2022年12月31日土曜日

大晦日 昔の映画館の跡地を歩く

  半世紀前の大晦日は大賑わいだった東新町、今はこのように衰微を極めている。(アーケード入り口付近)


 昔はこの左に「東映封切り映画館」があった、まだ時代劇も作られていたが、年末年始の映画としては「トラック野郎」が人気だった、映画は斜陽とは言われながらもこの時期は大入り満員だった。

 アーケードが二股になったところから右へ行くと「松竹封切館」があった。ここではボニと正月、必ずと言っていいほど、世界最長のシリーズ映画「男はつらいよ」を見たものだ。


 二股を左へ行くと「日活劇場」があった。もうこの頃には日活はポルノ映画を作っていたが、それでも「かぐや姫」の曲にもとづいた「赤ちょうちん」や「神田川」のような「ほろ苦い青春映画」も作られていて、見に行ったものだった。


 さて本日の大晦日の夜、独居老人は誰かと楽しく過ごすこともない。銭湯にでもつかり、一年の垢でも流して温まろうと思っている。(下は銭湯の大晦日限定の暖簾)

2022年12月28日水曜日

ワイ、来年が年男、ウサギ年じゃが猫年というほうがええ

  ワイの大方の同級生は寅年うまれだが、ワイは3月生まれなので兎年となる。明治生まれの祖父はワイの誕生年が寅年の同級生と同じにならなかったのが、残念なのか、「おまいは旧正月で年が変わって一月びゃぁでうまれたから、兎より寅が勝っとる。」などと、訳の分からないことを言っていた。孫が「五黄の寅」でなかったのがよっぽど悔しかったのだろうか。

 小ンまいときは、いわゆる「怖じミソ」な子で、気の弱さ、押しの薄弱なことから、よくいじめられたりもしたから、子どもこころにも「寅だとつよかったのに、兎やから、臆病でビクビクしとんかなぁ」と思ったものだ。

 その年男も6回目を迎える。この歳になると兎年や寅年が性格に影響を与えるような迷信は信じていないし干支自体も関心がない。最近でいうと去年末と今年始めに「令和四年は寅の年やなぁ」との単純な認識を持ち、その後は忘れてしまう。夏頃になって「今年何年か?」と質問してもすぐには答えられない人が多いんじゃないだろうか。でもまぁ、ワイは来年の兎年が年男になるんやから、いつもよりは強く印象づけられると思う。

 徳島動物園へ行ってみよう。虎などはみるからに怖そうだし、馬、牛にしたって走力や力強さを感じる。それより小さいイノシシでもパワーを感じる。しかし兎は小ンまく、怖さや力強さもない。走るのは多少速いかもしれんが、猟犬に追いつかれかみ殺されるから速さも自慢できるものじゃない。ネズミなどはいっちょう小ンまく、ウサギより劣るんじゃないかと思われがちだが、日本昔話や童話ではネズミはエエ者であり成功者である。「ネズミの嫁入り」の話などでは、最強の生き物とみなされている。イソップ話でも、象対ネズミ、ライオン対ネズミ、でもいいキャラを演じている。それにたいしてウサギのはなしで思い出すのは、「ウサギとカメ」、ご存じのように負けキャラである。なんかウサギにいい童話・昔話はなかったかしらん?それでもなんとか長所を見つけてアッピルできるキャラとしては、兎は「可愛らしさ」しかないだろう。英国の童話に「ピーターラビット」というウサギがいる。これなどは可愛くて子どもに人気である。

 日本でもウサギはかわいい系キャラで、アニメのキャラについてはちょっと知らないが、現実世界の話でも、どっか忘っせたが、ある島にウサギがたくさん生息していて、野生ではないので人にも慣れているようで、ふれあいができるそうだ。その毛並みのモフモフ感などのかわいさでずいぶん人気らしい。でも若いうちならかわいいウサギ年も似合おうが、72歳の爺がウサギ年っちゃってなんちゃ、かわいいない。

 十二支の動物は古代中国で生まれた。今も記年に使う国は多い。おおむね身近な動物だが、中には「辰」つまり龍、などは想像上の動物もいる。使う国は東洋諸国のみであろうと思ったが、調べると意外なことにロシア、ベラルーシなども年々に動物を配置している。これらの諸国でも動物の種類はおおむね一致はしているが少し違う場合もある。

 おもっしょいのはベトナム、タイ、チベットではなんとウサギがなく、その代わりあるのが「猫」年である。そのためこれらの国では来年はウサギ年でなく「猫」年となる。猫好きのワイとしては、ウサギ年生まれというより、「ワイは猫年じゃ」というほうがいい。このように、十二支は世界共通と思っていたが、ところ変われば・・でネコ年というのもあるのだ。下に各国の十二支の動物を挙げておく。


 東南アジアで「ハローキティーちゃん」が人気があるのは、十二支に猫年があることとなんか関係があるのかもしれない。東南アジアは旧暦で新年を祝う国が多いが来年1月末ころになるとさらにこの「ハローキティーちゃん」のキャラグッズがあちらの国で売れるかもしれない。

 日本にはペットとして犬、そして猫が多く飼われている。犬好きの人には「イヌ年」があってうれしかろうが、ワイも含めてネコ好きの人には、「なんでイヌ年があるのに、ネコ年がないのか」と不満だった。しかし東南アジアではあるが、ちゃんとネコ年があったのである。

 ちなみに中国と日本では十二支の動物はほとんど一致する。ほとんどといったのは一つを除いてである。その一つは十二支の最後の動物、亥である。日本ではイノシシであるが、中国ではこれはブタを表す。亥は別名「猪」であるが、これは中国ではブタのことである。中国でイノシシという場合は「野猪」と書かなければならない。ワイは猫好きだから、ウサギ年というより、東南アジアで用いられているようにネコ年といわれるのを好むが、イノシシ年を中国のようにブタ年と呼びたいという日本人はあまりいないだろう。

 東新町アーケードの正月のイルミ。年の暮れというのに閉まっている店が多く、ほとんど人通りもない。イルミにはちゃんと来年の干支のウサギがいる。


2022年12月26日月曜日

まだまだおさまりそうにないコロナ

  徳島でも毎日千人を超える陽性者が発生している。ウィルスについてのことはよく分からないが、変異も多く、短期間で新型株が出ているようだ。怖いのは強毒性に変異することだ。いま流行の中心は「オミクロン株」とその類似株だ。今のところ強毒株はないようだが、来年はどうなるだろう。不安だ。

 今月初めに役所から五回目の接種申込書が届いた。最初は、今年の盆過ぎに私自身陽性になったこともあり、免疫も出来ているだろうから、どうしようかと迷ったが、減りそうにない徳島のコロナ陽性者と、中国で感染爆発しているらしいとのニュースを聞いて、五回目の接種を決断し、今日申し込んだ。

 その中国では、今日の新聞によると一つの省(浙江省)だけで、なんと1日100万人の陽性者が出たそうだ。記事をよく読むと、怖いのは桁外れの陽性者が出ると、ウィルスが変異しやすく、その変異速度も速くなるので、新株がどんどん発生することだ。また人間と家畜・そのほかの動物とのコロナウィルスの共感染で、とんでもなく恐ろしい病原性に変わる可能性もあるそうだ。そうなるとまたそれに対応したワクチンを作らにゃならず、そのタイムラグでパンデミックと言うことも考えられる。

 今冬は寒くなりそうで、ただでさえ普通の風邪(鼻水や咳など)に罹りやすいのに、コロナ、そして旧来のインフルエンザと、多くの疾患の心配をせにゃならん。

2022年12月24日土曜日

やまさんのジングルベー雑学


  古希を過ぎたワイらの世代でも子ども時代(当然昭和30年代)のクリスマスの思い出がある。小学校時代、商店街では多くの店がクリスマスの飾り付けをしていた、赤や金、銀のモール、玉、そして雪に見立てた綿などを、切った生木につけてクリスマスツリーを作り店頭に置き、また商店街の拡声器からは「ジングルベル」の曲が流れ、クリスマスの雰囲気を盛り上げ、ワイら子どももなんとなく浮ついた気分になりうれしかったものである。

