2024年2月28日水曜日

ひなの里に行ってきた

  わが県の山間部にある勝浦町は「ひなの里」として観光PRに力を入れている。県内外から、不要になったため勝浦町に寄贈されたひな人形を集め、いろいろな場を設け、たくさん飾っている。寄贈されたといったが、最近は勝浦町まで寄贈者がもっていって、雛祭り始原本来の「厄」を流す、あるいは払うためといって、御祈祷料を払って引き取ってもらうそうだ(知人は5000円いったといっていた

 まぁそうやって集めたひな人形を街角のあちらこちらに飾って観光客の目を引いているが、大規模に集め、工夫をこらした展示にしているのは、道の駅横の「人形文化交流館」である。ただし街角展示と違いこちらは入場料が400円びゃぁいる。まえは銭やとらなんだのになぁ。

 で、今回は、以前何度もみている人形交流館の見学はパスして、まだ行ったことのない、そこより車で10分びゃぁ奥に入った坂本地区にある八幡神社のひな人形を見に行った。ここは誰が名付けたか「ひな社」というそうだ。この地区一帯に(家の軒、道の角などに)ひな人形の野外展示しているが、この日は寒く風も吹いていたので、神社会場以外は行かなかった。

 確かに「ひな社」と言われるだけある。ひな人形、ひな飾りなど満艦飾の飾りつけである。ド派手な神社じゃ。


 本殿前もこれ、この神前で乙女が(年齢はかんまん、結婚してないおなごシ)祈願すれば、ええ男シと結ばれ、願いが叶いそうなきがする。しかし平日もあってか乙女らしきおなごシもアベックもおらず、ワイも含めジジ、ババばっかじゃ。

 

境内もこれ




2024年2月26日月曜日

雀のお宿はどこじゃ

  先日、夕方になって晴れ渡り、木々に最後の残光が当たって消えるころ、人の背丈以上にのびた満開の山茶花の木の横を通ると、チュン、チュン、チュンとうるさくがさえずる声が聞こえ、山茶花の小枝や葉っぱがゆれている。みると雀が、密生した山茶花のなかにおそらく数十羽近くいるのだろう、外から中へ、また逆に中から外へと出たり入ったりしている。感じた疑問は、なんで山茶花の木に夕方になってたくさん群れているのだろう、ということである。ふつうに考えれば、夕方になって(一般的な鳥は夜は夜目が効かないから)ここをねぐらとして帰ってきて、群れて騒いでいるのか、とおもうがそんな単純なものだろうか、この山茶花の木は駅舎に寄せられて植えられている。そんなところが果たして雀ちゃんのねぐらとなりうるのだろうか。本格的なねぐらへ帰る前に、中継地あるいは仮の集合場所としてこの木が選ばれたのではないか。

 こゆうときネットは便利である。しらべると中継地でも仮の集合場所でもなく、まさにここが雀のお宿だったのである。この山茶花の木、ピンクの八重の大輪の花が五月蠅いくらいたくさん咲いている(乙女サザンカというらしい)。雀ちゃん、なかなかしゃれたねぐらを見つけたものである。そういえば「雀のお宿はどこじゃ?」といいながら雀のお宿をたずねる日本昔話があったっけ、ありゃ、なんだったんぞいな、あぁぁぁ、思い出されん!やっぱりネットで「雀のお宿はどこじゃ」といれると、でた、「舌切り雀」じゃ、こんなんもおもいだされんかったわ、ボケが進んみょぅわ、小ンまい時は頭にこの題名、焼き付いとったはずなのになさけなぁ~~~。

2024年2月24日土曜日

鳴門・島田島の展望カフェ

  瀬戸内国立公園の中でも特に優れた景色・展望の場所が鳴門島田島にある四方見展望所である。このところ数日間、雨もよいのうすら寒い陰鬱な天気が続いていた。今日は午後から久しぶりに太陽が顔を出した。しかし明日はまた雨の日となりそうである。そこで昼から友人を誘って車で四方見展望所を訪れた。

