2021年12月31日金曜日

大みそか

  年の暮れの風俗もずいぶん変わった。昔はこうだった!といくぶん昔のほうがよかったようなニュァンをこめて年寄りが話すのは、5000年も前のエジプト時代から年寄りの繰り言として変わっていない。しかしつい100年前ほど前までは一世代か二世代の間に風俗(文化、風習、そして文明の利器も含め)はそう大きく変わるものではなかった。ところがこの百年の変化は、革命的といえるほどの大変革である。通信コミュニュケーションの一つだけ取り上げても、小学生のワイんくには黒電話さえなかった。それが今やスマホの時代である。じつのところワイはまだ一世代前のガラケーなのでスマホのすごさはわからないし、いまさらそれを学習しようという気もないが、ともかくこのスマホへの転換はわずか十年余りで起こったのである。

 もう70を過ぎたジジイとしてこの恐るべき風俗(文化、風習、文明の利器)の変化には目を回さんばかりである。もうこの世からおさらばする時が迫る中で、未来を予測しても仕方ないが、歴史好きのワイとしては、未来はどうなるだろうかと、思考の中だけでも未来を思い描いてみたい気もする。しかしだ!歴史は繰り返すとはいうけれど、近年の変化は歴史上いまだかってなかったことが多い。

 朝、十時前の汽車に乗ったら、半分くらいの乗客は東南アジアとみられる若者で占められている。中国語とは違う、抑揚(ある種の声調か)でにぎやかに話をしている。このまま東南アジアや南アジアの若者が増え続ければ早晩、日本は欧州諸国のように移民社会になっていく、このようなことは、日本列島に人が住み着き始めた原始の時代は除いて、歴史上なかったことだ。歴史上初めての多民族共生社会がやがて来ることは予感できるが、それがどのようなインパクトを日本社会にもたらすかもうジジイとしては予測もつかない。

 そして先ほど東新町のアーケードを歩いた。閑散として人はまばら、半世紀前、年の暮れのこのアーケード街は人があふれ、活気に満ちた町であった。映画館が何軒もあり、映画好きだったワイはお正月封切り映画を何本かここで見たものだ。今は映画館どころか、繁盛している店、食堂さえない。これにひきかえ郊外の大型スーパー、ショッピングモールは大盛況である。人の賑わいの中心は大きく移動した。それじゃぁ、今後、近未来はどうなるか?これも近年の(21世紀に入った)変化の大きさを見れば、もう予想もつかない。

 ワイはもう70年近く生きた。日本経済が10%を超える成長の時代、貧しい我が家もおこぼれに浴したし、就職してからもたいして働いてない仕事にもかかわらずそれなりの給料ももらえた。戦争も壊滅的な大災害もなく、なんとかいままで生きて来られたし、現在のところカツカツの年金ではあるけれどもなんとか生きていけている。でも今の若者の未来はどうだろう、バラ色の未来であってほしいとは願うが、先も言ったようにもうワイの頭では予測もつかない。だがここ数年の地球規模的な事件、「新型ウィルスによるパンデミック」「超大国米中の高まる対立」などは、風俗の変化と違い、歴史上何度か繰り返した。どちらも数千万規模の死者を出した。これを考えると若者の未来をバラ色に予測するのはむつかしくなる。

 文明の利器については何度も繰り返すがもう歴史に例のないくらいの新しいものが次々現れた、これは予測もむつかしい。果たして、今、利器と見えるものがさらなる進化を遂げて、それがいつの間にやら利器が凶器となるのではないか、前例のない物質的進歩であるゆえに、そのような危惧も持っている。

 列車の中では半数の東南アジア系の外国人は、仲間と一緒に座り、にぎやかに話をしている、一方、その他の日本人の若者はまるで申し合わせたように、一人うつむき加減にスマホをいじっている。いったい日本の若者はどうなるのだろうと、心配するのは私だけの杞憂だろうか。

 東新町がこんなに閑散としている中、列車から降りた若者(東南アジアも含め)はいったいどこへ行くのだろうか。

2021年12月27日月曜日

最近見てなかったロバ男のようす

  前回のブログは植物だったが今回は動物のロバを紹介します。しばらく見ていなかったロバ男をクリスマスイブの24日に見に行った。初めて見たときはまだ3歳くらいで人間でいうと少年くらいだったがいまはもう満11歳を過ぎるおっさんロバである。生まれてかなり年月が経ち毛並みの様子などからみるともうジイサンロバじゃないかと思っていたが、ネットで調べるとロバの寿命は(一般的だが)25~30年もある。調べるまでは犬と同じで10~13年(平均)寿命かなと思っていたがなんと二倍以上長生きするのだから、ジイサンではなくおっさんが正しい。


