2011年9月30日金曜日

歩きながら四字熟語について考えた

 早朝曇っていたがしばらくすると晴れてきたので、久しぶりに蔵本で降りて田宮川沿いを歩いた。盛夏の間は、じりじりと気温が上がり始める朝に、夏でかなり高くなった朝日を正面から浴びるのは、正直嫌なのでずっと散策は遠慮していた。

 通学時間帯だったのでKG高校の生徒と第一踏切まで並んで歩いた。この高校は男子が多いようで女子はほとんど見ない。我が町を含め県西部から通学するこのKG高校の生徒は列車の中でもお行儀よく真面目な感じの生徒が多いが、本を開けて勉強しているのはあまり見たことがない。
 でも今日は私の隣に座った男子生徒は国語だろうか、本の間に挟んだ漢字がたくさん書かれてあるプリントを一生懸命勉強していた。

 第一踏切でこの生徒たちとわかれて川沿いに歩き出したが、さっき見た生徒・学生たちの漢字の勉強について考えてみた。教育問題って小難しいように見えて結構歩きながら考えられるんだよね。それだけ身近なのかなあ。

 ある大学の先生が書いた本に、最近は大学生でも漢字を知らなくて困るとあった。誤字脱字は当たり前、四字熟語になればもう何をかいわんや、ちんぷんかんぷんの状態だそうである。

 「ほんまかいなぁ」

 と思うのだが次の話などを聞くと真実なのだろうと思う。

 『空前絶後の意味を問うたそうである。すると、「午前中空腹で午後から気絶すること」とあったそうである。なにか切迫感のある意味と思っていたのだろうか』

 『また、虫食い問題で「〇肉〇食」を問うたそうである。先生は当然「弱肉強食」と答えてくれると思っていたら、「焼肉定食」という答えがたくさんあったそうである。」

 しかし、若者を笑えない。四字熟語の難しさ、そして知らなさ、は私も同じである。「空前絶後」「弱肉強食」は知っていたが、知らない四字熟語も多い。若者と五十歩百歩であろう。
 というのもつい数日前の新聞に琴奨菊の大関昇進の誓いの言葉が載っていた。その中で彼は「万理一空」という熟語を使っていたのであるが、読んでもなんのことやらさっぱりわからなかった。

 解説があり、それを読んで、納得しようとしたがどうにも納得できない。出典は宮本武蔵の「五輪の書」であり、その中の
 
  『万理一空の所、書きあらわしがたく候へば、おのずから御工夫なさるべきものなり』

 からきているとあった。
 これを読んだときこの意味を一義的に知ることはあきらめた。結局、武蔵はこういっているのである。

 「万理一空、を解説したいのだが言葉で書くことは難しいので、みんながそれぞれに考えて理解し、実践してくださいね。」

 原典がこれであるから、後世の我らは推測で知るしかない。人によってあれこれと違い、あいまいになるのはやむを得ない。
 このような熟語を大関昇進の時の誓いの言葉に使ったことに対する私の感想は

 「よくまあ、こんな、わかりにくい、難しい四字熟語を使ったもんだ。あきれた。」

 が印象である。

 使った当の本人が

 『いろいろな意味に取れるが、自分としては目指す先は一つであり、目標を見失わずに努力すること(の大切さ)を考えた。稽古の先に光がある。メンタルを強くし、努力と心が交わったところに大関があったとの意味です』

 といっている。万理一空とした必然性は何もない。あえて超難しい「四字熟語」を持ってきて、世の話題をさらうという意図があったのではないかと勘繰ってしまう。東大の試験官が出すならわかる気もするがお相撲さんがこんな超難解な四字熟語を使うのはどうかと思う。
 いつも地位昇進の折にお相撲さんは四字熟語を使うが、今回のこれは「やりすぎ」である。

 いくつかの新聞を読み比べて見ても各新聞の解説も推測の域を出ない。なかには「万里一空」としたものもあり、意味もばらばら。

 その中の一つに
 「どんなに遥か遠くまでいっても、空は一つしかない。つまり全てのものは一つの世界に留まっている事。」

 そして別の解説では
 「万(よろず)の理は空に帰すると言うことにより、具体的な術理の奥にさらなる深みがあること」

 この相違は大きすぎるぞ!上記の第一の「空」はsky、青空の「空」である。次の「空」は仏教思想の色即是空の「空」に近い意味となる。

 「そら(空)おかしいわ!」

 それも武蔵さんが「各人、ご随意に解釈し実践してください」といっているのであるから仕方ない。ただ私の予想としては、『万理一空』の「理」は朱子学でいう「理」。「空」は仏教思想の「空」に近いと思う。
 なぜそう思うか、じゃあ、説明してみろと言われれば困る。

 などと考えながら歩いていると佐古駅に近い田宮川鉄橋が見えてきた。もうこの辺で歩きながら考えるのはやめることにした。

しばらく歩かなかったが遊歩道が隠れるくらい雑草が生い茂っている。



可憐な花、ツユクサが咲いていた。
 
 
 
 
 
 

近くには木槿の花も咲いていた。

今日が最終日、さようならジョージ君

 いよいよ今日が最後となりましたね。今日まで狸ブログで楽しませてくれてありがとう。
 明日からは何を頼りに生きて行こうと子ダヌキのポンタ、ボンタ、ホンタと涙にくれております。

 今までの感謝とこれからのジョージ君の活躍を応援するため今日はブログ上で「送別会」を開きました。ご覧ください。

 そしてささやかではありますがジョージ君にジャズのスタンダードナンバーから
 『わが心のジョージや!』(我が心のジョージア)
 を送りたいと思います。

 今日までお疲れ様でした。

空と海


 ここ一週間以上、体調も良くなく気分もふさぎ込みがちであった。こういう時は体力も気力も落ちているもので気分転換しようにもその体力気力もないので、外へ出るのはおっくうになり、悪循環に陥りかねない。

