2019年9月29日日曜日

九月も終わりだが

 九月も終わりだが秋冷の候とはなっていない。早朝も気温があまり下がらないし、日中は蒸し暑い。昼頃少し歩いたが汗が噴き出てきた。
 この暑さの中、近くの小学校では運動会の徒競走をしていた。これでも台風の影響で一週間びゃぁ延びている。もっと涼しくなってすればいいと思うのだが学校の都合もあるのだろう。

 今年は曼殊沙華の花が少ないな、と思っていたら、何のことはない例年より一週間から十日ばかり遅かったのだ。少ないように見えたが今がちょうど真っ盛り、墓地や畔、野原などで咲き群れている。下は墓地の曼殊沙華、よく見るとまだ蕾もいくつかある。彼岸ごろに決まって咲く花がこんなに遅れるということはやはり温暖化の影響だろうな。

2019年9月20日金曜日

お経の花

 一週間ほど前から『法華経』を読んでいる。この本はお経なので一応断っておくが読誦ではなく、源氏物語や史記を読むように読書をしている。

 読誦でよむばあいは音読みの棒読みで独特の節をつけて音読する。お経は漢字の羅列であるが読誦のために読み仮名を振ってあるからそれを音読みするわけである。すらすら声に出して読めるが当然ながら意味などは分からない。これはわからなくていいのである。わからないながらありがたいお経を読誦する行為そのものがありがたいのである。

 では『法華経』を読誦ではなく読むとはどうするのか、私が読んでいる『法華経』の版は岩波文庫の『法華経』である。これには三種類の『法華経』が記載されている。まず一つ目は一般的に「お経」と見られている全文漢文の『法華経』、読誦はこれを順次に音読みしていくわけであるがそんな読み方をしても読書(意味を理解する)にはならない。二つ目はその漢文の下に書かれている漢文読み下し文、こちらで意味をとるわけである。そして漢文とその下の読み下し文が同じに記載されている頁の見開きの反対ページにはその漢文の対訳で三つ目の(そもそもの法華経の原書のインドの)サンスクリット語を現代文に邦訳した『法華経』が載っている。

 まず私は漢文(白文で漢字ばかりの羅列、返り点、送り仮名など全くない)に目を通し、下の読み下し文を見ずに自分なりに読み下してみる、そして意味をとる、意味が取れないところは読み下し文を見ながら時間をかけて理解する。少しづつ読み進んでいって段落のまとまりになりそうなところで切り、最初に返り、その位置まで再び読み下し文で今度は一気に読み、段落のまとまりの意味を理解する。

 そして一章を(法華経の場合は『章』とは言わず『〇〇品』と品を使う)読み下し文で読み全体の意味が把握できるようになったら最後にサンスクリット語の法華経の現代訳を読む。このようにして岩波の文庫版の『法華経』を読んでいるのである。そして一週間でやっと法華経の第一章に当たる『序品第一』が読めた(ちなみに法華経は全部で二十八品ある)。

 さて最後まで読むにはいつまでかかるか。途中でギブアップするかもしれない。老化が激しいので読む先から忘れてしまい全体を把握することができなくなるという心配もあり読破はおぼつかないかもしれない。しかし1500年も昔から人々は意味は分からなくてもお経を読誦し、書き写してきた。その行為そのものに有難い功徳があると信じられていたからである。また写経したお経、あるいはお経の版本を持っているだけでも功徳があることもまた同じである。私もそれにあやかって法華経を読むという行為そのものになにかしらん有難い価値があると信じて読んでいるのである。

 岩波版『法華経』は上中下の三冊となっている。全冊を県立図書館で借りてきた。延長も含め6週間は借りられる。最初はこの図書館の本を読んでいたがとても6週間では読めるはずもない。出費になるが本屋で購入することにした。徳島で一番大きな本屋の紀伊国屋で探したら岩波文庫のコーナーに上中下三冊並んでいたので取り寄せることもなくすぐ手に入った。文庫本だが一冊1100円、三冊税込みで3500円余、雀の涙の年金暮らしのジジイには痛い出費だが、先も言ったように『法華経』の本を持っているだけでも功徳が得られると信じ買った。

 今朝、散歩をしていると小川の土手にマンジュシャゲの赤い花が咲いていた。この花、今ちょうど読んでいる法華経の序品第一の最初に出てくる。
 「蔓陀羅華、摩訶曼陀羅華、蔓殊沙華、摩訶蔓殊沙華、而散仏上」
 マンダラケ、マカマンダラケ、マンジュシャゲ、マカマンジュシャゲ、と四種の花が仏とその聴衆のいる仏国土に雨のように降り注ぐのである。

