2024年3月29日金曜日

話題の映画を見てきた感想 その1(前半)

 

 さっきオペンハイマの映画を見てきた。いろいろ話題になっている映画である。といっても本日が封切り日なので、一般の人が見た評判というものはまだである。しかし事前に評論家や被爆者団体あるいは関係者からは一部否定的な意見が出ていた。肯定的評価では先日アカデミィ賞をもらった(作品賞)ということがある。ワイとしたら「毀誉褒貶あい半ばする映画かな、まぁ、自分で見て確かめたらええわ」ちゅうことで早くから見ることを決めていた。

 で、一般の人であるワイが見た感想は「おもっしょかったわ」である。原爆関係映画であるのに、おもっしょかったわ、は不謹慎だろといわれるかもしれない。このおもっしょかったわ、はわくわくして楽しくなるようなおもっしょさではない。科学史の面から見る面白さである、少なくとも前半部は。そこには現代物理学を作り上げた大物が続々でてくる。顔もできるだけ似た人を持ってきているため科学史に関心のある人は映画のその人物を見るだけでおもしろい。またその大物が出ているシーンのセリフには、科学史に燦然と光を放っているその人物の発明・発見、理論のエッセンスが込められている。アインシュタインの相対性理論、ボーアやハイゼンベルグの量子論、など、そのセリフ一つ「神はサイコロを振らない」というのがある。知る人ぞ知る、量子論に対するアインシュタインの態度を表してものであるといわれている。

 アインシュタインが池のほとりで佇んでいるシーンは俳優さんが似ていることもあってちょっと感動した。理論の人でもあるが科学者の良心も代表する人である。しかしそんな彼でもナチスに先に原爆開発されるのをおそれアメリカにわたるとアメリカ政府に原爆に関する注意を促す。原爆開発に携わったわけではないが、ナチスが手にするならばむしろアメリカが先にと、考えていたのではないだろうか。そもそも彼が理論的に導き出した「質量とエネルギーは等価」であるというのを実践して見せたのが原子爆弾爆発であった。広島型原爆は1gの質量が消滅しエネルギーになったのである。原爆の使用にショックを受けたが自分の理論の正しさ(質量=エネルギー)が確かめられたのは皮肉なことである。

 チラリとしたシーンではあったが、なんとアインシュタインと数学者ゲーデルが二人並んで話しているところがある。かたや物理(言い換えるならば)宇宙における空間と時間の観念の大転換をもたらした人、かたや数学的世界ではあるが人の理性の知りうる限界を明らかにした人である。世紀をまたいでも現れるかどうかわからない知の巨人二人が対するすごいシーンであった。ただいったようにチラリとしただけで、アインシュタインの短いセリフは「彼は精神的治療をしている」という意味のことであった。ものすごい天才は夭折するか狂うのかと考えさせられるシーンでもあった。

 映画の前半はこのような科学史のお宝映像(大物物理学者とその理論のごく短い概略が詰まったセリフ)が次々出てくる。そうそう私が意外だったのはオペンハイマは宇宙論もやっていてその言及もあることである。ブラックホールの予言である。これはのちに別の人が理論的に説明し、実在がはっきりしたものになる。

 科学史のままの映画であってくれたら(現実も)よかったのだろうが、ある発見によって暗転する。映画の中でドイツのハーン博士がウランの核分裂を発見したというニュースが飛び込み、続けて、中性子をウランに当てることによって分裂したウランより膨大なエネルギーが解放されること、そして分裂と同時に飛び出た数個の中性子は次のウランの核分裂をもたらしそれが連鎖反応を引き起こし、ほとんど瞬時に全体にひろがること、それは信じられないような規模の爆発になること、がわかる。それはまたたくまに世界に広がり、原爆の少なくとも理論は物理学者の秘密でもなんでもなくなる。もちろん本家のドイツはナチスがさらに研究を進めるであろう、もちろん日本も入っている。そういえばワイの故郷ここ阿波でも戦前のSF作家・海野十三(うんの・じゅうざ)はこのニュースや研究をもとに都市全体を破壊できるマッチ箱くらいの大きさの爆弾(原子爆弾をイメージしている)を考え、科学小説に書いている。

 そこから後半部はロスアラモス研究所(というより原爆製造科学都市と言った方がいい)を中心に原爆製造に向かって邁進する所長オペンハイマが描かれる、科学者同士のすれ違い、軍、政府との思惑の違いからおこる軋轢などが描かれるが、そんなことよりワイが感心し舌を巻いたのは、アメリカという国の凄さである(別に褒めよぉわけではない)、惜しまない物量を投下し、当時の金で20億ドルの予算をつけ、また国内ばかりか亡命者も含め海外から核物理学者などの学者、技術者を集め、それを組織化し、原爆開発の工場をつくる(なんと史上初めての原子炉まで作りプルトニュームというおまけまで造るが)。当時の日本どころかドイツでさえできないだろうと思われる。

 理論的に考えられていたものを具体化したのが「原爆」である。こんな方法で誕生させたのは原子爆弾が初めてじゃないだろうか。すべて物理・数学でキッチリ計算され、予測されたものを莫大な物量・資金の投下し、科学者および技術者の知恵によって完成させたのである。

その2(後半につづく)

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