 そこで昨日は思い切って、自転車で(佐古の駐輪場からだが)ちょっと遠乗りに出かけた。

 効果はあった。県庁手前の川沿いを福島から沖の洲に向かったが、気持ちよく、気分は段々ハイになる。

 沖の洲海岸を北上し、いつものように吉野川河口へ、
 満潮時で一面の海水でいつも見えている砂嘴、潟は全く見えない。

 吹く風が気持ちよく、胸いっぱいに深呼吸する。
 心身ともに健康になった気分になる。

 「若い時は、いつもこんな状態だったんだなぁ」

 護岸にしゃがみこみ無心になって空と海を眺める。
 このまま空と海と自分が一体化すればいいだろうなと思う。
 死ぬこととはそういうことだと思うと死も怖くない気がする。

 弘法大師「空海」もこのように空と海を眺め、思うところあって自分の名前に空と海を入れたと、どこかで聞いたことがある。

 いい気分転換になった。

 そして今朝、朝から今度は持病の腰痛である。案の定天気は悪い(雨の前は痛くなる)。昨日のように気分のよいサイクリングは今日はできまいと思う。

2011年9月28日水曜日

星空

 今日は旧暦の2日、夜空には月も出ていないため星空を見上げ、あれこれと観察するのによいはずなのであるが、それは昔の話。今は月明りより人工照明の方が明るく、都会の中心部では夜空でも下界のまぶしい灯りを映してぼんやり明るい。一等星でもほとんど見えないといわれる。

 しかし、私の住む田舎町は都会ほど人工照明は明るくなく、市街地から少し南にいった四国山地のふもと辺りでは人家が少なく星空の観察にはよい。
 DVD屋さんに自転車で夜、返却に行くついでに町の南の方の暗い地域をまわってみた。
 今日は薄い雲が覆っているみたいで夜空に星はあまり見えない。

 星空を見上げるのは久しぶりである。一番よく星空を観察したのは大学生の時である。大学生の時は深夜放送を聞いたり読書をしたりしていつも2時、3時まで起きているのは当たり前、よく徹夜もした。そのころは若くて気力も充実していたのであろう、深夜であっても部屋に閉じこもっていると気鬱な気分になった。
 そんな時は家の横の空き地に出て星空を観察した。どこで手に入れたのか忘れたが「星座盤」を持ち、星を観察しながら星の名前、星座を確認した。その時に星の名前や星座、そのいわれなどをおぼえた。この時代覚えたことは今もだいたい覚えている。記憶の歩留まりの良かった年齢であった。

 大学生活は4年も続いたので、その間に深夜の星の観察もそれぞれに春夏秋冬続いた。観察といっても望遠鏡なんかではなく肉眼であった。当時はコンタクトレンズをしていたので視力は1,5以上あり不都合はなかった。

 40年も昔の深夜だから天気がよければそれこそ「降るような星空」であった。

 秋の夜空の観察もよ~く覚えている。大昔の秋の夜空の観察の一夜をなぜ鮮明に覚えていたのか?
 それは自分の生まれた星座を夜空で初めて確認した秋の一夜であったからである。
 ご存じのように秋の星座は明るい星も少なく、地味で四季の夜空の中では一番さびしい感じがする。目立つ星も少ないため夜空で自分の「うお座」を見つけるのは難しかった。

 手掛かりはペガサスの四辺形であるがこれも2、3等星であるので夏の大三角形みたいにすぐには見つからなかった。
 でも何とか四辺形が確認できたときはうれしさがこみ上げてきた。

 「さてと!その外周に、うお座が鎮座するのだか・・・・」

 うお座の星座の形を確認するのはペガサスの四辺形よりもっと難しかった。星座盤で確認してあったのだがこの「うお座」、二匹の魚が尻尾のところで紐で結わえられた形をしている。一匹の鯉のような形のイメージが先行していたが大きく違っていた。

 それでも弱々しい星々をつなげて何とかうお座を確認した。

 最初にわかりにくいうお座を確認したのがよかったのか、後はうお座ほどは確認が難しくなく、北天から中天に展開する「エチオピア王家の星座群」なんかはすぐに見つかった。

 秋の夜空を観察していると遠くからゴーッという水音が微かに聞こえてくる。静かで澄んだ大気のおかげで遠くの吉野川の堰の水音が聞こえるのである。
 ちょうど秋の星座の「水瓶座」を観察していた時であった。その遠くから響く水音を聞いていると、当時読んでいた詩集の句が口をついて出てきた

 『さんさんとしてこぼれちる宝瓶宮(水瓶座)の水の音・・・・・』

 もう今はそこまでしか思い出さないが、ネットで調べると全文が載っていた。

 ≪水瓶座≫


さんさんとしてこぼれ散る
宝瓶宮の水の音
秋澄む空の大いなる
胸を洗いて清きかな  

林を出でてたもとふる
心も白き良き夜に
アクイラの星(わし座)も傾きて
ささやく声のほのかなる

             ― 竹友藻風
 
 下は秋の星座とエチオピア王家の星座のリンクです
  http://yumis.net/space/star/fall1.htm
  http://www.zero-co.com/seiza/guide/ethiopia.html

2011年9月27日火曜日

やってきましたドサ回り劇団

 今日27日は御所の郷温泉劇場でドサ回り一座の歌謡・寸劇ショーがある。こういうお芝居は大好きなのでずっと前からこの日を楽しみにしていた。入湯料600円でショーも見られるのがありがたい。

