2023年4月28日金曜日

初夏の風景

  明日から初夏の黄金週間がはじまる。野外で楽しもうと思っている人は天気が気になるだろう。週間予報をみると後半は雨の日が多い予想である。まぁ私は黄金週間といっても平時と変わることなく過ごすだろうが、大勢の人が出かけるのでむしろ野外は避けようとおもう。

 それにしても春から初夏の移り変わりは温暖化の影響からかどんどん早くなっている。昔は4月29日の昭和の日くらいからが藤の見頃を迎えたものだが、今は藤どころかツツジも最盛期を過ぎつつある。

 今日汽車の車窓から徳島平野をみるともう田に水を入れ、しろかき、そして田植えが始まっている(県南はもっと早いようだ)、やがて車窓からは広がる田の水面にうつる水天が見られるだろう。


 先日は佐古の椎の宮さんのツツジを見に行ったが、やはりツツジの名所でもある佐古の諏訪神社へ午前中ツツジを見に行った。行く途中、佐古小学校の北の方にこのような狸大明神の祠があった。説明板を読むと、ここの狸は役者の真似が好きだったそうである。察するに大昔はこの近くの諏訪神社の境内で「宮地芝居」が行われていたため、地元の狸も影響されて役者の真似をするようになったんじゃないだろうか。徳島の狸はみんな面白く愛すべきキャラが多い。


 諏訪神社の前の道で保健所の人だろう、車を止めて移動巡回の「犬の予防接種」を行っていた。よく吠えてなかなかきかん気のある柴犬が数匹いたが、ビビりが多く、リードで逃げられないにもかかわらず必死に逃げようともがく犬、しかし職員は手慣れたものでサッと注射をする。ギャインと大げさに泣いていた。


 諏訪神社のツツジももう盛りを過ぎていた。



 初夏の空には絹雲がでていた。巻雲ともいうがなるほど、吹き流れた雲の裾が巻いているように見える。またそう思ってみると、天人の裳裾、羽衣と見えないこともない。

2023年4月27日木曜日

痛てて

  この歳になると若いときは経験しなかったような「痛み」を体験するものである。現在、胃もたれと、胃部の鈍痛が続いている。この内蔵(胃)の痛みは鈍痛と言ったが、若いときには経験しなかったようなちょっと言い表しにくい痛みになっている。鋭い痛みでなく耐えられるのだが、なんとも嫌な気分にさせる形容しがたい鈍痛である。

 私の友人は最近(ヘルニアか座骨神経痛か)腰の痛みを訴え、昨日あったときもすわるたび「痛てて」と言っている。私もヘルニアの痛みで平成17年の1~2月頃、一ヶ月近くまともに立ち上げれないほど腰の痛みがあった。立ち上がれない痛みには困った。まだ55歳くらいだったがこのまま立って歩けない痛みが続いたらどうなるのか、と心配したが医者の治療の結果ではなく、日がたつにつれ良くなり、また自転車のチューブを切って腰に強く巻いたりして腰の痛みを軽減し、自然に歩けるようになった。でも足の感覚異常はヘルニアの所為で今も若干続いているし、時々痛くなる(腰など)

 しかし、痛みを取り去る薬は近年格段の進歩を遂げている。腰の鋭い痛みはもちろん、私の胃部の鈍痛も医師の処方でたくさんたまっているガスター錠を飲めばすっきりするが、注意書きとして痛みを除去することは胃の悪い疾患(腫瘍)などの発見を遅らすので注意してください、とのことなので、ちょっと安易には飲めない。健胃散でまぎらかしている。

 なんか前書きが「痛み」となったが、今日の主題はそれではない。実は昨日、ハリー・ベラフォンテの訃報を聞いて「イテテ」を思い出したのである。私がすきなあの有名な(私の子どもの頃)曲、バナナボートのフレーズ

 「イテテ、イテテ、イテテ~よぉ」

 である。前にもブログで取り上げた(曲も貼り付けてあります)ここクリック

 享年96歳十分に生きたと言っていいだろう。ご冥福をお祈りします。

  この歌、かなり昔の歌だがインパクトがあるせいか、現代でも大リーグで観客どうしで鼓舞しあう時に、デェ~~~オ、デェェェェオ、と数万人の観客が絶叫したりしている。またコミックホラー映画にも使われたりしている。面白いのでこれも下にヨウツベを共有して貼り付けて起きます。

2023年4月25日火曜日

椎ノ宮はんの躑躅

  今日の徳新の花便りは佐古の椎ノ宮神社のツツジだった。載ったらドッと人が(平日でも暇なお年寄りは)押しかけるのでしょうが、今日は小雨、人もおるまいと思い蔵本から傘を差して歩いて見に行ってきました。誰一人いませんでした。

 やはり季節のめぐりが早いようでもう花の最盛期は過ぎつつあります、凋んだり枯れたりしたツツジもありました。




2023年4月24日月曜日

古い映画の記憶に残っていた場所

  私のブログでは生々し日本の現代政治については取り上げないことにしているが今日はまぁ「話の枕」としてチョロッと取り上げる。

 昨夜に国政選挙の補欠選挙の結果が分かったが、おおむね与党の「かち」と言っていいだろうか、全(5つ)の衆参補欠選挙区の中で唯一野党に席を取られたのが和歌山の選挙区だった。もういつだったか正確な日付は忘れたが和歌山県を首相が選挙を鼓舞するために回っていて爆弾を投げつられたことがある。だいたいこんな時はいわゆる同情票があつまり与党が勝利するがそれに反して野党が勝利した。

 まぁそれについては私としてはどうのこうのいうつもりはない。そのときなんとなくなくニュースを見ていた。その現場漁港・和歌山県雑賀崎港を新聞社か報道機関のヘリコプタが鳥瞰図的角度でその全景を撮っていた。襲撃は失敗に終わったが、その事件のこぼれ話として一番耳にしたのが「雑賀崎漁港の漁師のおっちゃんが犯人を取り押さえた」という話であったが、わたしは漁港の鳥瞰図を見てまったく別のことを考えていた。

 その現場はちょっと日本にないような景観なのである。外国で比較するなら、そうだなぁ、地中海沿岸(ヨーロッパ側)、もっと絞ればギリシアのエイゲ海あたりの海沿いの町にこんなのがありそうだなぁと思ったのである。ともかく日本にはあまり見かけないような山、家々、海、沿岸の地形なのである。

 百聞は一見にしかずでパソコンで示されたググルマップの雑賀崎漁港の鳥瞰図を見てもらおう。



 まちっとズームアップしてみよう

 どうです?なんかギリシャのエイゲ海あたりの海辺の街に見えまへんか?