 まず四方見展望所の鳥観図を見てもらおう。このようなところである。瀬戸内海を小さくして入れ子にしたようなウチノ海が眼前に見え、北方には鳴門海峡鳴門大橋が見えている。


 展望所の駐車場は車の数より、バイクの数が多い(それも大型)、ライダーは中年から老年が多く、ツーリング仲間でなくても談笑しながら、みんな楽しそうにくつろいでいた。


 展望所には小じゃれたカフェがある。店名は「せとうちフードアート」と読める。


 そこへ友人と入った。一階フロアは展望カフェになっていて、コーヒーとスイーツ二人分(約1800円)を注文して半時間ほどすごした。階段を上にあがると屋上テラスになっていて、360°の展望が楽しめる。


 屋上テラスから撮った動画もご覧ください。

2024年2月23日金曜日

2月23日ニュゥス雑感

 

 今日は天皇誕生日 
 現在世界には約二百の国があるが、君主国はその一割程度、18世紀の終わるまでごく一部(都市国家)をのぞいてほぼすべてが君主国であったが、近代世界史の展開として今まで残ったのはわずか30にも満たない君主国である。民主政治と君主制は合わないという人もいるが、これには私は疑問を呈する。イギリスを含めた北西ヨーロッパの国には君主国が多いが、どの国も世界のトップクラスの民主度であり、民生福祉の面でも世界をリードしている。君主制と民主制そして国民の幸福は共存できる。

 また私は文化・伝統を大事にする国柄であってほしいとおもうが、連綿と(世襲)によって続く王朝を持つ君主国は、君主制がその伝統・文化尊重の象徴的存在として、もっとも貴重な文化遺産となっている。

 「日本」という国号は遅くとも7世紀には成立していた。その時代からずっと天皇家は続いて今に至る、もちろん世界最古の王朝である。先にも言ったように君主制と民主制は仲良く共存できる。どちらの弥栄も望める。率直に今日は陛下の長寿と国の栄を祈りたい。

 株価がバブル以降最高値ってか!

 今はわずかな年金で余命をつないでいる哀れなジジイだ。株価などには関心がないし、またそれが浮かれ騒ぐようなことなのか、経済音痴の私にはわからない。この株価最高値というのは何を意味するのか。株価は景気と正比例するものだろうか?もしそうなら景気も非常にいいということになるが、そう単純なものではないだろう。新聞にはバブル期と違って今回は外国人投資家による影響が大きいと書いている。そのことはバブル期とくらべると景気への影響はマイナスとして働くのだろうか。

 ぶっちゃけた話、われわれ庶民の金回りがバブル期と似たものになっているのか、が最大の関心事である。よんべいつも行く銭湯でその話題がでたが、どの人も否定的であった。商売をしている人などは、あかん、悪すぎる(景気が)、と言っていた。銭湯で体を洗うように赤貧洗うがごときオイラの実感としたらワイの金回りはズンドコである。物価がおぶけるびゃぁ上がっとるのに年金は上がるどころか、もらい始めた60歳から比べると逆に下がっとぉがな、これは65歳から介護保険料・健康保険料を有無を言わさず天引きされとるせいだが、ともかく手取りがさがり、この物価高!わが財布は遠からず破綻するだろう。いったいどないすんねん  結論 〇株価は最高値だが庶民が実感する景気はイイとは言えない最貧層のワイらは経済的破綻のくらい底なしの穴に落ちそうである。

 山本陽子さんがなくなった 

 ワイの20代、30代の時に持ったイメージは「和服の似合う若妻」である。同じ姓の山本富士子さんと美人型タイプとしてはよく似ているとワイは思っている。山本富士子さん(92歳)は現在もお元気で時々マスコミにも姿を見せている、陽子さんもごく最近テレビでお見かけしたのに急性心不全ということで急死に近いご逝去だ(享年81)。歳が行ってからも映画「デンデラ」のうす汚たない老婆役や、テレビドラマでの悪役など、若い時のイメージにとらわれず芸域を広げ、今後の活躍も期待していたのに残念である。