 ところが3日前に軽四が廃車決定の故障を起こしてしまった。一度は友人の助けで何とか動かせて我が家の庭まで引き上げたが、今日、乗ることはもうできない。
 御所の郷温泉は阿讃の麓にあり我が家からはかなりの距離がある。時々、夜ここへ行っていたがもちろん車である。

 「ああ、行く足がない!」

 しかし、幸いなことに今日のショーは午後1時から3時までである。何とか見たい私は明るいうちに帰れるということで自転車で行くことにした。

 家を出発したのは午前11時ちょうど、我が家からは香川へ抜けるトンネルの方向を目指す。吉野川を渡り、延々と続く国道318号線を北上するわけである。多少遠い距離はどうということはないのだが、自転車で走っていてわかったが、吉野川を渡って阿讃の麓まではずっとつづく登りこう配なのである。
 これは思わぬ誤算で、キツイし、時間もかかった。車で走っていると登りこう配などはまったく意識しないが自転車では思い知らされた。

 吉野川北岸は阿讃山脈から流れる中小河川が作る扇状地から成り立っている。そのため吉野川を渡ると阿讃の麓まで緩い登りこう配の土地となるのである。

 ようやく中間あたりまで来た。阿讃山脈の方を見るがまだまだ温泉は見えてこない。
 さらにチャカチャンリンと漕ぎ続けようやく温泉が見えてきた。山脈の切れ目の下、長く見える屋根が目的地御所の郷温泉。ツユクサと曼珠沙華を通して写真に撮る。
 時計を見ると11時45分になっていた。家から休まず漕いで45分かかった。
 開演は1時からなので先に入浴する。

 演目は20以上ありましたがその中から、「歌謡・踊り」「寸劇」「プロの演歌歌手が歌う恋椿」の3つを録画しムウビメエカで編集しました。ご覧ください。



 この動画の最後に歌っているプロの演歌歌手、ちょっと気に入ったので写真も撮りました。ハイヒールりんごももこの片一方に似てる。
 今までの持ち歌は『鳴門わかめ舟』!なんちゅう歌か!ご当地ソングと思うがこんな曲の名前では売れまい。ようやく今日歌った『恋椿』が本格演歌。  
 どこのレコード会社か知らないが扱いがひどいんでないかい!私が気に入りというのに。

 マネージャーとして一緒に全国の温泉劇場を流して歩きたいなと寝ぼけたことを思いました。

  それからもう一つ悲哀を感じることがありました。風呂から出て(鴉の行水で短い)開幕まで時間があるのでスポーツ紙を見ていたら女優2人が写真に写っていました。
 一人は吉永小百合、60歳をとうの昔に過ぎても、眼鏡をかけていても、さすが美しいですが、隣の人、キャプションを見てびっくり仰天、椅子から転げ落ちそうになりました。

 「和泉雅子じゃ!」

 大昔、『絶唱』という映画で楚々としたこの上ない美人だったのに・・・絶唱ならぬ絶句。

パロディー日本昔はなし

花咲か爺
 悪いやま爺さんはポチを連れて宝物を探そうとします。
 しかし、ポチはなかなか「ここ掘れ、ワンワン」といいません。
 怒ったやま爺さんはポチの尻尾を握りブン回しします。
 その時、ポチがいった決めぜりふ!

2011年9月26日月曜日

バッハと秋の詩(うた)

 拙い私のブログを読んでくださっている人に捧げます。

 秋にはバッハが似合うとある人が言いましたが、確かにそう思います。

 この小作品、秋の深まった音楽室で弾いたことがあります。枯葉散る窓辺、もの悲しい秋の夕暮、という心象風景を思い浮かべながら奏でました。
 お聴きください。

湯けむり旅情その2 恐山追加写真

 よんべ、大昔に行った恐山の写真がないか、バラで雑然とした写真箱の中から探したら、ようやく一枚が見つかりました。

 左は恐山の横にある「宇曽利湖」、角柱の文字がかろうじて読める。太鼓橋の上に立つのは私。前回の温泉イメージ写真の私はずいぶん太っているがこの時とは違ううんと若い時の合成。

 このカラー、当時「百年プリント」と言われた割高現像だったが、さすが他のカラーに比べ色褪せしていない。

2011年9月25日日曜日

よいこの科学ならぬよい爺の科学その1 光速度不変の原理は破られたのか

 昨日の新聞ニュースの科学欄を見たら注目すべきニュースが載っていた。ウィキにその要約が掲載されていたので引用させてもらう。

 『光速より速い実験結果
 2011年9月23日CERNで特殊相対性理論に反し光速より速いという実験結果が発表された。「国際研究実験OPERA 」のチームが、人工ニュートリノ1万6000個を、ジュネーブのCERNから約730km離れたイタリアのグランサッソ国立研究所に飛ばしたところ、2.43ミリ秒後に到着し、光速より60ナノ秒(1億分の6秒、ナノは10億分の1)速いことが計測された。1万5000回の実験ほとんどで同じ結果が示された。これは環境の影響や考え得る測定誤差をはるかに超える値である。鈴木洋一郎東大教授は、「1987年小柴昌俊先生が観測したときは光とほぼ同時に観測したので、その結果と矛盾する」という。未知の性質の発見を表しているかどうか注目されている。2007年に米国で同様の結果が発表されているが、誤差が多かったという。OPERAチームは声明の中で「この結果が科学全般に与える潜在的な衝撃の大きさから、拙速な結論や物理的解釈をするべきではない」とし、検証を呼びかけた。また、日本がスーパーカミオカンデで人工ニュートリノ飛行実験をしていることから、日本の実験結果も注目されている。

