2013年9月30日月曜日

秋色

 桜は葉が落ちるのが一番早い。神社の登り参道は朽ち葉色の落葉がたくさん落ちていた。

 その登り参道の途中で露草を見つけた。

 明るいブルーのはなだ。洒落のようだが、この色、歴史的色合いの名称で縹色(花田色、はなだいろ)という。

 大正池とうろこ雲、秋だなぁ

2013年9月26日木曜日

気になるニュース

1 体を溶かす

 ホストクラブの経営者が殺される事件があったが、死体が見つからない。犯人は逮捕されているが死体がないのでは証拠能力に欠ける。

 「ワイは殺してへんぞ、殺したゆうなら、どこに死体があるんじゃ、だしてみぃ」

 と言われかねない。

 この犯人、なんと死体を水酸化ナトリウムで溶かし、ドロドロにして下水に流したのだ。殺人をして隠蔽するのに一番困るのは死体の処理だ、溶かして液体にして下水に流したなら完全犯罪もできるかもしれない。なにせ死体がないのだから。

 しかし悪いことはできまへんなぁ、溶かし切れない歯のインプラントが下水パイプから見つかってそれが被害所のものと特定されたのだ。天網恢恢なんとやら・・・・・・

 ところで死体を溶かす水酸化ナトリウム(カリウムも同じ)、体の組織を溶かすことは知られていたがこんなことに悪用されるとは・・・

 皆さん知ってましたかこの薬品、微量水溶液は化粧水になることを。何せ体の組織を溶かします。微量だと、皮膚の古い角質だの表面のがさついた汚い薄皮をペロンと溶かしてくれ、お肌すべすべになります。恐ろしい薬品でもさじ加減で有用なものになるんですね。

2 稲村ケ崎

 稲村ケ崎と聞けば湘南のサーフィンのメッカというイメージだろうか。ワイなんかは真っ先に思い浮かべるのは1333年鎌倉幕府滅亡のきっかけとなった新田義貞の稲村ケ崎からの鎌倉侵入を思い出します。
 その稲村ケ崎で今日、なんと24年ぶりにサーフ大会があったそうだ。24年前といえば平成元年、バブルで景気良かった時代だ。ワイも30代、ええ目を見させてもらっていた。

  なんで24年ぶりかというと、それまでサーフ大会が開かれるほどのいい波が来なかったからだ。ところが今日は、ちょうどこの沖に程の良い台風が通り、これまた程の良い波(4~5m)が押し寄せたのだ。

 そういえば24年前、『稲村ジェーン』というサープの映画があったな。皆さんはバブル真っ盛りの平成元年、どないにしてましたか。
    (下の写真はサーフとは関係ありません、単なる稲村ケ崎の風景です)

3 オネエキャラ

だいたいオネエキャラの描き方は粗雑である。出るだけで強力なインパクトがあるから、細かいところは描かなくてもいいのだろう。不思議なのはこのオネエの査察官、なんで直樹にあそこまで敵愾心を燃やすのか、よくわからない。

 想像するに、この査察官、直樹が大好きで相手にしてほしいとの願望があった。そしていい寄るが、見事振られてしまった。
 そうなると可愛さあまって憎さ百倍、事ごとに敵意をむき出しにするのも頷ける。

 この最後のシーン、正面から向き合っているが、お互い首を15度くらい互い違いに傾けたら、恋人が接近してキスするシーンとなる。もしや見えない下の方では互いの腕を腰の周りに回しているのだろうか。

 直樹も正攻法で査察官に対抗するより寝技を仕掛ける方が楽だと思うが・・・・。

4 Spirit

 先ほど配信されたニュース。7月から行方不明だった女子高生が神社の本殿の中から制服姿のまま発見された。

 「今まで、どないしよったん?」

 と聞いても黙って首を横に振るだけだという。

 二カ月以上も行方不明、そして神社の本殿から再び出てくるって、それ神隠しじゃん!