 ロバってちょっと物悲しい動物である。西欧中東社会では労役動物として何千年も用いられてきたが、ひたすら重い荷役を負わされ、鞭でひっぱたかれ、死ぬまでこき使われるイメージがある(実際その通りだが)、日本ではロバは珍しいこともあって「ウサギ馬」などとしてかわいい動物のイメージがある。動物園で見ることがほとんどである。まず荷役などには日本では使われず、私の幼児期にロバのパン屋の馬車でお目にかかったくらいだ。

 英語ではロバをdonkeyというが別名assともいい、こちらのほうは「バカ、間抜け」の意味がある。ロバに失礼だが西洋中東では重い荷役を負って同じ労働を死ぬまで繰り返す動物として馬鹿にされているようだ、さらには頑固で融通が利かない性格もそれに預かっている。馬は貴族や騎士に大切にされ、牛などは神の使いなどにされているのとは大違いである。

 このロバを飼っているところはハム・ソーセージ屋である。と言ってもロバを肉をとるために飼っているのではない。ここは野外に広い草場を持ち、バーベキュー広場なども所有しているため、お客様が見て楽しめる愛玩動物として飼っているのである。

 いつも私がロバ男の前に立つとペカタペカタと私にゆっくり近づいてきて鼻を持ち上げ、私に擦り付けるまでに近接する。なでてやると別に喜びもしないが嫌がりもしない。しばらくするとまたゆっくりと私から離れていく。なんかちょっとしたかわいらしさがある。しばらく見ないうちに歳を取ったのか動作がさらに緩慢になっている気がする。少し離れると、急にどさりと寝転がった。こんな動作も今まで見なかった、歳ぃいって体が弱ったのか、それとも退屈で仕方がないから、このような寝そべりを覚えたのだろうか。


 ここにはヤギも飼われているが、こいつは全く可愛げがない。私が近づいて前に立つとタッタッタと駆け足でやってきて頭を下げ角を突き出し私にぶつけてくる。

 この日はクリスマスイブであった。そういえばその関連で「キリストとロバ」を思い出した。ロバは主に荷役に使われるが乗馬にも使われることがある。馬ほど乗りごこちはよくなく、人を乗せるにはかなり厄介な性格、でまた速度も遅いが、中東では乗用に供されることもある。下がロバに乗るキリストの絵画(ジョット作)である。「キリストのエルサレム入城」として有名である。

2021年12月25日土曜日

徳島城公園の木の葉

  風がなくて晴れた冬の日は、寒いとは言いながら散歩には気持ちの良いものである。一昨日は徳島城公園を歩いた。紅葉・黄葉も終わっていて桜をはじめとしてすっかり葉を落とした冬木立がめだつが、暖国四国では常緑樹も多く、その緑の中に寒椿や山茶花の赤が目立っている。また冬はなぜか赤い実をつけた木々が目立つ、雪に南天の赤い実、などは俳句、詩歌の良い素材である。この初冬の徳島城公園にも赤い実をつけた木々が幾本かある。

 大手門を入ってすぐ目につくのが下の常緑で赤い実をたくさんつけた木である。


 ブドウの房を立てたように赤い実がたくさん重なり合って実をつけている。この辺りには数本の(今の時期)赤い実をつける木がある。そのような木で一般的なのは、クロガネモチ(モチノキ科)である。しかし周りにある赤い実の木とはこの木は似ているが大きな違いがある。それは葉っぱが広くて大きいのである。クロガネモチの木の葉は小さく椿の葉より小ぶりである。


 何の木かしらん?と木の周りをくるりと一周するように見ると、反対側に木の名前と解説のプレートが幹にぶら下げられている。


 タラヨウ(多羅葉)という名である。そしてその名と説明が私の頭を刺激した。それはプレートの説明にある「葉に文字が書ける」ということである。紙は紀元ごろの中国の漢の時代に発明されたとされる、じゃぁそれまで文字は紙には書かれていなかったのかというとそんなことはない。紙様(紙ではないが似たもの)のものは中国で紙が発明されるずっと以前から各古代文化圏にはあった。エジプトでは葦の一種であるパピルス紙があり、古代インドにはヤシの一種である葉を加工して作った紙様のものがあった。それを「貝葉」と称した。初期仏教のインドの仏典はこのヤシの葉のを加工した「貝葉」に書かれていたのである。詳しくいうと(下はネットからの引用

「貝葉とは、貝多羅葉の略で貝多羅ともいう。 貝葉は多羅樹(掌状葉のヤシの一種)の葉でこれに書写した記録や経典をも意味する。 古代インドや東南アジア諸国では、紙のなかった頃からこの仲間のヤシの葉に経典などを鉄筆で刻んだ後墨をつけて拭き取る手法で書写していた。」