 あまりいいおやつなどなかった子ども時代、クリスマスのうれしさの大半は、ケーキが食べられるということであった。今のようにケーキなど食べるのがありふれた時代とは違い、ワイらの子どもの時はケーキなんど食べられるのはまずクリスマスを除いてなかった。祖父母に育てられ貧しかった我が家でも、クリスマスのときは孫のために張り込んだのか、ケーキを用意してくれた。丸形のいっちょう小ンまいケーキではあったが、それでもローソクの数本は立てるようになっていた。生クリームなんどではなく、安物の無塩マーガリンを甘く味付けした(マーガリン)クリームではあったが、それでもその彩られ形成されたクリーム、そして中のスポンジケーキの味わいは一年に一度きりの、この上ない甘美な味わいであった。

 明治生まれの祖父は、クリスマスが近づくと、「ジングルベーなど、耶蘇教の祭りじゃ、なんで、喜んでせにゃならんのじゃ」と(祖父はなぜかクリスマスのことを、ジングルべーといっていた)ブツブツいっていた。それでもカワイイ孫のためか、ウチの庭にあった大きめの盆栽の木を用意してくれ、綿や、ワイが学校で工作の時間作ったクリスマス飾りをつけて(不格好だが)クリスマスツリーを作った。

なんでクリスマスは24日のイブと25日の2日間あるのか

 その小学校の頃、こども心に不思議に思ったことがある。低学年の頃は暦などの見方も分からなかったが、3年生くらいになると「日めくり」などを破くとき(今は見かけないが昔は毎日一枚ずつはがす「日めくり」があった)書いてあるその日の行事などを読むようになった。そこでクリスマスには、どうも二日間あるのだ言うことがわかった。24日「クリスマスイブ」とあり、また25日「クリスマス」となっている。これはなぜだろうとおもった。日本の祭りでも宵宮があり、前夜祭的なものかとおもうこともあったが、しかしどうみても25日のクリスマスより24日のイブの日が大がかりである。むしろ次の25日などは、売れ残ったケーキの安売り、大急ぎで片付けられるクリスマス飾りなど、いわゆる「六日のアヤメ、十日の菊」状態(いわゆる後の祭りで、無駄なことの例えである)である。これは疑問のまま分からずに大人になった。その疑問が氷解したのは「比較宗教学」関係のユダヤ教の暦に関する説明を読んだからである。

 我々は太古の時代から日を今日、明日、二日後、三日後と区切っていた。夜が来て、寝て翌朝目が覚めると次の日が来る、というのが原始人に限らず現代人でももつ日の感覚である。しかし、人間の知能も進んでくると、厳密に考え出した。今日の終わりの時点はいつで明日はいつから始まるのか。寝ている間は無感覚であるから、翌日明るくなれば次の日でいいじゃん!と考えるのがこれまた普通の感覚である。それならみんなが寝静まる深夜に日の替わりの瞬間を持ってきた方がよかぁ~ないか、っつうんで深夜12時が日の変わり目となるのが一般的だ。これはローマ以来、西洋も、古代中国以来の東洋も替わらない。東洋では深夜12時の、子の刻の始まりが一日の最初となる。

 しかし古代ユダヤ人は違った。瞬時の日の変わり目が、寝ていて無感覚の深夜の間におこるのが、どうも気色悪いのか(ワイだと逆に、寝とる間の方がいいが)。一日の終わりを地平線に太陽が沈む時にした。すると太陽が沈むと翌日になる。結局一日の始まりは日没時で、それから、夕食時~夜~深夜~朝~昼~そして夕方の日没が一日の終わりとなる。そうなると、つまりこうだ。キリストの生誕の日は、日没から次の日没までとなる。そうすると今日の夜のいわゆる「イブ」と翌日の昼間は「同じ日」と言うことになる。だからユダヤの日付では今日の夜のイブと翌日の昼間は同じ日ということである。現代の日の変わり目からゆうと今日のイブと明日の昼は別の日だが、キリストはんのいたユダヤの日の感覚では同日なのである。なぁ~るほど納得!

そもそもイエスはんってホンマにクリスマスに生まれたんかぇ?

 クリスマスは冬至のだいたい二日後、北半球では夕暮れが早く夜長く、寒さの増す季節である。まぁ、2000年も昔だから、誤差として数日は認めてもいいが、イエスはんは冬至の数日後あたりにホンマに生まれたんか?という疑問がある。古代でも王侯貴族なら生まれた年月も記録に残る場合が多いが、なんぼぅ後に「大教祖さま」になるにしたって、生まれたときはビンボ人の大工の小せがれである。母や父が頭に記憶に残しているが、確たる記録なんどはちょっと怪しい。おっかさんのマリヤはんから弟子に口づてに伝えたことも考えられるが、冬至頃の誕生というのはある「文献」の上からでも疑問が呈せられている。

 その文献とは他ならぬ「聖書(新約)」の「ルカによる福音書」である。その2章8節には次のようにある。この節はキリストが生まれた時の様子を記したものである。

「その地方では羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき・・云々」

 とある。生誕の地ベツレヘムは緯度で言えばワイの住んどる四国と替わらない。冬至頃は草木も枯れるし、かなり寒くなる。現代でも古代でもこの時期、野っ原で羊を放牧し、羊飼いが野宿することはないそうである。この時期は羊は屋根のある所、一歩譲って露天としても密集した囲いの中、で飼われており、当然、羊飼いも小屋や家の中にいて、野宿するなどあり得ない。そうするとまず11月中旬から~翌年の春まではこのような情景はないと言うことになり、12月24日の生誕は怪しくなる。聖書の記述を信じるなら、この時期以外の季節の誕生が考えられる。

 それではなぜ、この12月24日にキリストの生誕を持ってきたのか?誤った伝承でそうなった、だけとは言えぬある「事情」があるんやないかとワイは思っている。それはこの日が「冬至の直後」ということである。冬至の2日後、冬至に極大を示した南中時の棒の日影はこのクリスマス頃、ようやく目に見えて短くなることが確認できるのである。太陽が高さを回復し、日中もようやく長くなる兆しを見せるのがこの日なのである。いわゆる「一陽来復」である。北半球の高緯度に住む人々ほどこの日の「一陽来復」を待ち望んだ。そしてこれらは「弱っていた太陽が勢力を増す」うれしい日として古代人は祝った。冬至直後にあるこのような古代人の祝祭は多くの民族が形を変えてもつものである。

 キリスト教はドずンべらこい布教の手段を使うときがある、キリスト教は各地にある教宣前の土着宗教を頭から強圧的に抑えるのではなく、土着の聖地とされる土地にキリスト教の教会を建て、以前からの土着信仰の聖地をキリスト教の祈りの場所にすり替えたりしたのである。そうすることにより祈りの場所としての抵抗感をなくすことができる。それと同じように、古代からあった「太陽回復の祭り」の日をキリスト生誕のクリスマスにすることにより、古代の「一陽来復」のめでたい祭りをキリスト教の祭りにすり替えたんじゃないかと思っているが・・・ワイのコンジュ悪る、な推理かもしれん。

え?ギリシア正教ってクリスマスが1月7日やってぇ?

 今日のホットなニュースであるが、ウクライナではクリスマスをロシアと同じ1月7日に祝っていたが、ご存じの通り、ロシアとは現在戦争中、国民感情のロシア嫌い、西側が好き、という事もあってか、ウクライナは旧来の1月7日クリスマスを世界基準の12月25日(前にも言ったが前日イブも含む)に合わすそうだ。

 でもロシアの準国教である「ギリシア正教」では1月7日がクリスマスやったんやな、これは知らなんだわ。これは現代日本での「元日」を新暦で祝うのと旧暦で祝うのとにちょっと似ている。日本の場合は二つの暦、つまり「太陽暦」と「旧暦」(厳密には太陰太陽暦)の違いで二つの異なる元日となるのである。

 同じように世界標準の暦は「グレゴリオ暦」であるが、ギリシア正教の宗教儀式の暦は現在でも「ユリウス暦」をとっているのである。そのため旧正月のように同日同月でも暦が違うとずれを生じるのである。そもそもはユリウス暦(太陽暦)が唯一で西洋もロシアも16世紀まではそれを使って一致していた。ところが太陽の公転周期の日数には端数がある。ユリウス暦は単純に0.25日長いとして、四年に一度の閏日を入れた。ところが厳密には0.25日長いのではなくわずかではあるがそれより0.0078日短かったのである。太陽暦は日付と春分点が一致しなければならない(3月21日)ところがわずかなずれでも何百年、千年とたつとそのずれが10日間弱にもなった。こいつはいかん!となって、ユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を、曜日を連続させながら、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることを定め、その通りに実施された。またわずかだが0.0078日の差も以後の補正をするため、うるう年は100年に一度、ちょうど100で割れる年は「うるう日」を作らない。ただし、2000年など、400で割れる年は、「うるう日」とすることを決めることで補正するようにしたのである。

 ところがギリシア正教では(ロシアの社会は革命後グレゴリウス暦を採用したが)いまだにユリウス暦を守り、ますますグレゴリウス暦との日の乖離が進み、その結果、ユリウス暦では、12月25日は1月7日となるのである。なるほどよ~わかったわ。

イエスはんはどの暦で生活したん?