 いえね、そりゃあ、そんな神隠し、なんどということは江戸時代ならいざ知らず、今の世にある筈はないと思いますがね。この女の子も言えない事情があるのかもしれませんよ。

 よほど言いたくない、あるいは恥ずかしい事情があるなら神隠しにしておいた方がいい場合もありますよ。神隠しにしておきましょうよ。

 ところで英語にも「神隠し」という言葉がある。Spiritは精神という意味があるんだけど、「神隠しにあう」という意味もある。


2013年9月24日火曜日

結局こんなことになった

 まだ3年しかたっていないのにバックライトが切れた。Jメイトで見てもらうとかなり厄介な修理で、本体をメーカーに送り液晶全体を取り替えなければならないので5~6万もいるそうだ。

 それじゃ新品を買うのと変わりない出費だ。Jメイトの人も修理はお勧めでないように見て取れた。ディスプレイのみ壊れた本体パソコンに中古のディスプレイをつないではどうかという提案をしてくれた。

 しばらく考えてみるということでもってきたパソコンはそのまま持ち帰った。

 帰っていろいろ考えた結果、パソコンにディスプレイを別に買ってつけることにした。そして午後再びJメイトへ。
 中古のディスプレイも見たが、新品がその2倍もしない値段で買えるので新品にした。聞いたことのないメーカーだが安い。ワイのなけなしの小遣いでもなんとか買える。値段の安さに不安はあるがこれに決めた。

 だからさっそく夕方にはまたブログを書いている。

 ディスプレイが正面じゃないので画面を見るとき顔をひねっている。

パソコンが壊れたようだ。しばらくブログはお休みかも

 パソコンがさっき壊れたようだ。でもなんでパソコンで投稿してるの、と聞かれそうだが、完全に壊れたのではないのである。
 壊れたと思われるのは、起動しても画面が非常に暗くてうっすらとしか見えないのである。マウスの矢印も見えないので、何もできない。シャットダウンもできないのである。

 「困った!」

 そのうち非常に暗い画面のまま、画面をパタンと一回閉じて開くと明るい画面が返って来た。しかし数秒でまた消える。しかし消えるまでの間、クリックの矢印が見えるので、とりあえずシャットダウンをクリックし電源を落とした。

 再び起動しても同じことが起こる。でも何回か、シャットダウン、起動を繰り返すと、数回に一回ぐらい画面が明るいまま消えないでいる。

 その間にネットで原因など調べたが、よくわからない。調べた後このブログを書いている。多分、修理ということになるんじゃないかな。おそらく今度シャットダウンして起動しても暗い画面になると思う。

 修理工房は私はJメイトしか知らないからそこへもって行くことになるだろう。パソコンは買ってまだ3年しかたっていないのに早くも修理だ。無理な使い方はしていないつもりだが。

 そういうわけでブログはパソコンが治るまで休止ということになると思います。

 もしかしたら数日前にバンパイヤウィルスに感染したのかも知れません。そうだとすると恐ろしいウィルスですね。

2013年9月19日木曜日

バンパイヤ

 今日は仲秋の名月である。夕空は晴れ渡っていて6時過ぎまん丸の月が上ってきた。

 満月の夜はバンパイヤが跋扈するという。実は私はバンパイヤに狙われている。ちょっとこれを見てほしい。
 ブロガーの統計ページで見た我がブログの一週間のアクセス数である。
わずか一週間であるが、なんとアメリカのバンパイヤスタットからのアクセスが139もある。ワイのブログがアメリカでこんなに人気があるはずがない。

 「なんやろ」

 ネーミングも面白そう、おそるおそるクリックしてみると~、うう、なんか怪しい、見る間もなくすぐ×で消した。なおも気になるので身元を検索してみると、これはリファラー・スパム(referer-spam)というもので、サイト内容に全く関係ないような海外からのアクセスがあったように装い,サイトに誘導,サイト内に設置してあるアドセンスなどの広告をクリックさせることを目的としたスパム手法。広告だけでなくウィルスも仕込まれている可能性もある。

 おおこわ~、今のところ我がパソコンはどうもなってないがバンパイヤの血を注入されて、ワイのパソコンもやがてバンパイヤになるんじゃないだろうか。ま、クリックしたワイの不覚だわ。でもすんだことはしゃあない。

 なるようになれ、ということで、やけのヤンパチで、歌を貼り付けた。
 『Janne Da Arc ヴァンパイア』

2013年9月18日水曜日

ちちのはなし

 昨日、BSの教養番組は『乳香』についてがテーマであった。乳香とは名前からして官能的な香料である。
 「ちちのによい」はヒトに様々な反応をもたらす。おおむね快感であることが多い。またある欲情を引き起こしたりもする、まあどちらかといえば好ましいによいである。