 ありがたい花だ、思わず花に向かって合掌する。


 しかし合掌した次にはウンと世俗な歌が私の口をついて出てきた。

2019年9月17日火曜日

こちらもインドの神様がルーツだ

 猿の石仏のあった天正寺のすぐ近くに「大教院」というお寺がある。真言宗醍醐派とある。このお寺の御本尊は「歓喜聖天」である。


 この歓喜聖天さんはルーツがヒンドゥー教のガネーシャ神である。頭が象の形をしている。足元にはネズミがいるがこのネズミにガネーシャはまたがり、移動するといわれている。なんで小さなネズミに大きなガネーシャが乗れるのだろうと不思議だが乗るときにはきっとネズミは大きくなるのだろう。でもネズミがデカくなったらネズミではなくヌートリアやカピパラに見えてしまう。

 日本の歓喜聖天さんは象の頭をした男女二体が抱き合っているお姿をしているといわれている。かなりエロチックな神様である。当然ながら秘仏が多い。

2019年9月16日月曜日

博物館の庚申塔を見て思ったこと

 前のブログで庚申信仰にちょっと触れたが、今日、文化の森県立博物館を見て回っていると江戸・安永期の庚申塔が展示してあった。庚申塔の場合最も多いレリーフは青面金剛であるがこれもそうである。下には三猿も彫ってある。悪鬼を踏んずけ、片手に人をつかんでぶら下げているのに注意してください。

 下は県立博物館の阿波・名西郡神領の庚申塔

 解説を見ると神仏習合の特殊な形態を示すとある。前に紹介したのは天正寺で青面金剛が御本尊の仏寺である、しかし解説を読むと神道でもこの石仏を祀ったようで、その場合の御神体は猿田彦となるそうだ。だから天正寺でもそれと関連してか「猿」の石像があったわけだ。

 下の青面金剛の一般的像である。

 この庚申塔の青面金剛、見ると不思議なお姿をしている。着色はされていないが文字通り青いお体で、腕が六本ある。そして剣とともに片手には人の髪の毛をつかんで人をぶら下げている。そして足では悪鬼だろうか踏んずけている。
 悪鬼を踏みつけ、片手では髪をつかんで人の頭をぶら下げる御神像を見ているとインドのある神像を思い浮かべた。「カーリー神」である。インドではこのように描かれている。

 見るからに恐ろしくて、気の弱い人は卒倒しそうなものすごいお姿だが、インドでは大いに信仰され人気のある神様である。インドのこのような神々は7~8世紀以降、密教をつうじて仏像にも影響を与えたといわれている。飛鳥、奈良時代のお優しい如来さまや菩薩様が空海以降の密教系の仏さまになると憤怒の表情、火炎、剣などを伴い踏みつけられる悪鬼など怖い仏像が増えてくる。これも密教を通じてインド系の神様が仏像に取り入れられたからなのだろう。
 青面金剛のルーツがカーリー神とであるとはいえないが全面青いお体や片手で無造作にふん掴んでぶら下げている人(生きているのだろうか)、そして踏んずける悪鬼などを見ると私はこのインドのカーリー神を思い浮かべるのである。

 博物館から出て文化の森の丘に登った。下には園瀬川がゆったり流れていて途中橋も架かっているしなかなか素晴らしい眺めである。帰りにあの橋のところを通って、あそこでしばらく涼しい風に吹かれようとおもい、行ってみると中学生が5人、橋の下で泳いでいた。誰もいないと思ったのに興ざめですぐ引き返した。あとで下の写真を引き伸ばすと泳いでいる中学生が写っていた。写真を撮った時は誰もいない場所と思ったのだが。遠目がきかないのでわからなかった。

 拡大図

2019年9月14日土曜日

ここいらへん(徳島)に猿の神様っているのかな

 日本で猿と関係のある神仏があったかなぁ、と記憶を探ると、確か比叡山の鎮守の神である日吉神社の神の使いは「猿」と聞いたことがある。でもこれは神の使いであって、猿が神になっているのではなかろう。