 この中にでてくる「多羅樹」から、この公園内の木のタラヨウ(多羅葉)は同じものか?と思うかもしれないが、こちらはモチノキ科の木であり、またヤシの葉ほどは広く大きくはない、ただ葉に貝葉紙にように文字が書けるところから、その意味だけの類推からタラヨウ(多羅葉)と名付けられたのだろうとの推測はつく。

 葉を傷つけるとそこがすぐに黒くなりまるでインクで書いたように文字が記される、とあるから、試しに木の根方にあった割ときれいな落葉一枚に、尖ったやはり落ち枝で「モジ」と葉の裏面を傷つけるように書いた。傷つけたときは変色しないが、しかし一分もしないうちに黒変しちゃんと「モジ」という字が黒々と刻印された。



 インドの初期仏典はヤシの葉から加工した貝葉というものに書かれ、膨大な量が蓄積されたが、この貝葉は紙と違い虫害や湿気、風化に弱い、本場インドにおいてもまた同時期中国に伝来した仏典の貝葉はほとんど消滅してしまってない。紙ならば正倉院御物の紙製品などは1500年の時を経ても保存されるが貝葉はそこまで長持ちしない。

 ところがこの仏典の貝葉は極東のこの日本に珍しく残っているのである、保存状態が千年数百年以上良好だったのであろう。それは法隆寺にある貝葉仏典「般若心経」である。文字はもちろん古代インドの文字のサンスクリット語である。ほとんど滅びてしまった初期仏典の貝葉にかかれたお経が日本にあるのである。下がその法隆寺・貝葉般若心経である。


 徳島城公園のこのタラヨウの木はインドの貝葉紙をつくる木(ヤシの一種で多羅樹という)そのものではないが、タラヨウ(多羅葉)と名がついたのは(この木の葉にも文字が書けるという)それに由来することは間違いないだろう。赤い実をつけた木をふと見てその名が多羅葉(タラヨウ)、そして葉の裏に文字が書けるということから、初期仏典の筆記媒体の「貝多羅葉」との関連に気づいたのである。

2021年12月23日木曜日

昨日は冬至

  この辺りは北緯34度くらいの緯度である。たしか赤道は冬至だろうが夏至だろうが昼の長さは変わらないようにきいた。低緯度ほど冬至の昼の短さは影響を受けにくい。しかしこのあたりでも12月に入っては午後4時ともなると太陽はほぼ西の山でに隠れて見えなくなるし、正午ごろの影は長く伸びている。日の光も弱くなっているなと感じる。昨日はうす曇りで日もあまり射さなかったから、この徳島でも冬至らしく一日中黄昏のような雰囲気だった。

 昨日は銭湯、浴場はゆず湯にしているところが多い。夜、蔵本の銭湯にゆず湯目当てに行く。脱衣場から浴場に入ると、かすかにゆずの香りがする。テレビなどで大浴場のゆず湯を見ると、橙色のゆずがプカリプカリとたくさん浮かんでいる映像を見るが、この銭湯の湯船をみたところ浮かんでいるユズはない。湯船につかってみると下のほうに大きな網袋に入ったゆずが沈んでいる。銭湯の主人に聞くと、銭湯の湯船はお湯の循環装置があるので、個々のユズが浮かんでいると、どうしてもお客さんがそのユズを触ったりするからつぶれる。結果、果肉が湯に漏れ出たり特に種などが湯に出ると、循環装置が詰まるそうである。だからこのように目の細かい網袋にたくさんのユズを入れているのだそうだ。でもユズの香、で十分ユズ湯を堪能できた。

 銭湯で時々話をするSさんにもあったので、前のブログに出てきた「快神社」について聞いた。彼の家の近所らしく神社の存在はよく知っていたが、なんのご利益があるか、どのような性格の神社かはしらないといってた。ただ近くの家を氏子と思っているのか、Sさんの家に先代の宮司さんの時は初穂料というかお日待ち料を集めに来たことがあると言っていた。最近はそれもなくなったそうである。むしろ御祭神が猿田彦さんであることなどはワイのほうがよく知っていた。前のブログで推測したように男女和合の神ちゃぁうで?ときいたがそれもよくしらないようだったが、先代の宮司さんはいろいろな神事というか宗教活動をやっているひとだった、と言っていた。

 もしかするとこの神社、わりと近年(といっても明治大正昭和前期)にできたんじゃないだろうか。穴吹にラッキー宮殿(幸運神社とも一般には言っている)というのがある。近年できたものである。なぜラッキー~幸運神社かというと、穴吹の郵便番号が777だからだそうである。ダジャレのようだが、何事も信じることから神は始まる。快神社の「快」もわりと新しく考えられたある信心の「概念」のような気がする。