 まずヒトが生まれたとき、「ちちのによい」は、これは絶対的に快感であり、欲情を引き起こす。そりゃそうだ、生まれたての赤ん坊の唯一の飲食物は「ちち」以外ないから当たり前である。しかし、大きくなると(生理学が明らかにしたところによると、)食べ物が離乳食になるにつれ、ちちを消化する酵素が無くなり、ちちを特に好まなくなるそうだ。昔の日本人の大人はほとんどちち(動物のちちだが)を飲まない為、消化の生理が変わってくる。消化酵素がないため急に飲むと下痢したりする。私らのガキの時分は「ちちくさい」といってちちのによいのする食品はお年寄りは嫌ったものだ。

 しかし、今は幼児期に離乳しても、学校給食でちちは中学まで毎日飲むから、当然消化酵素もずっと出続ける。だから今のヒトにとっては「ちちのによい」はなつかしくなじみぶかいものである。また記憶も定かでないが幼児期の母のちちのによいはかすかに覚えていて、それは母を(母乳を)求めて泣いた切ない思い出となるものである(胸キュンだがここちよい)

 そう思うと、この『乳香』、今まで見たことも嗅いだこともないが、どんなによいか知りたくなった。

 ところが番組を見ていると

 「なぁんだ、乳香ってちちのによいに基づくものじゃなかったんだ。!」

 植物性でちちのによいとは全く関係がない。乳香とは日本語ではこう書くが英語では「Frankincense」、Frankは正直、率直、incenseは香料だから、ぜんぜん意味が違う。なんで日本語では乳香なのか、というとこの香料をとる木の樹液が固まるとまるで乳のようだからというだけで名づけたものだ。

 官能的な名前の香料だが、ちちのによい、とは関係なかった。それで少しはこの香料の匂いを嗅ぎたいという欲求はおさまったが、それでも未知の香り、なんとかして嗅ぎたいなぁ。

 さて、その官能の源となる「ちち」とは、ズバリ、母乳である。幼児が母乳を好むのは当たり前であるが、大人になっても母乳を好むとするなら、これは変態扱いされかねない。裏に隠れて嗜好するか、マニアックなアダルトビデオで楽しむ以外ないだろう。どちらにしても、おおっぴらに人に話せるようなお行儀のよいものではない。

 しかし、天才的な文学者がそれを小説に書くと、価値の高い純文学となり、えも言われぬ耽美的な世界が展開される。

 三島の『金閣寺』である。

 国家滅亡の危機にあった昭和20年の5月、寺の徒弟だった主人公は京都・南禅寺の山門に友人二人と登楼し、周りの新緑を眺めている。そしてそれを目にする。
 新緑の中の庵の茶席に目もあやな振袖を着た美しい娘が茶をたてている。対するは婚約者であろう若い士官(軍人)である。(時代背景から、今生のなごりに娘に会いに来たのであろう、やがての死が暗示されている)
 声は聞こえないがしめやかに何かを話している。やがてお薄の茶を娘は士官にすすめた。士官は正座したままその茶碗を両手でもっている。何かを娘に言っている。娘はすこしうなだれたようだ。

 すると正座していた士官は茶碗をその高さで捧げたまま膝行(正座の膝を折ったまま膝で進む)
して娘の前に来た。

 その時、信じがたいことがおこった。娘は姿勢を正したまま、俄かに襟元をくつろげた。固い帯裏から引き抜かれる着物の絹ずれの音が聞こえた気がした。
 白い胸があらわれると白い豊かな乳房の片方を自分で引き出した。娘は乳房を両手で揉むようにした。

 あたたかいちちがほとばしり、泡立った鶯色の茶の中に滴りを残しておさまった。男は茶碗をかかげ、その茶を飲みほした・・・・・・・・

 私が二十歳そこそこでこの小説のこの部分を読んだとき、その目くるめくような官能美の世界に座っていた椅子から転げ落ちんばかりに感動した。

 「うぅぅぅ~、飲んでみたい」

 とは思いませんでしたが、これ以後、夏になって食べる『宇治ミルク金時』の抹茶とコクのある甘い練乳のミックスした味わいが必ずこの場面を思い出させました。

 それにしても厳粛であるべき最期のひと時であるわかれの茶席で、万感の思いを込めて娘がたてた茶に乳房からほとばしるちちを入れること所望するとは、いったいこんなモチーフ、どこから思いついたんやろ。三島独自のオリジナルか、それとも言い伝えられたそんな実話があったのか。

 そしてちょっと疑問なのは、といっても男の私にとってはですが、この婚約者の娘は、この時、士官の子を孕んでいるのです。(小説でそう説明されている) はたして妊娠しただけで出産もしていないのに乳房からちちが迸り出るのだろうか?