ここ阿波で見られる動物の神では、お松大権現の猫神さん、金長神社の狸、それからお稲荷さんの狐などがあり、写真にも撮って何度かブログでも取り上げた。じゃあ、猿はどうだろうか?去年の7月ごろ伊予街道沿いの庚申塔を撮影して回ったことがあった。庚申講や庚申の信仰についてはここでは詳しく述べることは避けるが、江戸時代から盛んに路傍に建てられてきた。この「庚申」という言葉であるが60ある干支の一つで「申」は猿を意味する。そういうこともあってか鴨島の上浦にある庚申塔は左のように猿の浮彫がされていた。これを猿神と呼んでいいのか、多分、猿神とはいえないと思う。というのも庚申塔はこのような浮彫の石塔は珍しく、ほとんどは青面金剛というお不動さんに似た神像が彫られている。こちらが御神体であるようだ。ということは猿はお飾りのようなものだろう。

 完全な猿神さまはインドにいらっしゃる。「ハヌマーン神」である。ラーマーヤナという神話に出てくる神様で誠実、忠義で、弱きを助け強きをくじく、大変頼りになり、今でもみんなに慕われ信仰されている神様である。
 インドのハヌマーン神を見てみよう。左のインド絵画のタッチで描かれているハヌマーン神は猿と言いながらハンサムで、ムキムキの筋肉マッチョではあるが怖い感じは全くなく、むしろかかわいい。右の立体像のハヌマーンも力強い正義の味方風である。インド庶民信仰の人気者であることも頷ける。

 このハヌマーン神が西遊記に出てくる「孫悟空」のモデルと知ったのは最近のことである。なるほど玄奘三蔵は仏法を求めてインドに旅したから、仏典とともにハヌマーン神の神話も中国までついてきたのかもしれない。
 西遊記では孫悟空は三蔵法師と仏法の守護者として登場しているがそういえば日本のおとぎ話「桃太郎」にも忠義なお供の猿が登場する。これもルーツを辿れば中国の孫悟空を通してインドのハヌマーン神にたどり着くのかもしれない。
 でも日本、特にこの阿波ではハヌマーン神のようなあからさまの猿神は見たことがない。しかし昨日、自転車で南佐古の山すそにある道をふらふら通っているとこんな石造神を見つけた。

 「お、これは、ハヌマーン神か?」


 眉山山系の山すそに天正寺という寺がある。その入り口付近にこの猿の石仏は鎮座している。

 なんという猿の神様なのだろう。石造には何も彫っていないので寺へ行けば何かこの猿神の手掛かりがあるかもと考え参道の石段を上がってみる。境内に登り下を見るとかなり眺めのいいところである。

 まず本堂に参拝させていただく。本堂の横には猿の石造が左右にある。手を合わせ上を見ると額がかかっていて山号が記してある。その名を「庚申山」、横には本尊名と真言(咒言)が書かれていてる。ご本尊さんは「青面金剛」、庚申信仰の神様だ。なるほどそれで猿(申)の石仏か。
 この信仰、中国の道教の考えが基礎になっている。それなのに仏教寺院の御本尊ってありなのかなぁ、とおもうが庚申信仰の御本尊は「青面金剛明王」となる。分類上は不動明王と同じ明王である。明王ならば寺の御本尊でも不思議ではない。
 この天正寺宗派は真言宗となっている。真言宗の中心的な仏さまは「大日如来」であるが真言密教には大日如来はさまざまな菩薩や明王に姿を変えて衆生救済のため世界に現れるという考えがあるから、根本仏の大日如来が青面金剛明王に姿を変え、真言宗の寺の本尊になっていてもなんら違和感はない。

 境内の隅には檻があり覗くとお猿さんがいた。神獣として飼っているのだろうか?

 やはり庚申信仰からきているお猿の石仏だった。日本も多神教世界であるからインドと同じように猿神様がいても不思議ではない。参道の入り口でみた猿の石仏は特に固有の名前のある猿神ではないが、これに手を合わせて祈る人もいるだろうから猿神さんであるといっていいだろう。

 ところで猿は朝鮮半島にはいないという話を聞くと意外な感じがする。朝鮮半島ばかりでなく黄河流域の華北地方も猿はいない。サル分布の世界地図を見てみる。

 中東なんかは結構暑いから猿がいてもいいのだがと思うがここにはいないのである。妙に一神教地域には猿はいない。多神教世界の日本とインドには猿がいる。
 インドでは野生の猿は神聖視されている。日本ではどうか、一部の神域では神の使いと崇められるといったが一般的にはそこまで神聖視はしない。しかし古くより、猟師は山のいろいろな獣を捕殺しても猿だけはそのような対象としなかった。神聖視というよりは、猿は人間に似ている動物界の霊長であるとして、猿殺しは人殺しに次ぐ禁忌すべきもの嫌悪すべきものと見ていたのだろう。今でも害を与えた熊や鹿などは猟銃で殺したりするが猿は殺されたりしない。(過ちで撃ったとしても猿殺しを猟師は極度に嫌がる)

