2012年12月30日日曜日

今年一年ブログをふりかえってみた

 世間は重大ニュースとか言って報道していますが、私も自分のブログで探してみました。でも、こんな爺に印象深い出来事が10もある筈はありません。今年一年のブログを繰っていきましたがせいぜい5つですね。

 皆さんはお仕事もされている方もいるし、活動的ですから今年一年振り返ると印象に残る多くのことがあったんじゃないですか。

○数百年に一度の金環食が見られたこと
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○技能訓練を受けて社会復帰しようとチャレンジしたこと
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○長崎旅行
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○東京・鎌倉旅行
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○怪我をして指がゆがんだこと
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 まあ、ええこともあり、悪いこともあり、それでも何とか今年一年寿命がありました(まだ一日残っているが) 誰に言うともなく感謝です。 

2012年12月28日金曜日

三千世界と天人五衰

 パラレルワールドというとモダンっぽいが、古くから言われているのは(仏教で)、我々の住む広大な宇宙もしょせんは小宇宙でそれらは数多くあり、すべて同じ小宇宙を構成している。そしてそれらが集まり中宇宙、さらに上位に大宇宙・・・無限に近いぐらい数多くある宇宙にはだから我々と同じ世界もあるに違いないと考えていた。
 同じ進化の道筋をたどれば同じヒトが別の宇宙に存在するかもしれない。ただほんの少し違って同じような世界が展開する。こう考えるとパラレルワールドも納得できる。これは仏教の宇宙観である。華厳経でいう『三千世界』というのがそうなんじゃないかなと思う。

 世界に生きるヒトはある因果で次第にグレードが上がっていくとも考えられる。心は平安になり、争いはなくなる。寿命はほとんど不死といわれてもいいくらい長くなる。むき出しの欲望もすでにない。交わりも淡白になるらしい。
 仏教ではこのような状態のヒトを「天人」という。

 我々人間もそのような上位のヒトをめざしているならこれも仏教の言う輪廻の六道の最上位だ。しかし悲しいかな「天人」であっても「有情」(いきもの)である。極めて長く楽しく生きるが滅亡は免れない。仏教では「天人五衰」という。

 天人でも五衰して滅するが輪廻して別の世界(宇宙)に生まれるという。

 空には不思議な雲が
  帯紐のような薄雲はこれ、天人の羽衣、ちぎれた3つの雲は天人が降らす天花じゃないのか。

  よく目を凝らすと天人が見える

 我々の世界の最高位にいる天人に五衰の兆しはないのであろうか。天人五衰するときわれらの住む小宇宙も消えるかもしれない。

2012年12月27日木曜日

意外とまだ行っていなかったところ

 
 わが町のDVD屋は以前は3つも大手チェーン店があったが安売り攻勢・潰し合いの結果、一番安かったところが利益が上がらず潰れてしまった。そうすると途端に値上げだ。腹立たしいので、JR定期もあることだし、矢三店まで行って50円のDVDを借りている。
 そのため蔵本駅で降りて田宮街道の方へ自転車でいくが、この町筋は、古いなつかしい町並みが残っている。いつも自転車で素通りなので前からここに由緒ありげなお堂のようなものがあるのに気づいてはいたが立ち止まってみることはなかった。

 今日は、そこへ参詣した。

 素通りするだけでええかげんな認識しかなかったので、これ寺か神社かもわからない。よく見ると鳥居がないので神社ではない。小さな寺、お堂か。仏教系であることは間違いなかろう。

 外れて落ちかけた説明版を読むと

  ご利益とご本尊が書いてある。
  火伏(火災防止)の霊験で本尊は十一面観世音菩薩だ。

 そのあとは、中央病院を真南に行って山際の道を行く。

 しばらく山際を行くと椎の宮八幡宮があった。大きな神社だが、私はまだ一度も来たことがなかった。
 神社は山の斜面を上がったところにあるが、ツツジの多い山の傾斜も神社の境内になる。その麓には雲龍水という名水が噴出していた。

  大きな額が外されて境内の山の斜面に置いてあった。

 この神社の本殿を登ったすぐ裏にあまり流行っていない雰囲気の十字を付けた教会堂があった。隣り合うようにしてある神さん同士、仲が悪くちゃやって行けまい。
  
 「日本は八百万の神の国だ」

 動画もどうぞ。

2012年12月25日火曜日

寒い一日

 昨夜はずいぶん寒かったが、今朝起きてみるとあちらこちらに氷が張っていた。


 太陽高度が最も低いのが、ということは日の光が最も弱くなるのが21日の冬至だったが、冬の寒さはこれからが本番である。
 いまからこんな寒さだと、今年は寒い冬になるかもしれない。

 でも太陽は今日くらいから目に見えて高度が増し、光の強さが回復してくる。古代ローマではその回復する日を祭りとしていたが、後にキリスト教がそれを取り入れてクリスマスにしたといわれている。

 正午・南中時でも太陽はまだこの高さである。33度くらいだろうか。佐古・諏訪さんの石段の下から撮影する。でも今日あたりから少しずつ高くなっていく。

 この諏訪さんの石段の下に『迷い子石』がある。

 祭礼や人出の多い行事のとき一時的に親からはぐれた子供をここへ連れてきたのだろう。現代日本にある例の「赤ちゃんポスト」とは違う。

 江戸時代の町町では、よその子でも困ったときは知らぬ大人でも助けたり、世話をした。

 ところが今はどうだ。

 「ぼっちゃん、じょうちゃん、どうしたの道に迷ったの?」

 なんどと優しく声をかけたり、あまつさえ手を引こうものなら・・・・・・・

 誘拐犯に間違われる。子どもに対する親切は注意が必要だ。

 このお諏訪さんには神馬の像がある。馬の銅像はリアルに作られているので生物界で一番長い珍棒も股間に作られている。

 このお諏訪さんの珍棒も長く太いので有名だった。

 ところが股間を見ると・・・・・

 取り外してあるのか?なんで?

