2023年10月30日月曜日

13大日寺・14常楽寺・15国分寺・16観音寺まで歩いた

  昨日歩いたのは10km弱である。昨日は県内のバスが県内全域無料の日なので利用しない手はないと思った。しかし阿南南部勝浦、那賀へ行くバスは、無料を利用した客で満員で、また本数も少なく、ちょうどに良い発車時刻が少ない。そっち方面には太龍寺、鶴林寺、また番外の寺(奥の院やお大師様ゆかりの寺)もあるため、行きたかったが、長時間揺られ、満員だとバス中で立ったままの可能性があることも考えられる。だからこちら方面はやめた。

 すいている市バス路線を利用することにした。終点一宮までバスで行きそこから上記の四ヶ寺歩き、国府の駅で歩き遍路は終了した。

 大日寺(旧一宮寺)の山門で子安観音をバックに自撮りした。







 常楽寺「流水岩の境内」、まるで岩がゴツゴツした渓流沿いを歩いているみたいだ(流水はないが)


 最初の寺についたのが11時半ごろ、そこから四ヶ寺歩きぬいて、終点国府駅に着いたのが午後三時過ぎであった。最後の寺の参拝を終わり、くたびれた足でよたよた歩くと後方から夕陽が背中を押してくる(シルエット)


2023年10月26日木曜日

鴨島菊人形まつりが始まった

  昨日から始まった鴨島菊人形まつり来月の26日まで続く。午前中、その会場に行ってきた。会場は吉野川市役所前広場である。以前は、鴨島駅前にも小屋掛けで菊人形の「場面」が作られていたが、コロナ以後、こちらはなくなり、今は市役所前広場一カ所のみとなった。

 祭りといっても大河ドラマがテーマの菊人形場面が三ヶ所と、後は子供の喜びそうなキャラと動物の菊人形があるのと、品評会の名菊の展示だけで、祭りのイベントは初日のみであった。

大河ドラマの場面(3シーン)




子どもが喜びそうなキリンさんの菊人形、まだ蕾で黄色い花が咲いていないのでキリンに見えない


品評展示作品の菊は、まだ蕾で鑑賞するにはまだ早い。

2023年10月25日水曜日

今日の新聞ニュースから

  最近の若い衆(ワカイシ)は紙媒体のメディアはあまり見ないのだろうが、ジジイの私はいつも行く図書館で主要な新聞5~6紙も読んで、ニュースを得ている。ネットやスマホあたりから得られる情報よりは新聞のほうが(比較的だが)正確ではあろう。また新聞は各紙によって政治的スタンスが割とはっきりしているのもよい。A紙やM紙は左寄り、それに反してS紙は右寄り・保守、Y紙は真ん中よりやや右だろうか。どの新聞も(批判的に)全部目を通しているが、私が感じる中立的な新聞は経済が中心の(しかし文化・政治・スポツ、三面記事・事件も含んでいる)NK紙であろうか。

おっ、また金のばらまきか

 今日の各新聞のどの一面にも載っていたのが政府の新経済対策である。目玉は二つ、4万円の減税(一人頭)住民税非課税世帯・低所得者層の世帯に7万円支給というものであった。いかにも政府与党の人気取りのような付け焼刃的な施策のような気がするが、しかし貰えるとなれば拒否する理由はない。かくいう私は低所得者に入り、もしくれるとすれば7万円の支給対象である。

 諸物価の値上がりには最近ほとほと困っている。物価上昇率は公的にはまだ10パーセント以内だが、エンゲル係数の高い(食費に占める割合が高い)私なんどは、食品の値上がり率は15パーセントになっているのではないかと思っている。そのためわずかな年金は実質どんどん下がるに等しい。そのためいくらかでも現金支給はありがたいが、ちょっと考えればそのような現金バラマキはますます政府の金融財政に悪影響を与え、さらなる物価上昇、年金の実質的切り下げをもたらすであろう。だが、お上がくれるなら頂戴する。