 ようするに「ニュートリノ(素粒子、昔は中性微子と呼んだ)の速度が光速よりわずかながらも早いという実験結果が得られた。」という話である。

 「あそう、ずいぶん早いものを作り出し飛ばしたんだね。」

 という印象で終わってしまいそうだが、これは実は大変なことなのである。
 
 私が中学生の時にG・ガモフ著「不思議の国のトムキンス」というジュニア向けの相対性理論・量子力学の解説書を読んだ。非常に面白い「読み本」形式の本で友人からシリーズものの一冊として借りたが、内容に引き込まれ、友人に頼んで次々と貸してもらい徹夜して読んだ記憶がある。

 ジュニア向け科学啓蒙の本だから別に徹夜しなくてもさらりと読める本なのであるが、他の分野のジュニア科学本と違い相対性理論や量子力学を扱ったこの本は中学生にとって非常識な話がてんこ盛りで、理解し頭に入れようとするとページが前に進まないのである。
 もちろん最も常識が通用しないのは相対性理論の中の「速度によって時間の進み方が違う」というものであったが、一番理解に苦しんだのはそこではない。「時間の遅速」は別のもっとも根本的なある原理から導かれるものであり、私にとってはその根本原理の方の理解が重要であり、中学生の頭で理解しようと苦しんだのである。
 その原理は『真空中の光速度不変の原理』である。平たく言うといかようにしても光速をこえる速度を出せるモノはあり得ないということである。

 光速度不変の原理を認めるならば中学生でもわかる数学的思考により次の式が導かれるこれについては次回のテーマとします)

 次の式である。

静止している観測者の時間の刻み幅をΔt とする。運動体の時間の刻み Δt'

vは速度、cは光速度、
 

 もし速度vが光速に近づけばルートの中は限りなく0に近づく、光速と同じ速さになると左辺のΔt'は0、つまり運動体の中の時間は完全に静止することになる。
 また光速を少しでも超えたらΔt'はマイナス(二乗すれば。この式だと虚数になる)になる。つまり時間は逆に流れるか、少なくともあり得ぬ時間の流れになる。

 しかし光速度不変の原理があるため、光速以上にはならず、したがって「時間」が静止することもなければ逆に流れることもないのである。

 ところが昨日のニュースではわずかながら光速を超えたという。たとえわずかでも上記の式はマイナスとなり時間が逆に流れる。
 そんなことがあり得るならば、先日のブログで取り上げた「ワームホール」を利用しなくても過去にさかのぼる「タイムマシン」もできてしまうのである。

 「ホンマに光速を超えられたんかいなぁ?」・・・・・・疑問じゃ!

 次回もつづきを取り上げます。

湯けむり旅情 その2 秘湯の旅

 今日紹介するのは「桜の湯」温泉、なぜ秘湯かというと、地図やネットで探しても見つからないのである。もう数十年も昔に入った温泉宿だから潰れてしまったのかもしれない。
 場所もだいたいは思い出すが正確にはわからない。青森・下北の「恐山」を見ての帰りだった。平地に下りるまでの恐山道路の道沿いのどこかである。

 夏の旅行シーズン中、おとこ2人の車の旅で北海道を観光した帰りであった。函館から最短距離の本州行フェリーは青森・下北の大間に着く(2時間弱)。
 帰り、東北も見ようということでまず最初は大間からも近い恐山にした。
 恐山は火山性の噴出物が作った地形で今もガスや熱湯が湧き出ている。風景はまるで地獄や賽の河原のような岩場の荒涼としたところである。宇曽利湖という火山性の湖もある。
 おとこ2人のきままな車の旅で泊まるところも行き当たりばったり、飛び込みで泊まったのが恐山から下山する途中の温泉民宿であった。
 民宿の別棟にある温泉の裏は恐山のような風景で、ところどころ硫黄がこびりついた白茶けた岩場である。そこから突き出たボーリングの汲み上げ装置から直接こちらの温泉まで樋が通って湯を注ぎこんでいる。まぎれもない「かけ流し」である
 下はイメージ図、実際の恐山の写真との合成です。
 さて、この温泉の「桜の湯」の名前である。いったいどうしてこんな花の名前なんだろ、温泉に入るまでは疑問であった。
 そして温泉の説明書きと、風呂上がりの自分の体を見て納得。体が一面発赤したようになっている。風呂でほてった為とは少し違う色で、赤の色合いが濃いような気がする。
 日に焼けていない腹とか腰の色を見て

 「なるほど、桜色と云えないこともない。これで桜の湯というのか。」

 説明によれば、泉質は酸性度が高くて皮膚がこのように赤くなるとのことである。さらに10分以上は入らないように注意してあった。

 いままでいろいろな温泉に入ったが、湯上りで体が桜色になるから「桜の湯」のネーミングは初めてだったので、今でも強烈に印象に残っている。

 老人夫婦がやっているちいさな温泉民宿だから今はもうなくなったのかもしれない。ブログに書くためいくら探しても見つからない。もし、今も存在すればまさに「秘湯」であろう。

早朝、持病で病院のお世話になる

 いつ起こるかわからない発作的症状は厄介である。でもこの間の大水の時でなくてほんとによかった。あの時は午前中閉じ込められてから、もし起これば大変だったろうと思う。

 今日は安静にしています。
 

2011年9月24日土曜日

JM同期の飲み会

 みんなと一緒に訓練を受けてもう一年がたとうとしている。たった三か月の間だったが、思い出すと懐かしい。
 旧懐を胸にいつまでも抱くのは自分がまだ無職だからなのか、良き思い出を反芻する年寄りになったためか。