 ゲサクだからというんじゃないだろうな。こんなもんでそんなことを言い始めたら古代ギリシャの彫刻なんか鑑賞できんわな。
 
 それともよからぬ輩があばさかっていたずらするからだろうか。(マジックで陰毛を描いたり、使い捨てのコンドームをかぶせたりのやりたい放題)

 外してあるようなので何かの時ははめ込み式で付けるのだろうか。

 『付けチンポ』とはずいぶんシュールだ。

 いつも下にオチるなぁ。反省しよ~~、いや性分だわさ。でけんでけん。

2012年12月21日金曜日

冬至

 今日は冬至、太陽高度は最も低い。その上今日は薄曇り、朝も7時過ぎまで暗かった。
 正午、神社の大木の枝にかかっている太陽は雲を通して直視できる。
 夜になって雨。長い夜が始まる。昼の暗さを補うように街のあちこちでイルミネーションが目立つようになった。

 銭湯に行ったら今日はユズ湯だった。ユズ湯は風邪をひかない効能があるとも、命をのばす効果があるとも言われる。

 「冬至に湯治か」

 お決まりのダジャレをいってみる。

2012年12月19日水曜日

明後日に終末?

 今日、新聞で見たのだがマヤ暦の世界の終末が明後日に迫っているらしい。12月21日である。この日は冬至でもあるがそれと何か関係あるのだろうか。

 古代マヤの人がほんとにそんなことを言ったのだろうか。以前も終末論は取り上げたが、各文明圏で終末論は存在するから、マヤの人が終末を予言するのは不思議でない。

 生半可な知識だが、どうも何千年ものスパンのマヤの暦の繰り返しが明後日で終わるらしい。それを世界の終末と解釈したらしい。でもこれは古い暦が終わり、(つまり暦の施行ですな、たとえばユリウス暦とか、グレゴリオ暦とか太陰暦などの) その日以後は新しい暦(の施行)が始まるという解釈もできるから、世界そのものは終わらず続くということもできる。古代マヤ人は果たしてどちらの解釈だったのだろうか。

 しかし、『終末』はちょっと考えればわかるがこれは何事にもある。何事にもあるといったが、この世に誕生したものは。という意味でのモノである。生まれたものはやがて滅する。その道理はみんなわかっている。
 人は平均80年余り、永久不滅のように見える「宇宙」でも数百億年後は滅しているかほとんど滅した状態にある。(ある人は無限の拡散といい、またエントロピー的な死といったりする)
 生あり、形あるものでこの消滅を逃れられるものはいない。

 大げさに鳴り物入りで「終末論」を吹聴しなくても世界も宇宙も終末は必ず訪れる。ただ終末論ははなはだ短い時間で終末を予言する。そしてだいたい何時何時までと期限を切っている。
 この『はなはだ短い時間』というのと『いつ何時までの時』というのが終末論が人に恐慌をもたらす元となる。

 わずか80年余りしか生きられない人でも、平常は太平楽に生きて行けるのは「まだまだ死までは時間がたっぷりあるに違いない」、そして「いつ何時までに死ぬということがわからない」からである。

 これが何年後の何月何日にあなたは終末を迎えます。といわれれば怖い。普通このような状況に置かれる人は不治の病の告知を医者から受ける人に多い。医者の場合、かなり科学的な根拠に基づくものなのでみんな信じる。

 ところが世界の終末論は、科学的根拠はいつも?がつく。信じれば怖いが、科学的な根拠があいまいだというところで人々は

 「また今回も外れるわ」

 と安心している。しかし、今まで一度も起こらなかったからこれからもずっとないとはいえない。科学は繰り返し起こること、過去に起こったことからある程度未来を予言することはできる。しかし一度も起こらなかった現象について知ることはできない。パソコンがブラックアウトして瞬時にすべてがプッツンするような現象が宇宙にないとはいえない。それは一度起こればその瞬間に宇宙は消滅する。

 「宇宙にそんなアホな現象が起こるはずなどない」

 というなかれ、小宇宙である「ヒト」自身にしても心臓か脳かまた事故か、原因さまざまだが瞬間死はあるのだから。

 さてマヤの終末論の明後日はどうなるだろうか。

2012年12月18日火曜日

おもしろい話

 最近よくないことが起こり鬱屈している。

 なにか鬱を吹き飛ばすおもしろい話はないか?

 そこで私の過去のブログでおもしろいダジャレの話を探ってみた。

 この二つが出てきた。

 ほうほう、「はなさんかい~じじい」で『花咲かじいさん』

 つぎは?

 ほうほう、「あるブスの少女の禿痔」で『アルプスの少女ハイジ』

 こら~、それのどこがおもしろいんじゃ!

 みなさん、この二枚よく見てください。今回の主人公は爺さんでも少女でもございません。
 主人公は、上はポチ、下は見にくいけれどペーターと遊んでいる子ヤギです。

 それのどこが面白いんじゃ!ええ?