パンパカパ~ン、日本四位に転落

 やっぱりな、という感想である。今日の経済ニュースに、日本のGDPが、どこのドイツにか、抜かれてしまって4位に転落した。衰亡の兆しは20年も昔からあったが、いよいよこれからは(GDPに関して)地位転落が毎年のように起こるだろう。一人頭のGDPが上位ならまだそれでも良いが、なんと一人当たりでも34位まで転落してしまった。台湾に抜かれ、おそらく韓国にもここ数年で抜き去られるのではないか。

 これに関してはワイはそう悲観はしていない、今、日本の一人当たりの年間所得はドル換算で3万4000ドルである(日本円だと510万円)くらいだろう。でも私の年間の所得はいうも恥ずかしながら国民年金の満額78万円(年間)びゃぁであるから、510万など年間貰えたら夢のような話である。ワイとしては「何をガタガタ騒んぎょんぞい」、ちゅう感想である。だから「ちょびっとびゃぁ減ったくらいで、どうっちゅうことないわ」。という感覚である。家も着るものの古いながらあるため、ワイが生きるのに必要なのは食料のみである。その食料もいよいよ買えなくなるくらい貧しくなったら、その時はワイの尻にも火が付くが、そうなりゃぁ、国会前まで這っていって、餓死してやる。

T型フォード

 ローカルニュースにこんなのがあった。徳島工業短大の学生たちが町工場の整備のおっちゃんの助けなどを借りながら「T型フォード」を復活させたという話である。


 

 モバイル(移動)携帯(多機能のスマホなど)の大発達はここ20年びゃぁの加速度的進化だが、自動車は150年以上の歴史があり、その基本的な形態や機能は変わっていない。ドイツのダイムラーはんが開発したが、最初は金持ちの娯楽スポーツ的な使用が主だった、それをワイら一般庶民も普及させるようにしたのがアメリカのフォードはんだった。これももう100年以上前になる。流れ作業による自動車の大量生産(ライン)、そして工場で働く従業員も買えるような新車の値段、そしてそれに見合う従業員の給料を保証、あるいはベースアップで報いる。これは車を持つ近代大衆社会のコアな経済システムである。先頭を切ったのは1920年代のアメリカだが、その後、欧州、日本、と続き、今や中国、東南アジアに、大衆所有の車社会が実現した。その嚆矢となるもっとも初期型の大衆車がこのT型フォードである。

 車、いいなぁ、雨だろうが、夜だろうが、どこでもすっと飛ばして行け、横に愛する人なんど乗っけて走りゃぁ気色よかろう。でも、上にも言ったようにお上のお恵みを待つビンボ人のオイラは車は持っていない。まぁ半分ボケたワイのようなジジイは持たないほうが世のため身のためかもしれん。

2023年10月24日火曜日

前回のブログの続きです(歩き遍路)

 約20kmほどの一日歩き遍路をスライドショーにまとめました。

下は恩山寺境内のみの動画です 

付録だよ~ん

 四国巡礼しているといろいろな縁があるといわれています。私に関するそのの一つをご紹介します、10月19日に県外から来た妹と甥とともに車で焼山寺に参拝しましたが、その日のうちに高知のほうへ回る妹らと別れました。その妹が22日に、前にブログ(16日)で紹介した台湾の青年高知市の30番札所で出会いました。彼のことは妹は全然しりません、しかし私のブログをいつも見ている妹が、この寺で台湾の青年を見て「もしや?」と思って声を掛けたら、その台湾の青年だったそうです。ブログでは台湾の青年の写真は目隠ししているのによくわかったな、と驚きました。その青年が妹らと一緒に写真を撮ってメールで送ってくれました。


2023年10月23日月曜日

0番さんから18番さんへ歩いて行った

  今日の歩き遍路は、0番、すなわち旧持明院の場所、大滝山の滝薬師を午前11時前に出発、18番まで歩いて参拝、しかしそこで「歩き」は終わらない。さらに4km弱あるいて南小松島駅でようやく今日の歩きは終わり。約20kmは歩いたんじゃないかと思う。時刻は午後5時をさしていた。詳細は明日にでも「歩き遍路0番から18番へ」スライドショーに編集してアップします。

