2012年1月2日月曜日

光と闇


 昔は少々小難しい本でも集中して一日で読み切ったのを考えると、この歳になって、ホントに本が読めなくなったと情けなく感じている。もう3週間になるというのに図書館で借りてきた本が全部読めない。
 今までに読んだのは五分の一ほどである。面白いのだが、ギリシャやメソポタミア、ペルシャ、ユダヤの旧約聖書、そして新約聖書の話など各地の古代文明の神話が本の筋の展開として豊富に入っている。そのためかなり長いその挿入部分の話を読まなければ理解が次に進まないので厄介である。
 まったく違う文明圏の古代神話が次々と出てくるのを、本の筋の流れを踏まえたうえで、全体的に把握しながら読むのは相当な知的作業である。

 面白そうな本の題『グノーシスの神話』という名前に魅せられて借りたがなかなか読めないので後悔している。しかしとっかかった以上最後まで何とか読みたいと思っている。(断片的な理解になっても)
 題の下に出版社が小さく書いてある。今になってみるとこれ「岩波書店」である。この本屋、新書以外は小難しい本ばかり出している。大学のテキストに好んで使われたりする本屋である。
 ちょっと意地の悪い捻くれた私などから見ると、わかりやすくい話を無理にわかりにくく難しくしたような本ばかりを出版している本屋ではないかと思ってしまう。

 「まあ、頭の悪い私のひがみでしょうけど。」

 もう洪水のように次々とあふれんばかりの古代文明各地の神話、そして思想が入っているこの本を私のような理解が良くないものが読むうえで手掛かりになるのは本文にある「キーワード」である。
 しかし、本に「みなさん!これがキーワードですよ!」と書かれているわけではないから、当然自分で見つける。この時、著者の意図と違う「キーワード」を見誤って頭に入れれば、とんでもない理解に終わってしまう。
 おそらく、難しい本を無理して読んだときは、誤った本の理解に終わったことは、私自身多いと思います。

 それで五分の一ほど読んで一番頭にこびりついたキーワードは

 『光と闇』、『物質と霊』、『善と悪』

 これらの3つキーワードは二つの言葉が合わさっていますが、3つとも前者後者それぞれ相似形になっています。
 グノーシス主義がどうも二元論であるということはわかるのですが、本を全部読めてない今、判断するのは早計かもしれません。

 「何とか最適な読書環境を整えて集中して読まねばイケない」

 と思いつつ昨夜もDVDを見たり、ネットで遊んだりで読み進みませんでした。

 そして今朝未明、目覚め、それまで読んでいてキーワードとして頭に入れてあった『光と闇』についてある実体験したことがよみがえってきました。

 目覚めは6時前、6時過ぎると窓を通して薄明るくなると思っていたのですが、何分たっても明るくなってきません。布団の中から窓明かりがみえるため早く目覚めたときは窓が徐々に薄明るくなるのが見えます。ところが今朝はその時刻が来ているはずなのに明るくならない。
 布団の中でもじもじしながら、頭もまだ目覚めていず、ボーっとしていたのでしょうか

 「このまま闇が続いて明けないのではないか」

 という恐怖にとりつかれました。

 「まだ明けない。まだ明けない。いったい何分待つのだ!」 

 皆さんは真の闇の恐怖を感じたことがあるでしょうか。全く光のない地下のトンネルに生き埋めにでもならない限り、まずそんな体験はしそうにありませんね。夜でもいたるところに遍在(偏在とは違いますからね。念のため)する人工の灯りの為、闇もその存在を失いつつあります。今の人々に闇の恐怖などいってもピンとこないでしょう。

 わたしは50年ほど昔、近い体験をしたことがあり今でもその恐怖はこころの中に残っています。小学校3年生くらいの時、親戚の大きな百姓家に泊まったとき、慣れない寝具、環境だったせいか、深夜、いや未明に近い頃、いつもは明るくならなければ目覚めないのに目覚めてしまったのです。母屋の奥の奥の部屋だったため多くの襖が閉(た)てられていて、夜の星明りの微かな光さえも届かない空間でした。

 目覚めた時、真の闇、でした。私一人が座敷に寝ていたため誰もいません。その時の恐怖、なんといっていいかわかりません。
 引きつったような大声、たぶん泣いていたんでしょうね、で叫びました。しかし、反応はありません。それが闇の恐怖を倍加させました。非常に長く感じられたそのあと、ようやく家人がやってきて電灯を付け、闇から救われました。
 そのあとの記憶はありません。

 生きることの対極にある「死」というものはこんな「真の闇」が永遠につづくことなのではないのか、というような恐怖が、そして「死」というものが絶対拭い去ることが出来ぬものだ、ということがやんちゃな子供の心に兆した最初の経験だったように思われます。

 夜の闇は明ける前が一番深いといいます。いつまでも明けぬ暁闇にそんなことを考えていました。

 冬至を過ぎても夜明けはどんどん遅くなっていきます。そして明日から13日くらいまでがもっとも一年で夜が明けるのが遅くなるそうです。

 7時近くなりようやく窓が明るくなりました。今朝は雲が厚いこともあったんでしょうか。明るくなるのがずいぶん遅く感じました。

 「ああ、朝の光のなんと素晴らしいこと、闇の恐怖を一度でも体験したことのあるものは光のありがたさは何にもたとえがたいものです。」

 光と闇のゾロアスター教はグノーシス主義とよく似た二元論に立つ宗教です。光と闇の二神がいます。
 その光明神は「アフラ・マズダ」。
 その始祖は「ツァラトゥーストラ」。

 聞いたことありませんか?年配の人なら東芝の電球の商標名は昔、マツダランプと言っていたのをご存知でしょう?この「マツダ」、光の神のアフラ・マズダのマズダから来ているものです。
 もう一つの「ツァラトゥーストラ」を知らないという人の為によく知られたBGMをご紹介します。
 題名は『ツァラトゥーストラはかく語りき』


2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

「2001年宇宙の旅(スペース・オデッセイ)」のテーマ音楽ですね。クラシック音楽だったとは、知りませんでした!
 暗闇が怖い理由は、人間自体が光から出来ているからではないでしょうか?そんな気がします。(^^)

yamasan さんのコメント...

しんさま、2001年宇宙の旅、知っていたんですね。今やSF映画の古典に属するため、若い人にこの曲を聴かせても、2001年宇宙の旅、だと反応してくれません。
 しんさまはもちろん見たでしょうが、この映画、アメリカや日本では大変評価が高いものでしたが、私の中では?です。手塚ワールドのSFに親しんだものにとっては大した作ではなかった気がします。
 あの最後のシーンはいまだに知覚できません。
 ただ、いろんな曲を組み合わせたBGMの使い方は全盛期のハリウッド!さすがでしたが。