2024年4月24日水曜日

ツツジの季節

 ツツジのこの赤い色(厳密にいえば紫がかった赤かな)は目にしゅむる(しみる)ような色である。しゅむるというとツツジからくるその赤い色が目に染み入る方向になるが、また、逆方向に目から出た視線を強烈にその色に引き入れる。近づいてじっとその花の赤を見ていると吸い込まれ、その赤色の中に落ちていき、すべてがその赤にとけこみそうになる。それほどこのツツジの色は強烈である。

 いまツツジの季節を迎えている。ツツジは深山にもあるが、県内で最も交通量の多い元町交差点の分離帯の灌木として植えられてもいる。自然の深山のツツジと形や色、形態は変わることなくほぼ同じである。自然のツツジは火山の噴煙のすぐ近くまで群生を広げる。火山性の有毒ガスに強い植物である。そんなところから交通量が多く、当然自動車の排ガスも多い道路の分離帯の灌木として適しているのだろう。


 高校の漢文でよく出てくる杜甫の五言絶句でツツジは吟ぜられている 「燃えんと欲す云々、」の花は赤のツツジである。つつじを漢字で書くと躑躅、ずいぶん画数の多い文字になる。音読みで「テイチョク」といったりする(ちなみに英語では、azalea(アザレア)、化粧品会社に同じ名前がある


以下のように吟ずる

こう みどりにして とりいよいよしろく

やま あおくして はなもえんとほっす

こんしゅん みすみす またすぐ

いずれのひか これ きねんならん

2024年4月21日日曜日

エントロピとAI

  「若い時はなぁ~」、言いたくなるが、そんなに昔でのうてもええ、今から数えると五年から三年びゃぁ前まではたくさん本が読めていた。ところが最近、図書館から数冊本を借りてカバンに入れ、持ち歩いても、その本をモモグリまくるだけで(阿波弁で、いじる、もてあそぶの意味)身を入れて精読できないようになった。集中力、持続力がなくなったのを感じる。老化か、以前からあった怠惰がとうとう好きな読書にも及んできたか。ともかく趣味の読書からも離れつつあるのを感じる。こうやっていろいろな能力が衰え、趣味も興味がなくなり、それらが一つ消え二つ消えして人は死んでいくのだなぁ、と思い知る今日この頃。

 そのももぐりまくっている本は何度も借りなおして常に持ち歩いている。いったいどんなテーマの本かというと「エントロピの関係の本」と「AI、メタバース、チャットGPTなどの関連の本」、あわせて5~7冊ほどである。今日のブログはそれについて書いていこうと思っている。といってもももぐりまくるだけで精読していないから、本を理解した上での私の感想や考えは書けない。しかしなぜこの歳になって理系の若い衆(わかいし)でもちょっと理解が難しいエントロピや、棺桶に足を突っ込んでいるジジイのくせに最新のコンピュゥタ技術のメタバース、チャットGPTの概論や入門書を読む気になったか、その動機、きっかけは書ける。また本をモモグリ回している間に、本は最近集中して読む力は衰えたが、それらを取り上げた、あるいは関連した映画やテレビがあると意識してみるようになった。幸い本と違い娯楽性のある映画やテレビはまだ興味深く鑑賞できる。といってもその内容はやはり娯楽性優先なので学術的な理解を助けるというよりファンタジー性が強いSFっぽいものになっているのは仕方ない。しかしそれをきっかけに本をさらに精読する力がつけばと思ってみている。以下はそれらを含めてのブログである。

エントロピ

 60代後半のころ、ワイは70歳まではとてもよぉ~生きんわ、と思っていた(ところが今ワイは算え74!生きながらえております)。だから終活という大げさなものでなく、心構えだけでも死ぬ準備のようなものがいるなぁ、と漠然と思い、そのころ仏教の本をよく読んでいた(この頃のブログをみるとよ~わかるわ)。特にどの宗派の本ということはなく、経典でいえば「初期仏教」の解説書が中心であった。その中でもブッダの行動や教えに、もっとも心がひかれた。ちなみにブッダは他宗派の教祖はんと違い、来世のことも、死後魂は残るのか、そしてそれがどうなるかとも、一切言わなかった。ただ世は無常であり、死は誰にも避けられないものであることを身をもって教え示したのである。

 ブッダは「無常」のことをこのような言葉で述べている。「今、私の身が朽ちた車のように壊れるのも、この無常の道理を身をもって示すのである」、じゃぁ死ねばハイそれまでよ、あとは無となり空疎な永遠の闇なのか、と思うが、さらにブッダはこのようにも言っている「しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母より生まれ、食によって保たれるのであるから、病み、傷つき、壊れることはやむを得ない。肉体はここに滅びても、悟りは永遠に法と道に生きている・・云々」

 この言葉の中で私は二つのキーワードを大事なものとして抽出した。「無常の道理」と「悟りは永遠の法と道に生きている」である。後のキーワードはこれは仏教そのものの神髄であろうが、先の「無常の道理」はこれは仏教を離れても一般化できる宇宙の理法、言い換えるなら、精神世界のみならず現実(カタチあるモノの世界)の実相、それは数学に裏打ちされた自然科学つまり天文学や物理そして化学や生物学などなどの包括的な法則と言ってもいいのではないか、と、そのとき思い浮かんだのが無常の道理と被さるかもしれない「エントロピ」という概念である。

「無常の道理とエントロピはどない関連しているんやろ」

 これがエントロピについてオベンキョしようと思いついたはじめである。いくつかの入門書、概論書を借りてオベンキョし始めたが、まぁ先にもゆうたようにそれらの本をももぐりまくるが一向に読み進まないというか深まらない。心底の理解にはいまだ遥かである。読み始めてわかったが基礎知識のないワイにとって入門書や概論書だけをベンキョしてすむ話ではない。熱力学についての一般的な解説説明は入門書や概論書におおよそ書いてあるのでそれは良いとしても、エントロピを理解するうえで欠かせないのが数学の「順列・組み合わせ、統計、確率」である。これはヒンズに(別に)数学の本を借りて読まねばならない。数学をベンキョしてた学生時代なら何とかなったがもう半世紀以上もたった今、数学のオベンキョはキツイ、でも二冊びゃぁ借りてなんとかベンキョしている。しかし数学の本ばかりやっていると肝心のエントロピについての本が読めなくなる、しかし理解のためには数学が必要、うぅ~~ん、ジレンマじゃ!

 エントロピについて確率・統計的なアプローチは心底理解するうえで大事だが、そこまで(心底理解っちゅうたらえらいこっちゃ、別にワイは専門家になるわけでもなく、まぁ程よい理解でもよいと最近思っている)でなくてもエントロピーを理解する方はある。それは理想的熱機関に出入りする熱量、そして(その熱機関を仲立ちとした)低熱源高熱源の温度とその差、そして機関の仕事効率からエントロピを導き出し、それを理解する方法である。

 


この理想的熱機関は「カルノーサイクル」と呼ばれていて、物理ではエントロピを説明するのによくこのカルノーサイクルが用いられる。理系人間にはあっという間に理解できるだろうが、ワイはこのカルノーサイクルを理解するのにえっとかかった。そしてエントロピを物理的に定義するところまでは進んだが、それがイマイチよ~わからん。その意義、重要性がである。左がカルノーサイクルに出てくるエントロピの定義である。

 知ったげぇに、エントロピを一言で言うのは本の受け売りそのまま言えば簡単である。

 「エントロピは増大する一方である」

 「エントロピ増大が極限に達すればやがて宇宙は熱的死を迎える」

 「まぁ、一言でいやぁ、乱雑さの度合いじゃな、なんでもほれ、放っておくと自然と乱雑になっていくやろ、ほのことじゃ」

 ここでワイは「エントロピが増えていくことは別の面から見れば無常が極まっていくっちゅう現象じゃ」と言いたくなる誘惑にかられるが、今まで読んだどの本にもそんなことは書いていない。いまのとこワイにとってエントロピの理解は未だである。


 エントロピが出てくるおもっしょい映画ないかいな、となにげなく、パソコンで検索してみたら、ある映画がヒットした。「テネット」である。ビデオ屋に行くとあったので借りてみた。監督はこのブログでも取り上げたアカデミ受賞作「オペンハイマ」の監督・キリシタハ・ノランである。面白かったが完全に空想SF映画であり、現実にはこれはどうかな、という筋である。

 どこでエントロピが出てくるかというと、タイムトラベル、つまり時間の遡りでエントロピの言葉が出てきた。因果関係はわからないがエントロピが逆に流れる(つまり自然と減少する方に)と、地に落ちていたボールが発散した摩擦熱を吸収して地から自然い飛び上がり手のひらに入ってくる、これはまぁわかる、えっと思うのは、逆になると人が火に包まれたら火傷するのではなく、焙られたところが凍り付き凍傷になるのである。そんなのありか?そして映画の説明では、エントロピの(増大の)流れは「時間の矢」の向きを意味するため、エントロピの逆流は時間の矢の逆向きを意味する、つまり過去に遡るタイムトラベルができるわけだ。確かにエントロピと時間の向きは同じ傾向を持つ、さらに言えばエントロピの流れが時間を進めるという説もあるが、その理論を実用化したタイムマシンがあり得るものか、かなり疑問である。おもっしょかったがワイのエントロピ理解の助けにはならなんだ。

AI

 もうこの歳がきていまさらAIでもあるまいと思っていた。今まではベンキョどころかそれについての新聞記事や雑誌記事でAI関連の欄があってもすっ飛ばしていた。しかしエントロピのベンキョのためその言葉が出てくる映画を探して見たのとは反対に、ある映画を見たことががきっかけでAIに興味がわき、「AI、メタバース、チャットGPTなどの関連の本」を借りて読んでいる(読んでいるだけでベンキョというにはほど遠い


 それは左のDVD映画である。『her・世界にひとつの彼女』、初めからAIに興味があったからではない。それではなんでみたかというと、主演俳優への興味からである。この人、中年イケメン風に見えるが、以前(今年の3月6日)のブログに取り上げた「ボーは恐れている」と同じ主人公で演じているのはホアキン・フェニックスはんである。ボーのほうは小汚なげぇな、だが複雑で繊細な傷つきやすい心を持つオッサンである。「her・世界に・・」のほうは都会風のそれなりに洗練されている孤独な中年男である。キャラによってずいぶん顔のイメージも違うが、それがホアキン・フェニックスはんの魅力となっている。彼は今までにもかなりキャラの濃ゆぅい役を演じてきた。若い時は悪のローマ皇帝「映画グラデュエイタ」、やはり悪の元締め的な「ジョーカ」、そして「ナポレオン」、と同一人物とは思えぬイメージと演技である。これらは今までに見ていたので、まだ見ていなかった彼の怪演作「her・世界に・・」を借りたわけである。