 インドの猿神ハヌマーンをみて日本人が何となく親しみを感じるのは日本の野山には野生の猿がいて屈託なくのさばっているからかもしれない。

2019年9月11日水曜日

曼殊沙華の花が咲き始めた

 夕方、涼風を求めて鴨島公園の水際を散歩していると曼殊沙華の花が咲いていた。九月になっても真夏にも劣らぬ暑さが続いているが草木は秋の気配を感じ取って秋の花を咲かせはじめた。


 追伸、9月13日、野原にも曼殊沙華が咲き始めた


2019年9月9日月曜日

今日も残暑がきつかった

昨日は焼けつくような残暑で普段は食べないかき氷を今年初めて食べた。絵のようなマンゴーのかき氷でマンゴーの果肉ものっていて冷たくておいしかった。
 今日も昨日に勝るとも劣らない暑さである。全国的にもあちらこちらで35度をこえる猛暑になっている。この暑さは明日も続きそうでうんざりする。

 




今朝、ある本(仏像の本だった)をパラパラめくっているとページに先日ブログで紹介した常楽寺のお札がはさまっていた。ずっと前にもらったものであろう。左がそのお札である。この寺の本尊は前に書いたように弥勒菩薩様である。しかし秘仏ということで見ることはできない。坐像ということは聞いていたが細かいお姿はわからない。しかしこのお札を見ると組んだ足の上に両手を置きその手には小さな五輪の塔を持っている。平安時代以降作られる弥勒像は五輪の塔を持っている形が多いからこのお寺の御本尊の弥勒様も五輪の塔を持っているとみて間違いないだろう。

2019年9月7日土曜日

山崎忌部神社に行ってきた(山川町)

 古くは麻植郡は麻殖郡と称したことでもわかるように古来より神事に使われる「麻」の産地でもあった。古代氏族忌部氏は神祇にかかわる職掌とともに麻織物である麁服(あらたえ)などを作る役目もあった。古代より天皇の大嘗祭(実質即位式)にこの布が貢進されている。その大嘗祭に貢進される麁服は山川町にある山崎忌部神社から出発している。

 今月の2日にその麁服に使う麻糸を作った(苗から育て糸にまでする)木屋平の三木家の当主が木屋平より(三木神社)、山川町の山崎忌部神社に運び入れた。このあと地元の乙女らの手で布に仕上げられるのである。下は3日の地元新聞に載った「引き渡し式」の様子。

 今日、この山崎忌部神社に行ってきた。神社の境内は式典の準備が整っている。2日の「引き渡し式」のあと、今月の10日には(午前10時より)ここで「織り初め式」が行われ地元の氏子の関係者から選ばれた7人の乙女により機(はた)によって麁服が織られる。即位式は10月22日で大嘗祭は11月14日であるから、仕上がった麁服を調整して献上する期間も考えると約1か月ほどで織り上げなければならない。

 10日の「織り初め式」の準備もできている。今は広場(駐車スペース)になっているが神社東横に昔(大正、昭和の大嘗祭の時)の織り殿や乙女が寝泊まり家屋があったそうである。


 神社にお参りしていると横のプレハブの臨時の社務所にいる人が町内の神社や古墳などの文化財の載ったパンフレットをくれた。社務所には2人いたがおそらく24時間、この神社の警備も兼ねて詰めているのだろう(小さな神社なので社務所もなく、もちろん神主さんも常駐していない)。先の平成の大嘗祭の頃に由緒ある神社が相次いで放火される事件が発生したので万全を期しているようだ。

 山崎忌部神社の位置(パンフレットの地図より)

 神社の由緒書き

2019年9月1日日曜日

今日から九月

 朝夕ずいぶん涼しくなったとおもったら今日から九月、墓地のそばの小道を通ると周りの雑草から虫の音が聞こえる。よく見ると雑草の中に青く小さな可憐な花があちこちに見える。ツユクサだ。まさに草葉に結ぶ露から生まれたような花だ。