 ワイが35歳になる時まで生きていた明治人のジイちゃん(祖父)はテレビで知ったのだろう、贔屓の女優の第一と第二は佐久間良子と山本陽子であった。二人とも和服の似合う(昭和の)美人であった。いま、ジイちゃんがよく言っていた山本陽子さんに対する顔判断を思い出す。「この人、美人じゃけんど、額が広い、こんな顔の美人は後家性(相手が早死にする)じゃ。」と。訃報に接し改めて彼女の記事(スポ紙)をみると、田宮二郎や沖田浩之とのロマンスがあったようである。田宮とは不倫状況下の恋愛、沖田とは21歳も年上でありながら熱愛から結婚かと噂されたが、両人ともなぜか自殺した。山本陽子はその後誰とも結婚はしなかった。そんな記事を見るとジイちゃんの顔判断も当たっていたんじゃないかと思ってしまう。また昭和が遠くなった。

 ご冥福をお祈りします。

2024年2月20日火曜日

フリーバス定期でバスに乗って(感想)

 


 一年有効のフリーパス・バス定期を購入し利用し始めて20日たった。はじめのうちはフリーということで、(物珍しさ、小旅行の雰囲気を味わうなどの理由)いろいろな路線に乗ってみたが、長くバスに揺られるのは、老人にはかなり疲れるのを体感し、今では乗るのは必要な路線だけになった。

 そして20日間乗った感想はというと。「衰亡」「ものさみしさ」「遠からず廃線の予感」である。結局一言で言うと乗客が極めて少ないことに対する私の感想である。路線バスは鳴門路線は除き、鍛冶屋原線、鴨島西麻植線、橘線、丹生谷線など、徳島市街に向かってくる路線はいずれも県西、県北、県南の郡部・田舎からやってくる。徳島市街地こそそこそこ乗り降りの乗客があるため、時間帯によっては客も多い(それでも混み合う時でもせいぜい最高八割程度)。しかし郊外へでて郡部・田舎を走るとグッと乗客は少なくなる。夜遅くなると一人、あるいは無人ということもある。バスを利用しない人でも、マイカーを走らせていて郡部の終点辺りではカラの路線バスが走っていることを目撃することもよくあることだと思う。

 私は温泉好きで夜遅くバス乗るが、夜のバスは郊外へ出ると私一人、多くて数人、それがマイクロバスならいざ知らず、大型の路線バスの中なのである。夜最終便の、薄暗く私以外誰も乗っていないバスに揺られていると、もう涙が出るほど侘しさがつのってくる。わが徳島のJRの列車ローカル線は乗客の利用が少なく赤字と言っていたが、バスの乗客の少なさはそれどころではない。路線バスの衰亡、遠からず廃線の予感、と書いたが、こんな状態では今すぐにでも廃線になってもおかしくない。


 いったいいつまで路線バスはもつのだろうか、とりあえず私は一年定期を購入したからその期間が終わるまではもってほしいと思う。自分が実際路線バスに乗ってみて、想像していた以上の衰亡を見るにつけ、逆に、いまだに路線バスが永らえているのはなぜだろうと疑問を抱いた。その疑問に答えるように18日付の地元ローカル紙に「先細る路線バス」という記事が載った。それによるとなんとか持っているのは、「県、地方自治体からの補助金」そしてあとは高速バスや貸し切りバスの収益で補填しているからである。

 市場原理に基づいて路線バスを切り捨てろ、という声が上がってきそうだ。いまマイカーは人々にとって靴のようなものであり、車はあって当たり前、移動はマイカーでできる、バスなどいらん!とは確かに多数意見ではあろうが、少数ながらも交通弱者は存在する。郊外を走る路線バスの乗客は、車も免許も持たない人の比率は高い。後期高齢者、障害者、車を買う余裕のない人である。人数はすくなくてもそれらの人にとってバスは移動するための頼みの綱である。経済的合理性のみで切っていいものだろうか。