当然ながら現在のグレゴリウス暦でもないし、また当時の支配者であったローマ帝国のユリウス暦でもない。イエスはんが活躍した時代にはキリスト教の最大の祭りクリスマスもない、というかキリスト教が誕生するのはイエスはんが磔刑になったあとである。当時のイエスはんはユダヤ教徒である(異端とされたがユダヤ教の範囲内のことである)。そのイエスはんの生きた時代のユダヤ教の暦は、なんと日本の旧暦とよく似た「太陰太陽暦」つまり新月を月の初めとし、各「月」が季節と大きく乖離しないよう、時々「閏月」を入れる(そのため一年が13ヶ月になることがある)。このユダヤ暦は現在でもイスラエルでは用いられている。

2022年12月23日金曜日

近年にない大雪じゃ

  積雪などほとんどない近年には珍しく、昨夜からの雪で朝はこの通りの大雪(雪国ではたいしたことないのだろうが暖国徳島では大雪だ)。降雪の強弱はあっても今日一日、夜まで降り続くようだ。天気予報では明日は晴れるようだが、降雪が解けず屋根や木々に残っていると、イブは暖国ながらホワイトクリスマスになるが、さてどうだろうか。

2022年12月22日木曜日

今日は冬至

  今日は冬至、昼の時間が一年で一番短い。また太陽の南中高度が最も低くなる日だ。といっても生活実感としてはそんなことより、ともかく日の暮れがとても早く、弱日の日光で日向にいても十分暖まらないと言った方がいいだろう。

 冬至の風物詩としては「ゆず湯」が知られている。我が家の風呂でもゆず湯が出来ないことはないが、それより400円びゃぁで「銭湯」へいって、今日限定の、ゆずの浮いた風呂に入る方が手っ取り早いし、よく温もる(ただし帰るまでに湯冷めせんようにせにゃならん)。暖かく着ぶくれして行こうと思っている。

 今日からまた寒波が強まり数日つづくそうだ。西日本でも降雪があると言っていたから、もしかするとクリスマスイブは徳島でも珍しくホワイトクリスマスに期待が持てるかも知れない。ワイも若いときなら「ロマンチックでええわ」とおもっていたが、歳ぃいって孤独と寒さがこたえる老骨には、なんちゃ、うれしいこともないわ、風も、雪もおこらえなして!じゃわ。

 陽が南中する正午頃の徳島公園にて、長い影が地を這っている。


影の角度を計算すると、90°-[23.4°(地軸の傾き)+34°(徳島の北緯)]=約32°、になるはずだ。

 影の先端とポールの先端を結ぶと、それくらいの角度かなぁ?

2022年12月11日日曜日

師走の駅前

  JR運賃は来年に値上げになる。遠くへの移動が主に汽車である私にとってはまた一つ生活が窮屈になる原因となる。世の中、何もかも値上げである。スーパーに行って値札を見ると、夏頃と比べて値上げしていないものを探すのが難しいくらい、なんでもかんでも値上がりしている。当然、重油、灯油、なども上がっている。そんな中、JRは比較的良く持ち応えたものだと思わなければならない(値上げは来年になってそれも春以降と言われている

 マイカー社会になって久しく、JR利用客は減る一方だが、その中でもJR四国はもっとも企業規模も小さく、これ、もし公益性がほとんどない私企業だったらとっくに倒産しているに違いない。企業だから目的は利益であるが、運賃はそうそう企業の都合で勝手に挙げられないところが苦しいところである。人員削減、合理化といっても限度がある。安全性を担保しなければならないからである、それじゃぁ、どこかに売っぱらう、あるいは思い切って赤字部門を(つまり収益率の低い路線)を切り捨てるか、ができるかと言えばこれも公益公共の点からやりにくい。結局、赤字体質のまま衰微せざるをえないのだ。はっきり言ってJR四国ほど将来性のない企業もないだろう。

 汽車の利用の衰微は各駅前の衰微と共振同調している。私が乗り降りするのは徳島駅以外では蔵本駅鴨島駅であるが、これらの駅前のさびれようはただ事ではない。昭和の時代と比べると店の大半は消滅している。鴨島駅前はシャッタをしめた廃屋のような店が並んでいるし、蔵本駅前も大きな店はほとんどなく、こちらはなにか再開発の予定があるのかやたらと更地が目立つ。

 日暮れのはやい師走、暗くなりますます寂しくなったこれらの駅前で点滅を繰り返し存在を示しているのが、冷たい色どりの蛍光のイルミネーションである。各商店街組合がせめてイルミだけでも賑やかにとおもったのだろうが、人気のないところでの冷光の点滅は、ますますわびしさを感じさせるものとなっている。

 これらの駅に比べるとさすが徳島駅は徳島・鳴門・高徳・牟岐各線の終着であるし、バスターミナルもあるので乗降客もかなりある、駅前の店も賑わっている、12月になり旧そごうのアミコビルもリニューアルし、今日の日曜はいつになく客で繁盛している。ただ徳島駅前も表の見かけは華やかだが、裏通りにまわると客はウンと少なく、寂れた店が多い。ポッポ街の昭和時代、師走にはずいぶん人であふれかえっていたが今はまばらで閉めた店も多い。そんな状況の中、今日、徳島駅前のポッポ街を活性化させようと、城ノ内高校2年生の有志9人が、県産のユズやミカンを使った食品を提供する催し「ゆずとみかんのとくもぐすとりーとinポッポ街」を開いていた。その宣伝マンさんが駅の入り口付近で催しの広報をやっていたがその格好が面白いので、許可を得て撮影させてもらった。


 二人いるようであるが実は一人である。二人羽織に似た格好で、小さい子どもなどは興味をひくのか立ち止まって見ているし、大人も結構注視している人がいたから宣伝効果はあったようである。

これを見た時、私は「江戸職業づくし」のなかの『えぇ~、親孝行でござい』という職業(江戸ではこれも立派な稼ぎ職人芸)を思い出した。どんなのかというと、左のように一人の人間が前に等身大の人形を腰に結び、いかにも子が老親をおぶっているような格好をしながら、「えぇ~、親孝行でござい」とふれまわり、その親孝行(の芸)で人々からいくらかの銭をもらうというのである。


 まったく馬鹿馬鹿しい、芸ともいえぬパフォーマンスであるが、江戸ではけっこうこういう商売芸が成り立ったのである。もっと面白いパフォーマンスもある。小道具も衣装も用意できぬ身一つの貧窮者がいた場合、「えぇ~、熊でござい」というのもある。素っ裸になり、全身に墨をぬり、熊の態にして、えぇ~、熊でござい、と言いつつ人々の間をまわるのである。それでも江戸の人は面白がってか、あるいは哀れんでか、銭をやったそうである。それで一日の食い扶持くらいは稼げたそうであるから、江戸という町の包容力はすごい。いまだとボランティアの炊き出しか、公共団体の福祉のお世話にならぬような人でも、江戸ではこのように「稼ぎの仕事」をしていたのである。

 この宣伝マンさんを見つつこのようなことを思いながらアミコ正面に向かうと、えらい懐かしい歌が聞こえてきた。
 ♪~恋人はサンタクロース、背の高いなんちゃらかんちゃら~♪

 アミコ正面へいくエスカレータをあがると少女が歌っていた。松任谷由実さんの「恋人はサンタクロース」の歌である。これを聴いたのは私が36歳のころみた映画であった。気に入ったので当時最新の機器であったCDディスクを買ったのを覚えている。この頃はまさにバルブの真っ盛り、そのおこぼれに預かり私も金銭的には結構華やかな思いをさせてもらった。そのようないい思い出がよみがえって来たのでデジカメ動画でこの少女の歌を撮影させてもらった。

2022年12月7日水曜日

五番札所地蔵寺

  境内に大きな銀杏の木がある。ハラハラと間断なく葉が落ちている。数日を経ずして寒々とした冬木立になるだろう。


2022年12月5日月曜日

初冬雑感

暖房

 電気代も値上がりするっちゅうし、灯油も高値を維持している、寒さが身に応える老体には暖房費に気を遣わねばならないので余計に窮屈さが増す。灯油タンクの備蓄は風呂燃料のみの消費で、石油ストーブは倉庫にしまってもう5年も使わない。冬を乗り切る暖房は、ホットカーペットと櫓炬燵のみである。時たま、エアコンを暖房モードで運転するが、これは主にメンテナンスと故障していないかの様子見のためで長時間つけるわけではない。

