2020年3月31日火曜日

ひたひたと近づいてきた

 「ウチラの県ではのんびりしたもの」と前回のブログで書いていたが本日早朝若者二名の新規感染者が確認された。ニュースを見ると県内某ショッピングモルに二人とも行ったみたいで、のんびりさも吹っ飛び俄かに緊張を帯びてきた。知事さんはこの二人は感染経路が追えるケースなので過度に心配しないよう、県民に対しては言われている感染予防対策を一人一人心掛けてほしいといっていた。

 まあ、この二人(当然入院で家族も検査される)で留まるならばよいが、もしショッピングモルなどで不特定人を感染させていればえらいことになる。どうなるのだろう。この二人は感染経路もわかり症状もあるからわかりやすいが、症状のない保菌者がもしいるとしたら見つけることは不可能である。これだけ大阪、兵庫に蔓延しているからにはわが県にもそんな目に見えない保菌者が入ってきているかもしれない。

 嫌なたとえだが、ウチにもひたひたと近づいてきている。

2020年3月27日金曜日

ウチラはのんびりしたものだ

 大都市の方では感染爆発が起きるかもしれないということで花見も自粛せよ、といってるそうだが、田舎のウチラの県では感染者は今のところ実質0人(一応一人いるがダイプリ号の感染者で帰郷後完全にコントロールされている)である。花見自粛なんかも風の便りにチラホラ聞くくらいで「どこの誰ぞがするんぞいな」とまるで他人事。地元新聞は連日県内の桜の名所を写真入りで紹介している。一昨日は石井・森本院の枝垂れ桜だったので見に行った。新聞に載ったためか平日なの大勢の人がいた。
 下が森本院の枝垂れ桜。


 そして今日の新聞には向麻山の枝垂れ桜がまたまた紹介されていた。この向麻山はウチから徳島へ向かう汽車の窓から見える。下は今日、走る汽車からとった向麻山、山の上方がピンクになっている。

 下は去年撮った向麻山の枝垂れ桜

2020年3月23日月曜日

桜がぼちぼち

 前のブログで武漢ウィルスを話題にしたが、その時はわが日本は日を追って(鼠算式に伝染するため)爆発的に(これまた難しい言葉で言えば幾何級数的)に感染が広がり、これからどないなるんやろと思っていた。しかし前回のブログから三週間余り、幸いなことに日本は級数的な増加にはなっていなくてちょっとホッとしている。とくにワイの住んどる四国阿波の国はプリンセス号で感染して下船し地元に帰った一人だけであるから、実質今日まで0人で推移している。

 それに反して、前のブログをアップした三週間前はヨーロッパの感染などブログのテーマにもならんくらいのもんだったが、いやぁぁ~~~、時の流れとはすざましいもんでんな。欧州の感染爆発の状況特にイタリアなんどを見ると怖気をふるうような状態になっている。

 武漢ウィルスの影響も多少あって(ほとんどは老化による出不精なのだが)外をふらふら歩く機会が減っているが昨日今日とわりとあったかい日が続いたのでちょっと南佐古から鮎喰あたりまで自転車でフラフラしてみた。染井の吉野はんもいつのまにやら開花が始まり、ほとんどが2分咲くらいになっており、日当たりの良いところは見たところ満開に近い染井吉野はんもいてはる。

 下は南佐古の古刹にあるハヌマーン神(猿神)さんと桜。

「猿神さん、猿神さん、どぉぉぉ~~~ぞ、流行り病がおさまりますように、マンマイサン、アン」

 ワイは図書館が好きで毎日通い、時間を過ごしていたが、武漢ウィルスの蔓延が心配されるようになると、ここの新聞室と雑誌室が危ない!ここはちょっと・・・・あんまし大きい声では言えんが臭い、そしてみんなが密集して座っているうえに換気も悪い、マナーが良くない人も多い。マスクをしないで咳やクシャミをするなんどというのはまだ可愛らしいほうで、中には豪快に大きくクシャミをし、「ブワァァクショヨ~~~ン~~エ~~~~イ、クソ、コリャァ!」と、民謡のような合いの手を入れるくらい傍若無人にクシャミをしている。わざとちゃうか、と疑いたくなる。そんなわけで、ワイは図書室には本の貸し借りに行くが、雑誌室、新聞室からはできるだけ遠ざかって短時間で済ますように行動している。幸いなことにわが県では感染者がチョロチョロしているわけではないが、もしこの新聞雑誌室に一人でもいわゆるスプレッターがあらわれれば爆発的に感染するかもしれない。新聞雑誌室の利用者は圧倒的に老人が多いから、そうなりゃ死人が出るかもしれない。

 そんなことを考えつつ、昨日も短時間で済ませるつもりで図書館に本の貸し借りに行ったら、その新聞雑誌室から図書館ではありえないような怒声罵声が聞こえてきた、周りもざわついていて何事かと遠回しに見ると、常連の爺さん二人が取っ組み合いの喧嘩をしていて、ののしり声を挙げている。シバキ合いもしたようだが私が見た時は、駆け付けたガードマンと図書の係の人に止められていたので殴り合いはかろうじて中断していた。しかし怒声は収まる様子はない。聞くと

 「ワイは首を絞められて殺されそうになったんぞ、どないしてくれるんな。みんな、見とっとやろが、ほら防犯カメラ確かめんかい」

 と、これは一方がガードマンに食ってかかっているのだろう。どうも収まる気配はない。そのうち警官も駆け付けた。二人とも事情聴取に交番に連れていかれてようやく静かになった。半分冗談ではあるが図書館では武漢ウィルスで死人が出る前に喧嘩で死人が出るかもしれんなと思った次第である。ますます図書館に行くんが嫌いになったわ。