2021年12月21日火曜日

お散歩

  今日はわりと暖かかったので、午前中から昼にかけて園瀬川堤防を歩き、その後、文化の森駅から佐古駅まで汽車で移動し、今度は佐古山のふもとをてくてく歩いた。

 初夏に歩いたときの園瀬川沿いのアジサイロードは御覧のように枯れた灌木の並木になっている。


 土手に上がると東は津田のほうまで見渡せる、川沿いの土手の斜面には短いシバが植わっているのみだ。向こうに見えるふたこぶラクダの山は津田山だ。


 右の土手沿いに水仙でも植えれば夏はアジサイ冬は水仙ロードとなるのにと思って、土手を降りると道路沿いに花壇がしつらえて合って水仙畑になっていた。いくつかの株には早くも花が咲いている。


 佐古山の麓はよく歩くので見慣れた寺社や谷、山裾の木々花々もおなじみである。今まで何度もブログで取り上げたので今更紹介することもあるまい。もう紅葉・黄葉の時期はすんでいるが、ウルシ類の葉は遅くまで紅葉していてまだ真っ赤な葉をつけている。


 よく歩いている割には今まで気づかなかった神社を発見した。小さな神社で有名な大神社・椎の宮さんのすぐ前にある。椎の宮さんは桜、ツツジ園の鑑賞にもいいし、御神水も吹き出ていて、手を清めたりまた持ち帰って飲み水としても用いる。また境内の石段や坂道の続く参道は散歩などにちょうど良い、でそちらの方ばかりに目が向いて今まで椎の宮さんの鳥居前横にあるこの小さな神社を全く見落としていたのだ。


 神社の名前は「快神社」、主神がなにか、どんないわれがあるかもわからない。今ネットで調べたら快神社とかいて「こころよしじんじゃ」というらしい。詳しくはネットでもわからないがご利益は「医薬・健康・子授けの神様 」とあり、主神は猿田彦さんである。猿田彦はアメノウズメ(女神)と対で知られている神様だ。なんか男女和合の神様かもしれない、だから「快」というのがついているのかも、と勝手に推測する。境内に💛マークがあるのも性とか男女和合をイメージする。「快楽神社」の名前なら露骨にそうも思いもしようが「快神社」とかいて「こころよし」と読めば性・男女和合であっても婉曲・優雅に感じる。

 実際のところはどうなんだろう。勝手にワイが性的な推測をしているだけかもしれない、ええかげんなことを書いて宮司さんに怒られるかもしれない。でも能書きに「子授け」もある。当然、男女和合せにゃぁ子はうまれんわな。

 そこから狸谷を通って少し歩けば中央病院にでる。蔵本からまた汽車に乗って石井に向かう。 

2021年12月19日日曜日

昨日の補足写真

  旧持明院(現在の大滝山)には多様な仏さん神さんがいる。お薬師さんを上がると滝の真上にお不動さんがいらっしゃる。


 石段を登り切ったところは観音堂だがそこへ行くまでにお地蔵様、弥勒さま、御大師様の石像が石段に沿って鎮座している。下は弥勒菩薩とお大師さまの石仏。


 また観音堂から少し奥には昔(大正年間)徳島では有名な料亭もあった。今はそれをしのぶものはないが、その料亭前にあったという石割桜のみが残っていて、そのあった場所を示している。


 そこから眉山周遊回廊にでると神武天皇像がある。今まで注意してみなかったが神武天皇のもつ矛先(弓かな)の先端に鳥が止まっているが、これが有名な八咫烏だろうということはこのカラス足が三本あるはずだ。囲いがあってそれ以上近づけないが、正面、右、左から見ても鳥足三本は確認できなかった。


2021年12月18日土曜日

冬ぞさびしさまさりける

 山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば(百人一首二十八番より)

 またもや仏教の話から始まるが、逃れられない本源苦として、お釈迦さんは「四苦」を説いた。四苦は苦、苦、苦、苦、である。これに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加え「八苦」とする場合もある。しかし古希を迎えた私の実感からすると私のような年寄りには「四苦」は「貧」「孤」「痛」「弱」ではないかと思う。もちろん高齢者となってもそんな四苦がほとんどない人もいるから本源的な「苦」ではないだろうが。

 私の場合、四苦の貧・孤・痛・弱の中で幸いなことに(未だ)貧・痛・弱の三苦は生を脅かすまでにはなっていない。「痛」は体と心の痛みも含み、「弱」は体力だけでなく知力・記憶も含む、この二苦は最近はかなり大きくなっているが、まだまだ耐えられる。「貧」は文字通り貧乏だがさすが衣食住に窮乏することはない、しかし「貧」でも「貪り」の方がずっと心配である。ただこれも今現在であって、これからこの三苦は次第に大きくなり何時まで生きられるか知らないが我が身のすべてを占めるようになるかもしれない。でも今のところ一番苦しいのはやはり「孤」である。