 真夏の絶えきれない猛暑の気候の時は、以前もブログで述べたように、お釈迦はんのインドの酷暑に比べりゃぁどうっちゅうことないわ、と我慢したが、今年は、ニュースでウクライナの人々がロシアの攻撃により電気のないなかで寒さをしのいでいるのを思いやり、それが我慢の根拠となるかも知れんが、健康を損ねてはお話にならないのでこのような「精神的対処」はまぁ半分冗談のようなものである。

テレビ鎌倉殿

 権力争いを見るにつけても、互角同士、生きるか死ぬかの激闘暗躍を見るのは、ハラハラドキドキもあって時代劇の楽しみとしては面白いが、終末期の鎌倉殿は「反逆は芽のうちに摘んどけ」とばかり、反逆の根拠さえ怪しいのに義時は、強大な権力を握った独裁者的な思惑で、部下や歳若い者をブチ殺し続けているのは、好きになれない、もう見たくはないのだが、あと二回で終わりなので、中世のエポックメーキングと言える「承久の乱」がどのように描かれるか、みるのがちょっと興味があって見ている。

 それにしても鎌倉殿のこの毎回血しぶきが飛ぶような誅伐というか謀略の殺戮は見ていて鼻についてくる。いわゆる「一所懸命」で自分の封地や職に命をかけるのが「鎌倉武士」ではあり、東国の武士(もののふ)たちの性格とはこのようなものであろうとは思うが、最高統治権をめぐる争はそれが終わるまでは血みどろとなるようだ。泰時にいたりようやくその目的が達成され安定期に入るがそれはテレビ「鎌倉殿」以降の話である。

 「鎌倉殿」は人気脚本家の創作時代劇であるが、依拠する史料は「吾妻鏡」である。幕府の公式史書扱いの史料である。ドラマの血なまぐささは決して脚本家の創作ではなく、事実、この「吾妻鏡」に基づく。そのためか、歴史好きの私としては、話題になった史書には一応目を通すのが普通であろうが、度重なる白刃を振るっての、吾妻鏡に載る事件、騒動を読むのはうんざりして読みたくない。その代わり私が今読んでいるのは同時代の歴史資料(史料ではない)として読まれている「増鏡」である。こちらも鎌倉時代をずべてカバーする「編年体の歴史ものがたり」である。王朝ものの系譜をひく歴史ものがたりである故、血なまぐさいことなどはない。「実朝暗殺」にしても、他の鎌倉の「騒動」も、また承久の乱も、蒙古襲来も記述はあるが優美な文体の中に淡々と事実が述べられているに過ぎない。どうせ読むならと、こちらの血なまぐさくない方を資料として、私は読んでいる。

 昨日のドラマでは「施餓鬼」を挙行し、当時の鎌倉庶民たちがチョロッと出てくるが、鎌倉時代の庶民の生活を知るのにもってこいの資料がある。私は以前購入して(かなり高価だったが)持っているが「一遍聖絵」である。絵巻物であるため、誰が見てもおもしろい。表面上をなぞるだけでも面白いが、深読みをすると、専門的な博士論文が何枚もかけるような貴重な資料である。つまり歴史好きの素人だろうが、専門家だろうが、だれもが読む価値のある絵巻物である。

 下は聖絵の中から、一遍上人が鎌倉で執権時宗に出会うところ


 サッカートーナメント

 リーグを勝ち上がった16チームがそろったが、一昨日からトーナメントも行われ、はや8強の4チームが勝ち上がっている。オランダ、アルゼンチン、イングランド、フランス、である。私はサッカーファンとしては全くの無知であるが、その試合に先立って、指標にしていたのが「各国の世界ランキング」である。それによると、オランダ(8位)対アメリカ(16位)、アルゼンチン(3位)対オーストラリア(38位)、イングランド(5位)対セネガル(18位)、フランス(4位)対ポーランド(26位)である。これを見ると、私の素人目だがやはりランキングは嘘をつかないと言える。ランキングが下位で、今のところ8強に勝ち上がったところはない。

 いよいよ深夜、日本対クロアチャであるが、この世界ランキングは日本(24位)対クロアチャ(12位)である。今までの流れを断ち切ってランキング下位の日本が上位クロアチャに打ち勝てるか。もちろん日本を大声援するが、今までの実績ではクロアチャがずっと上だったのだ。さてどうなるか。こりゃテレビ「鎌倉殿」以上におもっしょいわ。

 勝って、三苫と田中の抱き合っての芝生コロコロ、と長友の「ブラボー」の絶叫、また見たいわ。

2022年12月2日金曜日

無敵艦隊破る

  午前5時過ぎにションベンに起きたのでサッカーの試合途中経過を見ると、な、な、なんと!2-1で日本が勝ってるやないかぃ。まさかスペインとやってリードなんぞできると思うてなかったのでびっくり。なんとかこのままの状態を保てと思ってたが、心臓に悪いのでいったんTVを切って、次につけたらなんと日本勝利、正直、勝つとは思わなかったわ。

 スポーツ紙でスペインチームを「無敵艦隊」と表現しているが、これはご存じ世界史のイングランド対スペインの、英国の存亡をかけた大海戦、スペインは「無敵艦隊」を率いて英国攻略に乗り出した。時は1588年、日の沈むことのない大海洋帝国スペイン対弱小国英国、そのスペインの「無敵艦隊」が貧弱な英国艦隊に対したのである、誰も英国は負けて英国女王も踏み潰されると思った。しかし、大方の予想を裏切り、弱小の英国がスペインに勝ったのである。英国の海賊船を使った縦横無尽な戦略が功を奏したと言われている。

 世界ランクの遙か上のスペインを日本が負かしたとき、この1588年の無敵艦隊・アルマダの敗戦を思い出した。

 この後、英国はオランダをぶち破り、フランスとの世界規模の小競り合いにも勝ち、大英帝国の発展につなげるのである。

 幸先いいぞ!日本、がんばれ。

 だが、ランク遙か上の強豪には勝つが、同輩や格下に負ける傾向がなきにしもあらず、コスタリカなんかみておもう、なんとか次も勝って8位をものにして欲しい。

 急遽、にわかファンになったワイ。お気に入りの選手、スペインのガビ、と堂安ドウアンと読むらしい、時代劇の医者みたいな名じゃ)


2022年11月28日月曜日

峰・滝、両薬師参拝

  昨日以上に、今日は暖かかった。冬に突入前の、天からの最後の「小春日和」の贈り物かもしれぬと、最近の体調不良で何かに縋りたい気持ちもあり、歩いて峰のお薬師さんと滝のお薬師さんにお参りしてきた。

 私は強固な神仏にたいする信仰があるわけでもないし、特定の宗派宗教も信じているわけではないが、神仏をたのみとする私の心情は、西行の次の歌に尽くされている。

「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

 峰の薬師


 滝の薬師


 薬師信仰は仏教伝来以来千数百年の信仰を持つ。特定の宗派や教団にかかわりなくあまねく信仰されている。阿弥陀はん、お釈迦はん、大日如来はんはそれによって立つ宗派教団があるが薬師如来はんにはそのような宗派教団はない。癒されることを願う人々はみんな信仰者だ。そのためか寺の本尊でもっとも多いのがこのお薬師さんであると聞く。

 そうそう、また大河の話題となるが、吾妻鑑によると、義時が実朝暗殺に巻き込まれず命永らえたのはこの薬師信仰のおかげであるというのがある。お薬師さんは十二の神将の眷属眷属とは、まぁいわば薬師如来さんの子分・家来のようなものである、しかし神格を持っている)を持っている。それぞれ武神の格好をしているが、十二神将あるためか、十二の干支に比せられている。この中の十一番目の神将は「戌神」(いぬがみ)といわれるが、その戌神が義時の夢枕に立ち、前もって凶行を予言し、また凶行当日、鶴岡八幡宮にその戌神が現れたため、義時は急きょ実朝の太刀持ちを辞退したため、公暁らの襲撃を免れたというものだ。