恩山寺境内で写真を撮ってもらった。

私の故郷では昨日から秋祭りが始まった

  私の生まれた地の「産土神」は若宮神社だけれども、今はもう家もなく他へ引っ越したため、氏子の縁は切れている。昨日、故郷の町を歩いていると「八幡神社」の神輿に出会った。



お稚児(チゴ)さんがかわいい。太古の昔から、神事では、「稚児(こども)と・オキナ(白髭の爺さん)に降りてきて宿る」と言われている。稚児だけでなく、白髭の爺さんが神の具現した姿としてあらわれるのは中世の心霊譚や能楽によくでてくる。そうすると白髭ジジイの私にも神が宿る可能性があるということか?

2023年10月20日金曜日

ブギの女王笠置シズ子の生誕地に行ってきた

  朝ドラの舞台になる地がトレンディな観光地となるのはもう60年も昔からだ。私のもっとも古い記憶に残っている朝ドラは半世紀以上も前の「おはなはん」である。確か高校入学したころ白黒テレビで見た。その舞台は四国の「大洲」だった。その町が朝ドラの効果で、観光地として売り出された。「おはなはん通り」などはその最たるもので(他にもいろいろあるが)、今でも観光パンフレットにはその効果で生み出された観光地が載っている。

 直近の朝ドラでは「らんまん」(今年の前半期)がある。主人公の牧野富太郎のふるさと高知が舞台であった。放映されると同時にその関連場所が有名となり、地元の観光PRもあってかずいぶん観光客が押し寄せたそうである。

 そして現在の朝ドラは「ブギウギ」である。主人公は戦後、ブギウギの女王として一世を風靡したといってもいい笠置シズ子である。初回を見る限り舞台は大阪の銭湯であるが、実は彼女の生まれた地は香川県の相生村(現、東かがわ市)である。朝ドラでも後に出生の地が出てきて、ドラマの重要な地となる。

 この相生村は香川県といっても徳島県の鳴門市に隣接していて、国道を行くと県境のすぐ近く、またJR高徳線の汽車に乗っていくと香川県に入った最初の停車駅「讃岐相生駅」の近くである。そこが笠置シズ子の出生の地・相生村であるから我が徳島県にとってもまるで他所の人のような気がしない。これは私だけの感想ではないようだ。というのも今朝の地元紙の一面のコラムにその出生地について取り上げられていた。わが県人の笠置シズ子の出生地にたいする関心の高さをうかがうことができる。


ということで、本日、その笠置シズ子の故郷に行ってきた。やはり朝ドラを観光の起爆剤にしようとしているのだろう、駅や街角などに笠置シズ子関連の看板やポスターが目立ち、また当地の歴史民俗資料館では「笠置シズ子特別展」をやっていて、それも見てきた。左はその歴史民俗資料館の外観。

 民俗資料などの常設展物は撮影可だが、笠置シズ子の特別展示物は撮影禁止、残念だが仕方ない。下は常設展示室から撮った特別展のようす。展示物を個々に写さないのでぎりぎり撮影可能であった。

 

 下はその特別展のパンフレット(各入館者に配布なので内容はブログにもアップできる)、若い人は笠置シズ子の名前も知らないが、このパンフを読むことによってブギの女王として戦後有名になった彼女の活躍を知ることができる。


JR引田駅にはこのような看板もある。私も横に立って撮影しもらった。


 街中にもこのような看板が立っている

街中にある萬生寺には彼女の名前の刻印された石柱がある。それは彼女が寺の屋根に銅製の樋を寄進したときのものである。上が萬生寺山門、下が山門横にある彼女の名のある寄進記念の石柱、笠置シズ子の名がみえる。