 私は若い時に日本全国ほぼ隈なく回ってました、和歌山も海山隔てなくあっちらこちら回りましたが残念ながらここは行ったことありませんでした。しかし、どうもこの景色!私の頭の中に残っているのである。行ったことがないことは確実ながら、ある映画で見たシーンがよみがえってきたのである。
 
 このような似た景色は、先ほども言ったように日本にそうそういくつもあるはずがない。その映画のシーンはもしかしてこの場所で撮られたもんじゃないだろうか?襲撃事件後から気になっていたが、しばらくほかのことにかまけて確かめるのを忘れていた。そして昨日、図書館にあるその映画のDVDを借りて確かめると

 「やっぱ、そうやったわ!」

 下が映画のそのシーン、上の雑賀崎漁港のググルマップと同じである、特に岬の山の形を見れば間違いない(1987年作・男はつらいよ・寅次郎物語より

 ええとこやなぁ、こんな風光明媚な場所で暗殺未遂事件を起こしたんかぁ、犯人の若者もそんなことせんと近くの山にでも上ってこの地形や広がる海を見たら考えが変わったかもしれんな。結局一生棒に振るようなことして若いのにもったいない。


藤まつり

  温暖化の影響かいろいろな春の花期がだんだん早くなっている。昔ならこれからが藤の花の見時だったが昨日の日曜ではもう藤も萎れしぼみかかっている。

 下は先週の木曜日、まだ辛うじて花の最盛期に間に合った藤まつりの会場写真です。

駅のすぐ前、地福寺の藤



童学寺山門と境内の藤




藤は野生種も栽培種もあまり変わらない。山際の木に絡みついている野生の藤もなかなか見ごたえがあって境内の藤とは違った美しさがある。

野原にはウマノアシガタの黄色い花が咲いている。花は少し深みのある平皿形をしている。そのためか欧米ではバターカップというそうだ。いま公営放送の朝ドラで牧野富太郎伝をやっているが、今の時期、このような日本古来の野生の花々が見られ、「これは何っう花かな?」とポケット野草辞書片手に鑑賞するのもよい。

ちょっとだけの歩き遍路

 昨日の日曜日(23日)ちょっとだけの歩き遍路を体験した。

 小松島駅~恩山寺~立江寺~立江駅

 合計9kmくらいかなぁ、でも途中、昼飯、ところどころで休憩、かなり時間をかけて歩いたのでそう疲れなかった。

 ほとんどの道はこのような舗装はされているが一車線の田舎道である。


 このような歴史的な石の道標もある


そして恩山寺参拝


恩山寺と立江寺の間には小高い丘のような山があり峠のような上り下り道になっている。


この峠を下ったところに「遍路小屋」があった。お京塚と名づけられている。お京というのは女人で立江寺にまつわる因果応報譚がある。


立江寺参拝


 いつかは行きたい「八十八ヵ寺歩き遍路」とおもっていたが、気力体力も衰えている。それ以上にもう金銭的に無理、この歳になれば野宿も遍路小屋のような泊まりもできない。とすると民宿となるが計算したところ、合計45日ほどの巡礼で諸費用は50万円近く、もうとても無理、このようにちょろっと一部で歩き遍路の真似をするくらい。でもそれでよいとおもっている。

2023年4月18日火曜日

はなはるフェスタのポップ系のダンス

  ダンスも世につれ流行が変わる。モラエスはんのいた時代、約110年も昔だが、その時代の世相を調べていて、この時代、大流行した「踊り」(今だとダンスというのだろう)は『安来節』であった。若い男女はこの踊りに熱をあげ、全国的に安来節踊りが大流行し、地域ごとに大会も開かれた。

 それから一世紀以上たった今、若い男女に流行るのは、このようなポップ系ダンスである。


2023年4月15日土曜日

はなはるフェスタ

  時期的には、八重桜、藤、ツツジ、チュリップ、その他春の花の花期に当たるからちょうどいい。今日のローカル紙にも童学事の、アスタムランド風車の丘のネフィリアなどが紹介されていた。今日明日とあるようだが、あいにく今日は天気が悪い。午後からは止むかなと思っていたが、小雨が続いている。中止かなと思いつつ図書館で本を読んでいると阿波踊りのドンガラガッチャン、ドンガドンガのリズムとモダンな8ビートのリズムが混成してうるさく響いてくる。六階ベランダからのぞいたら、小雨もものとせず、やってたわ!

 すぐ前なので降りて見に行った。結構人出がある。多くの売店ブースが藍場浜公園にギッチリ並んでいる。両端には演舞場と公演ステージがあった。はなはるフェスタっちゅうのに花はどこいった?さがすと阿波踊り演舞場の桟敷の下の見えんところにあったわ!

