2024年2月1日木曜日

旧寺島川沿いを散策してたら急に声をかけられびっくり

  寺島川って知ってまっか?おそらく知らんやろな。古い時代、徳島の中心地を流れていた川です。現在でも徳島市の地名に「寺島本町」というのがあります。しかしその元となった寺島川はほとんど埋め立てられ、今は一部が溝や堀となって残っているだけです。

 下は明治39年(1909年)、寺島川が流れていたころの地図です。新町川の流路は変わっていませんが、細い水色の線で示した寺島川は今はありません。上手(上流)は今の郷土文化会館あたりから新町川の支流として流れ、城山の南を通り、今の中洲市場辺りで再び新町川に合流します。見たらわかるように新町川と寺島川に囲まれた一帯は「川中島」になっています。ここが寺島になります。まさにですね。


 寺島川はほとんど埋め立てられましたが、その流路であったしるしは城山と徳島駅鉄道線路操車場の間に今も堀や溝として残っています。今日はそこに咲いている水仙の花を撮ろうと思いその流路沿いに歩きました。

 水仙はその名の示すように水辺を好む花です。旧河川沿いにたくさん群れているのかと思いきや、ありません。蜂須賀公の銅像の裏当たりの堀沿いを、水仙を探してウロウロ歩いていると、公園内の工事を見守っていたガードマンさんから急に「○○さん(私の姓)じゃないですか」と声をかけられた。おどろいてそちらを見るが、マスクをしているし、体の感じや声からは全く知らない人にしかみえない。「そうですが」というと、マスクを下にずらした。そこで初めて大昔(40年も前)の友人とわかった。「ああ、○○君、なにしてるの?」と聞いたが、元気でガードマンをやっているのはみたらわかる、間抜けた質問だ。公園内で通行者は少ないのでガードマンの仕事も暇そうだ。それでしばらく立ち話でお互いの現況をはなす。彼は私より3歳年下だから今年70歳だ。本業の散髪屋を週2日やり、4日はガードマンをやっているとのこと。息子さんが二人いるが小学校3年生になる孫も一人いるといっていた。陽気でよく笑うのは昔と変わらず、古希になっても二つの仕事をしているとは、ただただ感服する。

 いくら暇といっても仕事中である、私語が長引くのは彼に迷惑である。うれしくも偶然会った喜びの余韻に浸りつつ、またの再会を楽しみに別れた。

 その城山公園の旧寺島川沿いでようやく見つけた水仙と掘割の写真


 そのあと、ちょうど昼飯時だったので、徳島駅線路操車場の横にあるJRの古ぼけたビルの中のJR職員食堂一般の人でも利用できる)で定食(今日はウドンと助六寿司、天ぷら盛り合わせ)を食べる。これがボリュームたっぷりで450円、安い!



 それから今日、2月1日から一年間、徳バスの全路線乗り降りフリーの定期を買った。高齢者のみ対象である。その定期の名も「ながいき定期券」、一年定期なので一年間は元気でバスに乗らにゃ、そして生きてたらまた一年の更新、なるほどそうして何度も繰り返せば、ながいき定期になるわな。

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