 秋分の日、同期の仲間が集まる飲み会があった。行く前に去年の今ごろ撮影したみんなの集合写真をみた。
 たった一年なのに古い卒業アルバムの中の写真をみるようだ。
 全部で17名、今日の飲み会には10人、先生2人が参加した。
 訓練終了後飲み会も何回か回を重ねているが、まだ半数以上参加している。
 秋分の夜、たのしい飲み会のひと時をすごした。

2011年9月23日金曜日

我が家の土質学的考察

 まず、次のビデオをご覧ください。

 水が噴き出ています。我が家の辺りは昔は江川の湧水地帯、それを埋め立て宅地造成したものですが、地下水位はかなり高く、ボーリングすればすぐに地下水に行き当たります。

 記録的な大雨で地下水圧と地下水位が上昇し、我が家の土台より高くなりました。それでこのように水が噴き出てきたのです。
 次に図解しました。
 このような「土質」は地震が来ると強い揺れでなくても真っ先に「液状化」します。
 ということは、間違いなく次のようになる。

2011年9月22日木曜日

久しぶりにJメイトに行く

 今日のブログも昨日に引き続き「大雨・出水」にしようかと考えていましたが、作ったブログをふりかえるとこのテーマでたった一日で、なななんと!7つも同じテーマで作ってアップしている。あんまり続くとうんざりするので(書く方も読む方も)今日はJメイトにお勉強に行ったことをとりあげます。

 と、ここでチュウハイをトクトクとグラスに注ぎ飲み始める。(明日の飲み会の免疫を作るため。ホントにわたしはアルに弱いからね。つまみはかっぱえびせんとナッツ入りチーズ)

 最近、ブログにイラストをよく入れるようになった。といっても「としちゃん」のように自分でオリジナルな絵を描くわけではない。お絵かきツールでの「糊とハサミ」である。
 独創性もないし感心できる絵でもないのだが、自分では面白くてよく作っている。

 ところがこのイラストに文字を入れたり、吹き出しを作って活字を入れる方法がよくわからない。

 で、K先生にお聞きしようと思ってJメイトに行った。昼前でまだ授業中だった。ちょうどそこにいたM先生にも教えてもらったがPCが使えなかったので空くまで待つことになった。
 その間、Jメイトのテキスト売り場でPC本を立ち読みしてた。そこに「ぞのさん」が通りかかったのでまた無理をお願いした。PCもその時空いていたのでぞのさんに教えてもらい見ながらのお勉強になった。

 それのお勉強の成果です。以前、吹き出しの文字を入れたくても入れられなかったイラストに吹き出しを入れました。

 まず、「お絵かきツールのペイント」のみを使い吹き出しをいれた。
 これは簡単だが複雑な操作ができない。
 下がそれである。
 
 次はワードを開いてイラスト、図形を貼り付けるものでこれは手順は少し煩わしいが、様々な複雑な図形、吹き出しの形や方向を自由に変えられる。
 下がそれである。
 今日は、ぞのさん、Mさん、お忙しい中お教えくださってありがとうございました。

2011年9月21日水曜日

水が引いていく

 水が引いている。雨も止んだし、このままよくなることを期待している。
 長靴で濡れずに大通りへ出られるようになった。この様子だと昼ごろには道路面が顔を出すだろう。
 一安心だ。
 近くの水際公園まで行った。ボードの観泉台が水没している。
 カモは屈託なくうれしそうに泳いでいた。
 これで今回の我が家の出水の実況報告を終わります。

外へ出て見た

 雨が小止みになったので庭から外へ出て見た。

八大龍王雨降らすの図

 また雨足が強くなった。
 鎌倉時代、源実朝は次のような和歌を捧げ祈ったそうである。

 時によりすぐれば民のなげきなり 八大龍王雨やめたまへ

 同じ願いとして天に届いてほしい

午前6時過ぎ

 我が家の二階から撮影する。道路も川も一体化して流れている。
 水位は昨夜から上がっていない。というかよく見たら(ガードレールをみると)少し下がったような気がする。雨も小降りになったようだ。
 しかし、喜べない。この江川は地下水脈が水源のため時間差で増水するからだ。まだまだどうなるかわからない。

午前0時45分

 さっきより水位が上がっている

一心に祈念する

 雨乞いの祈祷は有名であるが、降りすぎる雨を止める祈祷もある。
 空海は大雨を止める修法を行い水害を防いだといわれる。
 八大龍王に祈祷したそうである。
 やまさんも繰り返し祈る

 「八大龍王、雨、止めたまへ」
 「八大龍王、雨、止めたまへ」
 「八大龍王、雨、止めたまへ」
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 息の続く限り繰り返しつぶやきて夜を過ごす。

2011年9月20日火曜日

今晩は寝られん!

今、午後11時ちょうど、雨の降りが物凄い。さっき家の前の道路に出たら完全水没してる。
 フラッシュがついてるのでデジカメで撮影。もう道路は30㎝以上冠水してる。
 この調子でいけば明日の朝までにどうなるだろう。
 この間の台風の時より出水の状態はひどい。今のままだと家から車、自転車の出入りは無理。
 明日の朝、大通りへ出たいが、ヘタすりゃ紀伊水道までながされるかも。
 冗談抜きで本当に心配。
 今晩は寝られない。
 ネットが途切れなければまた報告します。
 怖いくらい雨が降ってる。どっと水嵩が増えればどうしよう。逃げられない。

今日はデジカメで動画の練習

 デジカメで動画を撮った。携帯に比べ画質が良いのもさることながら、コマ数が1秒間に30あるので動きが携帯動画よりスムーズで自然である。
 静止写真は携帯も使うが、動画はこれからはこちらのデジカメで撮影しようと思う。


