがない。
 パソコンを入れてググルの画面を見ると、急流下りのボートゲームができるようになっている。

  キーボードの⇒を押すことによって方向を変えられる。

 このところググルの画面は日替わりでオリンピックの種目である。そして今日は、オリンピックのカヌーかなんかにちなむゲームである。

 ググルにとって何の得になるか知らないが、楽しませてくれるサービスである。

 ゲームをしばらくやっていたら、外が明るくなった。

 これから弁当のおかずの酢豚でも作るとするか!

 ※ ググルクロームのブラウザでなければ見れないようです。

2012年8月8日水曜日

電気学習ノート パソコンでの回路配線が始まった

今日は相棒が休んでいるので私一人でやらなければならない。特別なソフト(10万円するそうだ)を使いノートパソコンに配線図を作図していく。このように
 実際に配線作業をして回路を作らなくてもPLCを使うことにより同じ回路がパソコンで作れる。楽なようだが慣れて覚えるまでが大変である。
 上の画面は一番簡単で基本的な『自己保持回路』を苦労の末に書き上げたところ。
 何とかうまく作動しました。
 
 全体はこのようなものです。
 
 いつもは相方(敬老精神のある几帳面な青年)がいるが、今日は一人なので頼るものがいない。しかし、失敗続きの試行錯誤で時間はかかったが、自分で自身で頼らずやったため、よくわかった。
 ただし、一晩寝たら、きれいさっぱり忘れる。最近老人性健忘症がひどい。

2012年8月7日火曜日

いったいどうなることやら

7月に入所した訓練生は18名、先週で一か月が過ぎた。早くも2名が抜けたようだ。ようだというのは、一名は就職が決まっての退所であり、めでたいことだが、もう一名は無断欠席のまま連絡がつかなくなったのである。やめるともやめないとも(無断欠席が重なったから自動的に退所になるが)本人の意志の確かめようがないので現在のところ名簿から消えるかどうかは保留である。

 退所が一か月で2名は速いペースであるようだ。この割合で行くと3ヵ月終わるころには6名、三分の一がいなくなる計算だ。

 訓練所としては入所しているときに就職が決まり、満期を待たずに退所するのは大歓迎である。
 ここポリテクで公開している就職決定者の言葉を載せておく。
 右の人は52歳であるが、終了3か月目にブロードマンションの管理事業を自営したとある。今までにさまざまな経験を積んだ人のようで、そうでなければ、ポリテクの電気設備で訓練を受けて3か月目で自営などできようはずがない。

 左の人は若い人で6か月目に電気関係の職に就けたとある。

 いずれもまあ、成功譚(話し)で、模範的な訓練生である。だから公開・広報にこのように載せているのだろう。でも成功譚ばかりでなく、挫折譚(話し)も載せれば反面教師的でいいかもしれません。

 ひるがえって私、いったいどうなることやら予測不能です。

2012年8月6日月曜日

ゆきかふ空の通い路

今日は6日、まだまだ暑く、夏の真っ盛りであるが、暦の上では、はや明日が『立秋』。といっても季節に変化があるわけでもない。相変わらず暑いであろう。
 ただ、明日を境に挨拶が暑中見舞いから残暑見舞いに代わるくらいだが、そんなことを口やかましく言う時代でもなくなった。暑ければ暑中見舞いで構わないだろ。

 今は季節感がなくなったという人がいる。確かにそういうことも言えるだろう。しかし、昔の人に比べ、今の人は、ちょっとした季節の変化の便りを見落としてしまうことが多い気がする。

 平安時代の歌人は上空の雲を見て季節の移り変わりを感じたのである。次の2枚の写真を見てもらおう。いずれも今日、ポリテクの校内から撮ったものである。

 1枚目は、朝の涼しい時の上層の雲である。
 刷毛に白いペンキをつけて横にサッと撫でたような薄い筋の雲がご覧になれると思う。これは『絹雲』、成層圏近くの超上空の雲である。これは偏西風に流され西から東へと進む。

 次は正午過ぎの空の写真である。
 津田山の上空にわだかまる雲はご存じ『積雲』である。数百メートルから千メートルの高度の低い雲である。暑くなった昼に沸き起こる。そして南東の風に流され、南東から北西へ向かう場合が多い。これは夏の雲、動きも夏の雲の動きである。

 最初の写真の絹雲は秋雲であり、動きも秋の動きである。

 今日は写真に撮れなかったが、今頃の季節、低い位置の積雲と上層の絹雲が同時に現れるときがある。そして逆向きの流れをするため下から見ると交差したように見える。

 平安時代の歌人、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は次のように詠んだ。

 夏と秋と ゆきかふそらの通い路は かたへ涼しき 風やふくらむ

 低層の夏の気団と雲、そして上層の秋の気団と雲、それぞれが行き交う空の通り道。
 『上はもうすっかり秋なのだなぁ~』、との感慨が聞こえてきそうである。

 ゆく夏を惜しんでか、今日、六日はわが町鴨島の花火大会、そらの通い路までとどけと大輪の花を上空に咲かせるのであろう。

皆さん、夏バテ、夏風邪にご用心!元気に秋を迎えましょう

2012年8月2日木曜日

目にはさやかに見えねども


 夜の8時半ごろ外を歩いた。夜気は気持ちよい。

 日中も暑いことは暑かったが、湿度の低い、からっとした暑さで蒸し暑さはなかった。あと5日で夏の土用も終わり、立秋を迎える。どこかからなにかしらの秋の気配がただよってきてもよい頃である。

 昔の人は言ったものである。

 『土用半ばは秋の風』

 今夜は、夜空も澄み、おまけに満月を迎えている。先月の満月は赤っぽかったが、秋も近いのか今宵の満月は皓皓としている。

 町並みが途絶え、草むらの道に入ると、 どこかからかリーリーリー、と虫の音が聞こえてきた。今年初めて聞くコオロギの声だ。

 秋きぬと目にはさやかに見えねども、秋は夜、そして朝、しのびよってきている。