 見たのは二週間びゃぁ前だが制作年は意外とふるく2014年である。こちらもテネットと同じくSF映画の範疇に入るが、見ていても「そんなことありえん!」と突っ込みを入れたくなるテネットと違い、近未来(どころか今すぐにでもあり得る)に起こるであろう話となっている。話の筋は単純である。一言で言えば、コンピュゥタ技術が作り出したパソコンの向こうにある架空の(悩みや打ち明け話も含めたおしゃべりができる)彼女と主人公の話である。先に主人公は孤独と紹介したが、パソコンの向こうのバーチャルな彼女とのコミュニュケーションによって彼は癒される以上に関係が深まるのである。つまり主人公は彼女に恋をしてしまうのである。

 悩みを聞いてくれたり、慰めたり、あるいは何らかの解決を教えてくれたり、また日々によって変わる話題、人の揺れ動く心のため脈絡もなく話題が飛んだりと、普段我々がしている雑談をコンピュゥタにやらせるというのは昔から試みられた。まさにそれはAI技術の肝と言ってもいいだろう、しかしユーザー(こちら側の生身の人間)がAIと対話しながら違和感を覚えることは度々であった。コンピュゥタはまだ未熟だったのである。逆に言うと長く雑談・対話を重ねても違和感なく、ユーザーに向こうにいるのは人間に違いない、と思わせれば対話・雑話コンピュゥタは完成したといえよう。

 この映画が作られた2014年ではまだそこまで雑談・対話型のAIは完成していなかったと思われる。じゃぁ今はどうか?AIに疎いジジイである。なんかそれについて書かれている平易な読み物はないかと探すと図書館に週刊ニューズウィクがあり、こちらがよくその雑談・対話型のAIの現状についてレポートしていた。それを読むと全く知らなんだが一年か二年びゃぁ前にオプンAIが「チャットGPT」とかいうものを作り出し、それが人間との区別のつかない対話を繰り広げられるというのだ。キャラもいろいろ切り替えができるようで、あんまし頭が良いとはいえなくもないこともないオバはんの、しょぉもない雑談から、ノーベル賞級の学者との対話もこなせるのである。そして繊細な情緒も持ち合わせている(と人に信じ込す)。もっとも重要なことは、(人間が)話した相手が、AI技術が作り出したバアーチャルな相手だとは全く思わないことである。

 もうそこまで進んでいるのかとの驚きである。とすればこの映画の対手のバアチャルな恋人の存在は、近未来でなく現代にも起こっているのであろう。映画ではハッピィエンドにはならない。驚くべきことにバーチャルな恋人は主人公とのセクスを望むのである。そしてバーチャルな恋人はその設定も行う。どないしてセスクするんぞぃ?と見てない人は興味津々だろう。まぁ詳細は言わない、見てのお楽しみとしておこう。ただ繊細な主人公はそのようなセクスは拒否する。ここで二人(一方はバーチャル恋人だが)は齟齬をきたし、しっくりいっていた関係は揺れ動いていくのだが、これもAI技術が作り出したものかと再度驚く。もう完全に(生身ではないことを除けば)一人の人間としか思えない。

 いま公共放送で夜十時遅くある連続もののドラマをやっている。題は「VRおじさんの初恋」(VRはヴァチャル・リアリティか)、数回見ただけだが、こちらは「メタバース」たらゆう仮想現実の世界に行ってその世界の人を好きになる筋のようである。さえない主人公のサラリーマン(オッサン)はバーチャルな立体映視ができる特殊眼鏡をかけ仮想現実に入っていくのである。そこでなんと自分は少女になるのである。そして「現実世界」と「バーチャル世界」。2つの世界を行き交いながら、中年サラリーマンの初恋が描かれるというのが大筋のようだが、公共放送にしてはなにやらロリコン趣味、倒錯の性世界の雰囲気が漂う。もちろんなんぼぅ深夜帯に近いっつうても天下の公共放送である、そんなそぶりはチラリとも見せないが、普通に想像力のある視聴者ならばアブナク、イケナイ世界にこうすればのめりこみ、そして幸福になれることを思ってしまう。バーチャルな世界だから犯罪にもなりにくいだろうし。

 主人公は立体映視の眼鏡をつけるだけでなく両手には多分センサーや反応機構のついた手袋をはめている。視覚だけでなく感覚や触覚も現実に近づけるためである。そうするとその世界で美少女の手を取れば、手袋状の中のセンサーや刺激機構が働いて現実に手を握る感覚が享受できるのである。しかし先ほども言ったようにこれは視聴者の想像を痛く刺激する。手に人工的な感覚を与えることが可能なら、陰茎や女陰にだってそれは可能だろう。陰茎にはサック型のセンサーや刺激機構のついた装置をかぶせ、女陰にはやはりそんな機構のついたタンポン様のものを突っ込めば、バーチャルな世界だけど、現実とほとんどかわらぬ満足できるセクスのエクスタシが味わえまんがな。アブナイ、イケナイ性世界に遊ぶ、つまり美少女とか美少年とかに対して即犯罪になるような楽しみが・・・。ジャニィズの爺さんも、まちっと長生きして唸るほどある金の力でセクス・メタバース(性の仮想現実)のAIを作りゃぁ、そこで美少年のチ〇ポを咥えようが、自分のモノを美少年のア〇ルにぶち込もうが指弾されなくてすんだのにな。いやぁ、実のところこれはドすごい時代になりましたな。倫理や道徳でどう解釈し、行動したらええのやら、混乱しますなあ、全面禁止つぅても、人知れずバーチャルに遊ぶことまで禁止することができるか。うぅ~ん。


 エントロピとAIとは直接関係ない映画だけど一昨日、イヨンのシネコンまで大枚1100円も払ってわざわざ見に行いきました。イギリス映画で題は『異人たち』です。一昨日は封切り日でしたが、思っていた通り人気のない映画で午前11時から始まったのですが、ワイも含めたった二人の観客でした。事前に予想されていた通り地味で暗い映画でした。確かに人気が出るような映画ではないのですが、それでも惹かれていったのはこの映画は、35年前の日本映画、山田太一原作脚本、大林 宣彦監督の『異人たちの夏』のリメークだったからです。30代にそれを鑑賞し、感動したいい映画だった思い出があったからです。古い映画だがそのため筋も配役もよく覚えていました。

それでイギリス映画のリメーク版も見たのです。これは「面白いから見てみなはれ」と人に積極的に薦める映画ではありません。というのも日本のオリジナルの通り、幼い時に亡くなった父母と40歳になった一人息子の出会い、そして昔を取り戻すようなしみじみとした親子愛、別離の悲しみを描いているのはその通りなんですが、オリジナルでは(この世のものではない)彼女と(両親のとの再会と同時に)出会い愛し合うのですが、イギリス版ではその恋人が若い男になっているのです。つまりゲイということになります。現代風と言えばそうなんだけれども、大昔オリジナルを見て、よかったわぁ、と思い出のある人に(もう高齢になっているでしょう)見てみなはれとはちょっと言いにくいですね。

 でもそんな古い映画の記憶もない、まっさらピンピンの若者には見る価値のある映画かもしれません。大都会のロンドンでお互い孤独を抱え傷つきながら生きていく男二人がひかれあい、寂しさや冷たさをいやすためお互いすり寄り体を温めあう(象徴的にいえばです、映画ではもっと露骨だが)ことに現代の若者はそう拒絶感は感じないんじゃないかな。もちろんオリジナル通り一方は死せる者なんだけれど、日本版とちがいこちらの恋人同士はほのぼのとした終わり方になっているのがイイ。

 とまぁ、一昨日11時ころから見始め、午後1時過ぎには見終わったんだけど、その時点でこの映画をAIと関連付けるなどとは夢にも思いませんでした。ところが見終わって図書館へ行き、今日のニュースはなんぞないかいなぁ、と図書のパソコンでヤッホーニュースを見るとこんな記事がありました。

『「パパ、ママ、会いに来たよ」AIで死者を“復活” 中国で新ビジネス』

 中国は時々とんでもないことを考えるが、これはどうなんだろう、愛していても死んだ人には触れもできないし、せめて会話でもと思っても無理、もしや夢でも見ないかと淡い期待を抱く、死んだ人にもう一度会いたいみたい、話したいという願いは切ない。でもそれは無理、だがニュースによると、あらかじめ死者についての詳細な情報を得れば、まるで生きているように死者を見ることも話すことも生前と同じようにできるのだ。AIを使ってである。それを中国ではビジネスにしてしまったのである。

 このニュースを読んだとき、さっきまで見ていた映画「異人たち」を思い出した。この映画は、まるで異界と不思議な交差が起こったかのような死んだ両親との出会いだったが、なんと現代ではAIを使えばありえぬ不思議な出来事ではなく、現実にそれは可能なのだ。35年も前は想像だにしなかったが、今はAIを使ったバーチャルだが現実感たっぷりの死者との出会いが用意されているのである。

 まぁそんなこんなで今はエントロピの本にも心惹かれるが、こちらの「AI、メタバース、チャットGPTなどの関連の本」の方が強く私の読書熱を掻き立てているのである。いま教養書である新書版のその本を二冊借りて初歩の知識を得ようとしている。今日のブログを書いたことをきっかけに気を入れて本を読んでオベンキョしょぉや。

2024年4月18日木曜日

石井の藤

  石井町の藤で見所は、地福寺、徳蔵寺、そして童学寺の三ヶ所と言われているが、山際にある前山公園の藤も見事である。今、こちらは見ごろを迎えている。

 まるで幅広い滝のような藤である。藤波というより藤滝という方がふさわしい。


 その藤滝の裏に回って見上げるとこちらは藤のシャワーである。


 今日は遠景がかすんでいる、白っぽいが黄塵黄砂という人もいるが微粒子なのでこちらの方がふさわしい)が大陸からたくさん飛んできている。そう思ってみると遠景は若干黄色がかって見える。昨日の天気解説でも、洗濯物を外へ干すのは黄塵のため控えましょうとか、外出から帰って家に入る時は服を払いましょうとか言っていた。それくらいひどいのかと思ってしまう。しかし今日は昨夜遅く四国の南予地方で発生した地震のニュースのため「黄塵」の扱いは軽くなっている。