 今日は一日ほとんど雨、夜、野生の摘んできた曼珠沙華を入れて
 曼珠沙華風呂
 曼珠沙華は経口では有毒であるが、皮膚からは心配ない。
 またこの有毒成分は微量では利尿・去痰の作用があり、またアルツハイマーの治療薬としても注目されている。
 そのためもしかすると入浴に用いれば薬効をもたらすかもしれない。
 湯船につかりながら当然、「長崎物語」を歌う。

2011年9月19日月曜日

はじめてデジカメを使う 

 友人からデジカメを頂いたが使わずにそのまま仕舞い込んでいた。使うためには一緒にくれた説明マニュアルを読まねばならず、そのうち読もう読もうと思いながら、つい先延ばしにしていた。

 というのもいつも携帯を持ち歩いているのでこの付属機能のカメラ、動画で十分ブログの素材は撮れるからである。
 そのため頂いてからもう2カ月近くなるのにいつまでも説明書を読まず、使っていなかった。

 折角好意で頂いておきながらそういう状態で今日まで来た。
 そして昨日のこと、「野菊」を携帯で接写した写真をブログに使おうと思ってパソコンで見た。ところが花びらの色が違う。そこでその色を天然自然に近づけるべく、写真修正ソフトを苦労して初めて使った。なんとか試行錯誤で満足できそうな写真に修正できたのでアップした。

 しかし毎回コメントを寄せてくれるブロガーから

 「接写ならデジカメを使った方がよいのでは。」

 とアドバイスを受けた。これは目から鱗もので、

 「おお、道理、道理、道理じゃ!」

 携帯で「不完全なオリジナル原画」を撮って、それを修正ソフトで修正してもオリジナル以上にならぬのは当たり前。それより、最初のオリジナルをきれいにとる方がいいに決まっている。

 私のパソコンの操作の迂遠性非能率性はいつもこんなもんなんです。
 思い出すのは、一年前、訓練校でパソコンの打ち込みを始めた頃、アクセスのため必死でサイトアドレスを紙にメモし、それを見ながら英数半角で検索欄に手打ちしてたら、K先生が
 「ドラッグ、Ctrl+C、Ctrl+V、でコピー!」
 難なく一瞬でサイト検索欄に打ち込み完了、すぐアクセスできました。
 「ああ、俺の苦労は何だったんだ!」

 まあ、そういうアドバイスで今日はデジカメで写真を撮ることにしました。ですがその前に説明書を読まなければ操作できません。けっこう厚い小冊子で小さな字でびっしり書いてあります。
 一度には無理ですので、今日は昨日からの花の写真を撮るにはどうしたらよいか、を中心テーマに説明書を読みました。そして撮ったのが以下の写真です。
花の接写

数センチまで近づいてもちゃんとした写真が撮れるモードで撮影しました。

 「おや~、この花の形、マメ科の花だぞ、ということはこれ〇〇じゃ!」

少し離れて撮影しました。かなり雨が降ってました。葉っぱに水滴がたくさんついている。










 秋の花「萩」です。この文字の中に秋があります。次に私の好きな萩の和歌と俳句をあげておきます。

 秋風は 涼しくなりぬ馬並めて いざ野に行かな 萩の花見に   作者未詳 (万葉集巻10・2103)

 一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月 松尾芭蕉奥の細道、市振

2011年9月18日日曜日

地蔵院

十三仏
 今日地蔵院へ行った。境内の十三仏堂をのぞくと13体の菩薩・如来が祀ってあった。仏教は寛容というかおおらかというか、インドの土着の神々なども仏に取り入れ、多神教の要素が強い宗教である。
 ずらっと並んでいるのを見るとなじみのある仏もいれば、あまり聞いたことのない仏もいる。
 中央が「大日如来」でその左右それぞれに6体、全部で13体ある。
 この中には我々の生まれた年によって決まっている「守り本尊」がいる。守り本尊とは災厄を避け幸福を招くように我々を守る仏さんである。
 私は「卯年」生まれだから、守り本尊は「文殊菩薩」である 。下の写真の仏さんがそうであるが、ちょっと怖い。前にどこかのお寺で見た「文殊さま」はもっと優しい顔をしていたように思ったが、

 「閻魔大王ににてるなぁ。」

 面白いことに一神教であるキリスト教にも守り本尊とよく似た「守護聖人」がいる。ちょっと数えきれないくらいいる。馴染みのところでは狸のジョージ君ならぬ「聖ジョージ」はイングランドの国の守護聖人である。
 相似形の守護という意味では日本の旅人の守り神である「道祖神」とあちらの旅人の「聖クリストホロス」がいる。おもしろいのは「盗人の守護聖人」までいることである。
 これを見るとキリスト教もかなり多神教の要素が入っている。考えれば、ケルト・ゲルマンの土着の宗教である多神教を生んだ風土の上に広がったキリスト教であるから、古い多神教の影響を受けるのも当たり前ではないだろうか。
 
『守り本尊一覧』

子年     千手観音   慈悲
丑年・寅年 虚空蔵菩薩  智慧と徳
卯年     文殊菩薩   智慧
辰年・巳年 普賢菩薩   
午年     勢至菩薩    慈悲
未年・申年 大日如来    強い智慧
酉年     不動明王    強い智慧
戌年・亥年 阿弥陀如来   強い慈悲

野菊のお化粧
 地蔵院の池はほどのよい広さで、散策で一周するのにもってこいである。
 ちょうどこの対岸の真ん中あたりで秋の花「野菊」見つけた。
 薄紫の可憐な花である。最近は外来種が多い中、大昔から日本の秋の野山を控えめに、つつましやかに飾る美しい花である。霜が降りる初冬過ぎまで秋を通してずっと咲く花である。
 