 この町は今までは「引田のひな祭り」で有名だったが、これからは笠置シズ子の生誕の町としての観光が加わる。

2023年10月19日木曜日

今日は歩きでなく車で焼山寺へ

  歩き遍路を断続的に続けているが、今日は県外に暮らす妹と甥が徳島にきて、車で焼山寺へ行くというので、一緒に車に乗せてもらって参拝した。

 焼山寺へ行く途中の(衛門三郎伝説のある)杖杉庵で


本堂前の大杉で

2023年10月18日水曜日

"0”番札所から17番札所まで歩く

  え?0番札所ってなに?そんなんしらん。というのも当たり前、私が名づけた、まぁ言わば番外札所。その0番札所と呼ぶのは眉山ふもと寺町の、滝薬師(滝の焼き餅本舗がある)あたりに(過去)あった「持明院」という大きな真言宗の寺である。今は廃れて大伽藍は見る影もなく、かわりに小さな滝薬師堂や聖観音堂が残っているだけである。

 大昔、江戸時代、お四国巡礼を回る人々の多くは、大坂から船出して徳嶋(渭津・いのつ)に上陸した。廻船級の船は大きくて徳島の川を遡るのが難しいため、巡礼者を含む旅客は、新町川や津田川河口あたりで小型のなどに乗り換え、今の新町橋辺りの河岸へ上陸した。その上陸した巡礼者が真っ先に向かい、巡礼の手形や、そのほかの便宜を受けたのが新町橋からも近いこの持明院であった。つまりここは八十八ヶ寺巡礼に出るより前に訪れる寺であった。そういう意味でいわば最初の寺(一番)の前に行く寺ということでわたしが勝手に「0番札所」と呼ぶのである。もっともこの場合の札所のの意味は公から下される巡礼手形のことであるが。

 江戸期に巡礼日記を書いた澄禅さんはこの持明院から最初の打ったての寺(つまり実質1番)として眉山大滝山からも近い17番井戸寺へ向かい参拝している。それより後の眞念さんも、徳嶋に上陸して巡礼する場合は、霊山寺より17番井戸寺からのほうが便利がよいと書いている。

 そういうわけで、江戸期の参拝者と同じく、眉山大滝山持明院の跡に建つ「滝薬師」を参拝して、(江戸期には)まず第一に訪れた寺、井戸寺へ(17番)へ向かいました。

滝薬師(名の通り本尊薬師如来)


寺町のはずれの大三島神社の裏参道横を通って佐古川沿いの旧街道を進む

三島神社裏参道


佐古川、これに沿って平行に走る旧街道(県西へ向かう)を西、鮎喰のほうへ向かう


旧街道沿いは佐古の問屋街である。比較的車が少ない、てくてく歩く。

どんどん進むと鮎喰川に突き当たる。土手を少し北に向かい橋を渡る。注意の通り、金剛杖を突かないように橋を渡る。


井戸寺山門前で、頼んでシャッターを押してもらった。これは遍路姿の私。


作法通り参拝をすませる。


途中、昼飯を食べるため休憩したが、0番滝薬師(持明院)~17番井戸寺~国府駅まで歩いてだいたい4時間あまりだった。なんとか完歩できた。次は20kmほどの~恩山寺まで歩こうと思っている。

2023年10月16日月曜日

今日の出来事(三題)、台湾の青年、春日神社の神輿、地産の芭蕉の実(ばなな)

  ジジイになると毎日毎日変化のない退屈な日が続きがちですが、今日はいつにない三つの出来事があり、とっても濃密な一日となりました。だから今日は一度に三題、ブログにアップします。

台湾の青年

 高齢になると新しい環境や新しい対人関係に慣れにくくなる。いまさら新しいことなど、もういいわ、ということになる。だから年寄りはどうしても保守的になり、自ら進んで新しい人間関係を築こうという気が起こらなくなる。これは誰のことでもない、とっくに古希を過ぎ私のことである。そのため最近、ここ徳島でも多くなってきた外国人労働者や外国人観光客に対しては尻込みしがちとなり、避ける傾向がある。

 Xenophobiaの気味があるのかな?と思ったりもするが、まぁこれは日本の田舎の年寄りの一般的な性質ではないだろうか。しかし、私がとっても好きな国がある。それは台湾である。台湾にはまだ行ったことはないけれども、台湾の人々私が若い時から、多くの接触があった。