 その様子を撮影した。



2023年4月12日水曜日

春の色

 春の黄色

 天気予報で注目されるのは、晴雨、気温、風速、などであろうが、春先、特に近年、注目されるのは「黄砂」昔は黄塵)である。黄砂は文字からなにか大きな粒を想像するが、実際は細かい、中には目に見えないチリのような微粒子もあるため黄砂より「黄塵」がふさわしい気がする。

 さてその「黄砂」、中国で大規模発生した黄砂の「後塵」(大陸に対し日本は偏西風の風下だから)を日本は拝することとなり、今日、明日にかけてやってくる。予報官は洗濯物干し、あるいは呼吸器系の疾患のある人などは外出は控えるようにと言っている。まったく迷惑な気象災害である。これも天然の自然災害ならまぁ、しゃぁないわ、とでも思いようがあるが近年の黄砂の大規模化は大陸での乱開発が原因と聞いては、どないぞせぇや、と言いたくなる。

 わが四国地方では予報図を見ると、幸いなことに「薄い」が東・北日本では濃く、対策が大変になる。(本日の午後ごろ


 今日のブログの題は「春色」、それでいうと今日や明日の春の色は黄砂の「黄色」となるであろう。一昨日あたりの北京やそのほかの中国の都市の大規模「黄砂」はすごかった。昔から北京は(黄土地域が近いこともあり、また春は強風がゴビ砂漠、モンゴル方面から吹くので)春先に黄砂に覆われることで有名だった。そうなると北京の春色の黄色は迷惑で厭うべきもののように思われる、北京の春を吹く黄色い風、そして周りに広がる黄土の大地、日本人にはうんざりしそうな風土であり、黄色もそのイメージを連想させるのでこれまた日本人には、黄色はネガティブなものと思うだろう。

 しかしそうではない、歴史上中国にとっては、中華の中心にして高貴な色「黄色」なのである。日本人がネガティブととらえる黄色い風(黄砂・黄塵)、黄色い濁流の河(黄河)、黄塵の元となる黄土は、中国人にとっては至尊の中華の風土そのもの、黄色はとてもポジティブな色なのである。

 中華は四周に「夷」(野蛮人)を配する。東夷、西戎、南蛮、北狄である。そしてその四周は色でも表される。それによれば東は「青」、西は「白」、南は「朱」(赤)、北は「黒」である。それらの中心(つまり「中華」)のもっとも尊い色は「黄色」でなのである。そこに中華の中心の皇帝が坐しますのである。だから中華皇帝のシンボルカラーは黄色、北京の紫禁城の瓦は黄色、皇帝以外着服を許されない皇帝の服の色は「黄色」なのである。この東西南北、そして中尊である中心はまた5体の神獣でも表される。青龍、白虎、朱雀、玄武(亀と蛇のキメラ)であり、中心には麒麟がいる。神獣である麒麟のシンボルカラーもまた黄色である。

 黄砂舞う黄色い春はありがたくないが、以上述べたように中華帝国では黄砂、黄河、黄土にちなむ黄色は高貴、至尊の色である。なるほど!そういう理屈はわかるが、中国が近年の乱開発や、環境を無視した国土開発の結果、悪化する黄砂は、風下にある日本としては文句の一つも言いたくなる。しかし本質的に(人民共和国になっても)あの国は中華皇帝のイデオロギーをいまだになぞっている。その中国からすれば日本なんど朝貢国、よくて中華に服しない野蛮な東夷であるとの認識である。ましてGDP、軍事費とも日本の数倍に巨大化した今、聞く耳など持つまい。「何をぬかっしょんなら!中華皇帝の垂れた黄色い屁を風下の野蛮な日本が嗅げるのはむしろ名誉であるぞよ」、とでも思っているのだろう。最近は常に上から目線で居丈高でかつ唯我独尊状態である。

春の紫

 気たいっ糞の悪い黄色だが、一転、春の紫は心和む花の色である。年々暖冬になるからか「藤」も早く開花するようになっている。石井の藤祭りも予定より実施時期が早められた。

下は駅構内(石井)の、藤、八重桜、そして列車である。


 も一つ、ここいら辺の人には馴染み薄い紫の春の花がある。北国の花「ライラック」(リラ)である。鴨島駅前にライラックの木が一本あるが今、ほぼ満開となって美しい紫の花とほのかな香りで楽しませてくれる。こういう春の色ならいいなぁ。

下はライラックと列車

2023年4月9日日曜日

花まつり

  『花まつり』といって最近の人が思い浮かべるのは、数日前に終わった「さくらまつり」そしてもう一週間びゃぁもすれば始まる「藤まつり」そしてそれがすんで5月中ごろからは「つつじ祭り」とつづく、それ以外にもチュリップまつり、バラまつり、などもありそうである。

 ところがそれらとは別に『花まつり』といって大昔から行われている(宗教色の強い)伝統行事があった。もちろんそれを私は覚えていたが、近年の、いわゆる時候の花を愛でるイヴェントの花まつり、カッコよく花フェスタじゃのフェスチバルといったりもする方が、あまりにも一般的になりすぎて、花まつりといえばそちらしか頭になかった。

 ところが昨日、久しぶりに遠くからやって来た妹と甥が札所めぐりをするというので案内がてら午後から付き添った。廻ったのは時間の制約もあり全部で9ヵ寺だったが、そこで

 「あぁ、本来の花まつりは、これだったんじゃ」

 とあらためて思い知らされた。まぁ百聞は一見に如かずでその寺本堂の拝殿をご覧ください。(9番さん法輪寺)


 これを見て瞬時に、今日の日付を思いだした。今日(新暦だが)4月8日はお釈迦様の誕生日である。写真をよく見てください、四柱のある天蓋のなかに、小さな金色の立像があります。仏教史を少しでも知っている人はわかると思いますが、これはお釈迦さまが生まれてすぐ、七歩トコトコ歩いて、右手で天空を指し左手で大地を指さし「天上天下唯我独尊」・てんじょうてんげゆいがどくそん、とのたまった姿をかたどったものです。言葉の大意は、天界も地上界も含めすべての世界で最も尊い唯一の者である、ということです。生まれてすぐ歩けるか?しゃべれるか?と疑問でしょうが、世界三大宗教の開祖ですからこのような奇跡的な伝説は当たり前でしょう。