 昨夕の気温の急激な低下と台風並みの北風はすごかった。唯一の暖房器であるホットカーペットの設定温度を少し上げ、腰回りに電気毛布を巻いたのでそれなりにポカポカ暖たかい。何が音を立てるのか外ではバタンバタン、カラカラと騒がしく、それとともにヒュー、ゴーという風の音もまじり止む気配がない。もう五時半を過ぎれば外は真っ暗、時雨れの暗雲が垂れ込めているのかいつもより暗い。こんななか一人ポツネンといると魂も細り吹き消えそうである。

 こんなひどい天気のなか、ふと思いついたのが、「そうだ、銭湯に行こう、うんと温まろう」、なにもよりによってこんな天気に、と思うかもしれないが、孤独に閉じ込められて家にいるより、外へでて銭湯まで一心不乱に駆けて行く!吹き飛ばされそうな風に孤独も吹き飛べ!がどれだけマシか。

 とはいえわが町に銭湯はない。一心不乱に駆けゆく、っつうても行く銭湯は近くでも蔵本の銭湯である。汽車で行かねばならぬ、時刻表を見ると午後7時43分の徳島行がある。簡素な夕食を済ませ、湯道具をリュックに入れて、寒く台風並みの風の中、家を出る。

 この銭湯、実は4~5年前までは時々行っていた。しかし最近はずっとご無沙汰であったが、先月11月くらいから、週に一度くらいまた行くようになった。なぜって?歳ぃいってやっぱ孤独を少しでも癒すためかな、いやよくわからん、寒さがこたえるようになってまた銭湯へあしがむいたのかな?

 いまでも4・5年前行っていた時の顔見知りもいて、湯船に浸かりながらけっこう長々とおしゃべりする。といってもどこの誰かも知らない、この銭湯だけの顔見知りである。銭湯は体ばかりでなく心も暖め、湯気で舌のすべりも滑らかにするのか、知らぬ同士でも挨拶はもちろん、下世話な世間話にも花が咲く。日によっては誰ともしゃべらぬ日もある中、銭湯へ行けば十分なおしゃべりをする。そして銭湯のおしゃべりはあたりさわりのない、しょうむない内容であるが、しゃべった後、ほのぼのとした満足感がある。

 駅の吹きっ晒しのホームの寒いこと、乗った列車はこの時間帯なのに5両もある、だから乗り込んだ私の車両の乗客は私も入れて3人、寂寥感満載の夜寒孤愁列車。でも、ワイはこれからあったか銭湯に行くんだ。むしろこのコントラストがなぜか嬉しい。

 蔵本駅前には一見華やかに見えるイルミネーションがあるが、赤や黄色の暖色のイルミでもLEDライトの蛍光は冷たい光、こんな風の強い夜寒には華やかさなど全く感じない、むしろ侘しさや冷たさを感じる。

 で、一時間、ゆったりと湯船に浸かったり出たりで体の芯からあたたまる。毎日きているという銭湯での話し相手の(仮に)Sさんもいる、自分でも不思議なくらいこの人とは快活に話ができる。私より十歳下だからもう60歳である。回をまたいでぼちぼち話しを聞くと、彼、京都の有名私大出身だという、年度などから、彼が在学中、ちょうど私も佛教大学の通信教育のスクーリングで一ヶ月びゃぁ京都に短期下宿していた頃、そのころの京都のあちらこちらの見所、食べどころ、遊びどころ、など共通の話題で盛り上がる。

 身も心も温まり、帰りの汽車に乗るため寒い強風の中を歩くが、まったく苦にはならぬどころかすこぶる気持ちがいい。まぁ駅から銭湯まで200m位しかないから、駅ですぐ乗れるよう時刻調整すれば湯冷めもすまい。

 ふと見上げると時雨れの雲は吹き払われたのか、ほぼ天頂にある丸い月が明るい。そうか、今日は(昨夜)は旧暦の14日、ほぼ満月、月は太陽と真逆の関係で冬至頃にもっとも高度が高くなる。その関係で月はもっとも明るいが、先ほどのイルミネーションと一緒で暖かくなく冷え冷えした冷光である。夏や春のように高度が低く、山並みのちょっと上くらいに出ていれば月もそう孤独な感じを受けないが、天頂にまで上がる12月の月は明るく星々も消し、天頂付近は山も建物もないから、丸い月が小さくいやに孤独に見える。

 「狂風(強風)、孤月を吹き・・」とまで口ずさんだが詩心のない私である、あとが続かない。


 家に帰って布団に入るまでポカポカ感は消えなかった。

 さて、今日(18日)、今、午後8時過ぎ、12月の満月である。見えるかしらん?喫茶店ワイファイでブログを書いているが帰りに見てみよう。

 一晩寝るとまた少し鬱状態、孤独感もヒシヒシ、運動すればいいかもしれんと、寒いが陽射しはあるので昼過ぎ持明院跡(今は大滝山)を歩く、薬師寺~観音堂~神武天皇像~眉山周遊路~天神さん~阿波踊り会館