 私が二十代のとき、県西の山間部の僻地に住んでいた。そこは無医地区であった。町がかなり高額な手当てを払って医者を招致しようとしても、不便な僻地には医者は行きたがらない。そのため診療所には長らく医者がいなかった。そんなところにようやくやってきたのが台湾の医師であった。かなりのお爺ちゃんであったが、日本時代の台湾で(当然日本の)医師免許を取っていたため、台湾からやってきてもすぐに医者として医療活動ができた。日本人と同じように日本語がしゃべれ、面倒見もよく、地域の人々に慕われた。

 また同じころ、私は旅行が好きで国内各地を何泊もしながら列車で移動し、かつ歩いた(その実、放浪に近かったが)。宿泊料が安いのでよく利用したのがユースホステルである。今と違い当時、ユースホステルは国内にたくさんあり、また利用客も多かった。外国の若者も多く利用した。外国人の比率としては白人が多かったが、台湾の若者もけっこういた。中国人(大陸)や東南アジアの人は皆無、香港の人は若干いた。

 ユースホステルは相部屋ということもあり、また私も若かったため、みんなと積極的にコミュニュケーションをとった。特に台湾の人は顔も日本人とそっくりで、人情の機微なども解し、もっとも心の波長のあう外国人で、かれらと漢字で筆談するのが面白かった。筆談といっても私は中国語は全くわからない。ただ中国古典の「漢文」は中学・高校と習っていたため、それを基礎に台湾の若者と筆談したのである。よくそれで筆談ができたもんだと、今から思うと感心するが、大まかな意思や意向は分かりあえた。

 そうそう、ある時、漢文が基礎の私の筆談の文字列をみて、台湾青年のグループの中で日本語ができる一人が、「日本人との筆談は、古臭く、今は廃れて用いないような言い回しや、古すぎる漢字が出てくる、なんとなく雰囲気で意味は分かるが、現代中国語とは大きく違っている」と、日本人の漢文基礎の筆談の有用性に疑問を呈していたが、そりゃそうだ!なにせ、日本の漢文二千年も前の中国の文語文だ。現代中国語とはかなり隔絶しているだろう。

 ユースホステルであった台湾の当時の青年たち、みんなインテリで、徴兵があるといっていたからか、虚弱な私と違い皆、いい体をしていた。

 それから約半世紀たった。そして今日の朝の駅、大きなリュックを背負った若者がホームで汽車を待っていた。てっきり四国八十八か所参りの日本の若者かと思い「八十八カ所の寺参りですか」と声をかけると、これが台湾の青年だった。彼は日本語で喋る、さらには漢字かな交じり文の日本語の筆記も上手であった(これには驚嘆した)。

 先に述べたように台湾には若い時から大いにシンパシィを感じている私である。汽車が終点につくまで彼といろいろお話をさせていただいた。やはりお四国巡りをやっているそうである。私もジジイになった今からでも歩き遍路に出かけたいという希望を持っている身である。台湾の青年の遍路は大いに励みになる。

 列車の中で一緒に写真を撮った。私はスマホもデジカメも持っていないので台湾の青年のスマホで撮った。メールアドレスを知らせると、時を経ることなく、さっそく私のパソコンにその写真を送ってくれた。ありがとう。

 「いやぁ~、ホント、昔から台湾の人、大好きやわ、死ぬまでに台湾に行きたいな」、写真の彼、名古屋にいる私の甥にどことなく似てる。


春日神社の神輿


 今日は春日神社の秋祭り「宵宮」である。台湾の青年と一緒に乗ってきた汽車を降りると、徳島駅の出入り口の横で小さな祭壇を作り、神主さん幣を奉げ、後ろに駅長さんと助役さんが首を垂れている。神妙な雰囲気から祈願の最中とわかる。ふつう町筋の祈願は「家内安全、商売繁盛」だろうが、四国JRの駅だとさしずめ「旅客安全、旅客万来、黒字計上」の願いであろうか。すぐ横にはトラックに乗った動座の神本体、御神輿が鎮座ましましている。