 昨日の大河ドラマでは、義時の太刀持ちの変更は、実朝からの間接的な命令によってであり、吾妻鑑のこのような神仏霊験譚には組していない。

薬師如来眷属・十二神将


2022年11月27日日曜日

晩秋

  今月もあと数日で終わる。晩秋の穏やかな天気は今日明日くらいまでで、その後雨の日が続いた後、来月からは一段と寒さが増し、いよいよ冬となる。歳とともに遠出をするのがしんどくなっているが、寒くて風の強い冬の天気となれば、ますますおっくうになる。

 今日は鮎喰から佐古まで車の比較的少ない間道を歩いて、残る秋を見て回った。

鮎喰川河川敷はススキが風に揺れていた。晩秋の斜めにさす陽光で銀色に光っている。


いつもは鉄橋を渡る列車から鮎喰川を眺めているが、今日は反対に鮎喰川から鉄橋上の列車を眺めてみた。


城西高校(旧徳農)の敷地内の木々は鮮やかに紅葉していた。



蔵本公園の桜木は半分以上落葉していた。

藍場浜公園の木々、紅葉ももう終わりだ。木枯らしが吹くのも近い。

実朝暗殺の前に

  先週の大河で実朝暗殺か、とおもったが大事件のためか、引き延ばされたが、今日がいよいよ暗殺本番となる。さて、暗殺に至るまでと公暁抹殺までどのような複雑な人の動きが展開されるか、それは興味があるが、もう私は、大方の真面目な歴史学者の言うとおり、公暁単独犯に(心情的にも)傾いているので、黒幕説は支持しないで今日の大河を見る。

 小説家や脚本家は「自由な創作」が命なので、どのような奇天烈な説を唱えようが自由だが、首尾一貫性は大事にしてほしいものだ。鎌倉時代人ではなく現代人の行動の論理性に重きを置くのは歴史ドラマとしていいとしても、論理矛盾や首尾一貫性の破綻は止めて欲しい。

 予告編によると、エピソードか、それとも重要な事柄なのか分からないが、怪しげな予言ババアが出てくるようだ、前々回か、このババァ見た時、「あらぁ!」ババァ役の「北林谷栄」がまだ生きとったんか!と思わせるほど北林谷栄ににた婆さんだったが、あとで配役をみるとこれが「大竹しのぶ」、ワイらが若い頃は、おぼこな田舎娘のキャラで、今になってもそれが頭にインプリンティングされているが、時と共に変われば変わるものだ。

 世界を含め世に暗殺事件は数々あれど、こんな絶好の見せ場での暗殺成功はちょっとないくらいすごい。最高権力者が戴冠式とほぼ同じような「場」で殺されるのは、例としては思い出せない。日本の重大な暗殺は、入鹿、実朝、義教、信長にしても、白刃をひっさげて堂々と斬りかかっている。ある意味暗殺者も覚悟の凶行である。しかし世界史の大帝国の権力者の暗殺は、こっそりと(あわよくば暗殺者が誰か分からぬよう)実行される場合が多い。そのため毒殺や宮廷奥深くでの密殺が多い。日本ではそのようなこっそりの暗殺が少ないのは、命のやりとりに対する潔い国民性か、それとも武断的な武家が政権をズッと担っていたためだろうか。

 今日の見せ場の「鶴岡八幡宮社殿の石段」を実際に見たい気がしたが、今まで忘れていたが、なんと、ワイ、十年前にここへ行って写真を撮っとったわ、これを見ながら、ふむふむ、ここで暗殺が行われたんやな、と改めて思った。当時の公暁が潜んだと言われる大銀杏は枯れていたが、大きな切り株はまだ残っていて、当時を偲ばせる。

 そのブログ、ここクリック

2022年11月25日金曜日

紙芝居屋さん

  紙芝居屋さんが街角や広場に来なくなったのは私が小学校の何年生頃だろう。はっきりはしないが各家庭にテレビ受像機が入り出したのと軌を一にしていると思う。我が家でテレビの中古が入ったのはもう中学に上がってだが、それ以前の小学校の時にも子ども向けの面白い番組があるときは、テレビの入っている友達のウチに見せてもらいに行ったり、早めに銭湯へ行ったりして見た。そのころからはもう「紙芝居屋さん」の記憶は途絶えていた。

 紙芝居屋さんは、もうかなり年配の人だった。そうとう年季が入っているのか、紙芝居の人物のキャラに会わせて、娘や老婆、怪物などの声音を使い分け、今から考えると、ほとんど声帯模写の芸の域に達していたのじゃないかと思う。

 自転車の荷台に紙芝居の枠板、そして引き出しのついた菓子類の箱を載せてやって来たが、メガホンをもっていて、「さぁ、始まるよ~」と大声で周知していた。

 紙芝居屋さんから駄菓子を買った子どもが紙芝居を見る権利があったが、菓子を買わない子でも、買った子が取り巻く集団から少し離れて見るのは大目に見てくれていた。自転車の荷台に紙芝居の道具と共に持ってきている菓子類は種類も限られまったく他愛のない駄菓子だが、なぜか駄菓子屋の菓子よりこちらの菓子が子どもには人気があった。

 のしイカ、スルメ類、ポン菓子せんべい、そして水飴、水飴は紙芝居を見ている間に二本の箸でこねくり回していると透明な水飴が白くなり、おいしさが増すように思われた。くじ引きや、切り抜き菓子板もあり、こちらは当ったり、うまく切り抜くと、おまけの菓子がもらえた。

 紙芝居屋さんが見せる「紙芝居」は鏡に反射させたもので、抜き取る紙芝居の場面に緩急をつけ、臨場感を出したり、ペープサート(切り抜きの人物)のような工夫もあり、面白かったが、普及しだしたテレビの子ども向け番組には対抗できず、消滅してしまった。

下は佐古の諏訪神社境内の紙芝居に集まる子供ら、今もこの境内は昔と変わらない。一人ぽつんと離れて見ている男の子は駄菓子を買う小遣いを持っていないのだろう。ちょっと切ない後ろ姿である。(撮影年月日ははっきりしないが昭和30年代前半ではないだろうか)

2022年11月22日火曜日

一番短い橋

  標高の一番低い山として徳島市方上町の弁天山が有名で、観光のPRの対象ともなっている。しかし、こちら、蔵本町三丁目の八坂神社(祇園さん)の鳥居を入ったところにある「県内で一番短い橋」は忘れ去られている。弁天山の方は国土地理院の認定があるが、こちらの橋は昔からそのように言い伝えられてきただけで公的な認定はないし、橋とは言っても昔は下を小川が流れていたが、いまは全て暗渠化され石やコンクリで覆われている。

 明治10年に架設され、当時県内で一番短い橋といわれた。やがて川もなくなり、表面は舗装化されたが、このいわれのある橋を後世に残していこうという意志が働いたのか、小さな橋は今も残っている。

 鳥居の手前、欄干のある橋のがそうかと思うがそうではなく、鳥居を入った奥に見えているのがその橋である。


 下のような橋で、「櫻橋」という。左の石柱は「さくら橋」右のそれは「櫻橋」と彫ってある。



2022年11月21日月曜日

大河はん!そりゃなかろうぜ。


  昨夜の大河、実朝暗殺の直前で、次週につづくとなった。しかしもうそれぞれの役割はきちんと決まっていた。やはり予測したとおり、公暁を教唆し、あわよくば最高権力奪取をねらった第一の黒幕が三浦義村、そしてもっとも背後にいたラスボス(元凶)は北条義時である。この大筋は永井路子氏の小説と一致しているが、以前の大河の実朝暗殺との違いは、実朝側近の策士・源仲章も権力奪取に強い意志を見せ、実朝を動かして、なんと!鎌倉にある将軍府を京都六波羅に移そうと画策し、実朝も受け入れ、直前にそれを義時に打ち明けている。そしてそれにあきれた北条義時が最終的に実朝を除く決断をする。(京都へ鎌倉府を移すなどという史実があるかどうか疑問だ)

 とまぁ、三人三様の策をめぐらせる訳であるが、昨夜の放送の時点では、まだ義時の優位は確定していない。我々は史実として実朝とともに源仲章も公暁らによって殺されることを知っているし、三浦は飛び込んできた公暁を抹殺したことを知っているので、義時が最大の利益者であり、だから黒幕ではないかとみているが、三人三様の策略がどのように絡み、最終的に実朝、公暁、源仲章が殺されるのかは、次週ドラマを見なければ分からない。