 大滝山の由来となった滝は今はチョロチョロ、黄色い花はモラエス花というらしい。


 天神さんでは大きな牛の像を見る、そういえば来年はうし年だ。


 天神さんの高台から下を見ると七五三を祝った男の子二人がお母さんに連れられてかえるところ

「ワイもあんな孫が・・」

 いや、それはいうまい、自らの「業」によって今の自分があるのだ。因果応報は来世にあらず、すべてこの世で果たされるのだ。

2021年12月16日木曜日

徳島市図書館所蔵ワイが選んだ高齢者主演、お薦めDVD4作品、視聴感想文

  徳島市図書館は県下随一たくさんの映画DVDが所蔵されていて貸し出しに供されている。名作も多いし、またアクションもの、スリラーもの、探偵ものなど様々なジャンルも品揃え豊富である。

 ただ主人公が「高齢者」で老人の人生を扱ったものは少ない。でも以下の4作品はその数少ない老人映画である。老人映画といっても老人だけに見てほしいものではない。若者にもぜひ見てもらいたい映画である。


 主題は「安楽死」である。しかし左にあるように映画の題、DVD用のポスターの雰囲気を見ても、深刻で重大なテーマを扱うような感じを受けない。事実、若干のコメディーの要素というか人間喜劇的な明るさがある。舞台も製作もイスラエルである。イスラエルといえばユダヤ教が国教である、なんか戒律も厳しそうで、安楽死といっても自殺であるから、そこのところユダヤ教ではどのように取り扱っているのか気になるところだ。同じ一神教でもカトリックなどは自殺は神の意志に反し、地獄か煉獄に落ちると脅される、イスラムの場合はどうか知らないが、この映画を見る限りユダヤ教が強く自死を否定するようにはなっていない。この映画が描くイスラエル社会を見ても、合理的精神をもつ老人が多く、日本と同じように高齢者の比率は高くまた高学歴、高知性を持つ老人が多い。宗教的な禁忌を云々するような人はいない。
 だからイスラエル社会の老人とはいいながら(娯楽余暇の過ごし方など)日本の老人社会と共通するところが多い。高齢化社会特有の問題も日本と同じである。また安楽死(積極的も消極的も含め)は非合法であるとことも日本と同じである。
 そのようななか、ある一人の老人が安楽死機械を実用化させたところから映画は始まる。詳しくは見ていただくとして、この映画を見た一視聴者として、安楽死は許され、制度として合法化されるべきかという問題を突き付けられた。一概に安楽死といっても、癒せぬ痛み、延命の望みのない末期の人から、ただ単に、無為の老人生活にうんざりしこの世からおさらばしたい、などと動機は様々である、個々のこういう場合は許され、あるいは認められない、それを制度として設計し、法律化されるべきなのではないか、ということも考えさせられる映画であった。

 この映画はホームレス状態になった老人のロードムービー的映画である。もともと私の好みとしてロードムービーは大好きであるから、おすすめの映画の一つである。老人のロードムービーといえば日本ではどこかの巡礼の旅を思い出すが、舞台はアメリカ中西部である。この主人公の老人は立ち退きで住み慣れた家を追われる。といっても純然たるホームレスにはならない、それなりの貯えもあるし、子供が3人いる。長男の家に一応は引き取られるが、安住できるところではなく、次女、次男を訪問するという口実で、飼い猫一匹連れて中西部に出発する。
 貯えもあり、子供も存在し、老人特有の孤独以外、悲惨さは感じない、旅が進むにつれ、解決というか安らかな境地を見いだせるのではないかと期待しながら視聴できる。
 現実の老人はこうもいかないだろうなぁ、と思いつつ見る、現に私がそうであるように、貯えもなく、子供もいない、そして孤独感にさいなまれている老人は世の中に多い。もしそんな老人たちがホームレス状態になり旅に出たとき、この映画にみるような(ドラマになりうる)ある種の明るさがあるだろうか、と思う。まぁ、そんな見るからに悲惨な、徘徊するホームレス老人などは映画にしても面白いとは思わないだろう。映画としては貧な老人は作品にはならないだろうが、現実、四国八十八ヵ所巡礼には、決まった住所も持たず、金も持たない老人のお遍路さんが幾人かはいる。以前、NHKで「草遍路の爺ちゃん遍路」のドキュメンタリーを放送したがこのじいちゃんがまさにそう、財産も金銭もほとんど持たず、80近い年齢で足を頼りに、野宿、善根の人々のお布施で日々遍路をしていたのである。
 そういえば今日、徳島駅で私かそれ以上の年齢のお遍路さんがベンチで座っていた。真っ黒に日焼けし、白髭ボウボウの爺ちゃんだったが、この人の巡礼生活も草遍路じいちゃんのようなものじゃないのかと思う。ただし、貧なのはいいが、「弱」ではできない。体力、気力、私にはとてもできないだろう。