 この日はどのような行事をするかというと、この生まれたてのお釈迦さまに香華をあげて供養すると同時にもっとも重大な行事は、この小さな立像に「甘茶」を注ぐことなのです。写真をよく見ると立像の前に大きなこげ茶色の水差しがありますね、その中に甘茶が入っているのです。そして小さな柄杓も中にあって、それで甘茶を掬い、お釈迦様の像の上から注ぐのです。我々もその作法どおり、甘茶を注いで手を合わせ祈りました。そのことからこの宗教行事を甘茶をぐ(そそぐ)ことから「灌仏会」(かんぶつえ)ともいいます。

 ワイの子ンまいときは田舎だったからか、この行事がまだ町内でも行われていた、小さなお堂に上図のような仏像を出し、灌仏会をおこなっていたのである。もっとも子供であった私はそんなことにあまり関心はなく、そのお堂に行けば、甘茶が貰えるのでカラのガラス瓶をもって、喜んでいきました。全般的に貧しく、甘いお菓子や甘い飲料に飢えていた時代ですからこんな「甘茶」でももらって嬉しかったんですね。しかし飲んだ感想はと言えば、大量に作って子どもなんどに配るものだから、お茶葉はともかく甘味はどうもサッカリン(人工甘味料)だったような気がします、みょうな甘さで後味の悪い甘みでした。本来は薬草である、甘みのある「アマチャズル」や「甘草」で作るのでしょうが、町内の子どもに配りまくるのですからそんな希少の薬草でする筈ありませんわな。

 昨夜、銭湯に行ったときに同年代のジイサンと今日が「花まつり」・灌仏会であることを話をして、そんな行事しっとるで?ときいたら行事はみんな知っているようだが、カラの瓶をもって甘茶を貰いに行ったことはないと言ってました。みんな徳島市内生まれのじいさんなので昭和30年頃の徳島市内ではもうそんな甘茶配りはなかったのだろうなぁ、と思いました。

 現代日本でこの「花まつり」灌仏会を知っている人が幾人いるだろうか。キリストはんの誕生日のクリスマスは知らん人おらんし、最近は日本のおいのこさんはほぼ絶滅したが、同じ種類の行事であるハロウィンは年々盛んになる。

 西洋化を目指した日本の文明開化もここに極まれりか

付録だよ

  「花祭り」ときいて同時に思い出した、若い頃きいた不思議な音楽の♪~タンタカタンタ、ズンチャカズンチャ、ポンポコペンポンポン~、のフレーズを。いま調べるとアンディス山脈の民謡をもとにした歌だった。でもこの曲、なんかお釈迦様のお誕生を祝う「花祭り」・灌仏会のBGMとして合いそうだと思うのは私だけだろうかなぁ。ヨウツベの曲から共有して下に貼っておきます。

2023年4月6日木曜日

らんまんと、どうする

  昨日のブログで、ないと思い通り過ぎた「林芙美子の文学碑」が、ひっくりこけながらも存在したことでもあり、もしや、と思い、今日、県庁へ歩いて往復したので通り道にある富田橋・南小公園にあった「国木田独歩の文学碑」をもう一度さがしにいった。

 小公園の蜂須賀桜はすっかり若葉になっている。その根方に「蜂須賀桜」と書かれた角材の白い棒杭が朽ちて桜の木に寄りかかっているだけである。何気に近寄ってみると、なんと裏の角材の一面のみに『国木田独歩の小説「波の音」の舞台』と書かれてある。角材は根も頭部も虫食いで朽ちていて、無造作に立てかけてあるだけ、ほとんど廃棄物扱いだ



 「またもや、こんな状態だ、何とかならんもんか、恥ずかしゅうてならんわ、こんな扱いをするんだったら、いっそ、ないほうがまし、なければ嘆きもすまいに」

 とまで思った。

 さて話題は変わる。国営放送の今ホットな連続ドラマは、今週から始まった朝ドラ「らんまん」と毎度おなじみの大河ドラマ「どうする家康」であろう。


 らんまんを始めから見ているがなかなか面白く、これからよほどがっかりすることがなければ毎回最後まで見そうな気がする。まずオープニングにとりどりの野草の花が出てくるのが見ていて気色がいい。ちょうど今春爛漫(はるらんまん)、今朝も汽車に乗りながら車窓からご覧のよう春の花々を撮影した。オープニングの多彩な花々はどれも野生であろうから、今日撮影した栽培種の桜や藤はちょっと違うが。

 しかし今、野原に出れば野生の花々が爛漫と咲き乱れているだろうが・・・・・

 と、留意するのはなぜだかわかりますか?牧野の富ちゃんは明治生まれくらいだろうと思っていたがゴッつう長生きしたため、なんと生まれは江戸時代・文久二年(1862年)つうから今日の朝放送したくらいの子供時代ならまだ慶応時代(~1868年)、江戸時代最末期である。さて今日この頃、この徳島の野原も爛漫と草花(野生の)は咲き乱れているが、牧野の富ちゃんの幼年時代の野原とは大きく違っているものがある。どこが?