2024年4月17日水曜日

ローカルな民俗芸能歌のある解釈

 


 私が子供の時にある門付けが回ってきていた。正月のはじめである。祖父はその民族芸能を「でこまわし」と呼んでいた。人形浄瑠璃のような人形を数人の男のでこ回しが扱い、なにか目出度い歌を歌いながらそれに合わせてデコ(人形)が舞うのである。家々をその民族芸能集団が祝福して歩いていたのである。もう私が高校に上がるころには回ってこなくなっていたのでそのころには廃れていたのだろう。大人になって民俗芸能ことについて書いた本を読むと、昔我が家に回ってきていたのは「三番叟」という民俗芸能であったことがわかった。左のような三番叟の人形であった。

 私の思い出の民俗芸能はそれくらいのものだが、ここ阿波でも場所によってさまざまな民俗芸能が昔は行われていたのである。今日、小松島港をそぞろ歩いていると、このような民俗芸能の碑が建っていた。



 「せきぞろ」とある。その言葉の語源は、その碑を読むと、「節季で候(そうろう)」、節季つまり年末でございますよ、という意味からきている。そういえばうちの祖父も年末のことを「せっき(節季)」と言っていた。そのせきぞろはここ小松島では明治の末期まではあった民俗芸能である。もしかするとうちの祖父の出里の善入寺島にもその時代まではあったかもしれない。明治末年と言えば祖父はまだ十代だっただろう。もし生きていた時に聞いたら確かめられたのに残念である。左の絵がせきぞろである。三番叟と同じで、目出度い言葉を連ね、歌などを歌いながら、言祝ぐのである。ただしこちらは年末にやって来ていた。

 その歌も碑にある


 ちょっと皆さんも読んでみてください。適当に節づけて歌ってもかまいません。どうですか?私は読み終わった後、思わず微笑んでしまいました。

 なんで微笑んだかって?これ、何を言祝ぐ(ことほぐ)のでしょうか、わたしの考えは、もうそれは一つしかありません。つまり男女の性(セクス)をことぼぎ、子孫繁殖を願うものであります。

 ♪~ししは喰わねど、とあります、古語でシシは肉体のこと、~♪~シシ喰いこえて・・とは、つまり、ふかい男女の性器の結合のことを言うとりまんな、えげつないからこれ以上の解説やめますが、〇〇〇を喰う、っちゅうたら、わかりまっしゃろ、また擬態語のゾロリャ、ゾンゾロリ~も、性器結合の、擬態語でんな。

 ♪~橋の欄干腰うちかけて~、橋の欄干つまり橋の擬宝珠(ぎぼし)はこれはもう陰茎の亀頭そのもの、それに腰を打ちかけるんですから、女性上位で肉深く入ってまんな。そして~♪~キュキュキュと立ったは~ありゃなんじゃ、ってもうそれ以外考えまへんやろ。

 ここまではワイの妄想と思われるかもしれまへんが、次よんだらはっきりしますやろ、~♪~義経はんと静かはんが・・夜も昼も抱いて寝て、とあります。これセクス以外になんぞありまっか?そして擬態語が続きますな、ヨンボリ、ヨンボリ、ヨヨンボリ、これは性器結合のある形態を表してます。烏帽子かけたる烏帽子岩、烏帽子は当然陰茎の亀頭、烏帽子岩はそうすると女体の秘所っちゅうことでしょうな、そして締めは、ゾロリャ、ゾンゾゾリ~、こりゃ愛液か精液がゾロゾロ出てくる解釈も考えられますが、最後は、目出度い、というんですから、セクスの結果、子供がゾロゾロ誕生で目出度い、とした方がええですわな。

 いやぁ~、昔の民俗芸能は性の描写もおおらかでよろしおまんな。

2024年4月13日土曜日

さんぱっちゃ

  昨日、佐古二番町の大通りを通っていると、銭湯でよく会う兄ちゃん二人が店の前に立っている。「あ、ここが彼らが働いているお店か」とわかった。自転車に乗っていたので会釈だけで通り過ぎたが、掲げてある店名が読めない。四文字の漢字で三戻生変、「なんと読むんやろ」、昨夜も銭湯であったので読み方を聞くと「サンモドリウマレカワル」という。店名にしては不思議な名前だ。


 ところでこのお店、何の店かわかりますか?大きな看板にはイラストも描いてある。これがヒントだがさて?

 イラストのおっさんが赤塚不二夫のおそ松くんに出てくるキャラのイヤミに似ているが、それはともかく、どうみてもこれは風呂屋(銭湯)の内部ではないか、しかし風呂屋ではない。右から手が伸びていてバリカンを握っているのが見えると思うが、ここは理髪店(さんぱっちゃ)である。店の名も看板もシュールすぎる。

2024年4月8日月曜日

勝浦さくら祭りに行ってきた

  我が阿波各地のさくらの満開もおおむね過ぎつつある昨日、勝浦のさくら祭りに行ってきた。先日下のような祭りのパンフをもらっていたので場所や祭りの各イヴェントについてはあらかじめ知っていた。ところで下のパンフのイヴェント(催し物)日程票を見てほしい、これで見ると4月5日にはすべてのイヴェントは終わることになっている(ライトアップのみは10日まで)、これはパンフを作ったのはおそらく冬頃と思われ、この時点では例年のように暖冬で桜が早く咲き、早く散るということを見越してのことのであった。ところが2,3月と気温が低い日が続き今年は開花が遅れたため、このパンフよりイヴェントは遅くまで続けることとなり、昨日まで盛りだくさんの催しが行われた。


 日曜ということもあり、祭り会場付近の駐車場はどこも満杯、係の人に「どっか、とめるとこおまへんか?」と聞くと、少し遠いが(上の地図の左端切れた所より少し行ったところ)小松島西高校勝浦分校の校庭に駐車できるとのことで、そちらにいって駐車した。休日で静かであったが、勝浦分校と聞いてある思い出がよみがえってきた。この分校は以前は「勝浦園芸高校」といって独立した高校であった。今から半世紀以上前、大学の時、親しくしてもらった大学事務局職員の人がこの学校出身だった。国立大学の事務職員なので国家公務員になる。高卒で採用されて私より二歳ほど上の人だった。お互い波長が合ったのだろうか、向こうが暇なときは用もないのに事務室に邪魔をしていろいろな話をしたものである。また親しくしてもらったおかげで、学割や各種証明書に便宜を図ってもらった。ただそれだけの思い出で、しかも半世紀以上も前の記憶がふとよみがえったのである。「こりゃ、なんぞ?死ぬときは走馬灯のように過去の思い出が次々浮かんでくるというが、まさか、ワイ、死期が近いんとちゃぁうんかいな」

 上の地図の左上の川沿いの桜並木を歩いた(生名ロマン街道となづけている)。多くの桜並木の満開の桜が盛大に散っているため、流れの遅い川面はところどころ堰かれてこのように水面がピンクの絨毯を広げたようになっている。右にチラリと写る美女は、この日のイヴェントの一つ、衣装やメィクでアニメキャラになりきっているオネィさんである。県の不手際で今年の徳島のマチアソビが中止になったが、ここ勝浦では代わりに開催されているようだ。


 観光のかんどり船も出ている。もちろん銭をとる。


 高曇りの空の下、桜木と空を映した水面に、あてなくたゆたう「花筏」、明日は雨、

 桜の鑑賞も今日までか。

2024年4月5日金曜日

椿とウコン桜

 徳島城公園のソメイヨシノは今日、ほぼ満開を迎えた。週末にあたる今夜は夜桜見物の人が大勢でていそうである。

 同じ公園でこちらの花も咲いているが、桜ほど目立たないので見る人はほとんどいない。

 栽培種の椿(八重椿)、枯れた樟の巨木のそばにある。たくさんの花をつけている。


 椿の野生種・ヤブツバキ


 こちらは桜の仲間ではあるが花の色が変わっている。その色の名前から鬱金(うこん)桜と名付けられている。厳密には輝くような黄色のうこん色ではなくそれに似た緑がかった黄色である。


2024年4月3日水曜日

眉山の桜を遠景に見る

  ほぼ一日雨の今日だが、昼頃、一時小降りになった。アミコビルから眉山を見るとあちらこちらが桜色になっている。もう満開に近いのだろう。雨雲の層雲が千切れて眉山にまとわりついている。雨中、正面に眉山が見える図書館の雑誌閲覧室で本を読みつつ、窓から、時々眉山の桜の遠景を見るのもちょっとした風情がある。徒然草の一節が思い浮かんだ。(写真は雑誌閲覧室から撮影した

 「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、垂れこめて春の行くへ知らぬも、なほ、あはれに情深し」

2024年3月30日土曜日

オペンハイマの映画の感想につけくわえます

  最近ボケがきたなぁ、と思うことしきりであるが、先のブログをアップした後、当時の日本の原爆開発はどないなっとんやろ、とググルの検索で「日本原爆開発、原子物理学者・・」などのキーワードを入れて探していると、ヒットしたのがなんと一年以上前の私のブログであった。書いたのを忘れての検索であった。何を書いたのかも忘れていたため読んだが、へぇ~、と自分の書いたブログで勉強させられた。日本の原爆開発についての映画の感想文であるが、オペンハイマの映画以上にいろいろあったことが書かれている。

 オペンハイマの映画を見たひとは、ぜひこちらの日本の原爆開発についての映画も見てほしい。DVDのレンタル屋で120円びゃぁで借りられます。その日本の原爆開発に関する映画の私の感想ブログはこちらです。よかったら読んでみてください。

ここクリック

 アメリカが広島に投下した原子爆弾に日本人が(もちろん戦前の)発明した技術も使われていたことを改めて知った。まぁこのブログも読んでみてください。

映画の感想 その2(前半からのつづき)

  一方、オペンハイマの内面も映画の見どころである。離婚、相手の自殺と配偶者をめぐっての彼の家庭的な苦悩も描かれているが、そんなのはまぁ誰にでもありうることでどうでもよい。やはり一番の関心は原爆製造に手を貸した科学者としての、さらに言えば「原爆の父」と称賛されるまで上った彼の苦悩である。