 どちらも真っ白い獣だけに

 「尾も白い」

 尾あとがよろしいようで

2012年12月15日土曜日

クリスマスが近いのでハレルヤと小フーガを

 えらいローカルな話でおますが、ワイら徳島県人は「ハレルヤ」と聞いたら他国人と違う反応を示します。徳島以外の人ですと、

 「ハレルヤ?ヘンデルのオラトリオ(聖譚曲)でおまっしゃろ」

 と言ってクリスマスにふさわしい曲が浮かんできましょうが、わいらはちゃいます。

 『つっきに浮かれて ポンポコポン~♪~~ハレルヤのきんちょうまんじゅっ!おいちいね』
  
 のこの曲です。阿波でハレルヤといえば金長饅頭のハレルヤ製菓ですね。


 でもこれじゃさすがにクリスマスの聖譚曲にはならない。だから本家本元のハレルヤをどうぞ。


 次は小フーガト短調です。フーガは日本語で『遁走曲』とも言われています。最初に出発したミクちゃんの主題の駄馬駄馬が、後から追加される駄馬駄馬に追いかけられ、遁走を始めます。ミクちゃんは2人になり、さらに追いかける駄馬駄馬が加わって3つになります。
 昔、小学校の時、輪唱というのやりましたね。最初に出発したグループの歌を後から歌いだしたグループが追いかける。まさに遁走曲ですね。これが、まあフーガの簡単なものです。 面白いことにワイらのクラスでは輪唱を始めて遁走を開始するのですが、コレ絶対追いつけることなく、それぞれ(3部輪唱だと)に時間差で終わるのです。ところが摩訶不思議なことに3部がピタリと同時に終わりました。
 おもっしょいですね。
 

2012年12月13日木曜日

江戸時代から日本女性は世界最高 軟派グッズも世界最高

 江戸時代の日本女性が世界最高って、鎖国時代なのになんでそんなことわかるんじゃ。と思われましょうね。それは、この時代唯一の国際貿易港『長崎』の丸山遊女が日本女性の代表として、外国人の高い評価受けたのです。

 でもそれって玄人の女性だから女性一般化はできないでしょ。と言われそうですが、この時代、遊女は決して特別な女性ではありません。一般の娘がそう抵抗なく遊女になり、また遊女にはなっても年季が明ければ大手を振って普通に結婚をし、妻になったのです。
 また江戸時代にあってすべての人があこがれる最高のマナー・教養を有すると見られているトップクラスの女性は高級女郎だったのです。

 この時代、長崎に来たオランダ人、唐人すべてと言っていいほど、丸山の遊女の容姿、化粧から立ち居振る舞い、気立てを褒めています。どちらも単身で来たから、遊女にお世話になるのですが、だいたいメロメロにさせられます。

 オランダ人のある青年なんかは、遊女に冷たくされたといって自殺未遂を起こしたり、またあるものは自暴自棄になって出島から脱走したり、で大騒ぎになります。

 唐人なんかも長崎の遊女を慕い、何度も中国との間を、彼女を目当てに往復します。そのため全財産を無くした唐人も数多くいたとか。

 そもそも当時の中国は遊郭は原則禁止。また中国で素人相手にしようにも居丈高で鼻っ柱の強い中国女性に辟易していたんでしょうなぁ。日本へ来て長崎の遊郭の丸山遊女の美しさ優しさに接して、唐人(中国人)は

 「この世の中にこんな極楽があるのだろうか」

 と大感激でのめり込んでいったとか。

この遊女目当てだけにわざわざ千里の波濤をものともせず中国から長崎まで多くの唐人がやってくるのですから、その女性の魅力たるや推して知るべしですね。

 いったいどこがそんなに魅力的なのでしょう。当時長崎で遊女に入れあげた陳さんに聞いてみましょう。

 『ともかくも、やさしい、情が細やかで、男を大切に思う気持ちが伝わり、切なくなるほどかわいい。そして、一度でも馴染んだらもう忘れられない。それに小柄でなよなよとしていてまるで少女を抱くようであるが、驚くほど床上手で、大味な中国女性と違い性の手練手管には舌を巻く』

 なるほど!世界最強のいい女というのが納得できそうですね。

 この長崎丸山の遊女の評価は明治になっても衰えません。明治初年、あの大ロシア帝国の皇太子ニコライ(のちのニコライ2世皇帝)は丸山の女性を現地妻にするためはるばる軍艦でやってきたといいます。このため長崎にはロマノフ家のご落胤がいるとかいう噂もちらほら。

 江戸時代と同時代の世界は日本を除いて『ド助平』(つまりはやい話が猥褻なことですなぁ)は嫌われました。そしてすけべえグッズなんかは決して公にされるものではありませんでした。
 唯一の例外は日本です。ほとんど解禁のポルノグラフィー、恥ずかしげもなく売られる大人のおもちゃ。

 ここ長崎でもそう。でも長崎は異人さん、特に毛色の違ったオランダさんがいます。ポルノ(当時は春画といった)でも異人さんとの交わりバージョンが

 「欲しい、見たい」

 という欲求があります。(現在でも異種交配ポルノ、黒人白人、さらには犬といっしょのポルノは人気だそうですね)それをすぐ木版画にして商品にしばらまき売るのが日本の素晴らしいところ。さっそくこんなものが出回ります。
  
 そうです!江戸は鎖国といいながら日本は放っておけばこんなところから思わぬ国際化が進むんですね。この浮世絵、大人気となり全国で売れに売れたとか。

 そうなると、是非、(いまも大人気だが・・)白人女性も浮世絵にしたいところ。ところが長崎出島は男の世界、白人男性はいるが白人女性は出島始まって以来一人もいない。

 「見たいなぁ。白人女性ってどんなんじゃろ、あそこもちゃあうんやろか」

 こんなことを憚りもせずに思うことができるほど江戸時代は文化国家。その願いが神に通じたのか、ある日、商館長の奥さんが子どもと白人の子守りまで連れて船でやってきます。