 それは現在の野原の野草の花々の大半は、明治以降入ってきた「帰化植物」の草花なのです。だから牧野の富ちゃんの幼少時、原野や山林を逍遥し、野生の植物を観察したのはほぼ土着の日本の草花ばかりだったのです。オープニングの美しい野生植物や花を見ながら、そこのところは、少なくとも植物好きの人は留意して見ねばならんなぁと思います。(現代の帰化植物がチョロリとでも出たらクレームをつけるほど意地悪ではありませんが


 それにしても植物学者の大家として名を成す牧野の富ちゃんも、4月4日のブログでも述べたように、やっぱ、いい環境にお育ちになったんですねぇ。造り酒屋の坊ちゃん、地元の名士、外へ出て「花よ蝶よ」と追いかけても不都合のない育ちです。作物を作ることに精いっぱいで雑草との戦いに明け暮れる水呑み百姓の子せがれとは違いますわ。なかなかそんな環境では名もなき雑草などに科学的な目をむけられませんわな。

 まだ大人になった主人公は登場しませんが、いいとこのボンボンらしい子役が好演しています。脇役だが坊ちゃんのお守り役の子供もなかなかかわゆくて、私の好みではこの子に名演の素質がある気がします。大人になってもお守り役をするのかしらん。竹雄君というらしい。エエ子や。

 さてもう一つの連ドラ・大河、こちらは、一回見ただけで(独断と偏見かもしれませんが)もう、半分あきれて見切ってしまいました。去年の大河も、ボケと突っ込みの漫才のようなタメ口に閉口しましたが、今年の大河もなんちゅうたらええんかなぁ、私の見解ではミスキャスト、テンポがおかしい、エピソードが仰天過ぎる・・等々、実はもっと上げたくなりますが、まぁこれから見るつもりはないので詳しくは言いません。


 一言だけ(いや二言かな)、先日見ないといいながら、15分びゃぁチョロッと見ました。明智光秀爺さんのような風貌は、あれはよかった、事実、明智光秀が活躍し歴史の脚光を浴びるのは人生五十年の戦国の世にあっては彼の年齢(50歳過ぎる)は十分ジイサンだから、これはこれでいいと思う。

 開いた口がふさがらなかったのは15代将軍足利義昭、こりゃなんぼぅなんでもひどすぎる。義昭といえば足利6代将軍義教と同じで将軍就任前は寺院の門跡として修業しています、だから当時一流の教養、知識、作法を身につけた人です。信長との確執はありますが暗君ではないはず。イケメンである必要などはありませんが、今回の大河の義昭、こりゃひどかった。どう時代考証を大目に見ようがあれはない。一応、時代物に出てくる高位の貴族(これは足利義昭も同じで武士より遙かに高い地位である朝廷の官職にある公卿には、歌舞伎ではおなじみの「悪公卿」(ワルくげ)というキャラがいて、男のくせに不気味な白化粧の顔、妖怪じみた悪顔という定番はあるがその定番からもこの義昭はあまりにも逸脱したキャラじゃ。

 いまの若い衆(ワカイシ)が家康主人公の大河をどう思っているか知らんが、ワイらの世代で言えば天下一統の三傑のなかでの人気は信長、秀吉が抜きん出ていて、家康は最終的に天下を取り、次代どころか250年にわたって徳川家のものとするが、なぜか二人に勝るような人気はない。信長は暗殺で消え、秀吉は一代限りで天下さまとなるが、最末期、癒やせぬ心配を胸に抱き、悶死と言ってもいい死に方をする、そして心配の通り血筋は根絶やしにされ二代続かず滅びる。ところが幸せな天寿を全うし、たくさんの子を作り、かつ盤石のお家存続をさせた家康より、悲劇性を帯びる信長・秀吉の方がずっと贔屓の天下取り武将である。

 面白いことに(山岡荘八の翻訳小説の影響もあるのかも知れないが)中国では俄然、家康の方に人気がある。シビヤァな現実主義者で、政治にも結果を重んじる中国人には、挫折や失策で天下を取れなかったものは評価しない、それは敗者と断定して終わり、途中の過程や紆余曲折は結果がよしとなって初めて認められる。途中でホテ死んだ信長や、一代で終わりその後一粒種の息子までブチ殺されて子孫を残せなかった秀吉は、だから中国人には評価されない。

 なんで家康が最終的に天下をとれるのか、この今年の大河「どうする家康」を見るとそれなりにわかるかも知れないが、私にはどうもこのキャラ、そして演出では見る気がしない。それより歴史書をもう一度読み直し、自分なりに、どうして最後まで家康が残り、最終的に天下をモノにすることが出来たのか考える方がよい。

2023年4月5日水曜日

二軒屋にある文学碑

   富田橋の南詰の小公園にあった国木田独歩の文学碑がなくなっていたのは先月のブログでいったとおりである。そしてもう一つ、昨日、文化の森へ自転車行くとき二軒屋の通り(大道)を通ったので、歩道沿いにあった林芙美子の文学碑を探した。7~8年前にはあったが、見つからない。ここも文学碑が撤去されたのか、とおもいつつ、近くにある古くから店を開いている店主に、以前あったはずだが、と聞くと、その詳しい場所を教えてくれた。あるかなぁと首をかしげられた。通りすぎていたのでひきかえし探すがない。下の場所である。

  しかし家の横に引き抜かれたような白い棒杭のようなものが横たえておいてある。これがよくみると「林芙美子の文学碑」だった。おいおい、粗大ごみの丸たん棒のように、朽ちるにまかせて放っておくのか?

 
 国木田独歩の文学碑といい林芙美子のこれといい、これは徳島県人として恥ずかしい。何十億もかけて「徳島文学書道館」を作るのにくらべたら、このような文学碑の保存にどれびゃぁもいりゃあすまいに、なんとかできないものだろうか。

夕方の桜

 花の上にしばしうつろふ夕づく日入るともなしに影きえにけり永福門院

2023年4月4日火曜日

天賦か環境か

  坂本龍一さんの訃報を一昨日耳にした。常々偉大な音楽家であることを聞いていた。私も若い頃チョロッと楽器をやったことがあり、さまざまな自分の好みの曲を自演しながら鑑賞したものだったが、一世を風靡したとも言っていいYMOの音楽は私より少し下の世代からの支持が多くなるようで、ちょうど私がキーボードの練習から始めてそれにのめり込んでいったのは70年代中頃で、私が練習曲に選んだのはその時までの欧米のポピュラーミュージュク、あるいはクラッシックのモダン編曲の曲であった。それをキーボードでやっていたため、後発(78年以降)で爆発的人気となったYMOの音楽はほとんど馴染みがなかった。それでも80年代頃には世にずいぶんもてはやされ、年下の後輩の車に乗るとYMOの音楽がカースピカーから流されていたり、また巷でも聞く機会が多くなった。私もキーボードをやっていたこともあり、当時はやりのシンセサイザーを駆使する彼らの作曲・演奏姿勢に興味がわいたのを思い出す。だがYMOの音楽のファンとまでは言えない。