 そうそう図書館のロビーには廃棄処分にする図書の本を「ご自由にお持ち帰りください」というコーナーがときどき開設されている。たいていはショウムナイ本だ。数年前発刊の婦人画報だの、たまごクラブだのの古い月刊誌が多いがたまに、小説、教養書もでる。昨日はかなりたくさんの廃棄処分の教養書が出ていた、廃棄といってもボロボロで読みにくい本のような体裁のものは一つもなくどの本もきちんとしている。ズラズラと見ていて、私が目に留まったのは下の一冊。早速、この一冊をもらって帰った。(廃棄処分本なので図書館名やバーコードは消してある)

 これから読む予定です。この著者、ご記憶ご存じありません?いまテレビで引っ張りだこのおばさんです。武漢ウィルス関連のワイドショーで大人気の感染症専門家です。見た目は小料理屋のおカミみたいですけど感染症の医学博士だそうです。任天堂大学医学部大学院出と経歴には載ってましたわ。パラパラ見ると中高生向けの(ジュニア新書なので)本なのでわかりやすく面白く感染症を解説してあるみたいです。期待してこれから読んでみます。自由にお持ち帰り本なのでわが本としてゆっくり読めますわ。

2020年3月2日月曜日

永すぎた春

 上のこの題を聞いて何を思い浮かべるか?ワイら高齢者は三島由紀夫の「永すぎた春」の小説を思い浮かべる。この小説、昭和31年に発行されベストセラーとなり、この題の「永すぎた春」という言葉が昭和30年代を通じて流行語となったのでこの頃青春時代を迎えていたジジババの記憶にはとどまっている言葉だろう。しかし文字通りとれば、春が長い、という意味である。

 前のブログで何度も書いたかもしれないが、去年の暮れから今年にかけての季節の推移をみていると、晩秋から冬をすっ飛ばして初春になり、冬がなかった。12月の遅くまで紅葉が見られそれから寒波の訪れもなくいきなり初春になった感じである。今日などは三月初旬なのに四月頃の陽気である。午前十時ころには気温もかなり上がりポカポカ陽気に誘われ、急に海が見たくなり、小松島まで遠出した。寂れた埠頭から見る海は完全に春の海である。あたたかな海風、穏やかな波、のんびりと飛ぶカモメなど春の風情が漂っている。海に通じる街路樹の桜の花も満開である。


 今年は言ったように冬がなく晩秋の次に春が始まっていた。とすると、例年より異常に長い春ということになる。いや体感的な春だけではない。三月になった途端、坊ちゃん嬢ちゃん方はど~~~んと長い春休み(実質)に入ってしまった。いや病気の臨時休校じゃとか春休みの前倒しなんどというがたぶん長~~い春休みである。もうなんもかんも長く続くであろう春・春・春となっている。

 さて、もう一度、ブログの題にかえると「永すぎた・・」云々、というのはネガティブなイメージがある。これに対して「春」というのは青春という語を引き合いに出すまでもなくポジティブなイメージである。そのような相反した語が「永すぎた春」である。三島の小説では、相思相愛、親も認めた婚約中の恋人二人である。どちらも生まれも育ちもよく人もうらやむような境遇である。しかし、大学を終えるまでは、ということでかなり長い婚約期間を過ごすことになる。その長くなった期間に起る出来事、二人の心の葛藤などを描いているのである。

 いいことが長続きするならいいじゃないかともおもうが、好すぎることがあまりにも長引けば、飽きとは云わないまでもダレや怠慢に陥ることはなかろうか?またその反動はないか?好事魔多しという言葉もある。浮かれる人はスキも多くなる、何か思わぬ落とし穴が待っているのではないか?読まなくても三島の小説「永すぎた春」はそのような展開が予想されそうである。

 今年は、長すぎた、とまだ過去形では言えないが、なにかそういう意味を持った、長い春、が今進行中である。冬がなくいきなり春が始まって、うれちぃな、と思う間もなく勃発したのが春と歩調を合わせて進んできた武漢肺炎である。このまま春がたけて春爛漫になると同時にウィルスも爛漫になるんじゃなかろうか心配である。本来なら春は遊山に花見にと外に出てもうれしい季節ではあるが、今年は武漢ウィルスのせいで、賑やかな集団には参加しないように、それぞれ家に「籠り(こもり)」を勧められそうである。奈良朝の額田の女王は「冬ごもり春さりくれば・・」と歌い、籠り(こもり)は寒くて野外活動ができぬ冬であり、それを乗り越えればやがてうれしい春がくる・・という意味を和歌にしたものだが、令和二年は春ごもり・・、である。それも春の終わりとともに、籠り(こもり)から解放されるのかどうかは見通せない。

 中世は「連歌」が大流行した。心配な今年の春の行方がどうなるか?連歌師がそれについて発句を作るとすると次のようになるのじゃないだろうか。

 暮れてゆく、春の行方は 知らねども

 さて、連歌であるから、このあとふさわしい、脇句(第二句)、三句と次々に付けていくのであるが、今後現実にはどんな句が歌いつがれていくのだろうか。

 追伸、呆れが七分、怒りが三分

 小松島のホムセンタ、スゥパを数軒回ったが、どの売り場のティッシュ、トイレペパァも空、聞くところによると無くなるってゅうデマを流した奴がおってみんな惑わされて買いだめしてるらし。思わず、阿波弁が口をついて出てきたわ。

 「ほててんごのかわひろぐな!」