 さっそく携帯写真に撮った。
 ところが!野菊の花の色は上品な「うす~い紫」なのであるが、撮れた写真は白っぽい花弁をした別の花のようであった。
 
 「実物とは違う、自然の色とはかけ離れている。」
 
 「せめて薄い紫の色で写らないものか。」
 
 家へ帰ってパソコンに写真を入れ、それを眺めながら何とかならないものか思案しました。そして写真編集を思いつきました。
 恥ずかし話しですが今まで一度も写真編集は使ったことがありません。そのソフトがどこにあるかも知りません。そこで「Windows7の解説」の本を引っ張り出し、読みました。すると編集ソフトは「Windows Live フォトギャラリー」で私のパソコンに入っています。
 
 そして試行錯誤しながら何とか編集しました。
 それで皆さんに見てもらいたいのです。下の2枚の写真、どちらが修正したものか?もし皆さんが言い当てられたら、まあ、初心者の第一回目としては成功でしょう。
 
 「ええ~っ!どっちも変わらんわ!」
 
 と思われるのならば失敗です。さあ、さあ、さあ、どっち、どっち?
 なお、このようにしたらもっとよくなるとアドバイスしていただけるなら幸甚です。
 
追伸
 去年の訓練校時代、談話室兼茶話室で空き缶代用の花瓶に秋の初めころは「曼珠沙華」、そして秋の終わりころは「野菊」を切り花にして挿してあったの覚えてますか?あれ、私の仕業です。
 
 「え?じぇんじぇん覚えとらんって!ま、そんなもんでしょうな。」 

哀愁したたる雨の徳島線

 朝、徳島線は大雨のため不通状態であったが、昼ごろには遅れはあるものの運行できるようになっていた。

 大雨の後、いや、まだ雨は続いている。沿線はいたるところ水浸し。しかし、見たところ田畑や畦、小さな道路が冠水しているだけで家などに被害はないようである。

 正午頃列車に乗った。いつもは2両編成なのに今日はたった1両、ほぼ満員の中、また大雨で不通になりはすまいかと不安を胸に抱きつつ徳島へ行く。

 行き帰り、携帯カメラで沿線を撮影した。いつものようにムウビメエカで編集しました。ご覧ください。

2011年9月17日土曜日

官能の果実

 「わっかい娘が~うっふん~、お色気ありそで~、うっふ~ん、なさそで~、あっはん~、ほらほ~ら、黄色いさくらんぼ~」

 とかいう歌があったが「黄色いさくらんぼ」なんどというといかにも「官能の果実」のような気がするが、私に言わせれば官能の果実でもなんでもない。

 まず、私の定義をはっきりさせよう。「官能の果実」とは

 『食べると肉体に妖しげぇ~な作用をもたらす果実である。』

 それから言うと黄色かろうが桃色だろうが「さくらんぼ」などいくら食べたところで肉体になんの変化ももたらさない。

 ところで我が家の北の方に「土成町字、御所」という扇状地帯がある。ここはフルーツの里といわれるくらいいろいろな果物を栽培している。今日、直売所をのぞくと葡萄、梨に混じって「無花果」(イチジク)があった。食べがいのある大きなイチジクが5個パックされていて250円で安かったから買った。

 「無花果などもう何年も食べてなかったなあ。」

 この無花果、子供の頃は我が家の庭にもご近所の庭にも植わっていたため、実のなる季節が来るととってよく食べたものである。
 小学校の行き帰り、あっちこっちで勝手にもいでムシャムシャ食べた。この果実、ジューシーっぽさはなく、果肉はジャムみたいな粘りがあり、種粒だろうか、ジョリ、シャリという感じの独特の舌触りがあった。
 水分があまり多くない果肉であるため喉の渇きをいやす果物ではなかったが、昔の貧しいガキの時分は甘いものに飢えていたのでどんな果物でも見境なく「狩猟・採集活動」で手に入れていた。

 無花果の熟れるころは主にこれが中心の「野生のおやつ」になる。
 ところが、最初は気づかなかったが、この無花果を食べると小さな私の体のある部分に不思議な変化、それもちょっと困るような病変(少しおおげさかな)をもたらすのである。
 その変化のまず図解をご覧ください。

おっと!

間違った!

ええ~っと!

90°右回転して!


そうそう、これで正解。
これ、小さい頃の私の唇です。

この部分注意してください。
無花果を食べると唇のこの部分が白くふやけたように爛れるのである。当然刺激物は沁みて痛い。
 私を育ててくれた明治生まれの祖母はこのような状態の唇を
 「アクチが切れている。」
と方言か何か知らないが言っていたのを覚えている。
 いつも無花果を食べるとこうなる。
 子供のころから相当なアホの私でも毎回毎回こうなれば、やがて気づく。
 しかし、それで無花果を食べるのを止めたかといえば、食い意地の張っていたまさに餓鬼であったので食べ続けました。口角を白く爛れさせながら。

 しかし、その後、小学校高学年から中学校になり大きくなるにつれてこのような「病変」といってもよいような唇の変化はなくなった。

 「あの、小さい頃の無花果を食べた後の口角の変化はいったいなんじゃったんだろ?」

 「無花果は体に妖しげぇ~な作用をもたらす果物なんじゃなぁ~」

 それと中学の頃、まあ男ならだれでも「精通」を迎えますが、はじめての経験に戸惑った方も多いと思います。私もそうでした。
 独特な匂いと白いねばねば液、はじめてお目にかかったときは

 「こりゃ~いったいなんじゃ?」

 狼狽えまくりました。
 それが私の場合、「栗の花の香り」と「無花果の切り口からネバ、ジトッと出る白い液」になぜか重なって思い出されるのです。

 この二つの思い出は無花果という果実に対し「官能の果実」というイメージを強くします。

 さて、最初の小さい子供の頃、無花果を食べると口角が白く爛れる、については大学生の時、原因がわかりました。
 暇に飽かせて百科事典の「あ行」から順番に読んでいて「い行」の「イチジク」の項を読んで発見しました。