 坂本龍一さんについて個人的に印象に強く残っているのは映画『ラストエンペラー』の中で満州国の日本将校「甘粕 正彦」の演技であった。甘粕 正彦は実在の人物であるが毀誉褒貶が多い人で、一言では評価できない人物である。歴史好きの私でもあり、このような大物・黒幕的な人物、また見た目もかっこ良い帝国軍人を誰がやるか、と思っていたが、そのキャストが坂本龍一だったのである。かっこよさ、知性、そして軍人らしいシビヤーさ、どれもぴったりのような気がして私としては満足のいく配役であった。この人は演奏も一流、作曲は天才肌、俳優としても評価が高いすごい人じゃなぁ、と感嘆したのを覚えている。

 一昨日訃報を聞いた後、今日もさまざまな分野の人から惜しむ声のコメントが載せられると同時に彼が最後の作曲に取り組んでいたのが校歌で、それも昨日徳島に開校した「神山まるごと高専」のそれであったのには、わが徳島県人としておどろかされた。早速ヨウツベなどで検索したがまだ完成していないのか、聴けなかった。もし未完でもなんとか校歌になるようつなげられないものだろうかと思う。

 彼のような天才肌の音楽家・作曲家をみるとき、このような才人を生み出すのは天賦環境か、二者択一ではないにしてもどちらが与って大きいのだろうかと思ってしまう。そんなことを考えると大昔(1985年製作)見た映画「アマデウス」モーツアルトサリエリの確執を思い出す。サリエリは努力家であり、幼少の頃は音楽的な環境には育っていなかった。自己研鑽の結果音楽家となった人である。対するモーツアルトはよちよち歩きの頃から音楽家である父の手ほどきを受け、幼少時より天才的な演奏・作曲の腕を見せる。

 そして二人が出会ったとき、サリエリは、当時のウィーンの宮廷での名声はあるにもかかわらず、とても自分は敵わないと瞬時に理解する。天才の前の凡人の悲哀をかみしめるのである。

 坂本龍一氏はどちらだろうか、これはモーツアルト型の才人であると言って間違いはなかろう。彼は学者、セレブの多い家系に生まれている(音楽家に生まれたモーツアルトとかさなる)、父は学者でこそないが、あの三島由紀夫や中上健次を担当した編集者である。そして幼稚園・三歳児からピアノを習う環境にあった。そして東京芸大に進学、彼の手がけた作品はどれも評価の高いものである。モーツアルト型といってもいいのではないだろうか。

 天賦は神から与えられたものである、というふうに私も納得できるが、いい環境に生まれ、すくすくと才人に育つことについては、ちょっと神も不平等なことをするなと思わないでもない。

 以下はしょむない、私の個人的な音楽との関わりです。

  幼少時からいい音楽的環境になかった私である。同年代の小学生の中には医者やいわゆるオブゲンシャ(お分限者・金持ちのこと)の子どもも何人かいて、は家にはピアノ、あるいはヴァイオリンなどあって田舎ながらも習わせている子が何人かはいた。しかし私の接する音楽はラジオで歌謡曲を聞いたり歌ったり、そして学校の音楽の時間、簡単な打楽器を打つことくらいであった。当時の小学校の音楽では全員に笛やハーモニカ、ピアニカなどは持たせていなかった。全体的に貧しい家庭が多かったからである。もちろん家には楽器などはなかった。

 20代の後半になって稼ぐようになって電子キーボードを購入し、初歩から(コード進行等など覚え)の社会人レッスンを受け始め、そのうちポピュラーな曲を弾けるようになった。そして30代になると国産の安価のアップライトピアノを購入した。しかしピアノを段階を踏んだ練習曲からやるには遅すぎた。音感も、指や肘の柔軟性もどうしたって幼少時からピアノをやっている人には敵わない。電子キーボードでおぼえたコード進行で適当にアレンジし好きな曲をピアノで弾くくらいだった。

 結局、三十代後半、もっとも到達した時点の私のスキルと言えば、なんとかピアノのグレード認定官のまえで一番易しいモーツアルトのハ長調ピアノソナタを弾けたことと、簡単な楽譜を所見で弾けるくらいまでだった。その後いろいろな事情もあり、電子キーボードは知り合いに譲り、アップライトピアノは中古品として引き取ってもらい、家に楽器は無くなった。それとともに趣味でキーボードやピアノを弾くこともほぼなくなった。

 ごくたまに、ずいぶん大人になってピアノなどをやり始めてもかなりな腕前に到達する人もいるが、それもよくきくとだいたい子どもの時から何かの楽器、笛でもハーモニカでもいいが、それをやった事がある、また楽器はなくとも、耳で聞いた歌を正確に歌うことができ、楽器はなくとも、結果的に、いわば自分の声という楽器で練習をした、という経験がある場合がほとんどである。

 裕福な音楽環境になく明治生まれの浪曲好きの祖父母に育てられた私が、20代後半になっていくら楽器をやろうと思っても到達できるところはだから上記の状況が精一杯、絶対音感はどうしても身につかなかった。趣味でやるにはそれで十分という人もいようが、ピアノまで購入してやり始めたから、趣味よりは少し抜きん出るくらいには(人前で少なくともクラッシックな曲を演奏できるくらい)達したかったが。まぁ、いまとなっては家に楽器などなんもないのでどうでもいいことではある。

2023年4月2日日曜日

直江兼続および判官(源義経)贔屓

  WBCの観戦以後、にわか野球フアンになった。この間のサッカーのワールドシリーズでは私も観戦は盛り上がったが、その後、プロのJリーグのにわかファンとはならなかった。と言うことは私自身も実は同年代の野球好きと同じ性癖・傾向があったのかも知れない(今まで気づかなんだ)。