 まぁ、次週楽しみ、といいたいが、それぞれ策士三人の計画が、まぁ軽いこと、これは例えると、悪人とまでは言えない不善を為す小人が、ホームドラマか学園ドラマで、罪にもならないようなコソコソした「悪巧み」をやっているようなもの、日本史上有名なこの実朝暗殺に関して言えば、みんな生きるか死ぬか、そして最高権力を手にできるか、どうかである。必死で綿密な計画を立てるのが普通であろうが、どれも軽率でおざなり感がある。どうも歴史ドラマである大河が、ホームドラマや学園ドラマ、せいぜいのとこ、お茶の間の2時間サスペンス劇場になっているみたいだ。

 私が仰天したのは、公暁の父の頼家の死の真相を知った実朝が(直前まで知らないとは不思議な話だが)、なんと、凶行の直前、公暁のもとに出向いて深く頭を下げ謝罪する、そして今日の拝賀式を利用して、ワイら二人で元凶(義時らをさす)をやっつけようではないか、と提案するのである(実朝が去ったあと、公暁がだまされるものか、つぶやくのでこれは成功しないことが暗示される)。これを見た時、思わずテレビに向かって叫んだ。

 「大河はん!そりゃなかろうぜ」

 加害者と被害者があらかじめ申し合わせていて、凶行にみせて二人の目的を達する、というのは、なるほど火曜サスペンス劇場の犯罪モノなら、ありそうな話だが、それを13世紀の鎌倉でやるか?断言してもいいが、こんなの史実どころか、毛もないだろう。確かに娯楽性の高い大河ドラマとしての脚色はあろう、実朝と泰時の片想いの恋などは想像力を働かせたものとして百に一つくらいは可能性のある話ではあろう、そしてそれをとりあげたらドラマは面白くなるが、この実朝と公暁の直前の密談はいくら何でもあり得ぬし、見ていてこちらが混乱してしまう。永井路子氏の実朝暗殺黒幕陰謀説のさらに上を行くつもりで、脚本家は考えたのかも知れないが、それではあまりにも複雑混乱をきたしてしているのではないかと言われてもしかたない。

 私は史実として、今まで実朝暗殺に対するいろいろな人の説のどれも信じているわけではないが、昨夜の大河をみて、

「これは、公暁ら単独犯説がもっとも信じられるわ」

 と思うに至った。これだけ怪奇とまではいわないにしても複雑で混乱した数々の陰謀の錯綜をみていると

「真実は単純なものに宿る」

 という格言を思い出す。史上有名なこの暗殺事件もそのように考えたらいいんじゃないかと思っている。最近、この実朝暗殺に関し興味が起こったので最新の学者の、それに関する説を幾つか拾い読みしてみた。その中には中世史の新書では珍しくベストセラーになったG教授もいる。するとどの学者も公暁単独説が真実に近いと断言していた(もちろん公暁一味も含む)。昨日のドラマの(私にとっては)混乱ぶりを見ていると、その思いを強くする。

 トップに君臨する者の突然の暗殺は、大きな影響をさまざまな人の上にもたらす。そしてそれに影響された人がまるで玉突きの「玉」のように、次々と他の玉(他者)を動かしていく、玉(人)はどの方向に跳ね返るか分からない、突然の事件に一瞬は呆然としても、すぐ正気を取り戻し、新たにもたらされた状況に、ある者は、自分にとってより悪くない方向に動こうとするし、またある者はそれを、より自分にとって有利な方向に持って行こうと動く、それが各玉がどっちに跳ね返るか分からず、次々と他の玉も突き動かすのである。

 結果、当時の人が誰も予測しなかった方向に全体が動き、新たな状況が作られるのである。これは最近起きた元首相の暗殺事件についてみるとよく分かる。逆恨み感の強い犯人によって引き起こされた殺人は(今のとこ黒幕がいるとの確証はない)、上記のようにおもわぬ方向へ全体を動かす。特に注意したいのは、暗殺によって引き起こされた状況を、ある政党は少しでも悪い状況にしないように動き、また別のある政党は、逆に少しでも自党を有利な状況に持って行こうと動く、各玉が衝突し、軋轢を繰り返し、全体は新たな状況に推移するのである。この各「政党」の動きを、鎌倉時代の「各氏族」の動きとみるとよく理解できる。

 以上のように考えると「最大の利益者が真犯人である」という、刑事物の通説は、歴史に関しては言えることではない。後世から見ると義時を中心とする北条氏が最大の利益者のように見えるが、それだから彼が黒幕であり、真犯人とは言えなくなる。史実は、公暁単独犯であったという最近の学説にもっとも説得力があると私は思っている。

 それにしてもこのドラマの実朝くん、ますます可哀想さが増す。素直でいい青年将軍が後ろ盾となる北条氏からは切り捨てられ、最愛の泰時くんとの恋も成就せず、心から謝って、公暁くんと二人で元凶を取り除こうとするも出来ず、殺されてしまうのだ。何重にも可哀想だ。

 下は、唯一、実朝くんが恋しい泰時くんに愛を告白しようとしたとき


実朝くんは和歌の恋の歌に託し泰時くんにラブレターを送る、その和歌。

 『春霞 たつたの山の 桜花 おぼつかなきを 知る人のなさ』 

 私が意訳すると(※ボク(実朝)と泰時くんのと間には、春霞がたつているようだ、ボクはこんなに恋に燃えているのに、隔てる霞のため、はっきりとはわからず、知ってほしい人には届かない、それは泰時くん君だ、ボクは切ないよぉ~

 を送るが、鈍で和歌の素養のない泰時くんは、わからない。人から、これは恋の歌ですと指摘され、実朝くんのところに、それを持って行って

 「あのぉ、これ、まちがってますよ、これ恋の歌ですよ」

 という。シャイな実朝くんは、あ、間違ってたわ、と笑いながら受け取るのですが、このシーン、このぉ~ぼんくらがぁ! と笑いながら突っ込みをいれるところだ。 

2022年11月20日日曜日

大河は最大の見せ場にさしかかる

 


 言わずと知れた実朝暗殺である。「見せ場」と言ったが、これは江戸期以降の歌舞伎の舞台、そして近代に入っては映画、テレビなどのここ一番の重要なシーンのことをいう。現実の暗殺に「美意識」が入ることはまずあるまいが、「見せ場」ではたとえ暗殺でも「美意識」が入ればすばらしいシーンとなる。

 不思議なことに現実におこった「実朝暗殺」は、見せ場となるシーンの要素を多く持っている。というかよくまぁ、これだけいい役回りの者と、いいシュチュェーションがそろったものだと感心する。場所は鎌倉幕府の源泉的中心である鶴ヶ丘八幡宮の参道、降り積もった雪明かりが明るい夜、まるで壮大なページェントのような「右大臣拝賀の儀式」、都からの貴族も参列し、松明でさらに明るい行列はしずしずと進む。そして拝賀が終わって退出の行列が下るとき、社殿石段の大銀杏から暗殺者たちは飛び出す、実朝暗殺は成功するが、同時に殺された太刀持ちは本来は北条義時であったはずだがなぜか事前に変更になり、義時は難を免れる。

 日本史上、極めて重大な暗殺事件を思いつくままあげると、蘇我入鹿、源実朝、足利義教、織田信長、大老井伊直弼、などであろうが、実朝暗殺のシーンがもっとも悲劇的で、美しいほどドラマチックな暗殺現場である。大老暗殺も雪のシーンではあるが、美的観点からの見せ場となると実朝のページェント(華麗な行列)には劣る。また世界史をみても、この悲劇性は抜きん出ていると思っている。悲劇性で比較できるのは第一次世界大戦の引き金となったサラエボでのオーストリー皇太子夫妻暗殺事件くらいだろうか(断末魔の皇太子が妻に向かっての叫びに、子のために生きてくれ、というが、妻もやがて事切れる、後には孤児になった子が残される、という語るも涙の話がある)。上に挙げた蘇我入鹿、足利義教、織田信長、大老井伊直弼にしてもかなり強引に権力を振り回し、その身にも暗殺される原因の一端はあったと思われるが、青年将軍実朝にはそのようなものはない。

 大河でも実朝は優しく穏やかな教養のある青年として描かれている。そして最も信頼できる第一の臣下である泰時への秘めた愛が切ない。殺される理由のない実朝暗殺は「見せ場」として観客の紅涙を絞りそうである。