 最初はそのような苦悩はなかったはずである。映画でも描かれているようにユダヤ人の彼としてはナチスより一刻も早く原爆を完成させねばならないと使命感にあふれていた。それが都市部で使われた場合、前例のない悲惨なことになるのはわかっていたが、しかし彼はこう言っている、「原爆が完成すれば、戦争がなくなる」、国家どころか人類をも消滅しかねない可能性を秘めた原子爆弾の完成で、それを持てばむしろ戦争を抑止できると考えてのことであろう。後の「核抑止理論」に結び付く考えである。

 しかしそれは原爆ができあがるまでの言い訳にすぎなかったことがわかる。確かに原爆製造にかかわった科学者はオペンハイマを含めて、「威嚇のために、敵方の無人の場所で使うべきだ、少なくとも民間人の居住地では使うべきではない」との考えが多数で、政府に上申もするが、いったん完成すれば科学者たちのそんな思惑をこえて兵器として実戦に位置づけられていく。やはりな、という感想である。それはオペンハイマもわかっていたはずである。

 科学者も含めアメリカ軍・政府にはこのような言い訳もあった。「原爆を使うことにより日本の降伏が早まれば、地上戦での我が国の兵士の死傷を数十万単位で減らせられる。そもそも卑怯なだまし討ちである真珠湾攻撃で戦争を仕掛けたのは彼らである。相当の罰(つまり原爆)を受けてしかるべきである。また降伏が早まれば彼ら日本人だって死傷するのを抑えられるではないか。」

 原爆完成前であってもオペンハイマも含めた科学者の良心の疼きはあったはずである。科学者も原爆使用の決定に参与させよ、という動きもあった。しかし事実でも映画でもそのような意見があるだけで、決定権は軍および大統領に帰属することははっきり示されている。いったん完成してしまえば科学者の良心だの思惑だのは無視され軍・大統領の手に原爆は委ねられるのである。どうしても原爆使用することに科学者の良心が許さないならば、アインシュタインのように初めから開発にかかわるべきではなかった。しかし関わったがゆえの様々な苦悩があるから、その人々を取り上げ、それを映画として作れば、それは深みのある作品になるのである(アカデミー賞を受賞した)。


 映画のクライマックス1945年7月16日の原爆爆発実験の成功である。体を揺さぶられるような光と音の大迫力の爆発のシーンである。日本人の一人としてそれを見た時

「あぁ、もう広島の運命は決まった一直線に死と破壊へむかっていく」

 と悲嘆にとらわれる。しかし日本人の間には「いや、そうではあるまい、この7月16日から8月6日まではまだ間がある、もし日本がその間にチャッチャと早く降伏を受け入れてさえいれば、広島の悲劇はなかったんちゃうか。回避できたんじゃ。」ちゅう意見がある。しかし映画をよく見てほしい(キリシタハ・ノラン監督もアメリカ側の人でありながらよくこのように描いてくれたと感心するが)、映画では(事実でもそうだ)大統領・軍の確定的な意向は、1⃣ 必ず原爆は日本に使用すること、それも二発一発は衝撃を与え無条件降伏を迫るため、二発目はまだ戦争継続すればさらなる原爆使用されることをわからせるため)、2⃣ 都市は広島、小倉、長崎、新潟など決めてあること、そしてここが重要なところだが、3⃣ 日本に使用するため投下されるまでは降伏を引き延ばすこと、である。3⃣ については異論がありそうだが、映画ではかなりはっきりとその意向が描かれている。

 原爆で降伏が早まり結果としてアメリカ人や日本人のさらなる死傷が抑えられたという説についても、映画の中では疑問を呈した描かれ方もしている。戦後しばらくはアメリカでは受け入れられなかったような描き方である。現代日本人からは、この映画に対し原爆の悲惨さの描かれ方が物足りない、あるいは反核をもっと強調すべきである、との意見もあるが、私はそうは思わない。反核のプロパガンダ映画なら確かに物足りんだろうが、原爆開発者の、開発したがための紆余曲折の人生を描くドラマとしてはこの映画のような描写で十分であると考えている。

 爆発の火球に巻き込まれなくても2km圏内にいる人は爆発の光を浴びるだけで表面温度は数千度に達するのである。皮膚は瞬時にめくれ上がり重度の火傷をおう、そして次に来る衝撃波で形あるものは破壊されるのである。ふつうの想像力を働かせるだけでその悲惨さはわかる。映画でもオペンハイマが想像のイメージとして、強烈な閃光を浴びた人々の皮膚がめくれあがり炭化するほどの火傷を負っていくのが映像化され、足元には完全に炭化した人の死骸らしきものも転がる。また直接ではないが広島の惨状の映画を見るシーンがあるが、ナレーションの声で、火傷や身体的損傷は負わなくても数日から数週間の間に健康とみられていた被爆者がバタバタと死んでいくとの説明がある(放射能被害である)、オペンハイマの原爆とかかわった生涯を描くドラマとしては、原爆の悲惨さは充分伝わっている。

 この映画で私の印象に深く残ったセリフが二つある(シーンとしては三つになる。そのセリフの一つは映画の前半部での物理学者の言葉、大意は「結局、宇宙での生起は、エネルギーと確率(&統計)である」、この言葉「神はサイコロを振らない」と対置の関係にあるのか?何のことかよくわからず見逃してしまいそうなところではあるが、最近、宇宙の行方とエントロピーについての本をいくつか読み、それについて考えている私としては見逃しにできないシーンである。この意味は何なのか、それは宇宙論的な宿命を内包しているのか、この映画でのその言葉の位置づけは何なのか、すぐにはわからない。ワイの足りない頭でもちょっと考えてみたい。


 そして第二のセリフは、「われは死なり、世界(宇宙)の破壊者なり」の言葉である。これはインド古代の聖典「バガバッド・ギーター」(韻詩)の一節からの引用である。映画の中ではこのセリフは二度発せられている。最初のシーンはなんと!(オペンハイマが性交中いや前後かな、ともかくその一連のシーンで)にサンスクリット文学の話をし、そこからこの言葉が出てくるのである。その体位ちゅうんが、これまたいうのも恥ずかしながら気色エエんが、素っ裸で女性が騎乗位(上)になりながら(下はもちろんオペンハイマ)お互いの性器を結合させてエクスタシーに達しようとしているのである。前後の違いはあるが、大胆な体位での性器の結合、そして我は死なり・・、というインド古代聖典の引用は、ワイには、その映画のシーンが、ヒンズー教の男神で女神とともに性交して一体になっている神像をイメージさせた。ヒンズー教にはこのような男女結合神像がたくさんある。

 そして次に発せられる同じセリフのシーンは、度肝を抜くような強烈な光と爆発、燃え上がる炎の原爆実験成功を見た時である。同じく「われは死なり、世界(宇宙)の破壊者なり」と呟く、こちらの方はオペンハイマの伝記にもあり、みんなよく知っている。死と破壊の神の降誕を見た思いから以前読んだインドサンスクリット語の聖典その言葉が瞬時に浮かんだのであろう。こちらの方が、死と破壊の引用としてはよくわかる。そうならば、前者のシーンは、大胆な性交を繰り広げながら、なぜ死と破壊を意味するこのフレーズを引っ張ってきたのだろう?

 性交は快楽と結びつくがそれだけに終わるものではない。皆さんもよ~くご存じであるが性交はある結果を生み出す。受胎・妊娠である、これは別の表現でいえば創造である。ワイらやみんなは「子ども」を生み、儲けることのみにしかならないが、神話ではすべてを含むモノの「創造」になる、そこでは宇宙も生み出される。その性交のシーンで、なんで死と破壊の神話引用なのか、おかしいと思うかもしれない。しかしインドの聖典では、例えばシヴァ神は矛盾しているが破壊と創造の二面性を持っている。この聖典の引用文はシヴァ神に当てはまらないといわれているが、インドの神はこのような対立する性質を併せ持つものである。だから性交イコール創造の前者シーンにも、「我は死であり破壊である・・」が裏側に一体となってあるのである。創造と破壊は表裏一体である。

 これはワイが深読みしすぎたのか?いや、もしそうでないならば、あの大胆な性交シーンの前後になぜこの「死と破壊」の聖典が入ってきたのかわからない、しかし二面性のある創造と破壊の神の聖典なら納得できる。キリシタハ・ノラン監督がそのような意図を持っていてこの映画作ったのかどうかわからない。しかし、当時のトルーマン大統領がラヂヲで降伏を迫る日本に向けて発した「この爆弾は宇宙の根源的な力を使い・・」の、その根源的な力言い換えれば原子力は)は破壊のみでなく、有用な原子力利用にもなる、それは破壊ではなく創造といってもいいだろう、そこまで考えてこのような背反するシーンに取り入れたのではないだろうか(これは私の独断的な推理)

 どうもワイはインドの聖典とインドの神にこだわりすぎているのかもしれない。こだわりついでで、もう一つ言わせてほしい、この世界初の原爆実験はトリニティー実験と呼ばれている。トリニティーとはキリスト教の肝である「三位一体」という意味である。しかしオペンハイマが原爆実験にこう名付けた理由は諸説ある。映画で出てくるインド聖典では宇宙そのもの、そしてその破壊と維持、創造を担う神は、それぞれブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァである。その三つの神は三神一体と言われる、もしかするとトリニティにもそのような意味(破壊、維持、創造)が付与されて名付けられた可能性もあるのではないか。

 原爆を落としたアメリカに対して、落とされた日本としては、反省、悔悟もあって欲しいと願うのはもっともだが、過度にそのような期待をしてみない方がいい。客観的にみて、核兵器は悪であり、将来廃絶すべきであるとの意図が映画の基礎になって作られていることは間違いない。だからそのうえで科学史的にみるのもよし、政治あるいは軍事戦略的な観点から批判的にみるのもよし、また私のようにかなり偏っていると自覚しているが、インドの聖典や神話にこだわって見るのもよしである、自由に様々な観点から楽しまれるのがよいと思う、アカデミィ賞をとっただけあってみる価値のある映画だと私は思う。

2024年3月29日金曜日

話題の映画を見てきた感想 その1(前半)

 

 さっきオペンハイマの映画を見てきた。いろいろ話題になっている映画である。といっても本日が封切り日なので、一般の人が見た評判というものはまだである。しかし事前に評論家や被爆者団体あるいは関係者からは一部否定的な意見が出ていた。肯定的評価では先日アカデミィ賞をもらった(作品賞)ということがある。ワイとしたら「毀誉褒貶あい半ばする映画かな、まぁ、自分で見て確かめたらええわ」ちゅうことで早くから見ることを決めていた。