 三月末、ほぼ同時にアメリカのMLBと日本プロリーグのNPBが開幕したが、私の場合初心者観戦の手ほどきがWBCであったためか、一回目から力を入れて見ているのはMLBである。NPB(日本プロリーグ)も年季の入ったファンからすれば奥深く面白かろうが、MLBの強烈な試合を見た後では、独断と偏見は重々承知だが、日本のプロリーグはなんか「だすこい」気がする、あ!「だすこい」って標準語じゃないかも。でもなんとなく意味が理解できるでしょう。

 そうゆうわけでMLBの特にエンジェルスの試合を一回目から見ている。大谷の先発で好投したが、結局2-1で逆転負け、ガッカリしたが旧来のエンジェルスファンからすれば、このようなガッカリはどうも日常茶飯事(すごい言葉だ!)らしい。翌日のスポーツ紙で面白い言葉を知った。大谷の活躍に比してそれでも負け続けるエンジェルスを「大谷は活躍しました、なおエンジェルスは負けました」のフレーズの一部分「なおエ」が言葉として定着しているらしい。中には「直江兼続」と表現するファンもいるらしい。

 そして今朝、朝早くからTVつけてエンジェルス対アスレチックスの二回目の試合を観戦した。今回の見所は大谷が打者に専念し、そしてWBCに初めて入った藤浪晋太郎投手との対決である。一回、二回と素人の私がみても藤波の好投が目立った。お!こりは、また「なおエ」か、はたまた伯仲戦かと思ったが、三回になると藤波はフォアボールを出してから次々と打たれ8点近く入れられ、結局二回と三分の一で交代となった。結局13-1でアスレチックスはボロ負けとなった。

 MLBのにわかファンとはなったが、エンジェルスに対しては思い入れはあるもののエンジェルスファンというにはおこがましい私ではある。そのような視点から見ても今朝の試合、エンジェルスが勝ったが決して(私としては)気色のよいものではなかった。まず藤波は日本からMLBに入っての初めての登板で初デビューである、1、2回と好投しながら3回に入ると大量得点を与えてしまい散々のデビューとなった。彼は今朝まで顔も見たことがなかったがTVに写り、しっかり見たが好感の持てる好青年と見えた。全くの新地で初っぱなをくじかれるのは気の毒だ


 そして何より私の心を揺さぶったのは、テレビが観客席にパンし、両手を顔の前でしっかり合わせ拝むように祈る東洋人の中年女性が写った。解説者はそれに対し「藤波のお母さんも応援してますね」との解説が入った。こういうのにはまったくもろい私である。おかぁさんのためにも、なんとか初デビューで華を上げて欲しいと思うと同時に、テレビでなにもお母さんの祈る姿まで写さんでもええやろが、と不快になった。

 左はアスレチックスのユニホムを着た藤波である。野性的でなかなかいい面構えだと思うと同時に、この顔!大谷翔平が6割くらい入っとりゃせんかと思う。

 これまで藤波のこと全然知らんかった。昨夜銭湯で藤波は阪神からMLBに入ったことは阪神好きの人から聞いていた。そこで先ほどネットでチョロッと調べた。身長197cmというからあの大谷よりまだデカい。そして驚いたことは大谷となんと高校野球の甲子園で対決していたのだ。ちゃんと動画も残っていて見た。高校球児の投手しての甲子園対決大谷にホームランを打たれている。つまり今朝の対決は高校以来の(ちょっと思い入れ深く大げさに言うと「因縁の対決」と言えないこともない。というか私はそう思いたい!

十年前の高校野球藤波対大谷対決(動画)

 

 大谷との今回のMLBでの対決は(投手藤波対打者大谷)ホムランこそ打たれなかったがホームラン級の打撃を浴び、得点に結びついたので今回も大谷に軍配は上がるであろう。そしてデビューを飾る登板は御覧のような結果で3回途中でマウンドを降りた。今後の起用も含め心配である。と、かなり私は藤波に思い入れてしまった。

 私はこのように、藤波・大谷の高校の時の対決、そして十年後アメリカでの初舞台の場面、再び因縁の対決、お母さんは一心不乱に手を合わせ祈りながら見ている、そして最初は目を見張る初回イニングだったが、挫折。因縁の対決者大谷との落差。このようなシュテュゥエイションになると私は白昼夢をみて勝手になにか悲劇的なストーリーを頭の中で作り上げてしまう。そう、大昔から言われてきたあの義経に対する国民的な人気と同情のような心境になる。『判官びいき』である。勝手に頭の中で悲劇的なストーリーを作り上げ、現実からは乖離してしまう。そして妄想をたくましくし、結局は滅びる、あるいは消え去るとわかっていても応援したくなる敗者そしてイイ男、それが九郎判官義経である。まさに藤波にその義経を白昼夢で見てしまう。

 こういう私のような妄想系のファンは実のところ藤波にとっては迷惑だろう。

 「おいおい、ワシは、これから先細りで決して成功しないのか、決めつけるな、そんな同情いらんわ」

と言われそうである。野球のことはほとんど知らない私だから、田舎のドサ回り劇団の演じる義経の悲劇のように見ているのかもしれない。もちろんこれから大活躍することを本心から願っている。それは「判官びいき」であっても当たり前である。

がんばれ藤波、フレェェェ、フレェェェ、ふ・じ・な・み!