 最大の「見せ場」はこれで終わらない。歴史的な「画期」となるのは実朝暗殺以上に「承久の乱」のほうが大きい。実朝暗殺が華麗なページェントであるならば(突然、断たれ大混乱に陥るが)、こちらは勇壮な「合戦絵巻」とでも言おうか。「保元の乱絵巻」や「平治の乱絵巻」のように目もあやな、美しい武者の甲冑騎馬姿は惚れ惚れするほど美しい。保元・平治のときの騎馬武者の姿は鎌倉武士と変わりない。大河における承久の乱の見せ場は、このような合戦絵巻風の描き方の如何にかかっている。しかし、予算の関係か、あるいは馬の調達、そして撮影のための馬の調教の難しさからか、最近の(中世の)合戦絵巻は小ぶりで見ていて私は不満である。歳ぃいったジジイだからか、往年の黒澤明監督作品の人馬一体となった合戦シーンを見ているので最近のものは(甲冑などは色鮮やかで美しいが)物足りなさを感じている。合戦絵巻はどのように描かれるか、楽しみであるが、期待はしない方がいいかも知れない。ちょっとした(承久の乱)合戦のエピソードでお茶を濁される気がして、落胆しないようにしている。

 エピソードと言えば合戦前に鎌倉武士を前にした政子の演説?は有名で大河でも必ず取り上げるであろう。彼女の演説は、朝廷に逆らうことに対しためらいのあった武士や、京都方の軍勢をこちらで迎え撃つというような消極的な武士たちの態度を一変させたものとして知られている。鎌倉武士の胸を打ち、奮い立たせたことは間違いないが、それは彼女の演説のうまさ(裏には筋書きを書いたものがいるかもしれない)にあると言われている。京都方(後鳥羽上皇)が発出した院宣は「義時を討て」というものである。義時を名指ししたものであるが鎌倉幕府・将軍、御家人体制を否定したものではない。しかし政子の言い分は、院宣は「鎌倉体制・御家人全体」を敵としたものであるとしている。うまくすり替えが行われている。

 戦時において言葉すなわち為政者の「演説」の持つ力のすごさは、今現に起こっているウクライナ戦争でのゼレンスキー大統領の国民・軍を奮い立たせた演説をみて我々はよく認識できる。戦時においては集団興奮が発生しやすい。演説にあおられ熱狂すると「大同」が大きな流れとなり「小異」は押し流されてしまうものである。

 ただ政子の演説は結果として、鎌倉武士をこちらにいて迎撃するより、こちらから京都に向かって積極的に進軍させることになり、勝利に結びついたといわれている。実のところ、鎌倉武士が乱れずに一味同心し、積極的に京都へ攻め上る戦略をとった時点で、もう京都方が勝てる見込みは消え失せたのが本当である。1600年に起こった「関ヶ原の戦い」のよう東西がほぼ互角の軍勢を用意し、激突してみなければ勝敗は分からないと言ったものではなかったのである。

 この承久の乱の鎌倉方の勝利は歴史的には大きな画期となった。鎌倉幕府が安定し、この後も公武体制は維持されるものの権力では武は公(朝廷)を抑え込むものとなった。そして以後7世紀以上にわたって続く武家政権が幕開いたのである。承久の乱後、出された武家の法令(式目)に有名な「御成敗式目」がある。乱で活躍した泰時が執権となり施行されたものである。51条ある。読んだ人や、そもそもこれに関心を持つ人は少なかろうが、これをみると泰時を始めとする鎌倉武士たちの倫理、宗教観、遵法意識、家族のそれぞれの地位、彼らが道理(理にかなっている)とするものがいかなるものかよく分かる。中世の歴史が好きな人には是非読んでもらいたい。大河ではこのような法令集は面白くないので取り上げない公算が大きい。

 今夜の「鎌倉殿の13人」、いよいよ鶴岡八幡宮雪の惨劇の前夜か?

追伸

 大昔、やはり大河「草燃える」で実朝くんやったの誰か忘れたので検索すると篠田三郎だった。やっぱ、今回の大河と同じで実朝のキャラは、真面目で、教養のある好青年で描かれてますわ。ちなみに今回の大河の実朝くんのボーイズラブの相手の泰時君は昔の大河では中島久之、どっちもジャニーズ系のイケメンだ。何十年たっても実朝も泰時もキャラは変わらんちゅうこつか。(ワイ、この篠田三郎と同い年じゃと思とった、調べたら実は少し上。ずっとワイの方が醜いが、歳ぃいったら老化してその差は縮むかとおもたが、変わらんどころか、篠田のほうがズッといいおっさんになっとる


2022年11月17日木曜日

常用薬

  常用薬、あたりまえだが、毎日必ず服用する薬だ。私は現在何種類かそれを飲んでいる。キツイ症状があって飲まなければひどい苦痛に襲われるというようなことではなく。主に予防や悪化を防ぐためである。それとほぼ常用薬化しているのが精神安定剤である。これは精神の安定と言うより、睡眠不足を軽減するために飲んでいる。

 本当は常用薬など飲みたくない、なんとか縁が切れないかと思うが、まぁ寿命が尽きるまでそれは無理だろうとおもう。高齢になるということはそういうことなのだ。

 今年の1月から血圧の降下剤がそれに加わった。高血圧はずっと前から気づいていたが、症状がないため無視していた。しかし70歳を過ぎて、高血圧のため脳や心臓の病気で頓死するニュースを聞くたび、人ごととは思えなくなった。今年初め胃カメラを飲んだとき、計った血圧が異常に高かったことに恐れをなして翌日循環器科を受診した。症状がないため軽く考えていたが、医師から脅され、結局、血圧の薬も毎日一回飲み始めた。

 血圧計も購入し朝夕血圧をプロットしている。朝は高く、寝る前は低くなる。夏からついこの間までは朝は130前後(下は80)、夜は120弱(70)くらいで推移していたが、最近、朝、ずいぶん冷えるようになって血圧が高めになってきている。去年までは血圧計もなく、もちろん症状もないから、高血圧など気にせず暮らしていたが、毎日血圧を測り、血圧に注目するようになって、これも心配のタネになっている。

 正直、症状もなく、ある日、高血圧のため脳血管か心臓がパチンとなり、頓死するならそれでもいいと思うが、そううまく突然死はしない可能性が大きい。結果、全身麻痺や半身不随になることを思えば、やはり予防のため血圧の薬も飲まざると得ないのだ。

2022年11月11日金曜日

向麻山の石仏を見に行ってきた

  何度か向麻山の石仏を拝みに行ったのだが、昨日のブログでこの石仏は「摩利支天」さんだと紹介した。しかし気になって今日、現地へいって何枚か参考のため写真を撮ってきた。

 秋だなぁ~、途中、カラスウリが真っ赤に実り、絡みついた木から垂れ下がっていた。


 まず向麻山の鳥瞰図を見ていただこう。古墳のような独立した小さな山、といったが下のようなものである。すぐ横には飯尾川が流れている。摩利支天さんの石仏は頂上から少し下ったこの位置(矢印)にある。


 今から12年前、石仏に詳しくないころ作成したブログでは、私の推理として、これ、田畑を荒らし、作物を食い散らす、シノシシ除けの守護神として拝まれたんじゃないかと思っていた。石仏は憤怒の形相で、イノシシを踏んづけているからだ。

 そのあとで天部の仏を含め多くの仏さまがあることを知り、これはイノシシに乗った「摩利支天」さんじゃないかと判断した。

 摩利支天さんはどんな仏様(天部)というと、ウィキによると

 『摩利支天(マーリーチー)は陽炎、太陽の光、月の光を意味する「マリーチ」(Marīci)を神格化したもので、由来は古代インドの『リグ・ヴェーダ』に登場するウシャスという暁の女神であると考えられている。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。

 とある。 そのお姿は通常、三面(顔が三つある)、各三眼、八臂(はっぴ)で金剛杵(こんごうしょ)、弓箭(きゅうせん)などを持ち、猪(いのしし)に乗る姿で示されるが、調べると下の写真の石仏のように、一面で弓矢だけが目立つ摩利支天さんの石仏もある。


 以上のことを踏まえたうえで今日、向麻山に出向いて撮った石仏を見てもらおう。

 このような急な山の斜面にたっている。

全体像
足元のイノシシ、カエルみたいだが尻尾がある。

 台座は少し風化しているが刻文は読めないことはない。

 台座前面は建立者や協賛者の名前が彫られている。所は美馬郡拝原村と読める


 台座右面は年号 建立は明治十三年である


 台座左面は、石工の名前が読める。石井村、遠藤某


 台座の後ろは何も彫っていなかった。台座にはこの像は摩利支天さんですよ、と示すような刻文はなかった。私はこの石仏は摩利支天さんと判断したが、どうだろうか。

追伸 

 ネットでニュースを見ていると巨大イノシシ捕まるとのニュースが配信されていた。

 記事によると、体重200キロ超、体長182センチ、胴回り141センチもある雄の巨大イノシシが、鳥取県江府町内の山中で仕留められた。ぼたん鍋で200~300人分の肉が取れるそうだ。写真を見ると、もののけ姫に登場する巨大な猪神、乙事主みたいだ。

