2019年5月30日木曜日

文化の森でのお勉強 その3

20180304

 今日は文化の森で人類史研究の先生の講演があるのでそのお勉強に行ってきました。題は

 日本人は何処から来たのか?

 こういった題にしてあるが、考えるとこれはかなり複雑な設問である。最近DNA解析が進み、自分でもいいし、そこいらへんをヒョコヒョコ歩いている(日本人の)兄ちゃんを連れてきて、DNA解析するといろいろなことがわかるようになってきた。一人の個人ではあるがその祖先はズイズイと遡っていけば数万年前にはその人の祖先の数は数万になると言われている。その現代人のDNA解析をした結果、その人はインド洋に浮かぶアンダマン諸島の人と共通のDNAを持っているかもしれないし、また同時にチベット、又はバイカル湖付近の民族と同じDNAが見つかるかもしれない。それは数万もいる祖先の中の幾人かがそれらの地方からやって来た可能性を示唆するものかもしれない。

 しかし、人は移動するものである。まして数万年前である。今いるアンダマンやチベット、シベリアの人のDNAが一致したからと言ってその人がそこから来たとは言えないのである。可能性として考えられるのはいつかはるかな過去にその人の祖先の一人がそこを経由したかもしれないということぐらいである。それも可能性であって確実なことではない。

 ワイらは単純に「日本人のルーツは○○で、そこからはるかな旅をして日本人になった。」というような話に飛びつきやすい。またこれとよく似た題で本がかかれれば、よく売れるし数十年前にはベストセラーにもなったことがある。その○○に入る地方は、インドのタミール地方だったり、華南の少数民族だったり、そういえば旧約聖書に出てくるユダヤのいくつかある支族が日本にたどり着いて日本人のルーツになったっちゅうんもあった、中には太平洋に沈んだムー大陸というのもあってこうなるととてもまじめな歴史本とは言えない。

 しかし先にもちょっと書いたように少し考えれば、世界の中のどこどこ地方が日本人のルーツでそこからやって来たというのはまずありえない話である。第一、どこからやって来たかとどんどんルーツをたどると、アフリカ大陸にすべて行きつくというのが今日わかっているから、強いて言えば「アフリカ大陸」がその設問の答えとしては確実である。

 もちろん講師は一流の先生であるから、講演は、昔はやったトンデモ本に近いような日本人のルーツ探しの話ではない。講演を聞き終わった後、この演題の設問はむしろこうした方がいいんじゃないかと思ったがそれは

 『日本列島に渡海してきた人々はどのルートで、どのような方法でやって来たのか』

 である。こちらのほうが講演の内容に一致している。かなり絞られる設問なので研究もしやすいし、その成果も確証することが容易である。これでもかなり絞られた設問になっているが、設問の前半のどのルートでということも大まかな筋はわかっている。先生(講師の)の説明では、大陸から列島にたどりついた人々は古くは3万8000年くらいから、新しくは2万5000年のあいだとしている。

 その大まかなルートは3つになっている。


 ここで重要なのは、氷河時代と重なる旧石器時代、地球の海面は最大200mほど下がっていた時期もあったことである。しかしこれは十万年単位の話であって、ここで話題になるのは日本列島に新人がやってくる3~4万年前の話である。誤解している人はこの時期、朝鮮海峡も干上がってため本州も大陸と地続きであったと思っている人もいるが、上図を見ると北海道を除いて日本列島は大陸から切り離された島である。朝鮮海峡があり、津軽海峡があり、そして花綱のように連なる琉球・南西諸島は長大な砂州や砂嘴のような陸橋とはなっていないのである。 だからどのルートをたどるにしても必ず新人は海を渡らなければならないのである。

 講師先生が究明しようとしたのはこの中の「沖縄ルート」でした。


 これで見ると台湾(大陸と一体となっている)から新人がやってきている。解明しなければならないのは3万5000年も昔、人々はどのような船で、そしてどのような仲間たちで、世界最速といわれる(この付近を流れている)黒潮を乗り切ったのかである。。講師先生は机上でそれをやったのではなく、プロジェクトを組んで実際に当時作られたであろう舟を予測し、それを当時と同じ材料手法で作り上げ、それに乗って海を渡ったであろう人数まで同じにして、実際に海に浮かべて実験航海したのである。(当時は帆はまだ実用化されなかったので、乗組員全員で漕ぎ続けなければならない) そして実験した海峡は与那国島と西表島の間の海。

 実験は舟を何から作るかから始められました。草、竹、木の材料が考えられますが今回の講演で紹介されたのは草の舟でした。(草と言っても葦に近く、強度もあるし、浮力も大きいものです) 材料は与那国島に自生する「ヒメガマ」という草です。これを適当な大きさで刈り、束ねて舟を作ったそうです。下がその作業。


 下は舟を海に浮かべ、漕いで海を渡っているところです。


 結果として与那国・西表海峡の横断は途中で断念せざるを得なくなります。黒潮の速度が思ったより早く、流されて大きく方向が狂ったためでした。

 プロジェクトチームによる実験の動画です



 ここで私が知らなかったことで大変重要なことを勉強しました。未踏の新天地に船で渡る場合、その新天地で定着し発展するためには、当然、女性連れで、新天地で次世代を生み育て、子孫が繁栄しなければなりません。その最低人数が男女含めて最低10人以上ということです。なるほど、一組のカップルでも子孫はできるが、近親交配が重ねられれば長続きしないだろう。それは予測できる。その意味では人数が多いほうがいい。しかしイチかバチかの要素の多い、冒険的な新天地開拓の渡海でそんな大人数は望めないだろう。そうすると幾人くらいが最低限度の人数だろうとちょっと疑問に思っていました。

 実験でも二そうの船で14人ほどが渡っていますから、この点でも、確実に新天地でやっていける人数で実感したことがわかります。

 材料を台湾製の竹で作った舟でも実験を行ったそうですが今回の講演は草(ヒメガマ)製の舟の渡海の話でした。

 日本列島は4万年も前から島ですから、新人(ホモサピエンス)が住み着くためにはどうしても舟を作って渡らなければこの地に住む我々の祖先にはなりえません。今回の講演はどのような舟で、どれくらいの人々が、どのようにして舟を操り、海を乗り切ったのか、の話でした。もし解明されれば大変な歴史的価値のある事実がわかるわけです。しかし、それがわかればまた次々と疑問がわいてきます。なぜ、危険な海に乗り出す決心をしたのか、あるいはどんな強い動機があったのか、新天地へ着いたあと、どのように生活を展開させていったのだろうか等々、?は尽きません。またの講演を期待しております。

 ふろく、ツレと大笑いしたこと

 このプロジェクトチームで実際に海を乗り出したヒメガマ舟に乗った人は地元の若者の有志が志願したそうです。ところで今回の講演の聴衆、見渡したところ、若い人なんかほとんど見かけませんでした。60代の我々が若く見えたほどです。平均年齢はおそらく70を超えているんじゃないでしょうか。参加自由、申し込みなしで無料、おまけに日曜であるのに、学生たちが進んで聴講に来てよさそうなものなのにそんな若いシがいないのはちょっと寂しいです。

 「よ~し、ここは実験でも若者に任せておけん!ワイも古代人の渡海実験の舟乗りとして志願しようかな」

 「やめとき、あんたのようなジジイが、そんなことしたら、新天地渡海の舟でのうて、補陀落渡海になるがな」

 で大笑い。

 ※写真、動画は講師の海部陽介先生の属しておられる国立科学博物館のホームページから引用させていただきました

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