 このいくつかの疑問に対して私は思い当るところがあります。三島は王朝文学に造詣が深く、その王朝文学作品を換骨奪胎して自分のものとしております。
 いくつかの疑問点、つまりモチィーフは?そして妊娠しただけで乳房から父が迸り出るのか?については王朝の日記文学にこんな記述があります。

 藤原道長の妹に藤原 綏子がいます。彼女は三条天皇(その時は皇太子だった)の妃でしたが三条天皇は彼女の不倫を疑い、兄である道長に彼女のもとへ行って確かめてこいと、命じます。
 道長は妹のもとに行くと、問い詰めるより先に、妹の胸をはだけ、乳をつかみ出し、ギュッと揉みしだきました。するとちちが迸り、サッと顔にかかったのです。それで妹は不倫して子を孕んでいたのがわかったのです。
 妹はヨヨヨヨ、と泣き崩れます。それを聞いた三条天皇は不倫した妃ではあるが不憫に思い、「なにもそこまでやることはないのに」と思ったということです。

 これを読んだのは三島の『金閣寺』をよんだずっと後でしたが、

 「あ、これだ!三島はこれにモチーフを得たのに違いない。孕み女のちちが迸りでるのも同じだ』

 と思った次第です。

 ちょっととりとめもないちちの話になりましたが、どうでした。気色の悪い話でしたか、気色の良い話でしたか。ワイは・・・・・・・
 

2013年9月16日月曜日

とっしょりを敬う日

老いた麒麟

 麒麟も老いたら駑馬にも劣る、というが過去に麒麟だったお年寄りはいいわ。昔、麒麟だった時もあったのだから。

 若い時から駑馬や駄馬だったものは年老いたら何になる。



老いらくの恋

 新聞も憎いことするねぇ(^_^;) 敬老の日にこんな人生相談を載せていた。

 90歳の婆ちゃんだけど、心は乙女のようにときめく、20歳も年下の男の子(と言っても70過ぎの爺ちゃんだが)にほのかな恋・・・・

 しかし楽しい時は過ぎ去り、男の訪れもなくなった。寂しさに耐えられない、ああ~、どうすればいいのだろう。

 この恋の行方がどうなるか、も興味深いですが、相談の回答者の助言が知りたいですね。


 もちろん私は読みましたが、もし皆さんが回答者だったらどう助言します。

 新聞の助言者は、『金銭目当ての男だからあきらめなさい』 などと野暮な回答はしてませんよ。

 話し変わるけど、今晩は冷えるわ~、暖かくして寝ようっと、寝るとき横にかわいい猫ちゃんがいるシトは温かでいいなぁ~

台風の後

 列車から見る田や畑は水浸しのところが多い。


 午後からは爽やかな秋らしい天気になった。

 でも道路の水が引かずいつもの自転車散策コースは通行止めだ。

2013年9月15日日曜日

このまま雨が続けば・・・

 先ほど外へ出て川の水位を見た。あと数センチで道路が冠水するところまで来ている。我が家は道路一本だけへだててすぐ横が江川である。

 道路が冠水しても道路面から1.5mほど家の土台は上にある。だから家の敷地への浸水の心配はしていないが、道路が冠水するとこの道路が唯一の出入り口なので孤立が心配だ。おまけに江川と水面が一体になり川の流れが道路に押し寄せるので深さ30センチくらいになると無理して歩いていると流される恐れがある。

 今も大雨が降る続いている。雨音が大きく聞こえてくる。明日の朝、どうなっているだろうか。

2013年9月14日土曜日

酸っぱい葡萄

野葡萄のような野生の葡萄は日本にも存在する。山で見たことはあるが
 『え!これがブドウか』
 というくらいブドウらしくない。黒っぽい紫の小さな豆粒のようである。栽培の立派なブドウは中東から地中海にかけてが原産らしい。

 そのためその地方には葡萄に関する格言がいくつも存在する。その中の一つ、ユダヤの格言にこんなのがある。

 『親が酸っぱい葡萄を食べたからと言って、子の歯が浮くことはない』

 酸っぱすぎて歯茎が腫れることかとも思うが、その心は?