 で、一般の人であるワイが見た感想は「おもっしょかったわ」である。原爆関係映画であるのに、おもっしょかったわ、は不謹慎だろといわれるかもしれない。このおもっしょかったわ、はわくわくして楽しくなるようなおもっしょさではない。科学史の面から見る面白さである、少なくとも前半部は。そこには現代物理学を作り上げた大物が続々でてくる。顔もできるだけ似た人を持ってきているため科学史に関心のある人は映画のその人物を見るだけでおもしろい。またその大物が出ているシーンのセリフには、科学史に燦然と光を放っているその人物の発明・発見、理論のエッセンスが込められている。アインシュタインの相対性理論、ボーアやハイゼンベルグの量子論、など、そのセリフ一つ「神はサイコロを振らない」というのがある。知る人ぞ知る、量子論に対するアインシュタインの態度を表してものであるといわれている。

 アインシュタインが池のほとりで佇んでいるシーンは俳優さんが似ていることもあってちょっと感動した。理論の人でもあるが科学者の良心も代表する人である。しかしそんな彼でもナチスに先に原爆開発されるのをおそれアメリカにわたるとアメリカ政府に原爆に関する注意を促す。原爆開発に携わったわけではないが、ナチスが手にするならばむしろアメリカが先にと、考えていたのではないだろうか。そもそも彼が理論的に導き出した「質量とエネルギーは等価」であるというのを実践して見せたのが原子爆弾爆発であった。広島型原爆は1gの質量が消滅しエネルギーになったのである。原爆の使用にショックを受けたが自分の理論の正しさ(質量=エネルギー)が確かめられたのは皮肉なことである。

 チラリとしたシーンではあったが、なんとアインシュタインと数学者ゲーデルが二人並んで話しているところがある。かたや物理(言い換えるならば)宇宙における空間と時間の観念の大転換をもたらした人、かたや数学的世界ではあるが人の理性の知りうる限界を明らかにした人である。世紀をまたいでも現れるかどうかわからない知の巨人二人が対するすごいシーンであった。ただいったようにチラリとしただけで、アインシュタインの短いセリフは「彼は精神的治療をしている」という意味のことであった。ものすごい天才は夭折するか狂うのかと考えさせられるシーンでもあった。

 映画の前半はこのような科学史のお宝映像(大物物理学者とその理論のごく短い概略が詰まったセリフ)が次々出てくる。そうそう私が意外だったのはオペンハイマは宇宙論もやっていてその言及もあることである。ブラックホールの予言である。これはのちに別の人が理論的に説明し、実在がはっきりしたものになる。

 科学史のままの映画であってくれたら(現実も)よかったのだろうが、ある発見によって暗転する。映画の中でドイツのハーン博士がウランの核分裂を発見したというニュースが飛び込み、続けて、中性子をウランに当てることによって分裂したウランより膨大なエネルギーが解放されること、そして分裂と同時に飛び出た数個の中性子は次のウランの核分裂をもたらしそれが連鎖反応を引き起こし、ほとんど瞬時に全体にひろがること、それは信じられないような規模の爆発になること、がわかる。それはまたたくまに世界に広がり、原爆の少なくとも理論は物理学者の秘密でもなんでもなくなる。もちろん本家のドイツはナチスがさらに研究を進めるであろう、もちろん日本も入っている。そういえばワイの故郷ここ阿波でも戦前のSF作家・海野十三(うんの・じゅうざ)はこのニュースや研究をもとに都市全体を破壊できるマッチ箱くらいの大きさの爆弾(原子爆弾をイメージしている)を考え、科学小説に書いている。

 そこから後半部はロスアラモス研究所(というより原爆製造科学都市と言った方がいい)を中心に原爆製造に向かって邁進する所長オペンハイマが描かれる、科学者同士のすれ違い、軍、政府との思惑の違いからおこる軋轢などが描かれるが、そんなことよりワイが感心し舌を巻いたのは、アメリカという国の凄さである(別に褒めよぉわけではない)、惜しまない物量を投下し、当時の金で20億ドルの予算をつけ、また国内ばかりか亡命者も含め海外から核物理学者などの学者、技術者を集め、それを組織化し、原爆開発の工場をつくる(なんと史上初めての原子炉まで作りプルトニュームというおまけまで造るが)。当時の日本どころかドイツでさえできないだろうと思われる。

 理論的に考えられていたものを具体化したのが「原爆」である。こんな方法で誕生させたのは原子爆弾が初めてじゃないだろうか。すべて物理・数学でキッチリ計算され、予測されたものを莫大な物量・資金の投下し、科学者および技術者の知恵によって完成させたのである。

その2(後半につづく)

2024年3月28日木曜日

讃岐・五色台

  数日前、松田聖子さんが中央大学法学部通信制課程を終えて卒業したというニュースを見た。大学の通信課程で学ぶ人はけっこういるが、元々大学を卒業していて、その上で資格が欲しい、例えば教員免許、福祉資格、司書、学芸員などの免許資格を取るため開設されている資格取得過程に入って一年ほどで終了する人が大多数である。卒業まで勉強する通信生は少ない(原則四年以上かかる、多くの単位を取得せねばならないなどのため)。だから聖子さんが卒業までこぎつけ、学士号を取得したニュースを聞いたときは「努力したんだなぁ」という感想をまず第一に持った。

 毎日大学へ通う普通課程と違い、通信課程は延べ1か月程度のスクーリング(面接授業)を除けば、大学から配布されるテキストなどでの独学である。そしてその教科に応じた課題のレポートを作成し、大学へ単位に応じた数のレポートを出さねばならない。そしてレポートが認められ、なおかつその教科の最終試験が合格して初めて単位が取得できる。そのような独学形式であるため、家事や仕事にかまけてついつい勉強を先延ばしにすれば当然、レポートの作成提出が覚束なくなる。結局、卒業課題(昔は卒論と言っていた)までたどりつけるどころか卒業要件の124単位以上を取得できず挫折する人(途中でやめる)が多くなる。

 通信制課程の大学を卒業するのは、よほど強い意志をもって独学をコツコツ続けることが必要とされる。くじけそうになるのをサポートしてくれるのは、面接授業での教師や学友との交流、あるいは通信大学生の学習会や交歓会である。

 実は私も半世紀ほど前に通信制大学で在籍し学んでいたのである。専攻は日本史であった。卒業(学士取得)までめざしていたが、やはり挫折しそうになった。しかし最後にはなんとか卒業できたのは、一年にのべ1か月ほどある大学本校でのスクーリング、その中での先生や学友たちとのコミュニュケーションで励まされたからである。また時々開かれる四国地方での学習会・交歓会に参加し皆と話しできたことも力になった。

 昨日、友人の車でドライブした。行く先は香川の五色台である。台地上の山でかなり広い。上には札所三ヵ寺もあるうえ、さまざまなスポーツ娯楽施設もある。行く動機は、朝から久しぶりの快晴だったこと、展望が素晴らしく瀬戸内海の島々の風景を見たかったこともあるが、半分の動機は、この五色台のある施設で半世紀前、上述した通信課程大学の交換会・学習会が泊まり込みで開かれ、その思い出の場所ということで、懐かしさがあったことである。そのある施設名も思い出せないが、青年の宿泊センターのようなところであった。(ユースホステルとか青年会館のような)、半世紀もたった今、その施設はなくなっている。

 半世紀前の五色台のその施設について思い出すと、台地上になった南の崖近くの建物だった記憶が朧ながらにある。今の五色台の鳥瞰図をググルマップの3Dで見る。

 方位から見ると五色台の台地上の山塊の南のほうの崖近く、讃岐国分寺を見下ろせるあたりじゃなかっただろうかと不確かながら推定している(推定位置を矢印で示している)。そこで一泊の学習会交換会が開かれた。徳島から中古の360ccの軽四に乗り、高速などもない時代、国道や細い山道を運転しながらはるばるとやってきた。ほとんどの学生は顔も知らない、年齢も社会の階層もバラバラ、ただ通信生という一点だけの仲間である。

 その思い出は学習会の内容についてはほとんど残っていないが交換会での内容は今でも思い出す。一緒に夕食をとった後、大学から来ていた職員が司会し、レクレーションなどをやった。これは普通の大学で行われているような学生同士のコンパと同じようなものである。季節は11月末だった。歓談やレクが終わった後、就寝のため部屋に向かったが、そこはユースホステルような二段ベットの集合寝室である。就寝時間が来てもいろいろな話題で同室のみんなと話がはずんで、しんしんと冷え込む秋の夜長をほとんど寝ずにすごした。

 歳ぃいくとこのような半世紀も前のほんの少しだけ残っている懐かしい記憶が、わざわざ友人を駆り立てて(現在私は車を持っていないので)行く動機となるのである。友人はこのブログを読むまでこんな動機が半分あったことも知らない。

 さて以下は昨日の五色台での撮影写真と動画である。言ったように半世紀前の場所は思い出せないので、今どうなっているかは知るすべもない。

 まず八十八か所の札所「白峯寺」を参拝した。


 この寺は十年ほど前に来たことがあった。しかしこの寺の近くにある崇徳上皇の御陵は参拝したことがなかったのでそこへ行った。老体には石段がきつかった。


 眺めがいいといわれる多島海、その多島海ではエーゲ海なんどが有名だが、それに劣らず瀬戸内海の島々と海の風景は美しい。(といってもエーゲ海がどんなんやら行ったことないから知らんわ!


