2019年5月30日木曜日

百年のひかり

20180219


 開催期間が二週間近くあった「夜の光のフェステバル」も昨日、日曜日の夜で終わった。以前のブログで取り上げたがこの平成30年夜のフェステバルの光の素材は、皆さんもよくご存じのLEDだ。LEDは省エネで電気エネルギーが光に転換される効率が極めて高いのが特徴である。白熱灯は電気エネルギーの大部分を熱として放出するため光に代わるのはその残り部分である。そのため白熱灯は消費電力のわりに効率が悪くなる。

 ワイが20代のころはLEDはまだ理論の段階で実用化には程遠かった。消費電力がすべて光になるため未来の電灯と言われた。21世紀には実用化され普及されるともいわれていた。そして21世紀も18年、居間の照明までもがLEDに変わりつつある。効率が良いうえに耐久性も白熱灯はもちろん蛍光灯と比べてもずば抜けて長いため、少しくらいLED電球が高くても交換する家が多くなっている。

 そういうといいことずくめのようだが、LEDの光になじめず、かといって蛍光灯の光も嫌いで、白熱灯の光がいいという人もいる。人間は感性の動物なので理想的な発光器具であっても嫌なものは嫌なのである。かくいうワイもそうである。「感性」といったが、このLEDの光はワイには冷たすぎる。そりゃそうだろう、熱線部分がほとんどなく、単色光の燐光的な光が集まったものだから実際に光を近くで浴びても皮膚は熱くならない。そしてLEDは(蛍光灯もその点ではよく似ている)くっきりした影もできない。室内にこの電球を取り付けると全体が明るくなり白熱灯のような陰影のコントラストはほとんどない。もちろん感性の問題なので白熱灯の光よりLEDの光が好きな人もいるだろう。若い人は生まれた時からこちらの光になじむためむしろ白熱灯などのレトロな照明器具のほうに違和感を感じるかもしれない。

 ワイらの住んでるあたりでLEDの光が居間まで浸食し始めたのはここ5年くらいの間か。その前は蛍光灯が主だった。これは昭和30年代中頃以降だから約50年間くらいだろうか。その前は、白熱電灯である。そもそも数千年間、居間の光であった「灯火」が電気で生まれる光に変わった最初が白熱電灯である。これは1870年ころに発明されたから150年も前だがここ徳島で居間の光となるのはそれよりずっと後である。

 徳島で電気の光が普及し始めたのはいつ頃のことだろう。ワイが小学校の時おかっぱ刈りにしてもらっていた近所の散髪屋にずいぶん年寄ったおばあさんが住んでいた。ぼけていたのか年寄りの繰り言か、よく子供を前に昔の出来事を繰り返ししゃべってくれた。その一つに「あのな。この辺に電気が来たのは(つまり室内に白熱灯が点ったという意味)大正〇年でよ。」と言っていたのを覚えている。しかし、このフレーズは覚えていても大正何年だったかは思い出せない。アメリカの都市部では19世紀末には電化されていた。東京大阪などは明治末年ころ、かなり田舎のわが県では大正、まあ妥当な普及の速度だろう。

 すると電気の光はワイらのあたりでは約100年くらい前からだろう。そこでまた百年前の徳島の風俗・生活のことがよく書かれているモラエス爺さんの随想を読むと、電灯のことも書かれていた。原文では

 『・・・しかしながら、電気の光が徳島のみならず日本中でありふれたものになりつつあるのは事実なのだ。利用すべき川の水力のある所、電線の通る所には、地方都市だけでなく名もない村落やちっぽけな集落にさえもほぼ確実に電気はひかれている。
 それにしても残念だ。数年前、日本の家に点っていたのは石油の光であった。』

 この随想を書いたのが大正3年秋である。今から103年前である。原文からは、数年前までは石油ランプが主であったがこのころに一般的に電灯が普及したことが読み取れる。この時期が灯火⇒白熱電灯への変遷期であることがわかる。現代が蛍光灯⇒LED電球への過渡期であることを考えると大正初年と平成の末年は灯火の歴史の画期であったのである。

 原文をよく読むとモラエス爺さんは「・・・それにしても残念だ。」と書いている。ということはモラエス爺さんは、この文明の利器である電気の光を嫌いなのだ。そうすると石油ランプの光が良かったのか?しかし原文を読むとさらにもう一度逆接して、石油ランプの光を打ち消し、結局モラエスさんの灯火の好みの感性は、それ以前の「あんどん」の光に向かっていく。さらに原文を読み進めると

 『・・・この道具(あんどん)は優雅で、その甘美な光は、火鉢のまわりで内輪のおしゃべりや女性巧みな手がつま弾く「しゃみせん」を聴くのにふさわしい夢のような朧な光である。』

 ワイとおんなじでモラエス爺さんも効率的で有用な明るい電気の光より、感性を優しくなでる光のほうが好きなことがわかる。100年の時間の隔たりはあるがおんなじ爺としてワイとよく似ているのであろうか。

 「あんどん」しかなかった江戸時代、日本画は光と影の表現があまりなかった中にあって、葛飾北斎の描いた遊郭の夜景図には見事に光と影が表現されている。モラエスさんの好きな夢のような朧な光とはこの絵のような光ではなかったのかとイメージするのは私だけだろうか。

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