2023年10月9日月曜日

エントロピー そして老化現象

  先月から図書館の本でエントロピーについて知りたいという動機が高まっていた。専門的なことはいまさら無理でも、その言葉は環境問題宇宙の行方情報科学から社会科学まで幅広くあらわれる。そればかりではなく注意してみていれば、身近な現象にも常にあらわれる。そのため「エントロピー」の概念について、素人なりに理解したいと思い、何冊(もちろん入門、初歩編)か読んでみたが、チンプンカンプンとまではいかないが、わからない!結局、エントロピーとは何か、理解するまでには至らず、本を読むのもやめてしまった。

 なんで初歩・入門編でもエントロピーについて理解することができないかを考えてみた。老化による論理的思考力の衰えもあるが、いくら優しい解説の本といっても、熱力学の基礎、そして統計学の基礎、は理解していないと、その本における説明についていくことは難しいとわかった。

 理解には至らなかったが何冊かの本に共通するあるエントロピーについて概略的な説明は印象に残った。それは

「整理されたもの(ある程度整理されたものも含め)は、乱雑に向かう、つまりすべては自然に乱雑になる(乱雑については定義もあろうが、私はそう難しく考えないことにした)」

「だから宇宙もエントロピーの増大(つまり乱雑)に向かい、それは最大になり、宇宙の終焉となる(熱的死とも言うらしい)」

 そして次の言葉にはなにか哲学的というか、全宇宙の本質が隠されているのではないかというフレーズがあって、これはより強く頭に刻み付けられた。

「(乱雑に向かう)エントロピーの増大は不可逆であり、常に増大の方向に進み、それは時間が一方向(過去から未来へのみ)にしか向かわないことと一致する、言い換えればエントロピーの向きの矢印は「時間」の矢印である」

 この三番目のフレーズをみて思い出すのは、二つの言葉である。一つはお釈迦様が涅槃(死)に向かう旅で、「(80歳を超えた)自分の体は、ちょうど長年使っている荷車のように、もうバラける寸前である、なんとか動かしているが、もう壊れる時が来た」

 そしていま一つは源氏物語にでてくる「時はさかさまに流れない(ので老化や無常の死は避けられない)」という言葉である。

 このようのに考えると三番目のエントロピーの概略的説明は、これは「老化」について言っていることではないのか?老化現象もエントロピーが本質的に関わっているのではないかと思ってしまう。

 目に見えない老化現象の内部的なもの(生物的、医学的にもエントロピーの法則はあるのかどうか)は私にはわからない。しかし老化現象を目に見える外部的現象としてみると納得できる。何のことかというと身近な我が家のことである。老化による体、気力の衰え、そして先日からの腕の痛み、などでこのところ家の乱雑さ(つまり整理できなくて、ゴミ、日用品、雑貨などが机や床に乱雑に広がっている、阿波弁でいうと、ヒコズリさがしている!)が増している。これなどはエントロピーの概略的説明の一番目にも当たるんじゃないだろうか。

 上にも書いたが先日、二週間くらい前から左腕の、関節痛、筋肉痛が起こっている。激痛ではなく鈍痛ないし普通の痛み程度ではあるが、痛みを避けるため本能的に腕を庇う動きをするため、左腕の自由度が低下している。原因は思い当たらない。神経痛、慢性関節炎、ロイマチスなどの、高齢者特有の完治しない宿痾じゃないかと思っている。まだ整形外科へ受診にはいっていない。これもエントロピーの増大現象の一つか、とエントロピーに責任を押し付けたくなるが、押し付けたところでなんの気休めにもならない。

 ワイも後期高齢者の年齢に近づいている、お釈迦様の言うように、無理をして長年走らせてきた荷車のように、体のアッチコッチぼろぼろでようやく動いているようなものである。まさに体でエントロピーを体現しているのではないだろうか。

 とまぁ、これは私なりの(たぶん科学的には間違った)エントロピーの解釈である。さて昨日でエントロピーの本は投げ出した。今日からはどっち分野の本を読もうかな。

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