2023年4月1日土曜日

春(貼る)爛漫

  知事選に続いて昨日県議選も公示された。巷は騒がしくなり、9日に向けて運動が盛り上がる、と言いたいところだが、徳島市域選挙区はそのような盛り上がりも期待されようが、なんと全県域の選挙区で8選挙区が無投票で18人が自動的に県議に選出される、まぁ定員以上に立候補する人がいないのだから仕方がないといえばそれまでだが、内心、「こんなことでいいのか?」との問いを発しているのは私だけではあるまい。

 民主的な地方自治はいろいろな制度でできあがっている。その大事な一つは「地方議会」とその議員の住民による選出にある。その意義は住民の意思を地方行政に反映させることにあるのは中学生でも知っている。そして議員は4年、あるいは解散などで選出し直されて新たな住民の意思が議会に反映されるのである。それなのに「無投票」と言うことは、民主的な地方自治の根幹をむしばむことになりはすまいか。

 しかし供託金はいるにしても立候補の自由は保障されており、その選挙区で定員以上の立候補が無いということは、これもその選挙区民の意思と思えばそれも受け入れざるを得ないのだろうか、だがこんなことが続き、無投票がさらに拡大すれば民主的な地方自治が危機に陥るとおもうが、これは私の杞憂であろうか。

 このようなことは政治家(政治屋)のみの責任に帰されるべきではない、住民の「まぁ、それでよし」とする風潮がそれを助長しているのである。和をもって貴し、となす我が国民性も長所ばかりではない。アングロサクソン張りの強引な地方自治も問題はあるが、それの半分ばかり見習って、住民が地方自治にもっとうるさく声を上げてもいいのではないか。そうゆう状況なら無投票などということは起こらないのではないか。

 このまま無投票議員が拡大すれば、議員がある一定の人々に永続的に固定してしまいかねない。もういっそ、裁判員制度の評議員や英米の陪審員のように全住民から無作為に(抽選で選ぶとか)議員を選んだらどうか、と非現実的なことだが、そこまで考えてしまう。

 幸いなるかな徳島市域に住む人は県議さまを審判する栄に浴することができる。多才な人々が出ていて目移りしそうか?いや誰も入れたい人がおらん!と嘆くか、しかしその権利も行使できない郡部の無投票の選挙区の人々から見れば羨ましいことである。


 さて上は市内某所の小公園の知事・県議立候補ポスター掲示板、知事候補と域内県議候補を入れて16人ものポスターが貼られている。多士済々、いろどられたポスターが背景の満開の桜とともにまさに

貼る(春)爛漫!

 しばらくの間その16人の掲示板ポスターの前で佇み、それぞれのポスターを見ながら考えた。もし人の能力、誠実さが顔にわかるように現れていたら、このように人を選ぶときにいいのになぁ、と、ところが外見や容貌でいわゆる「それらしく」みえても、鵜吞みにしてはいけない、そういうことはみんな言わずもがなわかっている。紳士面していても詐欺師だったり、美しい顔をしているのにえげつない行動をとる人もいる、見た目には決して騙されまいとみんな思ってはいる。

 しかし、まったくその人の情報がない中、つまり初対面に近い状態で、もし幾人かの人が面前に現れ、同時に同じような話をこちらに向かってした場合、その中の紳士らしく見える人、美しい容貌の人になんとなく心が傾きがちになるのもまた人情である。

 立会演説会などに参加し、ポスターだけでなく、その人の話し方、話の内容、身振り、などを見ればもっとどういう人かわかっては来るが、多くの有権者はそうゆうのに支持者は別として、参加したがらない。まして16人全員の演説会に参加し、その比較対象の中で判断するなどは不可能に近い、せいぜい、心に決めた人の(一人か数人)演説会に参加して、確認するのが精いっぱいではなかろうか。

 結局何が言いたいかというと、ポスターの顔、ポーズ、もちろん候補者の名も含めての全体のレイアウトが、選挙では結構有効であるということである。情報が乏しい中(これは有権者がそれを求めないということも大きい)、ポスターの「見た目」というのは大事である。

 そうおもいつつ知事・県議候補16人のポスターを見た。女性は2人、男性が14人である。女性についてのポスターの見た目は全く分からないので置くとする。さて男性候補14人である。見比べて

 「あっ!一人だけ、違うぞ」

 とまず思った。男性のその一人を除いて全員、背広にネクタイ姿である。どの人もみんな誠実そうにポーズを決めている、中には正面でなく斜めのポーズの人もいる。しかし一人だけは、背広・ネクタイではなく、いわばずいぶん「ラフ」な格好をしている。まぁ、庶民にアッピルするならそれもありだろう、現に他の県の地方選挙ではそういう格好のポスターもよく見る。

 しかし私の印象はその上になお、ある政治家のイメージが重なってしまった。それは決して悪いイメージではない。それは「不屈の精神」「自由の闘志」「民主主義の擁護者」「世界で今一番ホットな政治家」、ここまでいえば大方の人は、あ、あの人かとわかるであろう。そう、ウクライナ大統領ゼレンスキー氏である。

 彼は白っぽい綿パン、黒っぽい丸首セーター、そして同じく黒っぽいジャンパーの格好で橋の上で立ってポーズを決めている。この候補者の顔だけをゼレンスキー氏に入れ替えれば、キーウの町中の橋上の大統領といってもだれも疑問には思うまい(橋の欄干の黄金色もウクライナっぽいが、しかしよく見ると擬宝珠・ギボシなので日本とバレるが

 これは他の候補者が全員、堅苦しい背広・ネクタイ姿であるのに対し、このようなあるイメージ(ゼレンスキー氏だが)を重ねつつラフな格好での町中のポーズのポスターは、今風で洗練されているように見受けられる。もしかするとこのような政治家のポスター作りの専門のコンサルタントがいて(たぶん東京に)その洗練された演出の結果できあがったものかもしれない。

 しかし洗練はまた「悪ずれ」「すれっからし」にも通じる。折れ曲がり、こんがらがった72年間の人生を歩んだ私から見ると、悪ずれ・すれっからしは言い過ぎとしても、(このゼレンスキー氏とイメージの重なり合いは)なにかあざといやり方じゃな、と思わないでもない。しかしおおむね、このポスター戦略はこの徳島では成功していると私は見ているがどうだろうか。