 これは親が罪を犯したとて、子にその罪が及ぶものではない。逆に子の罪が親に及ぶものではない。ということである。これはユダヤにおいては昔からかなり厳格に適用されたようである。一方、日本は江戸時代まで連座制があり、罪については親や子に及ぶものであった。

 連座制が存在するのは封建時代だからだとか、個人の人格を重んじない時代だからだとかいう人がいるが、旧約聖書の時代から連座制のないユダヤの法習慣を考えると、封建だの人格を重んじないだの言うことよりもむしろ、ユダヤや日本の歴史・文化の違いのような気がする。

 今の日本に連座制はない。当然、子の罪が親に及ぶことはない。スッパリ割り切って、子は子、親は親。と云えればいいが法律で罰せられない連座制はなくても、『世間の目』という指弾がある。一人前に成長した息子が犯した罪を親が「申し訳ない」と謝るのは日本でよく見られる光景だ。逆にユダヤの格言なんかを引き合いに出して「子は子、ワイには関係おまへん」と世間に言い切れないのが日本だ。

 先日、モーニングショーの司会者MMの息子が窃盗容疑で逮捕された。すると日本津々浦々までマスコミが鉦や太鼓で吹聴するもんだから皆に知れ渡ってしまった。本人の名前の前には「あの有名な司会者MMの息子」というのが冠せられた。

 「これって、おかしくないか?」

 罪とはいえたかが窃盗である。地方版の三面の小さな記事が相当である。それを大々的な全国報道である。おまけに「親父があの有名人だ!」 親は責任を感じて涙し、世間をお騒がせして申し訳ない、番組もしばらく休みます、との対応。

 「う~~ん!日本では道義的な連座制はまだまだ続いているようだ」

 と、ここまではワイも建前の話し ホントのところこのMMかなり反感を持たれていたんじゃないだろうか。人は貧乏で不幸な人がもっと不幸になったら大いに同情する。しかし、大金持ちで傲慢なひとに何かが起こってもあまり同情心はかきたてられない。まあ、それが世間である。

 もれ聞くところによるとこの司会者の親父の稼ぎは時給100万円だとかいう。おまけに司会者をいいことに上から目線でお説教を垂れる。たしか『・・・親の顔が見たいね・・」と捨てぜりふを聞いたこともある。
 それに息子は人もうらやむ職業、東京の某キーTV局の正社員である。それが窃盗である。なんでそんな小銭を盗まにゃならんの?これでは親も子も同情を寄せにくいわなぁ。

 道義的連座を期待するのも子の犯罪に親の名前を出すことも間違っているとは思うが、これも世知辛い世間という現実だわさ。

2013年9月13日金曜日

赤っかい花なら

 今日、ついに見つけました。この花は野山にある日急に姿を見せるのが特徴です。前日まで列車の車窓から眺めていても見られなかったのに、今朝、線路沿いの盛り土の雑草の上に群れているこの花が見えました。

 すっくと伸びた長いストローのような茎、葉っぱもないためちょっと異様な感じがします。それが赤いつぼみを先に膨らませ今すぐにでも開花しそうな風情です。数輪はすでに大きく花開いています。


 この花、私は昔から大好きです。でも大人には葬輦(そうれん)花・葬式の花とかいって嫌われていました。子供のとききれいな花なので摘んで家に持って帰ったら、縁起が悪い花だ、捨てなさいといわれた。毒があるともいわれました。

 この花、マンジュシャゲといいます。漢字で書くと曼珠沙華と書きます。不思議な字です。というのも葬輦(そうれん)花というだけあって、文字になにか仏教臭を感じませんか。曼珠と聞いたら京都洛北にある天台の名刹『曼殊院』を。また花を華と書いたら仏教の花を連想します。

 「やはりなんか仏教に関係しているのかな」

 調べると
 『《(梵)mañjūṣakaの音写。如意花などと訳す》仏語。白色柔軟で、これを見る者はおのずから悪業を離れるという天界の花。』

 白、というのが気にかかるが白の曼珠沙華もあるから素直に意味をとろう。この意味通りだと悪業から離れる天界の花であるから縁起が悪いことない。しかし悪業から離れるとは、汚辱に満ちた現世とおさらばし、業の深い今の生を離れる、ともいえるから(それって死ぬことジャン!)、今の世を離れたくない人にはやっぱ、嫌か。