 もう長崎は

 「来た~~~、来た~~~、金髪女が来た~~」

 で大騒ぎになります。でもなぜか長崎奉行所は追い返します。

 しかしこんな願ってもない女性を絵にしないことはありません。さっそく木版画にされ全国へばらまかれます。
 下はその時の西洋婦人図、左は夫の商館長
 もちろん、白人女性媾合(まぐわい)の図、という春画も多量に印刷され、全国の好奇心を満たしたのですが、白人同士の春画はあまりにもどぎつく、紹介はまた別の機会にします。

 このような視覚の軟派グッズだけではありません。江戸は大人のおもちゃでも追随を許さぬ高品質のものを作り出します。なんとコンニャクで女性器とそっくりのものを細部にわたってつくり、それが使用できたというからすごいじゃありませんか。
 唐人屋敷にいる唐人のほとんどは貧しい水夫、女郎を買う金もありませんが、日本の春画を見つつ、オスペ器で楽しむ。

 「なるほど、唐人にとって長崎は天国のような街ですな。」

2012年12月9日日曜日

週刊誌の終末論

 男性週刊誌は政治、芸能、有名人のゴシップネタが多い。それは当然である。大新聞か書かない、というか書かれない内容をとりあげるところに週刊誌の存在意義はある。
 優等生のお説教を垂れ流し、あたり障りのない記事しか書かない大新聞より面白いのは、人々が新聞では知りたくても知られない裏ネタを報道してくれるからである。

 それ以外では、これは売り上げをのばすためであろうが、若くて美しいボインのおねぇちゃんのグラビア写真が口絵に閉じ込まれている。(立ち読みでは全部見られないように袋閉じしてある。)

 他にも大新聞では怖くて扱えないような特集記事も週刊誌には存在する。まあいわば真偽が定まらない学説、現象などである。疑似科学、終末論などがよく取り上げられる。

 その中で終末論は男性週刊誌は大昔からの得意分野?で繰り返し繰り返し、手をかえ品をかえて登場する。なぜこんなに昔から繰り返し登場するか、を考えると、

 まず、終末論は『いつまでに世界が滅びますよ』という大予言がある。日本においては平安末くらいからあるが、その時期が来ても一向に世界は終わらない。すると次の終末論が流行る。でも世界はつづく・・そうすると次々終末論は登場し、流行る、これはおそらく地球がホントに滅亡するまで繰り返すだろう。

 それに終末論はカルトのようなものに結びつかなければそう害はない。一種の悲観論として目くじら立てる必要もない。

 千年来、終末論は外れっぱなしなので、週刊誌も(今度も当たるまいと、内心思いつつ)安心して取り上げられる。世界の終末論はだから週刊誌の好むネタなのである。

 ところが今週発売の週刊Gを見て少し驚いた。全く違う終末論をとりあげているのである。新しい試みか。しかし、こちらの終末論は興味本位では読まれないシビアーで厳粛なものを伴っている。取り上げることで部数が伸びるどころか嫌なもは敬遠されるように部数が減少するかもしれない。

 それは『世界の終末』ならぬ、『あなた自身の終末論』である。
 あなた自身の終末論とは、『死ぬこと』である。
 男性週刊誌らしく小難しいことは避け、具体的な事例で話を進めている。

 まず、死に至る過程でははひどい痛みを伴うものが多いということを事例をあげて説明している。短時間で死に至るがその短い間の想像を絶する痛み、また長く苦痛が続く死に至る病。
 緩和ケアでも対処できぬ苦痛もあるぞと、脅しの効いた記事が続く。読みながら

 「ぞぞぞぞぞ~」

 と怖気をふるう。

 次に死ぬ瞬間の話しに移る。まばゆい光・・だの、広い広い草原だの、川だのが臨死体験した人から語られる、しかし、死ぬ瞬間の体験って本当は死を経験した人でなければ語れない、しかしこれは逆説であって、あり得ぬから、この話全体、信用できない。
 だが、臨死状態になれば脳内麻薬が分泌されこのような幻覚を見るという科学的な説明記事には納得出来るものがある。

 そして記事は「死を受け入れる覚悟」につづく。
 若くして死に病に憑りつかれたものは、死を受け入れ得ぬ者が出てくる(そらそうじゃろ、まだ死ぬ寿命でもないのにと思うわなぁ) 事例として死と向き合うあまりの重圧に精神錯乱で精神科に入り、そこで亡くなった高校男子のケース。また壮年男子で無駄と客観的にわかりながら、あらゆる延命に1500万使い、延命もできぬまま最後は体からチューブがスパゲティーのように出て亡くなったケース。

 そしてある人にこんなことを語らせる。

 『死につつあるとは<私>というものがばらけて、霧消していく過程なんですよ。喜怒哀楽、夢、希望、すべてばらけて消えて無になりつつあるのが死なんじゃないですか』

 またしても「ぞぞぞぞぞ~」

 私をこれだけおびえさせる記事を書いてはいるが、男性週刊誌らしく、まとめの部分は曖昧でおざなり感が漂う。まとめの部分は二つ書かれている。でもこれがさんざん脅かされ、誰でもやって来る死に対する恐怖への癒しになるかどうかは疑問である。

 インドのガンジス川のほとりには死者の家があるそうである。そこでは死を待つばかりの哀れな人々がいるそうだが、彼らに死そのものに対する恐怖はない。彼らは輪廻転生を信じているからである。

 死に至る人は食欲はなくなる。放っておけば遅くとも2週間くらいで枯れ木が倒れるように死んでゆく。延命の欲をだし、栄養補給だの薬だの投与するからよけいに苦しい死を迎えるのではないか。我欲が死を苦しいものにしている。
 そして生きてきた以上は老、病を受け入れ死を見つめることが大切である。と結ぶ。