 これは前者の老人よりもっとリッチな人たちである。高齢になって住む環境を考えたとき、私もそうであるが、温暖といわれる四国の冬でもすごすのはきつい。常春とまではいわなくても常夏の南海の楽園でのんびり過ごせたらいいだろうなと思ったりする。浄土教の極楽の描写を見ると、気候は秋ではなくもちろん冬でもない、初夏かさわやかな夏の日の蓮の咲く水辺という環境である。
 この老人たちはイギリス社会でリタイヤした人々である。イギリスの冬はこのあたりよりもっと気温が低く、日光に乏しいから、明るい南国にあこがれるのは日本以上にわかる。
 それで行くところはインドであり、高級ホテルで(もちろん賄い付きである)の長期滞在、ホントのところは期限のない残りの余生を最後まで過ごす計画である。企画者はインドのホテルのオーナーの息子である、良いことばかり書いてあるホテルの呼び込みのパンフレットと現実との違いも映画の面白さの一つとなっている。
 日本でも今、リッチな老人、具体的には多額の退職金や年金のある老人は、コじゃれたホテルのスウィートのような賄い付き老人マンションに入居して余生を過ごす人が多いと聞く、セルフネグレクトになりやすい独居老人には、食事つき清掃付のホテル暮らしはうらやましいかぎりである。しかしその望みがかなえるのはン千万の補償前金、月々高額の年金を受け取るまさにリッチな老人だけである。ワイらはホテル暮らしのような老後生活は金銭面で無理である。
 そういえば何十年か前、この映画にあるように日本のリッチな老人も東南アジアで老後を優雅なホテルあるいは別荘で暮らすという企画があり実現されそうなニュースを聞いたことがあるが、その話、その後どうなったのだろう、実現したのかな。
 今、日本は3Kの労働に若い人が従事したがらない、そのため人材不足から東南アジアから研修生という名目で現地の若者を労働力として入れている。そのようにしつつ、前記のように老人だけ東南アジアにまるで交換のように移住させるのは、相手の国に対しずいぶん失礼だと思うが、日本の老人の東南アジア移住は進んでいるのだろうか。
 この老人の南国移住も、高級ホテルになんどは住めないが、南アジア(ネパールやインド)といった国に老人が自分で勝手に移住して庶民レベルで暮らすことは、貧な老人にも出来そうである。なにせ南アジアの衣食住は贅沢しなければずいぶんと安上がりである。日本ではわずかな年金収入でも、南アジアでの庶民レベルの生活は充分出来そうである。しかしこれも貧はいいが「弱」ではできない、健康で活力のあふれたジイチャンでなければ出来んだろう。ワイは無理じゃな。でもお釈迦さんの故郷インドで終末期の老後を過ごすのはワイとしては夢に見るほど魅力的ではある。

 そのインド映画である。インド人は墓を作らない、火葬にした後その遺灰はガンジス川に流されるのである。インド人の聖なる川ガンジスに対する思い入れは非常に強い、輪廻転生を信じ、天上界に再生を願っている、そのためには遺灰はガンジス川に流さねばならないのである。バラナシーにあるガンジス川の岸辺には露天の火葬場が設けられている、そこで火葬すれば遺灰はすぐに川に流せる、そのため多くの遺体がここに運ばれてくる。

 インド人の考えるもっともすばらしい人生の終わり方は、死期が迫ったら、このガンジスのほとりにある終末を迎える家『解脱の家』で最後の日々を過ごし、そこで死を迎え、遺灰となりガンジス川に流されることである。「解脱の家」は病院でもホスピスでもなく、静かに自らの生を終える「家」である。
 主人公のジイチャンには立派な家があり息子も孫もいる、そんなことから成功した人生を送ってきたことが推測される、大きな病気にとりつかれているとも思えない、周囲はまだまだジイチャンの死は遠いと思っているのに、ジイチャンが自分は「解脱の家」に行き、そこで生を終える、といったことからこのドラマは始まる。
 多くの家族に囲まれ、幸せな家庭を捨てて「死出の旅路」に出ることは今の日本では考えられないが、インドではそれが理想的な生き方として今も十分な価値を持っている。そしてそれを実践する人も多い。インド人は古くから人生を、学生期・家住期・林住期・遊行期の4つに分類している。最後の「遊行期」は何もかも捨てて解脱(安らかな死)を迎えるため旅立つ時期としている。今の日本では考えられないと言ったが、仏教を通してインド的な考えに共感を覚える日本人は多い。映画を見終ってもこのインドのジイチャンの死生観に私は違和感は覚えなかった。