2022年11月10日木曜日

イノシシについて書きちらします

  わがローカル紙の今日の一面トップニュースはイノシシが小松島の中心街に現れ大暴れし、小学生を含めた6人が怪我をしたことであった。まったく凶暴なやつで許せないが、太古から日本人には身近な動物で、害獣ではあるが蛇蝎のように嫌われた動物かというとそうでもない。


 我が県の西の方に住む年配の人は子供の頃、「亥の子」の祭りを祝ったことを覚えておられないだろうか。これなどは子どもの健康息災を祈り、豊穣を感謝し、子孫繁栄を願う行事である。これは祭りの名称「亥の子」を見ても分かるように、多産なイノシシにあやかっていると言われている。害獣ではあってもイノシシの多産に注目し、祭りの名称に取り入れるほどであるから、まったく嫌われている獣ではないだろう。また「亥の子」・イノシシの子の「うり坊」は、かぁちゃん、これ飼ってもいい?と言わしめるほどカワイイ。

 そういえば亥の子の祭りって今頃だぞ、と調べると(旧暦10月の初めての亥の日)今年は11月6日、つい数日前の日曜日だ。「ワイの祭りだワッショイ」などと浮かれて、小松島のイノシシは出てきたわけでもなかろうが、この時期、イノシシは目立つのかな。

 そうだそうだ、ヨーロッパでも日本でも森林は「落葉広葉樹林」が多い。この樹林帯は樹木がクリだのドングリだのの木の実をつけ、秋になると落ちてくる。それはイノシシの大好物で冬に向かっての皮下脂肪を厚くする重要な食べ物である。結果、この時期は昔からイノシシが目立つのだ。だから亥の子の祭りも、ドングリなどをウマイウマイとあさるイノシシ、かたや秋の田の豊作を喜ぶ人間と、季節が重なる今となるわけだ。


 とまぁここまでは可愛らしい子どもが中心の「亥の子」祭り、可愛らしくないおっさんオバハンはイノシシなんぞ関係ないわ、いやいや、そんなこおまへんでぇ~、博打好き、特に花札賭博のすきなおっさんオバハンは花札の、猪鹿蝶でおなじみでじゃないですか。

 左がその花札、ご存じイノシシと萩の札。ちなみに花札は季節感を大切にする日本で生まれたトランプだからか、全て春夏秋冬どころか12ヶ月に分類できます。じゃぁ、お聞きしましょう、このイノシシの絵札いつ?てっきり秋と思うでしょうね、私もそう思っていました。ところが、これ夏(新暦では7月)なのです。えぇ~~~、意外!なんでぇ?

 萩は確かに秋の季語とはなりますが、萩の花は夏頃から咲いてます。7月には萩の花が見られます。だからまったく萩は夏と関係ないこともない。じゃぁイノシシは、夏のイノシシ?なんか関係あるのかしら?この絵札のイノシシをじっとみていると、このちょっと漫画チックにデフォルメされたイノシシ、どっかで見たことあるぞ。


 歌舞伎「仮名手本忠臣蔵・五段目」通称・二つ玉、で舞台に出てくる着ぐるみイノシシと似ている。毎回、見るたびに、みょーなイノシシなので客席の失笑を引き起こすイノシシだ。季節も梅雨末期の大雨の夜だから7月だ。

 じゃぁこの花札イノシシ、仮名手本忠臣蔵・五段目からきているのか?いや、花札の誕生より仮名手本忠臣蔵が後だから、この説は違うか、でもこの歌舞伎のイノシシと、絵札の漫画チックなイノシシ、仮名手本忠臣蔵との関連を疑うなぁ。花札が生まれたのは江戸期よりもっと早いとしても、イノシシの絵柄が固定したのは江戸期で、そのとき仮名手本忠臣蔵から影響を受けたとも考えられるが、これ、やまさんの怪しげぇな説だから信用せんといて。

 このようにイノシシについて書くと、まるでイノシシが愛されるべき動物のような錯覚をおぼえていかん!とお叱りを受けそう。現実に小松島ではイノシシにかみつかれ怪我、池田の方では新聞配達がイノシシに突進されこけて骨折、その人たちから見ればとんでもない害獣だろう。だが一面では(多分に観念的なものであるが)愛されキャラでもある、愛憎半ばとでも言っておこうか。

 もう十二年も前だ。ウチの近くに古墳みたいな、でも独立した自然の小さな山がある。「向麻山」と呼ぶ。そこを散歩していてイノシシを踏んづけているような「石仏」を発見した。今ここで説明するよりそのときのブログがあるので読んでほしい(ここクリック)。

 このときはこの石仏がどのような仏様あるいは神様か分からなかった。イノシシもてっきりこの憤怒系の石仏に踏みつけられていると思っていた。しかしこのブログアップから7~8年たってから「仏教」や「神仏習合」を本などでお勉強した結果、これは仏教の天部の仏、「摩利支天」さんで、イノシシは踏んづけられているのではなく、この摩利支天さんの乗り物だと言うことが分かりました。つまり、この踏んづけられたように見えたイノシシは摩利支天さんの眷属・子分、これを信仰者の立場から言えば、イノシシは御神獣だったのです。ああ、ありがたや。

 とまぁ、イノシシについてしょうむないこと書きちらしました。イノシシの被害に遭われた方、ごめんなさい。

2022年11月9日水曜日

文学碑とある間接的記憶

  数日前にニュースで瀬戸内寂聴さんの文学碑(記念碑)が建立されたと聞いた。図書館からも近いので先ほど見てきた。13年前に寂聴さんの文化勲章受章を記念した石のモニュメントの近くにあった。


 碑の説明を読むと、日付が今日になっている。ニュースで聞いたのが数日前なのにこれはどうしたことだ。と思い調べると今日が命日に当たるのだ。そのため11月9日となっている。


 寂聴さんの作品は時代物の小説「中世炎上」しか読んでいないので、私はとても彼女の文学ファンとは言えない。そのたった一つの感想をいうと、その小説が元とした古典「とはずがたり」を、難しくても、解説本や辞書をみながら直接読む方が面白かった。原典を直接読もうという動機を与えてくれた彼女のこの作品は、そういう意味では感謝している。

 もうかなり前、やはり寂聴さんが、古典をもとにした大作に「寂聴版・源氏物語」がある。かなりの人気でたしかベストセラーになったと記憶している。私は読んでいないので分からないが、これに熱中し、源氏物語ファンになった人は、ぜひそこでとどまらず原典を読んでほしい。わたしも千切れ千切れながら何十年もまえから原文の源氏物語を読み続けている。いまだに読み終えないが。

 さて今日のお題の「間接的記憶」

 もう半世紀近い昔、私が24歳の紅顔白皙の青年だったとき(?)、一年臨時で務めていたある職場にその当時では珍しい女性の管理職がいた。テキパキと仕事の出来る方だった。あるとき、雑談か何かのきっかけで瀬戸内晴美さんの話がでた(まだ出家前の名である)。そうすると彼女は、私は徳女(徳島女学校の略・今の城東高校の前身である)で瀬戸内晴美さんと一緒に通っていたというのである。そのときの彼女の年齢ははっきりしないが50歳かちょい前くらいと思う、たしか寂聴さんの後輩として同じ徳女に通っていたと聞いた。

 その話の聞き手は私以外にも数人いたが、中の一人が彼女に女学校のときの瀬戸内晴美さんはどんな感じでした、と聞いた。すると彼女は感嘆するような声で「そらぁ、すごかったわよ」「もう女子生徒の憧れの的でもあり、行動は瞠目することばかりだったわよ」、と答えていた。そして何事もはっきりと自分の意見をいい、上に屈することもなく態度は堂々としていたといい、また格好もハイカラで、特に彼女は、瀬戸内晴美さんの、ニッカボッカのブルーマーの体操姿がとても格好良かったと(瀬戸内晴美さんは陸上か何かやっていたと聞いたような記憶があるがそこは曖昧)、ちょっとウットリとして、その姿を思い浮かべるような表情で話していたのが強く印象に残っている。

 これが半世紀もの大昔、当時の女性上司を通じた瀬戸内寂聴さんの、私の間接的記憶である。