2019年5月30日木曜日

コハルの病気

20170924


 大正二年(104年前)、モラエスは永住の決意を抱いて徳島の長屋で暮らし始める。彼は60歳、大昔のことを考えれば実年齢はともかく今のワイと同じジジイと考えていいだろう。そのモラエスさん、20歳の若いぴちぴちした子を女中にして世話をしてもらう。

 時代も世相も違うが、人の本性なんてそう違わない。ここで年寄りの性欲の話を云々しようというのではない。若い子をどうにかしようというスケベ心は全くなくても、若い子が自分のそばにいる、そして(もちろん女中だから金銭的対価を払っているが)何くれとなく面倒見てくれる。60歳のモラエスさんうれしいに違いない・・・とはワイ自身だったらそうやろなぁと置き換えて考えている。

 今の時代、若い女中を常に身辺において世話してもらうなど、超ド級の大金持ちの爺さんでなかったらあり得ない話だが、今もあり得る話としては、独居老人が介護施設に入居していることを考えてみるがいい。やっぱり中年のおばさんより、20歳の若い子の方がうれしくはないか?ボケたふりして、ケツやチチをなでる不埒な年寄りもいるそうだが、そんなのは論外として、若い子がそばにいて世話してくれるのは、いいもんだとおもう。

 「若さ」、自分はとうに失い、求めても得られぬもの、その「若さ」を常に目にできる。そして「若さ」に話しかけ、また話しかけられる。渇望でいっそ苦しいか?30年も若けりゃ渇望で苦しくなるかもしれんが、枯れ切ったジジイには、それを目にし、話しできるだけでもうれしいもんやと思う。

 大正二年、若い女中と一緒に暮らし始めたモラエスさんにたいし、ワイが言えることは

 「うらやましいなぁ」

 「若さ」が素晴らしいのは、ピチピチした肉体、またおぼこで、うぶな、こころ、だけではない、春秋に富み(ええ言葉やなぁ、つまり早よゆうたら人生先が長いちゅうこっちゃ)、なおかつ、その長さには、千変万化、何にでも変わりゆく可能性が秘めらている。ある意味「成長の潜在力」と言っていいだろうか(もちろん肉体的という意味もあるが、精神的なものも含む)

 そんな「若さ」、賛美しても賛美しきれないが、これがねぇぇ~ぇ~、ハッ~(ため息!)。若いときは気づかんのよ。歳ぃいってから痛切にわかってくるのよ。歳ぃいくとみんなだんだんにわかってくる。年寄りが、身内や親しいもんに、くどくどと言いたがるのは、「若さ」の素晴らしさをわかっていると同時に、それを今、無駄に使って「若さ」を荒廃させてほしくないという思いもあって(そりゃジジババの思い込みかもしれんが)、お節介にもブチブチクドクド言わざるを得ないジジババもよ~けいるんじゃないかな。

 モラエスさんの描いた随想を読むと、モラエス爺さんもコハルに対し、そういうところがあった。出版された文章に中に、コハルによく小言をいっていたことをにおわせる描写がたくさん出てくる。それに対し、コハル、これは現代のちょいワル女子高生にちょっと似ているところがあるが、素直に聞く様な子ではなく、言い返したり、怒ったり、はては、一時的に家を飛び出したりしたこともあったようである。モラエスはそんなコハルを、富田町ではちょいと知られたきかん気の強い「おてんば娘」と言っていた。実際にも若い男と(幼馴染と言っているが)遊んで妊娠するという不始末をしでかす。これにはモラエスも小言を言うどころではなくかなり怒ったはずだ。モラエスから解雇に近い状態になるが、モラエスは見捨てない、しばらくするとコハルはまたモラエスのそばにいるようになる。

 そんな、モラエスの言葉を借りれば「健康を売り物にしているような」娘は、大正5年の梅雨の終わりごろ、発病する。最初ははっきりとした場所を特定しない背中の痛みであったが、やがて発熱、食欲不振、で寝つくことが多くなる。医者の診断は「肺結核」、今日と違い恐ろしい死に病である。この大正時代、死亡原因の一位か二位を占めていた。特に若年層が多く罹患し、「若者を特に好む死に病」と恐れられていた。若年層の多くをこの結核がごそっと奪い去るため、当時は「亡国病」とも呼ばれた。コハルは発病して三ヶ月余でなくなってしまう。

 つづく

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