 即廃止は、さすがそのような考慮が働いているのだろうが、利用者の少ない路線の廃止、バスの便の減少は近年顕著である。先の地元ローカル紙の記事によると、20年前と比べると路線の数は四割減、乗客数は約半数となっているのである。今後もこの減少は続くと考えられる。記事では県西部の三好郡の路線バスはなんと五年後には現在の八路線から一路線にする計画とある、もう廃便一歩手前である。これでは遠からず路線バスの緩慢な衰弱死が待っている。ワイのような交通弱者(腰や足は痛ぅて満足に動かんは、もうすぐ後期高齢を迎えるは、ビンボで車なんどとても買えんは、の三重苦の交通弱者じゃ)はどないすりゃええんぞぃ。教えてつかい!

 それに関しては、ローカル紙の記事は地元某大学で地域交通を研究している某教授のある提言を載せている。某教授いわく『路線バスが有効なのは都市部、大型バスを定期運航させるのは地方住民の需要に合わない』その上で『高齢者(交通弱者)に必要なのは週一回程度の通院と買い物に利用できる効率的できめ細かいサーヴィスだ、通学用には乗り合いタキシーが利用しやすい』とのこと。まとめとして、地域に応じた移動手段の最適化が重要だといっている。

 やっぱり最適化がでた、これは一面経済的合理性である。大型バスよりタキシのような乗用車の方が費用が安ぅてすむ。アッチャコッチャでジジババを拾ぅていって車に詰めこみゃぁええ。そりゃ確かにそうかもしれん。しかしきめ細かいとは言いながら、この提言を意地悪く読めば、年寄りは、乗り合いタキシを利用して週一回程度に通院と買いモンができゃぁいい。運賃は県自治体が補助してもええ、じゃぁ路線バスは廃しちゅうことでやりまひょ、文句はおまへんな、つぅことか。なんだか寂しいなぁ。(バスを利用して毎日は無理でも二日に一回はどこかへと思うのは贅沢なのぞみか?

 この提言のこの方法が正しいのかもしれん、路線バスの衰亡に対するワイの気持ちは、所詮は情緒的な、そう情緒だ、小ンまいとき、ばぁちゃんにつれられて、県西のばぁちゃんの里に行くのに、よくのった路線バスの、あの情感あふれる思い出に基づく情緒的な反発なのだろう。ワイとしては寂しさを胸に抱き、衰亡を見守る以外ない。まぁ、路線バスの完全衰亡より先にワイの人生の終了があるからええか。

 カラのバスあるいはワイ一人が乗っているだけのバスを走らせている運転手さんの気持ちはどんなのだろうとバスに乗り始めてよく考えるようになった。タキシと違い歩合制ではないので月給は変わらないだろうが、衰亡しつつあるバスを運転していて、将来の不安が起こらないことはないだろう。トラックなどの運転手からバスの運転手になった人は多いと聞くが、バスの運転手になってのこの乗客の少なさを見て、さらなる転職を考えている人もいるだろう。最近、タキシそしてバスの運転手のなり手がないので困っているというニュゥスをたびたび聞くようになった。ある県ではバス運転手不足のため路線の減便もあるという。人手(運転手)不足という面からもバスの衰亡は進んでいる。

2024年2月19日月曜日

緋寒桜が満開

  小雨がぱらつく昼過ぎであったが、気温は高く、体感は春四月頃の陽気である。両国橋南のポケットパークにある緋寒桜が満開となっていた。



2024年2月12日月曜日

詩吟

  ふれあい健康館へいったら今日は詩吟の発表会があった。覗いてみたら知人がいた。出演するとのことで動画を撮影した。吟題は『胡隠君を尋ぬ』

2024年2月9日金曜日

小松島中田の桂林寺

 昨日は小松島の桂林寺を見学してきた。以前、南小松島の駅で観光案内をしているボランティアガイドのおじいさんから、由緒あるお寺だからぜひ行ってみなさい、と勧められていたのを思い出し、行ってみた。

