2012年1月17日火曜日

海に飛び込む話


 楽しい海水浴などで海に飛び込む話ならいいが、予期せぬ思いもかけぬ事故で海に飛び込まなければならないようになったときは、話は深刻で、時によれば究極の選択をしなければならない場合がある。

 その究極の選択だが、もちろん個々人によってそれぞれに選択が違ってくる場合もあろうが、また民族性国民性によってもその選択は違ってくる。
 150年前、アメリカによって開港させられた日本だが、その当時、日本人とアメリカ人のその「究極の選択」をめぐってある日本人が(武士だったと思う、名前は失念した)アメリカ人の究極の選択に驚いている。
 それはこんな話であった。

 事故で海に投げ出され、自分(夫)、そして妻、自分の母親、の3人が海に浮かんでいる。妻・母の2人がおぼれた時、自分はどちらを助けるか?

 当時の日本人は、当然、妻より母を優先する。というのが当たり前であった。当時の道徳の最高の徳目は忠と並び「孝」であった。日本人にしてみればアメリカ人もそう答えるものと思っていた。ところがアメリカ人にこの究極の選択を聞くと、当たり前のように

 「オオ、ワタクスィ~ワ~、ツマヲ、タスケ、マ~~ス。」

 この選択の回答は当時の日本人を仰天させるに十分であった。それを聞いた日本人曰く

  「アメリカという国は、機械文明は発達しているが老親を敬う孝などない。禽獣に近き国民である。」

 と。しかし、当時の日本人であっても心の奥に入って本音を覗けば究極の選択をしなければならぬ時、子もいるかもしれぬ、そしてこれからの未来を紡いでゆく「妻」を優先して助けたいと思ったのではないだろうか。
 「孝」という最高徳目に縛られ、また不孝の烙印を捺されるという世間を気にし、母という選択しかできなかったのではなかろうか。

 幕末、いや明治になっても、究極の選択で母を助けた子は、美談になるかもしれないが、妻を優先した場合には、老母を見殺しにした親不孝者として生きていけないほどの非難を受けるであろう。
 150年も前であってもアメリカ人のほうがずっと正直で本音で生きる国民であったと言えるのではないだろうか。

 さて、150年たって現代日本。まあ、そんな状況には追い込まれたくはないが、そうなったとき、今だとアメリカ人のようにこたえる夫が多いのではないだろうか。「孝」などの徳目はとっくに滅びている。
 「三歩下がって、親の影を踏まず。」どころか「三歩下がって、親にとび蹴り。」の子が増えましたわな。(ホントは親でなく師なんだけど)

 でも日本人の孝の徳目は滅びたかもしれませんが、世間体を気にするのは今でも日本人の国民性に残っています。

 『世界ジョーク集』で難破船から嫌がる各国国民を海に飛び込ませる決めぜりふが収録されていますが、その日本人編は

 「他のみんなは飛び込みましたよ、残っているのはあなただけですよ。」

 いかにも集団性、世間体を重んじる日本人らしい説得ですね。

 ちなみに他も言っておきます。まずアメリカ人

 「飛び込まないのは臆病者だ!」

 イギリス人

 「飛び込むのが紳士だ!」

 そして

 「飛び込んだら、女にもてますよ!」

 はさて?フランス人だったか、イタリア人だったか忘れた。

 こういう古典的な国民性をジョークにしたネタは最近は流行らないかもしれない。どの国民も最近は特色が違わなくなり、本音むき出しで行動してはばからなくなった気がする。

 「女にもてる」

 を重んじるイタリア男性だが、かっこ悪くて女にもてなくても、命あってのモノダネ、を実践している。

 数日前、タイタニックのような大型豪華客船を難破させ海に転がしておいて、乗客より真っ先に逃げた船長がいた。信じられないような話だが事実らしい。そしてインタビューに答えて

 「俺には責任がない!」

 この人ある意味、究極の選択の行動をとったわけですね。

 時給750円の雇われ店長だと何か避難しなければならない時、真っ先に逃げてもそれは、しゃーない、気がしますが豪華客船の船長ですからね、これはまずいですね。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

この船長、時給750円ですか。そうだとすると一番に逃げても非難でき無いかもしれませんね。責任の範囲が乗客全員の安全確保ですが、自分の命を差し出すのであれば、安すぎますよね。でも、そこそこの避難誘導もしなかったのなら刑事問題ですね。ただ言えることは、イタリア人の株が下がったのは間違いないでしょうね。(゜_゜)

yamasan さんのコメント...

それにしてもこの豪華客船に日本人カップルがかなり乗っていたそうですね。リタイヤして高額退職金、年金をもらい、地中海クルーズ、うらやましいですね。
 若者格差といいますが実は高齢者の格差のほうがひどいですね。私などは近所の温泉へもいけません。
 日本国は生存および幸福の追求に高邁な理想をあげてます。いわく

 「すべての人は、健康で文化的な・・・・・・」

 おお、いいぞ!でもそのあとがいけない

 「・・・最低限度の生活をする権利を保有する。」

 なんじゃ!最低限度かよ。食うや食わず、死なんて程度ってことか。
 ビンボ人は結局、救われんわ(-"-)