 誰でもやがては迎えるわが身の終末であるが、男性週刊誌にはあまりそぐわないテーマである。みんなわかってゃいるけど、知りたくない、忘れ、いや抑圧している。それをあえて選んだ週刊紙があったのでブログでとりあげてみました。

 (下は中世の木版画より、死の舞踏、やがて捕えられる死にあなたは・・・・・・)
 この絵に説明はないが、私の見るところ、
 死神に腕をとられ、「え~!もうお迎えか、もう少し待ってくれよ!まだやり残したことがあるんだよう」と生きる方向に指を指す。
 しかし、死神は離すものかと、強い力で引きずる。
 この男、とても、死に対する覚悟があるとは思われない。
 
 「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日きょうとは 思わざりしを。」


2012年12月7日金曜日

午後6時半の徳島駅前

 図書館の用事がすんでそごう2階の時計前の出口から外へでた。何やらラウドスピーカーが喧しい。人も駅周辺に多く集まっている。
 選挙演説カーで誰か演説をしている。

 「誰じゃろ?」

 見ると某野党党首の元首相が演説している。

 塾帰りか学校帰りかしらんが、なぜか群衆には高校生も混じっている。携帯で写真を撮ったりしている。けっこうな人気だ。

 近寄り、群衆の中に入る。党首が声を張り上げ決めぜりふを言うと、パチパチ拍手している。動員の人が多いのだろうか。でも見ると会社帰りの普通のサラリーマンが多いようだ。

 中には天邪鬼もいて、「原発を作ったのはあんたがたでしょ」、、とか「ノ~」、(何がノーなのかわからないが)を書いたプラカードや旗を持って群衆をかき分けて進んでる4~5人のグループがいた。

 これがエジプトや中東、いやドイツだって、反対するグループ同士が接近などしたらタダではすむまい。

 「日本の政治はクールなのか、ただ無関心か?」

 しかし、駅前の街頭演説にしては大勢の群衆が集まっている。祭りのようだ。2日前に各新聞がいっせいに予測を第一面に載せたが、やっぱり今回はこの党、勢いがあるのかなぁ。

 日本は豊葦原の瑞穂の国、瑞穂(みずほ)のおばちゃんにも頑張ってほしい。

今朝は寒かった そしてまた小さなトラブルが

 夕べの予報でわが町は今朝氷点下になるといっていたとおり、朝起きて前の川を見ると、ほぼ全面氷結。
とは、ちょっと大げさだった。渇水期で川の水が少なくなっていて、水溜り状態。流れもないから凍りやすいのである。
 向こう岸まで歩いて渡れると、いいたいが薄氷なので無理。でもスズメはチュンチュク、いいながらピョンピョン飛ぶように薄氷の上を渡っていた。

 場所によってはかなりの厚さの氷が張っていた。
ところで、朝、あまり寒いのでエアコンを動かそうとリモコンのスイッチを入れたが反応しない。押し続けると5回に一回くらいで反応し、電源は入った。しかし温度、風力あるいは自動設定の細かな指示は反応が鈍いためきわめてやりづらい。

 こういうときは普通リモコンの電池が切れているのだろうとおもうわなぁ。それで、まっさらピンピンの電池を入れ替えたが、結果は同じ。改善しない。

  リモコン装置が壊れかけているのだろう。このエアコン、8回目の夏を迎えて現在ある。本体は動くから寿命にはまだ早い。リモコンを買い換えればいいんだろう。
 取り扱い説明書を見ると、リモコンは3990円で別売してます。とのこと

 『けっこう、高いわ!』

 テレビなどのリモコンは共用リモコンが販売されているため、機種の応用範囲が広く、新たに買う場合でも4000円もしない。しかしエアコンのリモコンはメーカーによって様式がかなり違うからテレビのように共用リモコンはない。

 でも8年たってそのリモコンが発売中止されている場合もある。そうなれば、リモコンでコントロールする以外は、手動ボタンも本体にはついていない我が家のエアコンは無用の長物となりかねない。

 電気屋に聞いては見るが、

 『あ、その機種ね、今は製造中止で、リモコンもありません』

 といわれたら、アウト。なんで本体に手動ボタンをつけてないのか!新しいものをできるだけ早く買わせる電気メーカーの悪巧みじゃないのか。

2012年12月5日水曜日

おもろい同時通訳の女性

 今朝、BS1で海外ニュースを見ていた。原語と一緒に日本語が同時通訳され流れている。この場合NHKではあっても同時通訳はアナウンサーではないだろう。当然、少しくらい訛り、方言が入るのは仕方ないだろうが、一応プロであるからできるだけ標準語に近づけるよう努力はしているに違いない。
 その中で、こんなフレーズがあった。

 「・・・・・・だまくらかされて・・・・」

 おそらくだまされてといいたかったのだろう。声から察するに20代後半から30代までの女性であった。
 こんな言い方も一般的にないわけではないだろうが、回りくどく持って回った言い方になるから普通のアナウンサーは使わないだろう。

 聞きながら思わず、にんまり。はっきり言ってこういう言い方は好きである。この女性の生きてきた人生がにじみ出るような味のある言い方だと、独断的に思う。

 以下、妄想が炸裂!!!!!