 日乃峰山の山麓にある。想像していたより小さいお寺だ。由緒としては、足利時代、阿波の守護をつとめていた細川氏の尊崇が篤かった寺である。そのため細川氏全盛の時代は大寺院で子院(支院)も10ヶ寺あった。しかし細川氏の勢力の衰えとともに寺域も縮小し、また禅宗から真言宗へ、本尊も釈迦如来より観世音菩薩に変わっている。足利義政より細川氏に賜った「法華経八巻」はこの寺に保存されており、県の重要文化財に指定されている。


 本堂前には紅梅白梅の対の梅の木があり、開花した梅の花から良い香りがあたりに漂っていた。

2024年2月7日水曜日

吉野川河川敷の菜の花

  第十堰少し下流の河川敷には菜の花畑がひろがっている。意図的に作っているのではなく、毎年花期が終わった花から種がこぼれ自然に咲き、このような絨毯畑になるようだ。厳密にいうと菜種油をとる「ナタネ」ではなく、からし菜に近い野生種だろうと思う。かなりの広い面積を占めている。


 土手を降り菜の花畑に入り動画を撮影しました。

 先日のブログで半世紀近く逃亡を続けた指名手配犯について書きましたが、阿南の街中を歩いていると角にある交番のポスターに目がいきました。見るとまだ彼の手配写真が貼ってありました。ちょうど若いお巡りさんに会ったので、彼の写真に✖の印はつけないんですかと聞くと、「まだ確定ではないからそのままなんですよ」といわれた。なるほど。

2024年2月4日日曜日

立春雑感

 今日は「立春」 24節気の一つだ、文字にはその名の通り、今日から春が始まるという意味を込めているが、もう一つの大事な意味もある、それはここから新しい年が始まるということである。「いや、旧暦には暦の上で元旦がある、本年令和六年の旧暦元旦は1月10日のはずだ!」と反論を受けそうです。確かにそうなんですが、農事を中心におく昔の人の感覚では、立春を新しい年の始まりとして認識していたのも事実です。平安朝に作られた次の和歌を見てもそれがわかります。

 年のうちに 春は来(き)にけり ひととせを
去年(こぞ)とやいはむ 今年(ことし)とやいはむ古今和歌集・在原元方

 旧暦では立春は元旦より前に来る(旧年中に)ときもあり、また元旦より後に来るときもあります。今年令和六年は旧元日より(太陽暦・1月10日)早く立春が訪れる。だから今年のような年のことを和歌に詠んでいるのである。「古い年のうちに立春が来てしまった、とすると、古い年は、そのまま去年と言っていいのだろうか、それとも古い年の立春からは、今年といっていいのかなぁ」と混乱しています。立春を一年のはじめとする考えがあったからこのような混乱・錯誤が起こるわけです。

 昨日は節分だった 立春は黄道(天球上の太陽の軌跡)をキッチリ24等分して、その一つの春分点(黄道と天の赤道が交わる点)から三つ前を立春(点)としています。そしてその前日が「節分」になるわけです。先に言ったように立春を新年の始まりと見立てると、前日の日は古い年の最後の日、この日までに付いた「悪い垢」や、悪事を擬人化した「鬼」を新しい年に持ち越さないため「祓え」(はらえ)や「鬼やらい」(おいはらう)が必要と考えたんでしょうね。それが節分の「鬼は外、福わ内」となったわけです。

 季節行事食品特売コーナ ところでワイらの小ンまい時、節分の豆まきはあり、家でもやりましたが、恵方巻の巻きずし吉方にむいて丸かじりなんてのはなかった。しかし近年、ここ阿波の国でも節分と言えば恵方巻が出回り売れるようになった。あれは、大阪の船場あたりにローカルな節分の風習としてあったものを、すし屋やスーパーが大々的に取り上げ、縁起物としていいから、とうわべは言いつつ、実のところ恵方巻寿司を多量に売らんがため普及させたんじゃないかと思ってしまう。バレンタインデでチョッコレイトをたくさん売るのと同じ販売戦略じゃないんかな。