 「そうなのだ。徳島駅も春日神社の氏子さんである」

 私も毎日のようにこの春日神社の産土の土地に出入りしている(主に図書館やその周辺)、氏子ではないが、この地を踏ませてもらっている感謝に、上の本殿の写真を撮りに行ったとき、手を合わせ祈願させてもらった。

 駅入り口付近の祈願のようすと御神輿



地産の芭蕉の実(ばなな)


 ユーチューブで楽しい動画を配信して私を楽しませてくれるかつ坊主さん、一年以上かけて苗からバナナを育て、結実させた。一か月以上前から捥いだ房を吊るし熟成中とのことであったが(その過程も何回か動画で拝見しました)、昨日の動画でとうとう完熟したとのことで、自らもぐもぐ味わって「甘ぁぃ~~」、

 四国の風土でフルーティーなバナナなんかできるのかしらん、と思っていたが、これは矮小種のアイスクリームバナナで、この四国でも一定の防寒対策をすれば栽培可能とのことで、艱難辛苦のかいあってその可能性が実った!さっそくその動画に(内心よだれを垂らし、私も食べたいなぁ)と思いつつ、さあらぬ体で私がコメントを差し上げれば、翌日の今日、なんとわざわざ持ってきてくださった。左がそれです、小ぶりですが、同じく小ぶりの台湾バナナモンキーバナナがとってもおいしいのを考えると甘美な味の予感がします。

 さて夕方、いただきました。

 アイスクリームバナナっていうくらいだから、アイスクリンのようにとっても甘いのかなとおもいましたが、そうでもなく、私にはちょうど良い甘さで、バナナらしい酸味も少しあり、とてもおいしかったです。私が思うに、アイスクリームバナナというのは甘味から名付けたのではなく、食べた時の歯ざわり、舌触りからきているのではないかと思いました。粘りがあり濃密な果肉が、ちょうど高級アイスクリームの生地のような、歯ざわり・舌触りのようでした。

 子供のころ、バナナはめったに食べられない高級フルーツでした。たった半分に切った台湾バナナでしたが、そのおいしかったこと!子ども心にも、うちの庭にバナナが生る木があればなぁ、と夢見たことを思い出します。その時のバナナに対する思いは以前(一年ほど前)にブログに書きました。これです、よかったら読んでみてください。

 「桃山日記・バナナの木・2022年9月27日」ここクリック

2023年10月15日日曜日

秋の草

  セイタカアワダチソウの輝くような黄色の花が目立ってきた。特に汽車の沿線に群生していて、所によって百メートルほど続き、その黄花がゆれている。この草は帰化植物で鉄道によって運ばれたといわれているが、その群生地を見ると納得できる。



 ついこの間まで沿線沿いに目立っていた赤いヒガンバナはセイタカアワダチソウの黄花と入れ替わるように見えなくなった。しかし鉄道をまたぐ橋の壁面部分には、まだヒガンバナが咲いていた。ずいぶん遅咲きである(本日は10月15日)

2023年10月9日月曜日

エントロピー そして老化現象

  先月から図書館の本でエントロピーについて知りたいという動機が高まっていた。専門的なことはいまさら無理でも、その言葉は環境問題宇宙の行方情報科学から社会科学まで幅広くあらわれる。そればかりではなく注意してみていれば、身近な現象にも常にあらわれる。そのため「エントロピー」の概念について、素人なりに理解したいと思い、何冊(もちろん入門、初歩編)か読んでみたが、チンプンカンプンとまではいかないが、わからない!結局、エントロピーとは何か、理解するまでには至らず、本を読むのもやめてしまった。

 なんで初歩・入門編でもエントロピーについて理解することができないかを考えてみた。老化による論理的思考力の衰えもあるが、いくら優しい解説の本といっても、熱力学の基礎、そして統計学の基礎、は理解していないと、その本における説明についていくことは難しいとわかった。

 理解には至らなかったが何冊かの本に共通するあるエントロピーについて概略的な説明は印象に残った。それは

「整理されたもの(ある程度整理されたものも含め)は、乱雑に向かう、つまりすべては自然に乱雑になる(乱雑については定義もあろうが、私はそう難しく考えないことにした)」