 五色台の北向の端あたりに五色台のホテルがある。そこの展望喫茶で風景を見ながらしばしくつろぐ。下の動画はホテル展望喫茶からの眺め

2024年3月24日日曜日

起きたら雨

  今日3月24日、予報通りの天気となった。朝起きたらすでに雨がぼそぼそ降っている。午後遅くまで降り続くようだ。いつも暇なワイは雨の日は図書館かショッピングモルなどでポケッ~とした価値のない一日を送るだろうが、仕事をするなどの社会的に活動している人は、たまの日曜休日、雨で外出できず残念に思っているんじゃないだろうか。いや、雨を口実にゆっくり寝て、家でぶらぶらしながら骨休め出来ていいかもしれんな。

 しかし今日、ここ徳島では大きなイヴェントがある。8000人から参加する徳島マラソンである。朝から午後まで続くだろう雨になって、参加者や関係者は困っているんじゃないだろうか。「春雨じゃ、濡れていこう」などとシャレをいうには寒すぎる(最高気温11.8度の予想)し距離も長い。これくらいの雨では決行と思われるが、ビショコになって42kmも走るのである。体力のないワイなどは考えるだに恐ろしい。まぁ参加者は普段から鍛えているだろうし、悪天も想定内だろう。でも体調に留意して走って欲しいと思う。

 さっき、午前九時ごろバスで佐古の国道を走っていると、交差点ごとといってもいいほど雨具を付けたガードマンが徳島マラソンのための「通行止め」「車線制限」のプラカードを持って立っている。マラソンコースは市外から郊外へ出ると吉野川土手など走るようになっているため、主要な幹線道路の通行禁止・制限はないが、出発点・ゴールのある徳島市内はこのように広報周知しなければならないほど広い通行禁止・制限があるようだ。ガードマンさんも雨の中大変だな。

 そのマラソンコース、鴨島・牛島と吉野川を挟んだ吉野町・西条を結ぶ大橋が折り返し点となる。もし今日、天気が良ければ去年のようにそこでマラソンランナーの写真や動画を撮影しようと思っていたが、雨が降るためやめた。マラソンコースの見物人、応援の人々の風景もなかなか味があって私は好きだ。

 「とぉ~ちゃん、パパ、ママぁ~、タロちゃん、花子ちゃん、がんばって」などなど家族や知り合いがランナーにかける声援は見ていてもほほえましい、太鼓をたたいたり、ほら貝を吹いたりする応援のグループもありそちらにも注目があつまる。ランナーも余裕の人が多く、手をあげたり振ったりして声援にこたえている。なかには見物人のなかから奥さんに抱かれた幼子を見つけ、そちらに歩み寄り、妻や幼子と一緒に写真撮影するランナーの父ちゃんもいる。皆すでに半分走っているのに(邪魔にならんのかなぁ)まだおもっしょい衣装を着ていて走っている人もいる。ロバの頭の首から頭を出して走っている人をみつけた、ブヒヒヒィと鳴いて走ればもっと面白かろうにと思ったりする。見る人も走る人も(中には苦しそうな人もいたがおおむね)みんな楽しそうである。まるでマラソンの祭りやなぁ、ちゅう私の感想であった。

 雨で残念ながらランナーの雄姿も、ランナーを鼓舞する見物の人々も、私は見に行けない。そのかわり去年の折り返し点近くの大橋で私が撮影した動画をもう一度見ることにする。

令和5年(2023)3月19日、西条大橋付近の動画

2024年3月21日木曜日

え、ほんまか、どないなるんや

  昨夜から今朝にかけては、冷ぇたぁ~、県内各地の最低気温が零度を下回ったところも多かった。午前中、持病の薬を病院にとりに行ったとき、遠くの高越山をみると左にある高越牧場(8合目あたり)は白くなっている。積雪と思われる。今日、選抜の甲子園の試合中も雪が舞ったそうだ。


 昨日は新聞で気づいた記事をブログにしたばかりだ。新聞の記事でやはり一番私が注目するのは三面記事である。その記事は犯罪のような反社会的事件が主である。そこには失敗や挫折した人びと、順風満帆ではたから見ても幸せそうな人が意外な事件を起こした、あるいは巻き込まれた人々がいる。根っからの悪人は少なく、普通の人がちょっとした蹉跌から道を踏み外す、挙句、傷害や殺人まで進んでしまう。そんなのが事件から垣間見えるのが三面記事の特徴である。それは事実起こったことであるだけにサスペンスや小説以上に人間とはこんなものだと物語ってくれている。

 もし昨日の新聞でそのような私が注目する三面記事があれば取り上げようと思っていたがそんな注目をひく事件はなかった。

 ところが今日の昼前、驚きのニュースが飛び込んできた。

 『大リーガー大谷翔平の通訳の水原一平が違法な賭博で莫大な金を使い賭博疑惑がもたれ、また大谷の預金口座の金を流用したため、大谷代理人の弁護士から窃盗の告発がなされている。ドジャースは水原一平を解雇』とある。


 ええ、どないなるんじゃ、心配なのは大谷にどのような影響が及ぶかだ、親密で一心同体のように思われていた有能な通訳が、こんなことをしでかしては大谷に心理的な悪影響を与えるのじゃないのか。スポーツ選手はフィジィカル(肉体)以上にメンタル(精神)の正常安定が大切であるといわれる。野球界で前人未到の記録も期待できるだけに今後どうなるか心配だ。

 新聞のネット速報やテレビのスポットニュースだけ視聴して、その後の続報を気長に待てばよかったのだが、この衝撃的なニュースについて、少しでも情報を、また人々の落胆の様子を知りたいと、ネットのコメントを見たのが失敗で悔やまれる。なんとネットでは一平に対する手のひら返しはもちろん、大谷でさえ(何も知らず被害者だという人も一定割合いるが)かなりのコメントでは、いや大谷も違法賭博を知っていた。そして一平から頼まれ自分の口座から補填送金した。だから被害者ではなくむしろ関与人である、それは違法ないし道義的責任がある。さらには、関与人どころか共犯のうえ、バレると一平に罪を擦り付けた。とまで言い切るものもいる。まるで悪人扱いしているのである。ネットのコメントなど見なんだらよかったわ。

 そんな証拠もなく、また水原氏も疑惑の段階から無責任なコメントがずいぶんネットにあふれている。地を這う庶民から大谷を見上げると、百億の年棒をとり、美しくモデルのような嫁はんを持ち、誰もうらやむ栄光の座にいた。また大谷ほどではないが、一平さんも太陽の光を受けて輝く月であった(通訳では異例な人気者、また年棒もずば抜けていたようである)しかしいったん地に落ちるとなったら、ここまでブッ叩くのは下衆(ゲス)な庶民の心性なのか。確かに歴史の経験でもそうだなぁ、中世、このような確たるもののない噂話をして、広める「京雀」がいたわ。

「あぁら、嬉しや、隣の倉が売られていく」

「水に落ちた犬はブッ叩け」

「栄枯盛衰常ならず、おごれる盛者も衰亡し滅びる(などとさも仏教の無常観を卓見したようにいいながら、内心では、ざまぁ見さらせ、コケて気色(きしょく)がエエわ)」

 とは下世話な話ではよく言われるが、ネット空間ではそのゲス、下世話な話があふれているようである。

 このニュースの確かな続報を待ちたい。

2024年3月20日水曜日

新聞記事から

  今日は春分の日、この日は曇りや雨が統計的に多くなる時期になるが、今年は強風、そして晴雨定まらぬ日で、晴れていたかと思うと、急に横殴りの雨になる。また気温も低く、かなりの悪天だった。駐輪場にとめてあったワイの自転車も強風でひっくりこけていた。どっか行こうかなと前日は考えていたが昨夜の気象予報をみて悪天が予想されたので、どこへも行かなかった。春分の日を行楽にと思っていた人には気の毒な日となった。

 で、どないしょんかいなちゅうと、ぬくくて快適な図書館にいた。読書と言いたいが、おおかたポケェーとしていた。最近そのポケェーが多くて、冗談なしに痴呆が進んでいるようだ。今日も知人と話をしていてつくづくとそれを感じた。前は人の名前が思い出せなかったが、最近は名前ばかりか固有名詞もド忘れして出てこない。今日も、小松島にあるスウパアのイイトインは無料供給の緑茶やほうじ茶が紙コップで飲めるサービスがあるが、何度も行ったそのスウパの名前が思い出せない。「ええっと、ほれ、あれじゃよ、なんつうたかいな、セブンでもないし、あぁ、思い出せん」、結局、しばらくして思い出した。ああそうじゃ、キョウエィじゃ、なんと!こんな今まで何度も利用して名前もなじみになっていたその名前をド忘れしたのである。トホホどころか、いよいよ危ないわっ。

 春分の日は昔は、一年にたった三度(元日、春分、秋分)しかない休刊日だった。最近はこの日は休刊日ではないが、月一度は休刊日があるようになった。もしかすると将来はもっと休刊日多くなるっちゅうか、逆に発行日が少なくなるかもしれない。近年、紙媒体のメディアは滅びるんちゃぁうか、との危惧があるが、若い衆を中心にどんどん紙離れが進んでいる。四日前に四国JRの時刻表が改定になったが、もう駅ごとの、顧客にたいする紙の時刻表の配布はやめた。スマホでどうぞちゅうこっちゃ、そのスマホで若い衆は漫画を見るようになった、分厚い少年漫画週刊誌もやがてなくなるんちゃうだろか。いよいよ紙媒体メディアの黄昏か?

 本日の図書館の新聞コーナーはジジたちでにぎわっている、ワイもその一人じゃ、やっぱ、ジジには紙媒体メディアの王道、新聞が一番じゃ。ジジっつうても最近はスマホを持ち(ワイはまだガラケェじゃが)操作も手慣れたもので、指でチャッチャとタッチし、必要な情報画面を呼び出し、読んでいるが、やはりパサパサ、ガサガサと広げ、読む新聞がエエのか各全国紙を閲覧し、次々と回し読みしている。

 では今日の新聞紙面から

第一面

 一面トップは「日銀金利上昇に転ず」、最近の一面に多い政治と金の不正なんど読む気も失せるが、経済はそれに比べると関心を持たざるを得ないが、金利上昇で、どん底生活のオイラの生活がどないなるやら、よ~わからん、もう儲けるような仕事もできないワイとしたら、金利上昇が賃上げとどのように関連するかは、どうでもよい。それより金利上昇で物価がどなんなるやらが心配だが、まちごうても物価は下がることはあるまい、年金もあがるまい、ということで、「金利上昇」、ふん、そんなもんどうでもええ、どうせ窮屈な生活が続くだけじゃわ。という心境である。

スポーツ面

 ちょっと癒される紙面である。我が県の高校球児が一回戦突破である。勝ったのは愛知っちゅうから強豪校の輩出する県ではないか。また対戦相手は強打者のニキータ(白系ロシア人)がいる、実際、飛ばないといわれる改訂になったボールとバットでホームランを打ち、全国紙のニュースになったほどの選手である、それを擁するチームに11対4での勝利である。単純にうれしい。(そんなのいないが)まるで孫の活躍をみるジジの心境である。

 いやぁ~、凛々しいねぇ、晴れの舞台だから全員、丸坊主の散髪したて、青々した頭もすがすがしい。ちょっと古い言葉だが、大和へのこ・・いやちごうたわ、もとい、「大和おのこの晴れ姿」、すばらしい。