 いまスーパやショッピングモルには、そのような季節行事関連の食品のコーナーが設けられている。一番面積を占めているのは先月から設けられているバレイタインデの各種チョッコレイトのコーナーである。これは2月14日がすむまである。


 おもっしょいのは、昨日まであった節分の豆関連の商品は今日は一斉に撤去されていると思いきや、一部の豆関連商品は残っている、その節分コーナーであった場所は、今日は「ひな祭り食品コーナー」に早変わりしている。しかし、昨日まで目にした節分の袋菓子がひな祭り袋菓子として今日もあるのである。
 アラレといろいろな豆とミックスした左のような袋菓子は節分のコーナーから引き続きひな祭りコーナーにもそのまま置いてあった。アラレと豆がミックスしてるから、どちらにも使えると考えているのだろう。
 とすると、節分の豆菓子に、芯に大豆を用いチョッコレイトをくるんだものがあったが、これなどは節分にもバレイタインデにも使えるわな。

2024年2月1日木曜日

旧寺島川沿いを散策してたら急に声をかけられびっくり

  寺島川って知ってまっか?おそらく知らんやろな。古い時代、徳島の中心地を流れていた川です。現在でも徳島市の地名に「寺島本町」というのがあります。しかしその元となった寺島川はほとんど埋め立てられ、今は一部が溝や堀となって残っているだけです。

 下は明治39年(1909年)、寺島川が流れていたころの地図です。新町川の流路は変わっていませんが、細い水色の線で示した寺島川は今はありません。上手(上流)は今の郷土文化会館あたりから新町川の支流として流れ、城山の南を通り、今の中洲市場辺りで再び新町川に合流します。見たらわかるように新町川と寺島川に囲まれた一帯は「川中島」になっています。ここが寺島になります。まさにですね。


 寺島川はほとんど埋め立てられましたが、その流路であったしるしは城山と徳島駅鉄道線路操車場の間に今も堀や溝として残っています。今日はそこに咲いている水仙の花を撮ろうと思いその流路沿いに歩きました。

 水仙はその名の示すように水辺を好む花です。旧河川沿いにたくさん群れているのかと思いきや、ありません。蜂須賀公の銅像の裏当たりの堀沿いを、水仙を探してウロウロ歩いていると、公園内の工事を見守っていたガードマンさんから急に「○○さん(私の姓)じゃないですか」と声をかけられた。おどろいてそちらを見るが、マスクをしているし、体の感じや声からは全く知らない人にしかみえない。「そうですが」というと、マスクを下にずらした。そこで初めて大昔(40年も前)の友人とわかった。「ああ、○○君、なにしてるの?」と聞いたが、元気でガードマンをやっているのはみたらわかる、間抜けた質問だ。公園内で通行者は少ないのでガードマンの仕事も暇そうだ。それでしばらく立ち話でお互いの現況をはなす。彼は私より3歳年下だから今年70歳だ。本業の散髪屋を週2日やり、4日はガードマンをやっているとのこと。息子さんが二人いるが小学校3年生になる孫も一人いるといっていた。陽気でよく笑うのは昔と変わらず、古希になっても二つの仕事をしているとは、ただただ感服する。

 いくら暇といっても仕事中である、私語が長引くのは彼に迷惑である。うれしくも偶然会った喜びの余韻に浸りつつ、またの再会を楽しみに別れた。

 その城山公園の旧寺島川沿いでようやく見つけた水仙と掘割の写真


 そのあと、ちょうど昼飯時だったので、徳島駅線路操車場の横にあるJRの古ぼけたビルの中のJR職員食堂一般の人でも利用できる)で定食(今日はウドンと助六寿司、天ぷら盛り合わせ)を食べる。これがボリュームたっぷりで450円、安い!



 それから今日、2月1日から一年間、徳バスの全路線乗り降りフリーの定期を買った。高齢者のみ対象である。その定期の名も「ながいき定期券」、一年定期なので一年間は元気でバスに乗らにゃ、そして生きてたらまた一年の更新、なるほどそうして何度も繰り返せば、ながいき定期になるわな。