「だから宇宙もエントロピーの増大(つまり乱雑)に向かい、それは最大になり、宇宙の終焉となる(熱的死とも言うらしい)」

 そして次の言葉にはなにか哲学的というか、全宇宙の本質が隠されているのではないかというフレーズがあって、これはより強く頭に刻み付けられた。

「(乱雑に向かう)エントロピーの増大は不可逆であり、常に増大の方向に進み、それは時間が一方向(過去から未来へのみ)にしか向かわないことと一致する、言い換えればエントロピーの向きの矢印は「時間」の矢印である」

 この三番目のフレーズをみて思い出すのは、二つの言葉である。一つはお釈迦様が涅槃(死)に向かう旅で、「(80歳を超えた)自分の体は、ちょうど長年使っている荷車のように、もうバラける寸前である、なんとか動かしているが、もう壊れる時が来た」

 そしていま一つは源氏物語にでてくる「時はさかさまに流れない(ので老化や無常の死は避けられない)」という言葉である。

 このようのに考えると三番目のエントロピーの概略的説明は、これは「老化」について言っていることではないのか?老化現象もエントロピーが本質的に関わっているのではないかと思ってしまう。

 目に見えない老化現象の内部的なもの(生物的、医学的にもエントロピーの法則はあるのかどうか)は私にはわからない。しかし老化現象を目に見える外部的現象としてみると納得できる。何のことかというと身近な我が家のことである。老化による体、気力の衰え、そして先日からの腕の痛み、などでこのところ家の乱雑さ(つまり整理できなくて、ゴミ、日用品、雑貨などが机や床に乱雑に広がっている、阿波弁でいうと、ヒコズリさがしている!)が増している。これなどはエントロピーの概略的説明の一番目にも当たるんじゃないだろうか。

 上にも書いたが先日、二週間くらい前から左腕の、関節痛、筋肉痛が起こっている。激痛ではなく鈍痛ないし普通の痛み程度ではあるが、痛みを避けるため本能的に腕を庇う動きをするため、左腕の自由度が低下している。原因は思い当たらない。神経痛、慢性関節炎、ロイマチスなどの、高齢者特有の完治しない宿痾じゃないかと思っている。まだ整形外科へ受診にはいっていない。これもエントロピーの増大現象の一つか、とエントロピーに責任を押し付けたくなるが、押し付けたところでなんの気休めにもならない。

 ワイも後期高齢者の年齢に近づいている、お釈迦様の言うように、無理をして長年走らせてきた荷車のように、体のアッチコッチぼろぼろでようやく動いているようなものである。まさに体でエントロピーを体現しているのではないだろうか。

 とまぁ、これは私なりの(たぶん科学的には間違った)エントロピーの解釈である。さて昨日でエントロピーの本は投げ出した。今日からはどっち分野の本を読もうかな。

2023年10月4日水曜日

久しぶりに映画館で鑑賞してきた


  前に映画館に行ったのはいつだろう?もう5年は行っていないような気がする。見たい映画でも数か月辛抱すればDVDで数百円で家で見られるから、映画館へ足を運ぶことも少なくなってくる。

 それでも映画館での鑑賞は迫力あるし、集中して見られるから、いい映画をたまに見るのはいい。後に残る印象も家での鑑賞とはちがって大きいものがある。感動深い映画はなおさらである。

 見たのは「沈黙の艦隊」、漫画が原作のようだが、昨今の波乱を含んだ国際情勢を考えながらの鑑賞はお勧めである、との映画評につられて見に行った。なるほど現代のシーバトルとはこんなものかと改めて知らされる面白さがある。しかしこの一作で完結ではなく、やはり大沢たかお主演の「キングダム」のように、次回、次々回作に続く、となっているのが、あらかじめ知らなかったせいもあり、ちょっと残念だったが、おおむね満足できる映画だった。

 帰りは暗くなっていたので、映画館のあるモールの中にある食堂で、これも久しぶりに夕食にステーキを食べた。