2012年1月27日金曜日

さんぱつや今昔


 私が行っているところの散髪屋は安い散髪屋のチェーン店である。薄利多売を狙っているのであろうか。1400円では儲けもあまりないであろう。
 また昔からある個人営業の散髪屋さんはセット料金で3400~3600円はするからこんな安い店ができれば客はそちらに奪われ、やはり、儲けは減少するだろう。
 結局、どちらも厳しい経営がつづくのである。

 我が町の個人理髪業の店は多くが高齢者であり、跡継ぎも弟子もいない。また、今日いったチェーン店にしても年金をもらいながら稼ぐような高齢者が多かった。というのもこういうチェーン店は人件費を抑えるためかなり低い日当で雇われているのである。年金をもらっていなければやっていけないような給料なのだろう。
 だからこういうところの従業員は賃金労働者であり、また個人営業の店にしても、昔からやっているため高くても来てくれる少数のお得意さん相手に細々とやっている。

 昔はそうではなかった。散髪屋さんは技術を持った「職人」であった。このような職人さんは例えば板前さんは包丁一本、散髪屋さんはハサミ一丁あれば、世渡りできる立派な職業であった。その中で散髪屋さんはみんな当時は個人営業で、一国一城の店主である。誰からも使われず、独立してやっていける職業として敬意を払われていた。
 もちろん店を開けるだけの技術を持った職人になるには、当時でもまだ散髪業界には徒弟制度のようなものがあって、若い見習いさんなんかはごく安い給料で修業を兼ねて住み込みで働いていた。

 私が中学を卒業するころ、進学せずに散髪屋を目指す生徒が何人かいたが、みんな徒弟制度の見習い住み込みであった。でも胸には『将来は店主になる』という目標をみんな持っていた。
 親のすねをかじり高校へ行く生徒に比べ、徒弟として住み込みで働きながら立派な職人そして店主を目指す15歳は本当に立派だったと思う。

 今、若い人で徒弟、いやそんな呼び方ではなくても、親方の元で修業をして、技術を持った「職人」を目指す人がいったい何人いるだろうか。遠からず、そんな若い衆は絶滅するのではあるまいか。

 世界には多くの国がある。その中で『職人』が尊敬され、立派な技術を持った『名人』が最上の社会的地位として認定されている国はそう多くないが、日本は昔からそのような伝統のある国であった。(中国・韓国は職人は卑しめられる職業であり、社会的地位はずっと低かった)
 名人の刀鍛冶は、大名と同じ受領名(河内守、近江守)をもらい尊崇を受けていた。
 日本とドイツは世界に誇ってよい「職人の国」であった。

 しかしその職人の国もいま滅びようとしている。我々も悪いのである。職人の技術や芸を評価せず、安ければよい、大量生産の既成でよい、ごちゃごちゃした人間関係のやりとりより自動販売のシステムが良い、合理性、廉価を求めた結果である。

 賃金労働者となって分業であくせく働く散髪チェーン店の従業員、そして一日にⅠ~2人しか来ない高齢者の個人理髪店を見ながらそんなことを思った。

4 件のコメント:

てるゆき さんのコメント...

都会では、料金の高い理容店、美容院もやっていけるでしょうが、徳島のような過疎地では厳しいでしょうね。

お金があれば、普通の店に行きたい人がほとんどでしょうが、結局 日本人が貧乏になったということではないでしょうか?

僕だけかな?

yamasan さんのコメント...

時代の趨勢だから仕方ないですね。
 でもみんなが安い賃金で使われる社会は嫌ですね。独立自由業でやる人、職人でいい仕事をしてそれに見合う手当を受ける人、多様な方がいいですね。

Unknown さんのコメント...

私が最後に行った散髪屋は、実家の近所にある、子供の頃によくいっていたところです。ぼろぼろの家にお爺さんが一人いて、その時のなつかしい方でした。散髪をお願いしましたが、手がふるえていました。切ろうとしても切れない状態が続いていました、妻は心配そうな顔をしてみていました。これが職人の生き方だとおもいました。(^_^;)))

yamasan さんのコメント...

壮絶なさんぱっちゃさんですね。
 よく芸人が舞台で死ねたら本望じゃ、といいますが職人も道具を握って職場で死ねたら本望なんでしょうね。
 でも末期の客は迷惑かも。

 『老いた麒麟は駑馬にも劣る』ですかねぇ。
 でも
 『腐っても鯛』
 ともいいまんなぁ~