定番人生相談コーナ

 このコーナー、ほとんど娯楽面に等しいんじゃんないかと思う。深刻な相談なんだから、と思いつつも、なんかニヤッと笑いながら読んでいる自分がいる。今日のある全国紙の相談コーナーから、60代の夫からの妻に(同年代)対する悩みである。

 「要するに妻が悪妻である。性格がキツイ上に、夫も含めあらゆる人の悪口のタラタラ、である。それは次々と繰り出してきて止まらない、夫が注意すると激高して手が付けられなくなる。40年一緒に過ごしてきたがこの先もと、おもうと苦しくなる。いいところもある妻であるが、どうすればよいのだろうか。」

 離婚したいということは言っていない、いいところもある妻と言っている。なんといっても40年連れ添ったのである。そう深刻な相談か?と思いたくなる。相談室の回答の要旨はこうである。

「夫もそれに対し、激したり、また辛辣に言ったり、説教もだめ、笑顔で接し、優しく妻に対してふるまうのがよい」

 なるほど。そうできればいいがなかなかなぁ、でも派手に夫婦喧嘩してもなぜか別れず、一緒にいる夫婦も多い。冷めてあきらめか、とも思うがそうでもない、夫婦のことは他人にはうかがい知れないところがあるもんなぁ。ワイだったらどない言うじゃろ、「良妻をもてば幸せにはなれます、しかし悪妻を持てば(有名な悪妻持ちのソクラテスのように)アンタ、哲学者になれるよ」とでも答えよう。

文化面

 業界紙や学会紙は別として全国紙で一番インテリげぇな人の読む新聞と言えば「NK新聞」か。経済面だけでなく科学に対してもするどい論評や斬りこみがある。術語(専門用語)も多い。そのNK新聞の文化面といえば学術論文ほどではないが、少なくとも岩波や中公新書の教養書くらいの論述文章が載っている。

 その今日の文化面の記事、日本語の医学用語とその難しさについて、である。いたって真面目で学術的な記事なのだが、読んで思わず、桃色ににやけてしまった。出だしは、医学の日本語つまり漢字の難しさを言っている。確かに人体にたくさんある骨、大骨から小骨に至るまで難しい漢字が充てられているのは知っている。専門家(医者)以外は知らない人体の漢字も多い。しかしこのように医学用語、人体の骨や器官など日本語としての漢字があるため、欧米圏以外では異例ともいえる母国語(つまり日本語)で医学専門教育ができるのである。

 これは江戸期に解体新書など著した杉田、前野良沢など蘭学者がオランダの医学書を翻訳するにあたって苦労して作った医学用語漢字が基礎にあって、それを明治になって本格的に制定したものである。

 そして記事は次にその医学漢字をどうして作ったかにうつる。そこからがおもっしょい!例として挙げたのが「膣」である。欧米語では「ヴァギナ」という。これは(マメ科植物のさや)、または(刀のさや)を意味する、これを女体のアソコにあてたのである。解説ではそこまではいわんが、チ〇ポを剣と見立て、それが収まるのが鞘だから、女体のアソコが「さや」になるのは、なるほど語源としてすっきりしてわかりやすい。しかし露骨さを避けるとすれば同音の莢でも同じ意味にもとれる(これは私の発展的解釈)。

 (記事に戻ると)江戸期の蘭学者は室をサヤという意味にした。しかし室では一般的過ぎて多くの用語に用い、ヴァギナと特定できにくい、そこで月(にくづき)をつけて「腟」にした。しかし女体の漢字に詳しい男性諸君はご存じのように、女性器のチツは「膣」と書く、現代では穴かんむりの(皆さん、穴かんむりですぞ、穴ですぞ、興奮しないように)膣と書く。しかし(これは私には初耳だが)江戸期からの伝統か医学会は現代でも「腟」と室になっているそうだ。いや~ベンキョになるわ。

 また読み方も、江戸期は「シツ」と「チツ」の二通りの読み方が並行してあったそうだ。という字は古来から中国にあったが、意味は「肉が生じる」という意味だ、だから本来は女性器をさす漢字ではない。それを江戸期の学者は女性器のヴァギナにあてたのだが、深読みすると意味深な言葉だ。(ワイの解釈だが)ヴァギナにペニスがおさまりインジェクションするとやがてヴァギナの奥の子宮から胎児、つまり「肉が生じる」から古来の意味とも重なる、なんちゅうすごい造語だ。

 そんな変遷もあり、今は一般の標準印字体ではが充てられる。

 いやぁ、これ淡々と学術的に論じているが、読み手からするとかなり原始的な情動を揺さぶられる事態となりゃすまいか。男子高校生にこんな文を読ますとどうだろう。ペニスを収める鞘が女性器「膣」の語源で、「腟」という文字もある。こんな言葉を聞いただけで股間がギンギンになったのがワイらの時代の高校生だった。辞書で膣で始まる言葉を調べ、「膣炎,膣外射精,膣痙攣,膣口,膣性交,膣前庭」などなど、目にするだけで大興奮して射精しかねん勢いだった。しかし今の高校生はどうやろ、スマホでそれ以上の写真動画を見ているかもしれん、いや中には身近に経験してみたのもおるかもしれん、こんな学術記事に興奮なんぞせんやろ、ちなみに興奮した高校生のワイも今やジジイ、股間のイチモツは溺死した子ネズミの死骸のようにピクリともせずぶら下がっとるだけやわ。

 いやぁワイからしたらおもっしょい文化面の記事やったわ。

2024年3月17日日曜日

春、歩き遍路をふたたび始める(10~6番、五ヶ所参り)

  去年の11月23日以来、寒さ、冬の到来もあって歩き遍路は一時中断していたが、暖かくなった昨日、今年になっての初めての歩き遍路を再開した。朝まだ少し寒さも残っていたが、昼を過ぎるころは、ぐんぐん気温も上昇しついに20℃近くまで上がった。

 歩いていることもあって汗だくになりそうな予感がしたので、スウェットシャツ、ジャンパァを脱いでアンダーシャツ一枚になりその上から遍路の白の浄衣を着た。夕方までそれで歩いたが、それでちょうどよいほどの熱さとなった。雲一つない晴天で、春分も近いためもあり太陽の日差しは思っていたよりキツイ。

 それに関し、私が頭につけている遍路装束の一つの「菅笠」は古臭い被り物のイメージがあるが、実際に歩き遍路をすると非常に合理的な被り物であることがわかる。菅笠は比較的大きな円錐形をしているため深くかぶると縁が顔の半分ほどに来る。そのためキツイ太陽光から顔ばかりか、太陽が中天に近い位置に来る真夏などは、全身を直射日光から覆ってくれる。また大きな菅笠であるので少々の雨でも全身が濡れることを防いでくれる。

 また菅笠の内部にある頭を固定するフレームは菅笠と頭の間に空間を作ってくれるため、頭が蒸れるのを防ぎ、頭部の汗も乾き易い。大昔から日本の風土と歴史によってはぐくまれてきたこのような身に着けるものは古いからと言って使わないのはもったいない。遍路装束のみに今は残っているが、作業用の笠として使えないものか。

 前置きが長くなったが、この日、出発したのはバスの終点、吉野川市「西麻植徳バス営業所前」、そして帰りの予定ではバスの始発駅・上板町「鍛冶屋原徳バス営業所前」、始発地を出たのが午前8時10分、そして終着地のバス営業所についたのが午後4時半だったので、全8時間余の所要時間であった。歩いた距離は概略計算で約20kmだった。

 体力もないし高齢ということもあって、アッチャコッチャで十分休みながらゆっくり歩いた。水分補給には気をつけよ、ということでポカリスェットのペットボトルを重いのに一本持参していた。なおも補給が必要な場合は、割高になるが途中の自販機で買う予定をしていたが、晴天で気温が上昇していたといってもまだ春であったし、シャツ一枚+白の半そで浄衣ということもあってか汗もそうかかず、水分の輸液は一本で間に合った。もっとも嗜好で途中コーヒーや甘いジュースは飲んだが。

 西麻植からそこに見えている吉野川堤防の上に出て北へ眼をむけると一面に広がる日本最大の川中島「善入寺島」が一望に見渡せる。本当にひろい、端が見渡せないほどである。この善入寺島を横断するには(川中島でから当然であるが)橋を二本渡らねばならない。橋梁土木からするとかなり珍しい「沈下橋」の、(地元ではこう呼ぶ)「潜水橋」を渡る。

 まず川島潜水橋を渡る、遍路キャンペィンポスターでは多用されるシュチュェイションである。車は対向できない


 善入寺島に入るがともかく広大である、歩き、歩き、また歩くが川中島から出るもう一本の橋にたどり着けない、「どんだけ広いんじゃ、ええかげんに終わらんかい、今日中にいねんぞ!」などと一人言いながら歩くが、眺めは素晴らしい、鋤き返した広い畑地、菜の花畑や、遠くには麻植の霊峰「高越山」が見えている。


  広いはずである、大正時代、洪水被害防止や遊水地確保のため、この善入寺島住民全員を、お上は退去させが、その時この川中島にはなんと全島3ヶ村もあった。なんぼぅ公共のためとはいいながらずいぶん強権的な執行であった。

 実は、この善入寺島、私にはある思い入れがあるのである。その旧3ヶ村の一つ粟島村には江戸時代以降、この大正初めまで私の祖先(具体的には曾祖父、曾祖母の一家)がすんでいたのである、私が社会人になるまで生きていた祖父は曾祖母と一緒に子供時代をこの善入寺島・粟島村で暮らしていた。祖父が、時々、懐かしむような表情で、その話をした。大学生になっていた私も、祖父の子供時代の牧歌的な善入寺島での思い出話を聞いた。その時は(また年寄り特有の大昔の話じゃ)と真剣に聞かなかった。

 しかし私自身、人生の黄昏をむかえ、未来に向けて一家の歴史を語り、それを託す子孫もないいま、過去の一家の話、いわば家の歴史のみが私のアイデンティティの拠り所になるのじゃないかと考えるようになった。しかし今更遅い、なんしに、あの、祖父が懐かしげぇに語った、善入寺島・粟島村での在りし日の話を真剣に聞き、できればメモでもしておかなかったのか、悔やまれるが仕方ない。ウロ聞きの、おぼろで断片的な、薄っすらとした記憶のみが、悔悟、もどかしさ、呼んでも帰らぬ、こうあって欲しかった過去に対する焼け付くような切望をともなって存在する。

