2022年11月20日日曜日

大河は最大の見せ場にさしかかる

 


 言わずと知れた実朝暗殺である。「見せ場」と言ったが、これは江戸期以降の歌舞伎の舞台、そして近代に入っては映画、テレビなどのここ一番の重要なシーンのことをいう。現実の暗殺に「美意識」が入ることはまずあるまいが、「見せ場」ではたとえ暗殺でも「美意識」が入ればすばらしいシーンとなる。

 不思議なことに現実におこった「実朝暗殺」は、見せ場となるシーンの要素を多く持っている。というかよくまぁ、これだけいい役回りの者と、いいシュチュェーションがそろったものだと感心する。場所は鎌倉幕府の源泉的中心である鶴ヶ丘八幡宮の参道、降り積もった雪明かりが明るい夜、まるで壮大なページェントのような「右大臣拝賀の儀式」、都からの貴族も参列し、松明でさらに明るい行列はしずしずと進む。そして拝賀が終わって退出の行列が下るとき、社殿石段の大銀杏から暗殺者たちは飛び出す、実朝暗殺は成功するが、同時に殺された太刀持ちは本来は北条義時であったはずだがなぜか事前に変更になり、義時は難を免れる。

 日本史上、極めて重大な暗殺事件を思いつくままあげると、蘇我入鹿、源実朝、足利義教、織田信長、大老井伊直弼、などであろうが、実朝暗殺のシーンがもっとも悲劇的で、美しいほどドラマチックな暗殺現場である。大老暗殺も雪のシーンではあるが、美的観点からの見せ場となると実朝のページェント(華麗な行列)には劣る。また世界史をみても、この悲劇性は抜きん出ていると思っている。悲劇性で比較できるのは第一次世界大戦の引き金となったサラエボでのオーストリー皇太子夫妻暗殺事件くらいだろうか(断末魔の皇太子が妻に向かっての叫びに、子のために生きてくれ、というが、妻もやがて事切れる、後には孤児になった子が残される、という語るも涙の話がある)。上に挙げた蘇我入鹿、足利義教、織田信長、大老井伊直弼にしてもかなり強引に権力を振り回し、その身にも暗殺される原因の一端はあったと思われるが、青年将軍実朝にはそのようなものはない。

 大河でも実朝は優しく穏やかな教養のある青年として描かれている。そして最も信頼できる第一の臣下である泰時への秘めた愛が切ない。殺される理由のない実朝暗殺は「見せ場」として観客の紅涙を絞りそうである。

 最大の「見せ場」はこれで終わらない。歴史的な「画期」となるのは実朝暗殺以上に「承久の乱」のほうが大きい。実朝暗殺が華麗なページェントであるならば(突然、断たれ大混乱に陥るが)、こちらは勇壮な「合戦絵巻」とでも言おうか。「保元の乱絵巻」や「平治の乱絵巻」のように目もあやな、美しい武者の甲冑騎馬姿は惚れ惚れするほど美しい。保元・平治のときの騎馬武者の姿は鎌倉武士と変わりない。大河における承久の乱の見せ場は、このような合戦絵巻風の描き方の如何にかかっている。しかし、予算の関係か、あるいは馬の調達、そして撮影のための馬の調教の難しさからか、最近の(中世の)合戦絵巻は小ぶりで見ていて私は不満である。歳ぃいったジジイだからか、往年の黒澤明監督作品の人馬一体となった合戦シーンを見ているので最近のものは(甲冑などは色鮮やかで美しいが)物足りなさを感じている。合戦絵巻はどのように描かれるか、楽しみであるが、期待はしない方がいいかも知れない。ちょっとした(承久の乱)合戦のエピソードでお茶を濁される気がして、落胆しないようにしている。

 エピソードと言えば合戦前に鎌倉武士を前にした政子の演説?は有名で大河でも必ず取り上げるであろう。彼女の演説は、朝廷に逆らうことに対しためらいのあった武士や、京都方の軍勢をこちらで迎え撃つというような消極的な武士たちの態度を一変させたものとして知られている。鎌倉武士の胸を打ち、奮い立たせたことは間違いないが、それは彼女の演説のうまさ(裏には筋書きを書いたものがいるかもしれない)にあると言われている。京都方(後鳥羽上皇)が発出した院宣は「義時を討て」というものである。義時を名指ししたものであるが鎌倉幕府・将軍、御家人体制を否定したものではない。しかし政子の言い分は、院宣は「鎌倉体制・御家人全体」を敵としたものであるとしている。うまくすり替えが行われている。

 戦時において言葉すなわち為政者の「演説」の持つ力のすごさは、今現に起こっているウクライナ戦争でのゼレンスキー大統領の国民・軍を奮い立たせた演説をみて我々はよく認識できる。戦時においては集団興奮が発生しやすい。演説にあおられ熱狂すると「大同」が大きな流れとなり「小異」は押し流されてしまうものである。

 ただ政子の演説は結果として、鎌倉武士をこちらにいて迎撃するより、こちらから京都に向かって積極的に進軍させることになり、勝利に結びついたといわれている。実のところ、鎌倉武士が乱れずに一味同心し、積極的に京都へ攻め上る戦略をとった時点で、もう京都方が勝てる見込みは消え失せたのが本当である。1600年に起こった「関ヶ原の戦い」のよう東西がほぼ互角の軍勢を用意し、激突してみなければ勝敗は分からないと言ったものではなかったのである。

 この承久の乱の鎌倉方の勝利は歴史的には大きな画期となった。鎌倉幕府が安定し、この後も公武体制は維持されるものの権力では武は公(朝廷)を抑え込むものとなった。そして以後7世紀以上にわたって続く武家政権が幕開いたのである。承久の乱後、出された武家の法令(式目)に有名な「御成敗式目」がある。乱で活躍した泰時が執権となり施行されたものである。51条ある。読んだ人や、そもそもこれに関心を持つ人は少なかろうが、これをみると泰時を始めとする鎌倉武士たちの倫理、宗教観、遵法意識、家族のそれぞれの地位、彼らが道理(理にかなっている)とするものがいかなるものかよく分かる。中世の歴史が好きな人には是非読んでもらいたい。大河ではこのような法令集は面白くないので取り上げない公算が大きい。

 今夜の「鎌倉殿の13人」、いよいよ鶴岡八幡宮雪の惨劇の前夜か?

追伸

 大昔、やはり大河「草燃える」で実朝くんやったの誰か忘れたので検索すると篠田三郎だった。やっぱ、今回の大河と同じで実朝のキャラは、真面目で、教養のある好青年で描かれてますわ。ちなみに今回の大河の実朝くんのボーイズラブの相手の泰時君は昔の大河では中島久之、どっちもジャニーズ系のイケメンだ。何十年たっても実朝も泰時もキャラは変わらんちゅうこつか。(ワイ、この篠田三郎と同い年じゃと思とった、調べたら実は少し上。ずっとワイの方が醜いが、歳ぃいったら老化してその差は縮むかとおもたが、変わらんどころか、篠田のほうがズッといいおっさんになっとる


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