 この女性、最近、だまされて男に捨てられたに相違ない。同時通訳するくらいだから知的な女性である。文学的表現も(もちろん日本語で)お手の物である。
 男とベッドをともにして寝る事(もちろん濃厚セックスあり)を文学的婉曲的に表現します。

 『恋しい男と幾夜も枕を重ね・・・・・』

 そうなんですね。枕を重ねるとはそんな意味なんですね。挙句、こまごましたいきさつはご想像にお任せするとして、女が捨てられ「だまされた!」と感じたんですね。もしかすると結婚の約束をして男に金銭を入れあげた結果、妻子もちがわかり、という仕儀かもしれません。

 『だまされ、まくらかさね、捨てられた。』、それが頭にこびりつき、そのフレーズの頭韻を踏んでだまくらかされた。というのがぽろっと・・・・・
 というのですがどうですか?


2012年12月4日火曜日

女の子のネーミング

 最近生まれた女の子のネーミングの一位から順にいうと

 1結愛(ゆあ)。2陽菜(ひな)。3結菜(ゆいな)。4結衣(ゆい)・・・・・

 から始まる名前が多い。や行(や、ゆ、よ)は音にやさしく優美なイメージがあるからなのだろうか。と思うがどうだろう。漢字で「結」という文字が使われているが、これはあまり意味がないんじゃないかな。発音が先に来て漢字は後から当てたのではないかと思うが。

 第二人気の「ひな」は、雛のイメージがある。ピヨピヨかわいい感じだが、老女になったらどうだろう、でもそのころには流行が変わってヒナおばあちゃんもシックリ板についているかもしれない。

 ネーミングで擬音語・擬態語はあまり使わない。なんかふざけているようで敬遠するのだろう。昔芸名で「キャィ~ン」というのがあったが、これは男だったと思う。女の子にはさすが擬音擬態語はない。

 と思っていて先日、ネットで紅白出場歌手を見ていると

 『キャリー・パミュパミュ』

 ぱみゅ、ぱみゅ、ってこれほとんど擬態語じゃないのか。なんかポヨヨヨヨ~~ン、グニュッ、モミモミ、って感じの親戚の擬態語のような気がするけど、爺さんの錯覚か!

 顔をみて

 「おぶけた!」

 なるほどこれがぱみゅぱみゅか。好きになりそう。

2012年12月2日日曜日

冬の旅

 9月10日にポリテクを退所してから10月が終わるまでの秋の季節、あちらこちらへ旅行した。京都、奈良、岡崎、長崎、別府、東京、鎌倉である。今振り返って一番印象に残り、楽しかったのは長崎の旅行である。

 大きくもなくかといってすぐ見て回れるほど小さくもない。歴史は濃厚につまっていて、史跡も多い。人情もゆったりしていて、親切だった。

 何より考えながら散策するにはいい町である。谷筋にある自動車が通れる道路には車は多い。しかし基本的に丘陵と小高い山が広がる長崎は少し入れば、遊歩するのにもってこいの小道がある。
 坂が多いためかこぐのがたいへんな自転車が少ないのも歩くのにはもってこいである。

 再び行くとしたら長崎だな。と思う。

 これから行くとしたら、季節は冬、「冬の旅」になる。冬の旅、カギ括弧で囲んだのは、「冬の旅」はあるイメージを伴ったものであったためである。過去形で語るのは、いまやそのイメージはないからである。

 駅に行くと冬の旅を誘うおおきなポスターが目に付く。カニ食べ放題ツアーとか、湯煙温泉ツアーが多い。また旅行社の宣伝は季節的に安くなる冬格安旅行でヨーロッパ観光、あるいは南海の楽園での避寒ツアーがある。
 どれもこれもラクで楽しい旅行ばかりである。

 しかし鉄道が発明される150年以前はそうではなった。冬の旅とは厳しい寒さや、すぐ暗くなり短い日中、雪に閉ざされて進めない道、などで大変苦労の多いものであった。

 以前取り上げた中世を旅する一遍一行の冬の旅を見ると・・・夏と変わらぬ薄着の旅行、さぞや寒く苦しいものだろうと思う。
ヨーロッパの冬の旅はもっと厳しい。緯度の高いヨーロッパは午後2時過ぎから薄暗くなってくる。北海からは寒冷な低気圧が次々やってきて、晴れは少ない。つまり太陽などはほとんど拝めないことになる。
 下はフランドル地方(ベルギー・オランダ)の冬(17世紀)の様子である。すべてが凍てついた中、薄暗い日中のみ、人はトボトボ歩く。少しでも悪天になれば旅行は中断である。
 日本以上にヨーロッパの「冬の旅」は旅行者にとって、ありえぬ!といってもいいような厳しいイメージの旅だったのです。

 まあ今はそんなことはなくなりましたが、私は今でもこんなイメージを持っています。

 以前、ブログでそんな冬の旅を取り上げました。

 ここクリック

 最後にシューベルトの「冬の旅」の歌曲を貼っておきます。お聴きください。

2012年11月26日月曜日

事故で緊急外来へ

  佐古駅前を自転車で走っていた。雨が降っていたのと段差があるのが原因だろう。自転車がスリップしたかと思う間もなく、自転車ごと転倒。体をしたたかに打った。
 
  しばらく痛みで起き上がれない。起き上がる前から、かなりの怪我の予感がする。

  起きてみると、あちこちが痛い。手を見ると、左の中指が変な方向に曲がっている。
  人一倍、血を見ることや、事故の怪我を見るのが嫌いな私の驚き。御想像ください。

  うろたえまくり

  「どなんしょう、どなんしょう」

  「救急車だ!」

  なぜか携帯がつながらない。そう痛みはないので、少し冷静になった。佐古駅前なのでタクシーで県立中央病院緊急外来へ行った。

  レントゲンで見ると見事に指が外れて妙な方向に向いている。

  治療後はこんな状態

 精神的落ち込みもあるので、 しばらくブログもアップできないかもしれません。

 ところでブロガーは今日、急に1GB以上の画像がアップできなくなってます。なぜでしょう。(4枚のこのサイズの画像は拒否されます)そしてポップで有料ブロガー月300円のお知らせがでます)

