2019年5月30日木曜日

読書の秋 最近読んだ本から その1

20171031


 歳がいくと論理的な思考を要求する読み本は苦手となる。もちろんどんな本を読むにもある程度の論理的思考力は必要だが、数学的、物理的な本で、数式が出てくるような本はこのところずっと敬遠している。その中にあって比較的手軽に読めるのは新書であるが、最近出版された『世界は素数でできている』は人気度が高く、数学の専門家でなくても気軽に読めるなのか本屋の入り口付近に平積みしてある。

 「なるほど素数か?それで世界ができているとは?いったいどうゆうこっちゃろ!」

 興味があったので中に出てくるであろう数式が理解できるか否かも考えず、無謀にも読み始めた。一般人向けの教養新書なので数式もさほど難しくはあるまいと思っていたが、これがなかなか・・・本の記述内容にしたがって、文章で説明できる部分もあるが、やはり肝心なところは当然だが数式が出てくる。最初の方は時間をかけて説明文と数式の両方を理解していたが、そのうち1ページ進むのにだんだん時間を要するようになり、精読はあきらめた。

 そうはいってもせっかく読み始めた本、教養新書なので、大意がつかめればよいわ、ということで理解できない数式は一応見るだけで文の方をできるだけ理解するように努め、最後まで読んだ。で、読んだ後に残ったものは?

 素数が無限に存在すること、これは高校の時数学の時間、先生がその簡単な証明とともに教えてくれたので昔からわかっていたが、その素数の無限の存在は、これまた無限の整数の中に増大するにしたがって薄まるとともに、ある確率で『確率論的』に存在しているということ。

 この『確率論的』にということの理解は私にはかなり難しかった。無限に向かって数直線を可能な限り走っても、その先には不可知な領域が常にある。可能な限りにおいては「一個の素数」は確定したものである。しかし、その先の無限の不可知の領域は・・・これを『『確率論的』といっているのか?数学者が見たら笑うような理解かも知れないが、おいらの理解はそんな程度のもの。

 さてその無限辺に存在する奇数の確率を示すのが自然対数の関数になるという。自然対数の関数なので、ここで自然対数の底、e(ネピア数)が出てくる。タイトルにいう「世界」というのが、数的事象、そして物理的事象が基底にあると考えるなら、このe(ネピア数)はいたるところに顔を出す。そういう意味で、この数は世界を記述する基本的な文字ということか、聖書の創世記に「初めに言葉(ロゴ)ありき」といって、それから「光」(物理的事象)が現れるが、さしずめ世界が創世される前の初めの言葉(ロゴ)か。この本にそんなことが書いてあるわけではない、これはオイラ一人の印象。

 e(ネピア数)は高校で習ったが、小数点以下、一見乱雑ともいえる数字の羅列が無限に続く、高校のときこれまた簡単な証明とともに教えてもらった「無理数」の仲間と思っていたが、どうやら単純にその仲間と考えてはいけないようだ。なぜか「超越数」という。「虚数」と同じで、その名前から受ける印象に魔力を感じる。未開人が理解できないものに魔力を感じるのとおんなじかもしれんな。

 奇数の無限辺での確率分布でe(ネピア数)が出てきた。別の超越数であるπももしや出るんじゃないだろうかと読み進めると、やはりあった。奇数はπとも結びついている。奇数の無限級数があげられていた。

 このπもオイラの古代・中世脳からしたら、初めに言葉(ロゴ)ありき、の基本的文字と認識するわけだ。

 この後、本の後半では、整数論の「体」とか、リーマン・ゼータ関数たら、いうのが数式とともに説明されるが、このあたりになるともはやオイラには理解を超えている。もうただ本を目で追っているにすぎぬ、頭には全然入ってこない。

 頭は本に書いてあることとまったく別のことを考え始めていた。あの創世記の最初である。世界をずっと遡っていけば、光も何もない虚無に行きつく、しかし、冒頭に示している『初めに言葉(ロゴ)ありき』とは、光も物質もないなかで、あるのは数学的原理をさしているのではないだろうか。『存在』さえないなか、数学的原理は存在しえるのか?そうはいっても空間さえない原初、数学の一部門である幾何学の原理は?じゃあ、数はどうだろう?1、2、3、4、・・・整数が存在すれば、ガウスが学問の女王であるといった「整数論」は存在しえる。

 数は存在しえるような気がするが、認識主体がなければそれを離れて数など存在しえようか?デカルトはあらゆるものを捨象し、演繹の原点に到達し、そこから演繹を始めたが、それでも認識主体は最初からあった。しかし認識主体はともかくも、無から有を生じたんだから、数学という言葉でしか表せない何らかの「?」はあったに違いない。

 世界は素数でできている、というタイトルにつられて読み始めたが、単純に、あるマターとして素数が煉瓦のように世界を構築するわけではない。しかし素数を考え始めると、「無限」、「π」、「e」、「虚数」、「不思議な確率論」さらには、数学基礎論も熟考せざるを得ないようになってくる。

 ここまで考えるともうオイラの頭の埒外である。しかしもしこれが理解できて、このような言葉(ロゴ)を自在に用いることが出来れば、「宇宙の始原を解き明かす」といわれるホーキングの理論も理解できるだろうなあ。などと途中から本筋から離れて、散文的に考えた。

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