 この花を見ると反射的に歌いだす

 『♪~赤っかい~花なら~マンジュシャゲ~♪、チャカチャンチャンチャン~』

2013年9月12日木曜日

初秋随想

暑さのぶり返し
 サルスベリは百日紅と書く。その名の通り暑いさなか4か月にわたって暑さに負けず元気よく美しい花を咲かせる。でも人間の方は今年の猛暑に参っている人が多い。ようやく初秋の涼しさでホッとしたら、今日はまた暑さがぶり返した。

 そうそう聞くところによると7年後のオリンピックは猛暑のさなかに開催するという。なにをトチ狂って、そんな時期に?

 公的な説明ではそのころ日本の各地で夏祭りが開かれるから、外国人客の観光にいいという。なんかこじつけのように思う。ホントは?

Pest 
 仏教の慈悲の心で生きるならたとえ小さな虫も殺さず、共生していければいいんだろうが、体を刺し、血を吸う虫にそうそう慈悲の心はかけられない。

 なぜか猛暑の時期は蚊も他の衛生害虫も少ない。虫けらでも猛暑に参っていると思われる。この頃涼しくなったせいか増えてきた。

 蚊退治は右の電気蚊取り器だ。蚊以外に古くなった家にはダニも湧いてこれが刺す。それには左の燻煙剤を使う。今日午前中部屋を閉め切って3時間燻煙した。

 ところでこれらの人に害をなす虫を英語でPestという。伝染病の黒死病と同じ言葉だ。この細菌を媒介するのは蚤だ。病気もPest、蚤の害虫も同じPestだ。ちなみに殺虫剤はPesticideという。このcideはラテン語語源で『殺す』という意味だ。自殺はSuicideというが、suiはやはりラテン語語源で『自分』だから、自分を殺す、でSuicideだ。

南京豆
 その衛生害虫の中で強力に痒くて炎症を起こすのが南京虫だ。我が家の虫はたぶんただのダニと思うが、以前これに刺されて大変なことになった。

 若い時、京都のユースホステルにとまっていて、この虫に刺された。最初は蚊に刺されてくらいしか思っていなかったが、募ってくる痒み、そして刺された部位の発赤が拡大し熱を持って腫れてきた。

 結局、病院で治療する羽目になった。この虫は特徴のある刺し方をするので医師はそのいくつかの刺し傷を見て南京虫に刺されましたよ。と教えてくれた。腫れが引くのに数週間かかった。

 南京虫は大嫌いだが南京豆は大好きだ。最近、ハイボールを飲むときのおつまみがこれだ。誰かに聞いたが、ピーナツと南京豆と落花生は違うそうだ。
 ピーナツは皮をむいた豆を油でいため塩味をつけたもの。南京豆はこげ茶の皮つきのもの。落花生は写真のように殻に入ったもの。ということである。

 その定義でいうとワイが食べているのは落花生だ。喰うのに手間がかかる気がするが、殻を割るときバリバリ、ガサガサ、と大げさな音がし、殻から出した豆のさらに皮をむくのはけっこう楽しい。

 

2013年9月10日火曜日

昭和39年あの日あなたは

 月曜の早朝に第二次東京オリンピックが決定した。それで過去の東京オリンピックも注目されている。

 その年は昭和39年だった。その時私は中学生。今、その時の記憶を遡っている。

 私のブログ仲間はどうだろう?しんちゃん、ようちゃん、は生まれている。でも幼児だったので覚えているかな。おとうさんは、ちょっと年齢がわからないが私と同世代か、もしかしたら上かも知れないのでそうなると記憶や思い出も確かだろう。モトさん、てるさん、とし君、パコさん、は生まれてもいない。

 その私の記憶だが・・・

 開会式はよく覚えている。冒頭のシーンを思い出すと、あの東京オリンピックの為に作られたというファンファーレの高らかな響きが頭に蘇ってくるほど鮮明である。

 しかし個々の競技はというとほとんど覚えていない。この年、親戚の家から中古の白黒テレビを譲りうけていたのでテレビで見たはずだが思い出さない。半世紀もたつと記憶も薄れ、消え去るのかもしれないな・・・・・