2021年12月3日金曜日

災害は忘れないうちに何度でもやってくる

  寺田寅彦だったと思うが、「災害は忘れたころにやってくる」といったが、ワイが70年生きてきた経験から言うと「災害は忘れないうちに何度でもやってくる」じゃないだろうか。日本列島はおおむね温暖な気候、全山地をおおう緑、きれいな水に恵まれ、世界の他地域と比べても自然環境はダントツに恵まれていると思う。あんまり極楽浄土すぎて、他地域とバランスが取れないと創造の神は思ったのか、日本に火山噴火と地震をあたえたものとみられる。

 今朝、起き抜けのニュースで山梨で震度5の地震を報じ、三時間後にはうちらも揺れる地震があった、今度は和歌山震源の震度5だ。どちらも震度5でもランク下の「弱」であり被害もなかったが、ワイらの地域で一番心配するのは、南海道大地震である。世紀をまたいで何度も起こっている。今世紀はまだ起こっていないのでそう遠からず起こることは確実である。この連発の地震がその予兆でないことを祈っている。

 火山噴火、こちらはうちら四国は火山がないので安心する人もいようが、万年単位の時間で見れば、日本列島の半分が火砕流と火山灰の厚い堆積で壊滅に見舞われたことがある。歴史時代になってからはまだ列島の壊滅的噴火は経験していない。何せ万年単位であるから。だがこれも直近に絶対起こらないとは断言できない。

 コロナ下の日本でそんなことが起こるのは考えたくないが、国が傾くほどの大地震・大噴火はいつでも起こりうることは考えておきべきである。

2021年12月2日木曜日

境内の銀杏

  外は北風が強く、気温も上がらない、いよいよ冬の到来だ。北国や雪国の人からしたら、この暖国・四国の冬が何が寒かろう、にと笑われるだろうが、そうはいってもここでずっと暮らしている年寄りにはやはり冬は寒い。

 昨日、車を持っている友達に会ったが、お互い歳もよく似ているので寒いときはどうしても不活発になる、「今日はサブイから、そとであるくんわ、いやじゃな」で、喫茶店で世間話をする。しかし長々と茶店にいるわけにもいかんので、「ドライブでもするでぇ」ちゅうことで少し走った。太平洋側の冬のいいところは、サブゥても、風がガイに吹っきょっても、日差しは陰ることなくたっぷりある。窓を閉め切った車の中は温室のようで、運転している友達には悪いが日が当たる助手席はヌククて気持ちがいい。

 近まの田園地帯を走った、田や野草の原、遠くの雑木林を見ていると初冬の風景だなと思う。広く見渡せる田園を走っていると、ところどころに背の高い黄金色に輝く木がある。銀杏の木だ。銀杏の黄葉は北風にも最後の踏ん張りを見せている。銀杏については昔、たぶん新聞のコラムか何かでこんな話を聞いたことがある。たぶん木屋平村とおもうが

「11月の末か、12月の初旬、初霜が下りた朝、まだ黄金色の葉っぱをたくさんつけていた銀杏は、その日の朝日を浴びると、申し合わせたように一斉に落葉が始まり、冬木立となる、後には一面の金色の絨毯とその真ん中に一本立つ葉を落とした銀杏の木がのこる」

 いやぁ、なんとロマンチックで劇的な落葉だろう、見てみたい、とおもいつつ果たせぬまま、車の中でそのことを思い出した。

 「あっちこっちの寺社に銀杏の大木が見えているが、どこか見事な銀杏を見にいけへんでぇ」

 友人も賛成してくれたのでそちらへ車を進めることになったが、はて、どこがいいだろう、過去にいろいろな場所で銀杏の見事な黄葉をみたが、その場所が思い出せない。探しながら車でウロウロするのも大変なので、近くで行きやすい五番札所地蔵寺の銀杏を見に行った。



 地蔵寺の駐車場から東を見ると、なんとこの地蔵寺の銀杏より丈の高い銀杏が一町ばかりの距離にあるではないか、たぶん神社の境内だろうと、地蔵寺の銀杏を見た後、歩いて見に行くと野神社の銀杏だった。


 中学一年で初めて英語を習ったとき、「秋」の同義語として二つの言葉を習わなかっただろうか?一つはautumn、もう一つはfall 、アメリカではfall が一般的と聞く、だれでも推察できるように、秋に葉が「落ちる」の現象をイメージしてfall になったようだ。

 日本でも凋落の秋、といういい方があるし、「秋」と書いて「時」・トキと読ませたりする。いよいよ亡びの秋(トキ)がきた、などとの言い方は英語のfall と通じるものがある。