2019年5月30日木曜日

一茶さん俳句に見る大事件大事故 一茶集より

20171104

 前のブログで少し説明したが、一茶さんの活躍した文化年間は、主にロシアの南下に伴なって幕府への接触(通商を求める)があり、海防意識が高まっていた時であった。その接触は北辺の北海道が舞台であったが、文化元年(1804)には、長崎にロシアの使節レザノフが通商を求めてやってきたのである。

 これは全国的な大ニュースとなった。しかもかなり速い速度でそのニュースは伝播していった。結局、幕府は通商要求を拒絶し、使節は引き上げるわけであるが、そのことも含め、かなり正確に庶民もそのニュースを知っていた。全国的に張り巡らされた飛脚制度、瓦版や時事を扱った錦絵などの出版媒体を通じて庶民はそのニュースを知ったのである。

 一茶さんは、次のような俳句を作っている

 門の松 おろしあ夷の 魂消(たまげ)べし

 おろしあ、というのは江戸時代の人が呼んだロシアの国名である。これは長崎に来航したロシア使節レザノフと、やがて拒絶されて引き上げた事件を扱った俳句である。

 他に大事故を扱ったものもある。文化四年におきた永代橋崩落事故である。この事故では一説には1400人あまりの死者行方不明者が出たと伝えられている。永代橋を渡ったところにある富岡八幡宮の祭礼に大勢の人が永代橋を渡っていたところ、老朽化し痛んでいた橋が人の重荷に耐え切れず崩落したのである。橋の上は立錐の余地もない大混雑、多くの人が崩落とともに川の中に重なり落ちた。

 このとき一茶は江戸から故郷の北信濃に帰っていたがこの大事故のニュースはすぐにそこにも伝わり、一茶はは文集の中で、自分ももし江戸にいたなら祭礼を見に行ったから、事故に巻き込まれ、死んだかもしれないと書いている。そして亡くなった人への鎮魂だろう、次の一句で文を結んでいる。

 秋風や 藻に泣く虫の いくそばく  
  

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