 ブロガーはCMもなくよかったのですが無料のブロガーが1GBになるんだったら他の容量の大きいブログでアップします。
 2年ブロガーのお世話になったが、乗り換える潮時かなぁ~。ググルもどうしたんだろ。

2012年11月25日日曜日

高知へドライブ

 久しぶりに茶飲み友達と高知へドライブに行きました。一応、目的は高知美術館の「絵金」(江戸期の高知城下の絵師でおどろおどろしい役者絵を得意とする)の鑑賞です。しかし紅葉もついでに見るということで大歩危に寄りました。

 高知についてまず、日曜市を見て回り、市場でカツオのたたき定食を食べました。
 目の前で炙ってくれるカツオのたたき定食
 クジラとウツボの天ぷらも買いましたが、私はよ~食べなんだ。
 日曜市の通りの行き止まりは高知城の大手門なので高知城も見ました。
 そして最終目的地美術館へ
 下はまとめの動画です

2012年11月21日水曜日

助任緑地公園

 墓の敷地そのものが公園というのは珍しいのではないだろうか。ふつう、墓が緑の木々や芝生に覆われていても墓とかかわりのない市民が憩いの場所とするには、ちょっとビビる。

 しかしこの助任緑地公園はある一族の広大な墓地を公園にしている。もちろん墓はそのままでお祀りしてある。その一族とは江戸時代この阿波藩の藩主蜂須賀家の代々藩主と家族である。
 これだけ年月がたって、しかも阿波の藩主の墓という歴史財であるので、もはや墓という意識もないのであろう。

 蜂須賀家の正嫡は現代、絶えたと聞く。そうならこんな代々の大きな墓をお祀りする人はいまい。そのため公園にして国か市に管理、整備をまかせているのだろう。

 晩秋の静かな公園は小春日和の日もあってか、小学校や保育園の子供たちが野外学習をしていた。犬を連れた散歩者もいる。墓の台の芝生には『犬の糞をさせないように』との注意書きもある。
 糞はダメだが小便は仕方ないということか。見てはないが、中には犬が片足をあげて墓石にションベンをしていることもあるかもしれない。

 ともかく、ここは緑地公園であって、墓であるという畏怖、畏敬を伴なう意識は市民にはない。



 しょせん墓というものはこんなものではなかろうか。年月を重ね、代を重ねると、石で作られた墓であっても苔むし、彫られた文字も消え、祀る子孫も歴史の中に霧消していく。
 無縁墓から、ただの石へ、それさえも風化し、自然に帰って行く。それがあるべき姿である。

 インド渡来の本来の仏教はそんなことはわかっていた。先祖祀りについては本来仏教は関心がなかった。墓とか先祖祀りは仏教とは関係がない。

 公園を歩いているとこんな五輪の塔があった。私の見るところなかなか示唆に富むものであったので撮影した。
 下から、地、水、火、風、空、となっている。

 人はこの地球の岩石圏()と水圏()のごく薄い間で生まれる。旧約聖書なんかでは人は土と水とを練った粘土で作られたという。

 まさに人そのものが土と水、そして活躍するのは、地と水の空間。

 やがて朽ち果て死す。

 によって元素に分解され

 その煙はによって還元されていく

 そしてすべては『空』に返って行く。

 墓などいらないのではないか

鳥辺野に 捨てにし人の 跡たえて 
雲さえ 風にをくれ先立つ
書き付けし その名ははやく 消え果てて
たれとも知らぬ 古卒塔婆かな

2012年11月18日日曜日

中世を歩く その2 56億7千万年

 義政の時代西暦1467年に始まった応仁の乱より以降、全国は群雄割拠、各在地領主たちは勢力拡大を求めて争うようになる。いわゆる戦国時代の始まりである。

 もっともこの阿波の国では南北朝時代より(14世紀中期)南朝方武士と北朝方武士とに分かれあい争っていた。そのため有力在地領主の館は戦に向くように整えられていった。館は、砦になり、やがて自然の地形、川、谷、山、崖などを利用した山城へと発展していく。

 南北朝~戦国時代~秀吉政権時代~江戸初期まで同一の場所で規模を拡大しながら築城を重ねていった山城に一宮城がある。

 18日にその一宮城に行ってきました。広い山域に何とか丸、曲輪(くるわ)、など多くの城址の遺構があちこちに散らばるようにあるため、かなり歩きました。

 遊歩道は整備されていてこのような感じです。
 この城の発掘調査であるものが発見されました。これです。
 『経筒』?なんでしょうか。

 仏教でもキリスト教の最後の審判によく似た思想があります。

 死んでも極楽に行けず、霊魂がこの世にとどまり、成仏できぬ人でも、はるか未来に現れる『未来仏』にすがり、救済されるというのです。しかし、その時、仏の教えはすでに滅びてしまっています。その時の為に土中に経の入った金銅製の経筒を埋め、役立てようというのです。

 そのはるか未来に現れる未来仏の御名は『弥勒菩薩』。どれくらいの未来かというとなんと、56億7千万年の未来。途方もない未来です。

 説明板を読んでみましょう。
 もう11世紀には仏法は衰え、災厄が降りかかる末法の世になるといっています。この説明板では未来はいつとは書いてませんがそれが56億7千万年なのです。