 そんなことを考えながら善入寺島の道を歩いていると、こんな古い石柱が路傍にあるのを見た。


 手前の古い石柱は、明治期の境界乃至地名の石柱の一種であると思われる。「これより東、二条通、源田浜(の)道」と読める、時代から言って子供時代の祖父、そして曾祖父母は村の道でこれを見つつ道路を行き来していたのだろう。

 そしてこの地一帯は一斉退去まで「法幢寺」があった跡らしい、新しい石柱には「法幢寺跡」と書いてある。曾祖父母はこの寺とかかわりがあったのだろうか、わからない。時は容赦なく過ぎ去ってゆき、人は死に、残された人の記憶もやがて忘却で薄れ、しまいには確実に消去される、唯一残されるのは記憶を書いた歴史文書である。古老の話とバカにせず、記録を残すことの大切さを思う。

 それから北路(キタジ・吉野川北岸をいう地元の呼び方)に上がり、なおも歩く、10番はんの切幡寺は阿讃山脈の中腹にある、なんと、ついたのは正午、まだ一ちょも寺をお参りしてないのにずいぶん時間が過ぎた。

 10番切幡寺本堂、上には多宝塔もある。


 山の中腹にあるため階段や坂が多い。ジジイにはのぼりがキツイ。石段だけでも333段もある。石段手前の山門の横の桜は満開であった。


 形式通りの参拝のあと寺境内ベンチでたっぷりくつろいだためここを出たのが午後一時ころになった。こんなんで6番さんまで回れるやろか、心配になる。しかしここからはほぼ平坦な道で次の9番はん、法輪寺まではわりと近い。下は9番法輪寺


 この山門前の無人販売所で一袋100円の温州ミカンを買い、またまたベンチでくつろぎミカンで水分補給と糖分を摂る。販売所の横に遍路道と各寺の案内標識をかいた大昔の石柱が立っていた。大昔(江戸期)の人は(当時のヨーロッパと比べても)文盲は少なかったが、それでも漢字は苦手でひらがなしか読めない人が多かった。しかしひらがなと言っても、当時は、この石柱を見てもわかるように「変体仮名」である。現代人には漢字より難しいようで、アベックの二人がこの前で立ち止まり彼氏の方が、読もうとしたが、わからんわぁ、と言っていた。

 私はおかげで73歳まで生かしてもらい、古い石柱を目にする機会も多いので読める。歳ぃいって誇れることはこれくらいか(くまたにじ、の「ま」と「た」が難しい、「ま」は「満」のくずし変体仮名、「た」は「多」のくずし変体仮名である。ちなみに距離も書いてある、これには(きりはたじ、の下)二十五丁と書いてあるが、尺貫法とメートル法の偶然の一致か分かりやすい、丁は今の単位で大体100mびゃぁである。2.5km強である


 そこから8番熊谷寺へ向かう、山門は由緒ある17世紀創建、白モクレンと山門が絵になる。


 もうここから出たあたりから足ぃやぁくたぶれるわ、体がなんとなくセコぅなるわで、あれこれ甘い感傷や思い出に浸る余裕はなく、ただ、はよつけ、はよつけ、とひたすら黙々と足で距離を稼ぐのみとなる。よほど7番の十楽寺はんはパスしようかなと思うたが、いやいやこれが修行じゃと思い、作法通り参拝する。

 十楽寺全景、横の白い建物は宿坊(寺経営のホテル)のようだ


 四時過ぎてようやく最後の6番はん安楽寺につき、参拝する


 思い出したことがある、若かったころ、この寺はたしかユースホステルやってた。そこで何かわすれたが若者の会合が開かれ(泊りはなかったが)ワイも参加したことがある。本堂右奥に昔はそのユースがあった。


 参拝し終わって時計を見ると、アイヤァ~!四時二十分、鍛冶屋原停留所のバス出発時刻が4時39分、間に合うか知らん?

 幸いなことにこの寺は鍛冶屋原の町に近いので何とか間に合った。あぁぁ~~~~、しんど

2024年3月15日金曜日

駅じまい

  昨日、お彼岸も近いので墓を掃除して新しい花(樒)をあげてきた。明後日の彼岸の入りは再び訪れて正式に香華をささげお祈りしようと思っている。この墓も私がなくなれば参る人はいなくなる。当然管理もできずいずれは無縁墓として整理の対象となるだろう。ふと「墓じまい」という言葉が思い浮かぶ。しかし墓じまいするにもそれなりの手続き、また永代供養をするなら宗教施設に頼まねばならない、また宗教施設が嫌でも、遺骨はどうにかしなければならず、遺骨を保存してくれるところが必要である(勝手に遺棄できないよう法律がある)。それにも相当の金がかかる。

 ネットで「一番安い墓じまい費用」と検索すると金額が出てくる。それによると30万~300万とある。最低の30万は墓の撤去費用のみくらいで、遺骨をどうにかする費用は入ってないのでそれを入れると50万以上はどうしてもかかるようである。同じくネットで一番安い直葬費用は?と検索すると、いま各葬儀社から格安の直葬費用が広告されている。6万5千円とある。なんと墓じまいの費用より、私の直葬の方が安い。考えると直葬は私一人だが、永代供養は先祖幾人もが累積しているからやはり高くなるであろうかな。

 墓じまいというような考えは浮かぶが、今の私にそんな墓じまいを実行しようという気力もないし、第一そんな高額の金もない。下世話でいうように「死んだ後のことはしらん~、どうとでもしてくれ、焼いて粉にして屁で飛ばそうともご随意にぃ~」と開き直りたくなる。いったいどないすりゃええんぞい。

 その「〇〇しまい」という関連でいうと今日、JR四国の徳島県内の6つの駅の「駅じまい」があった。板野駅、勝瑞駅、佐古駅、南小松島駅、羽ノ浦駅、石井駅である。どの駅も100年以上あるいはそれに近い歴史を持つ古い駅である。駅そのものは存続するが、明日からは完全な無人駅となるのである。駅員さんがいなくなるのである。6駅の中で私がなじみ深いのは石井駅である。最近まで(バス定期にするまで)JRの定期をこの石井駅の駅員さんから買っていた。また我が家のある駅ではないが、用事や友人と会うのにこの駅でよく乗り降りした。女性の駅員さんとは当然顔なじみとなり、駅で待つ間、いろいろな世間話もした。

 鉄道路線が廃止になるわけでもないし、また無人駅になっても駅が存続するのだから、なにも完全な「しまい」になるわけではないからいいではないかとも思われようが、この歳までいろいろな「しまい」を見てきたし、また我が人生の「しまい」がそこに見えてきたいま、このような「駅じまい」を見なければならないのはつらくなる。

 今日は石井駅まで列車で行った。駅員さんに一言、「お世話になりました」と言いたくなったためである。大勢の高校生の通学者が降りる一番最後から降り、改札口を最後に出ながら駅員さんに御挨拶すると、もう何人もの人から惜別の言葉をかけられていたようで、丁寧にあいさつを返してくれた。中には花を贈ってくれた人もいたようで、このようにいただいたんですよ、といって改札口の横に飾ってあった。最後に深く礼をして改札口を出たが、駅員さんの目が潤んでいたようにみえた。

 断って今日を最後の駅業務を撮らせていただいた。駅業務も明日からは見られなくなる。


 駅舎もやがては壊されて(管理する人がいなくなるから)バスの停留所のような簡易な建物になるのだろうな。

 13年前、(桃山日記の)ブログ(2011.3.4)に張り付けるのに、「愛の終着駅」BGMの動画を作った。画質は良くないが、駅じまいの今日、その歌を聞きたくなったので再度張り付けておきます。(撮影場所は小松島の赤石駅そして弁天島にかけて、春まだ浅い寒い日だった、当時は昔からの駅舎もあったが、今はバス停留所のような味気ない建物がポツンとあるだけである

2024年3月12日火曜日

アカデミィ賞について

  昨日から今日にかけてのニュースについて、ま、前日が3月11日ということもあって一面やトップニュスは「13年目を迎えた東日本大震災」に座を譲ったが、実質トップニュス扱いは、日本の映画が二本もアカデミィ賞を受賞して、目出度いなぁ、ちゅうことであった。


 喜ばしいことだが、素人のワイは気になることがある。アカデミィ賞の分野部門別の各受賞がゴチャゴチャとたくさんあることである。二本のうち「ゴジラー1.0」視覚効果賞たらいうやつ、アニメの「君たちはどう生きるか」というのは長編アニメ賞たらいうやつである。ワイは昭和前期に育ったためか頭のなかで、競争=賞、っちゅう結びつきが強い。なんぞっちゅうたら、どれが一番ぞいなぁ、その次は・・・と考えてしまう。

 だから今回日本の二作品がとった賞もそれに結びつけてしまう。「それって最高峰の賞か?それとも次点か?」と、そこでネットではどないいよんぞいなぁ、とみると、それぞれ映画のプロが評価し、また投票もし、各分野でもっとも人気のあったものを受賞と決めるので、ワイが考えるような、総合的に順番に順位をつけるように、これが一番、これがゲトっちゅうのはない。総合的判断からの第一位っちゅうのを決めてもよい気がするが、ともかく各分野で賞を決めるので、「今年ノミネトされた映画でこれぞ最高峰の映画!」ちゅうようなものはないらしい。


 そうはいってもハリウッドのアカデミィ賞でもっとももてはやされる作品の賞はある、まさにその名も「作品賞」を受賞したものであるようだ。また俳優個人としては「主演男優賞」「主演女優賞」も賞の中では大変価値がある。ことしの作品賞は次回ワイが見に行こうと思っている「オッペンハイマァ」他にも別分野で各7部門の賞もとった)であった。3月29日からこの徳島で公開予定じゃが、核科学物理学者の生涯を描いた作品で、どちらかというと地味なかんじがする。これじゃあんまし人気はでまい、もしかすると数週間でシネコンから引き上げかと思うとったが、アカデミィ賞をとったため、映画のミィハァがようけ見に行くかもしれん。ま、これを見て核兵器に関しての知見が広がるならエエこっちゃ。

2024年3月10日日曜日

岩脇香風公園

  羽ノ浦の岩脇へ友人とドライブに行った。朝はずいぶん冷えたが日中は雲一つない晴天となり、春らしい陽気となった。岩脇の香風公園は高台にあり、阿南市が一望できる。遠くには紀伊水道も見える。


 また今の季節の花として早咲きの桜(蜂須賀桜)と水仙が見られる。