2012年8月22日水曜日

つばくろの家


 朝の駅舎の天井を見上げると、蛍光灯の横に作られた巣の中からツバメの可愛い雛が頭をちょこんと出している。親はせっせと往復して餌を運んでいる。
 夜、同じように見ると、親は巣にとまっているか、駅舎の天井の桟や梁にとまっている。夜なので餌はとれないが雛たちを守っているのであろう。

 これがお盆頃(14日)の話しだ。ところが一週間ほど前、朝見ると、無残に巣は壊されている。

 お椀状になった巣は半分割られたように壊されているのでもう巣としては機能しない。雛は支えられずに落ちたのであろうか。下を見たが白い糞の跡があるだけで雛はいない。

 「誰がこんなことをしたのだろう。」

 場所から見て、猫や蛇の仕業ではない。心無い人のいたずらである。傘などをのばせばとどくからそれで壊したのだろう。
 雛がいないということは落ちて死んでしまったのだろうか。むごい情けないことをするなぁ、と思いながらあわただしく朝の通勤電車に乗った。

 そして次の日、駅舎に入ると天井に近い壁にこのようにボール紙で神棚のようなものが作られている。

 よく見るといるいる、4つの雛がかわいい頭を出している。


 思うに、壊され落ちた雛をすぐ保護し、このようにボール紙で巣の代わりを作って壁に設置したのだろう。

 「壊すのも人、そして落ちた雛を救い、巣の代わりを作るのも人、はたして親ツバメはどうするのだろう。」

 見ていると親が餌を運んできた。頻繁に往復しているようだ。


 実はツバメは犬や猫ほどではないが人と共生する生き物である。ツバメは足が弱くほとんど歩けない。体も小さく華奢で、大きな生き物に狙われたらひとたまりもなく親、子ともにやられてしまう。そのため、駅舎、家の軒など人の住むところに巣をつくる。このような場所には猛禽類は近づかない。
 人もツバメが我が家に巣作りをして子を育てたり、毎年、ツバメが子育ての為に帰って来るのは縁起が良いと歓迎したものである。

 そのようなツバメと人の関係はずっと続いていたものである。しかし、このように人に頻繁に巣を壊されるようになったら、どうなるだろう。ツバメは家の軒を借り、安心して子育てをし、人は幸福をもたらす縁起物としてそれを見るという共生関係は、なくなるだろう。

 巣を壊した人に激しい憤りを感じる。一方、ダンボールで巣をつくり直した人の話はもしかして美談になるかもしれないが、ツバメからは同じ人間という生き物である。傘を振りかざし、恐らく鬼のような形相で巣を壊したヒトという生き物が、今度は人工のものの中に雛を移して見たこともない巣が近くに出来上がっている。野生の動物だと本能がこのような人工の巣も場所も拒否するであろう。

 しかし、『こんな危険なところは二度と御免だ!』とも言えず、雛のためせっせと再びこの場所で子育てをしなければならないツバメが哀れである。数千年にもわたって共生を続けられてきたのでまだ人を信頼しているのだろうか。

 今朝、見ると、もう巣立ちが近いのかもしれないほど、大きくなって巣から飛び立たんばかりにして餌を親からねだっていた。

 来年もここにツバメの巣をつくるのだろうか。

2 件のコメント:

てるゆき さんのコメント...

壊した人はあまり罪意識もないでしょうか。

人間て、勝手な生き物です。

人間もこの地球に生かされていると思いますが

yamasan さんのコメント...

 求職活動ご苦労様です。私も求職活動は義務づけられていて、金曜日にポリテクが終わった後ハロワに行っていろいろ求職活動をしたという証明印をもらわねばなりません。

 いい仕事がヒットするといいですね。