 この城で戦いに明け暮れていた武士たちは、戦国乱世、まさに末法の世で、修羅道、餓鬼道、畜生道を苦しんでいたのでしょう。
 正しい行いをしようにも自分は武士、殺し合わなければなりません。死後、簡単に救われるとは思っていませんでした。悪業に引かれ、死後も輪廻転生を繰り返し、苦しみが車輪のようにいつまでも廻ると思っていたのでしょう。

 だからその輪廻転生が尽き果てるはるか未来、56億7千万年後に現れる救済仏、弥勒菩薩に会ったときのため経を埋めたのだろうと推測するのです。

 この場所から上の方、本丸までは動画を撮ってありますから、ご覧ください。

2012年11月17日土曜日

中世を歩く 勝瑞城跡

 今の日本の状況どころではない、その何倍もの国家的混乱、血を流す内乱が勃発。家の跡継ぎは決まらず、後継者が血肉の争い。自分より力も富も持っている嫁はんとは別居状態。

 一応、自分が政治のトップだから、毎日、処理しきれない問題が持ち込まれ、山積み状態。しかし、ほとんど対処できず、もうずっと昔から、無能のトップと、烙印をおされている。

 中世後期こんな男が日本にいた。その名を足利義政、室町幕府八代将軍である。彼は現実世界には無能の人であったが、文化、精神世界に生きた。
 餓死者・戦死者が満ちた洛中の死臭も気にならず、民の怨嗟の声も聞かず、ひたすら精神世界に生き、文化の創造を楽しんだ。

 今、こんな男に興味が湧いてきた。こんないやな俗世、雑事、家庭内のごたごたに囲まれたら、逃避したいのはわかる、わかるが、本当に心から精神世界に遊び、何か文化と呼べるモノにに昇華させる、などという芸当は普通はできまい。

 しかし彼はそれをやった。

 「自分もそうしたいと願う」

 昨日、人っ子一人いない公園の東屋でそんなことを考えた。
 この公園の東屋、こんなところである。

 むこうに何か建物が見えらますね。あれはなんだと思います?
 堀の手前から撮影してみた。

 ここまで近づいてこのように池のようになった掘割から眺めると、すぐある有名な中世の建物が連想されます。
 これが京都にあるオリジナルです。

慈照寺、別名銀閣寺。もちろん細部は違いますが、この公園の設計者もこのことを念頭に設計したのではないでしょうか。










 もっと近くで撮影しました。
 
 銀閣寺を建てたのは上記の男、将軍義政です。この場所、勝瑞城跡は彼の有力被官(管領)、まあ筆頭家来です、の細川氏のこの時代の根拠地だったのです。義政と細川そしてその居城(勝瑞城)、密接なつながりがあるのです

 そんな関連からこの史跡公園を整備するにあたってこのような銀閣寺様式を真似た建物を建てたのでしょう。

 話は前後しますが、ここ徳島の藍住の勝瑞城跡の東屋に坐って、あの男、義政について考えたのはこのような足利時代の様式を思い出させるモノを見たからなのです。

 動画も撮影しました。

2012年11月16日金曜日

今日のニュースから

 ここ数日どん底状態が続いている。

 ネットの動画ニュースを見ていると、衆院解散の映像が映し出された。解散すると宣言したところで間髪を入れず、皆さん、ばんざ~~い、はて、いったい何を バンザイするのだろう。

 私の見るところ、これは、もうどうしようもないから、『お手上げじゃ!』のやけくそバンザイだろう。 

 袋小路に入り出るに出られぬ息の詰まりそうな状態にある私も、もうどうしょうもない、お手上げじゃ、という意味で、やけくそバンザイをやってみた。

 気分はよくはなりはしないが、なんかアナーキーな笑いが(狂気の笑いと言った方がいいか)もれてきた。

 「あははは!なるようになれ!バンザイじゃ」

 どっぷりと、引きかえしもできない狂気に身をゆだねるのが楽かもしれない。狂気になるのは最終的な自己防衛の心理メカニズムかも知れない。

 究極の解決は、狂気か、自殺か、自己破滅かもしれぬと思いはじめた。嫌な世に住んでいるものである。

 さて、次のニュースは、自己破滅に身を置いた人である。

 よく見知っている某公共放送の有名アナウンサーが痴漢逮捕。

 この人がそうなのかどうかはわからないが、どうしようもない状態に置かれたとき、犯罪や社会的に許されない行為を行って、自ら破滅させることによって今の状態を突き破る人がいる。

 もうすぐ平成24年の最後の月、師走である。狂気、自殺、自己破滅に走る人が増えるんじゃないだろうか。

2012年11月14日水曜日

明後日解散?徳島県は大騒ぎ?

 まあ、私にとってはどうでもいいようなことなんだけど明後日解散とか言ってる。

 徳島はちょっと大変なことになりそうだ。

 徳島選挙区は3人の代議士を選ぶ、激戦区が多い。

 ところが年内解散、総選挙のお約束事が0増5減案。

 徳島がその5つの中に入り、定数が3から2へ、

 ただでさえ競争の激しいとこへ持ってきて、代議士が一人減る

 今、5人もいる(比例区もあるから)代議士先生は、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、よいよいよいよい。

 少数精鋭となってほしいが、どうだろう

 内心、まだまだと思っていた人が多い。それが俄かの解散。首相が明後日解散すると、明言するのは滅多にない。

 なんで、と思う。うそつき首相、と呼ばれるのにブチ切れたという説もあるが、私の見るところ、第三極の政治勢力がまとまるのを避けたかったんじゃないのか。

 師走は師(先生)が走ると書く。今月から来月にかけて、先生方がウロチョロしたり、走ったりする姿が見られるだろう。
  (定数減は今回の衆院選には適用されないとのニュースもあるが、どちらだろう)