 無花果には「タンパク質分解酵素」が含まれているのです。大人の粘膜だとどうってことないんですが、小さな子供の唇の粘膜は薄く弱く、この酵素に溶かされるんですね。それで上図のような病変になるのです。

 さあ、私の官能の果実としての、無花果の認定、どうでしょう???
 他にも官能の果実としての推薦があれば教えてください。

2011年9月16日金曜日

やまさんの絵日記・今日の出来事

 ハロワで以前の訓練生に会いました。ハロワで話すのも気が引けるので、歩きながら話しました。途中雨が降ってきましたが、傘は私の一本しかないので、お互い片側が濡れました。
 
 雨に濡れない某所で持参と398円のそれぞれの弁当を広げて、食べつつ話し続けました。
 同級生に会えて楽しかったです。

 まだ迷ってる皆さん!秋分の日に是非会いましょう。

夜になって土砂降りの雨、どこへも行けない。
仕方ないので「あんときゃ土砂降り」を歌う。

2011年9月15日木曜日

『天空の帝国インカ』を読む

 『天空の帝国インカ』を読む。副題は「その謎に挑む」である。

 天空の帝国、インカ、その謎、いかにも興味をそそる内容である。天空の帝国?あまり聞きなれない用語でもちろん術語ではないだろうが、アニメ「天空の城ラピュタ」を思い出し、ちょっとファンタジーな響きを醸し出す。

 天空と名付けた所以は、インカ帝国の首都、人口稠密地、農業生産の中心地がアンデス山中の標高3500~4000mにあるためである。

 表題を見て政治史や文化・風習、あるいは非常に発達した土木技術、文字は持たなかった代わりのコミュニケーション手段、などを中心に書いているのかなと思ったがそうではなかった。

 1000万と言われた帝国の人口を支えた農業について多く書かれている。

 低緯度高山の気候・風土から説いている。低緯度高山は熱帯・亜熱帯域にありながら3500mもの高地にあるため、どちらかというと冷涼で、マラリア、伝染病も少なく、トウモロコシを栽培するには少し不向きだがジャガイモのようなイモ類は栽培に適している。そしてインカを支えた重要作物はこのジャガイモであった。

 家畜類はラクダ科の「リャマ」「アルパカ」の2種類がいた。主に運搬や毛糸をとるために飼われた。

 アメリカの古代文明(時代的には旧世界の近世だが)はトウモロコシ栽培が中心と思われがちだがインカ帝国の主要作物はイモ類、特にジャガイモであった。

その他にも新大陸で栽培化された品種は多くその数100以上で・・・・・・・・・

 とまあ、ほとんど農業か農業史の側面の記述が多かった。

 私がもっとも知りたかった1000万人の人口を有し、数十万の軍隊を動員できる大帝国がわずか168人のスペイン人によって何故いとも簡単に征服されたか、については最後の数ページに記述があるだけでちょっと物足りない気がした。

 まあいろいろ理由はあるようであるが(疫病、馬、銃、鉄製武器など)、この著者のもっとも重要視しているのは、インカの人々は異形の者(具体的には奇形)に対し非常な畏怖を持っていたこと。崇めるといってもいいだろう。
 特にその異形の者の中で「白い人」には言い伝えがあり、神話の中の偉大な神に近い怖れを持っていた。
 白人であるスペイン人が帝国に現れた時、その畏怖が重ね合わされ、やすやすと征服されてしまったのである。

 異形(奇形)に対し畏怖、崇めを持つのは古代中国また日本にもあったことであるからこういうインカの伝説もあり得るとは思うが、この著者はそれが征服された要因のもっとも重要なものとしてそれをあげている。はたしてどうだろう。

 「異形(奇形)に対する畏怖、崇め」については以前、ブログを作っているのでそちらも見てください。
   『瑞祥について・アルビノを考える』 下クリック
 http://koromonotate.blogspot.com/p/blog-page_03.html


すぐ身近にあった

 曼珠沙華が咲いていないか山際を探していたが、まだ見つけられなかった。今朝、近くの公園を散歩していたら見つけた。
 毎年のことだがこの花はある日を境に急に出現する。
 おそらく今日からは線路沿い、墓地、畦、荒地などでよく目にするようになるだろう。

 私の大好きな花であるが古い年代の人は嫌う人が多い。
 毒々しい花、花の形が葬連に飾り物として使われる造花に似てる。致死ではないが毒がある。墓地に群れて咲く。などが理由であろうか。

 一方、この花は救荒作物(普段は絶対食べないが飢饉の時は非常食としてカロリー源になる)でもある。有毒成分が含まれるが、長期間この球根を流水に晒し、毒を抜いて食べるそうである。
 食べたことはないが、もしかすると十分晒した球根はユリ根のように珍味かもしれない。

 私などはこの花魅力的で美しいと思う。よく美しい女性を花に例える。「ユリ」「シャクヤク」「ボタン」などは古典的なたとえである。
 最近の女性は、派手で、押し付けがましいくらい美人で、男に負けない気概を持っているから(やまさんには毒になる)、この曼珠沙華は美人に例えられてもいいと思うのだが、毒々しい花というイメージを持っているご年配の女性に

 「あなたは曼珠沙華のようだ。」

 などというとトラブルになるので言わない方がいい。しかし率直に花を愛でる若い女性などは喜ぶかもしれない。

 もうちょっと後にやはり野や山に群れて咲く薄紫の「野菊」。こちらはもっとも無難な花で、老若を問わず例えで用いても嫌がる人はまずいない。