 いや、待てよ、そうだ、一つ覚えがあるぞ、熊本のアーケード街の街頭カラーテレビで重量挙げを見たんだ。鮮明なカラー画像がめずらしかったので覚えている。

 そうなんだ!東京オリンピックと私の中学校の修学旅行が重なっていたのだ。四泊(そのうち二泊は船中という凄まじいスケジュールだった)の福岡熊本阿蘇別府周遊だった。その修学旅行と重なる部分ではテレビ中継も見ていなかったので、記憶もないはずだ。(たまたま熊本では自由行動で街頭でテレビを見たのだ)

 当時のオリンピックの思い出はテレビを見た私の頭の記憶しかない。そしてそれも薄れ、重なった修学旅行の思い出に打ち消されている。当時の田舎の中学生が家人と一緒に東京までオリンピックを見に行けるわけもない。だから当然撮った写真なんかもあるはずがない。オリンピックグッズなんかも一つもない。しかし、修学旅行の方は確か記念アルバムがあったはずだ。

 さっき探したが見つからなかった。家のどこかに眠っているのか、それとも紛失したのかわからない。引き出しをひっくり返していると集合写真が一枚出てきた。

 これは別府の地獄めぐりでのクラス写真だ。ワイは最前列中央。

 日付を拡大すると昭和39年10月16日となっていてまさにオリンピックのさなかだ。(10月10日が開会式、それを記念して祝日の体育の日ができた)

 オリンピックのころワイは修学旅行をしていたわけだ。


 

2013年9月9日月曜日

目ん玉えぐりだすんだぞ


 とうとう手術を決意しました。よく見えるようになることを信じて目ん玉(水晶体)を抉り出します。

 ダイヤモンドメスで角膜の隅を切りあけ、そこから超音波メスを入れて・・・・・・・・・

 おお~~!話を聞くだに、身震いがとまらないのに、それを自分の目ん玉に実際行うとは。

 腕は確かな先生で、全国的にも名高い病院ですが、心配は耐えません。もしやこんなアクシデントが起こりはすまいか、と、悪い方へ悪い方へと考えてしまいます。

 歯を抜く以上の外科的処置をしたことがないので、いきなりこんな手術は正直怖いです。そして一回ではすみません。右左と二度します。二度怖い!

 そして心配を倍加させるのは手術で抉りだした水晶体にかわって入れる人工の眼内レンズです。自分のオプションは焦点距離をどれだけに合わせるかの選択があります。
 眼鏡なしで遠くを見られる選択もありますが、そうなると近くを見るときは眼鏡が(老眼鏡)が必要になります。
 私の場合、本を読むのが好きなので、先生の勧めるように近くに焦点を合わせようかと思っています。つまり近くは眼鏡が要らないという選択です。(遠くを見るときは眼鏡がいりますが今よりずっと弱い近視になり、分厚い眼鏡とはおさらばとなります)

 そのほか先生が決めてくれるオプションもあります。眼内レンズは3年前から乱視を打ち消すレンズが新しく登場しました。私の場合乱視が強いのでそのレンズの適当な乱視度数のレンズを先生が選択します。

 しかしこの二つの選択で、必ず狙った効果(つまり計算上の焦点距離、乱視をうまく打ち消す計算通りいくか)が出るか?というとかなり不確定な要素があるのです。

 つまり、手術はうまく行ったが眼内レンズが合わないのでよく見えないということが起こるのです。メガネ屋で眼鏡を買うときは何度でもとっかえひっかえできますが手術で挿入する眼内レンズは原則一度しかできません。

 これはかなり心配な要素です。

 この病院はホムペで十分情報を公開していて、その点満足なのですが、やはりそのような不確定な要素は否定していません。院長先生に直接、ネットのメールで質問のやり取りができるので、今まで3回ほど質問しました。

 はたしてぴったりした眼内レンズになるか(もちろん、検査機器で精密に検査し、医者が最終判断するのですが)

 あんまり専門的なことを知らない方が不安は少ないですね。私はけっこうしつこく調べまくる方ですから、情報過多になって混乱するんでしょうね。

久しぶりの投稿だなぁ

 こちらのブログはしばらくぶりです。

 今日は沖の浜の『サンマルク』でランチ後、食後の腹ごなしに大神子付近を散歩した。
今日は少し暑かったのと、長い距離ではなかったが山道を展望所まで歩いたのでくたびれかえりました。でもいい疲れなので今夜は安眠できそうです。