2019年5月29日水曜日

再びモラエスさんの散策道を歩く

20170624

 夜中になんべんもションベンに起きて、午前四時か五時ごろには目覚めて寝れない。そのような睡眠不足が(寝るのは12時近いのにだ)続いている。当然、体調もよろしくない。今朝などは4時に目が覚め布団に入ったが眠れない。そのうちカーテン越しにも夜が白々と明けているのがわかるようになった。

 そういや、夏至はいつだったんだろ。ライトをつけて暦を見ると21日(水曜日)。なんだもう三日前じゃないか。知らぬうちに夏至は過ぎ去っていた。

 夏至は特別な祭りや行事は日本の風習ではあまり聞かないが、確かぁ~、ワイんくの町では日没暗くなりつつあるとき、公園にたくさんのキャンドルと灯してたが、あれ?今年はどないなっとんねん。いったいどこの風習を真似たんかしらんが、今年はワイの知らんうちにやってもうたんかなぁ。

 先日、モラエスはんが墓参りに行くときの眉山山麓の道についてちょっと書いた。100年ほどまえに彼が通った道をできるだけなぞるように歩いてみたが、今は道路も舗装整備され、住宅地が多く造成されたりして小道はなくなり、当時とは違い山沿いぎりぎりに歩く道がない。

 偕楽園の前から瑞巌寺山門に出ると、新町小学校が邪魔をして山麓沿いに歩けないので小学校を迂回せにゃならない。前はその通り迂回して歩いた。しかし、後でモラエスさんの書いた随想を読むと、瑞巌寺を横切って、新町小学校の校庭の端を通り、山麓沿いを歩いたという記述がある。

 そこでそんな道を探すとあった。普通は、防犯のため小学校の敷地は入るのは禁止されているのに、いけるのかなぁ、疑問であった。しかし、よくみると、運動場と一体となっているが、れっきとした公共の小道である。だから、その運動場のその歩くコースには立ち入り禁止でなく『児童がいますので通行にはお気を付けください』との注意書きの標識が立っている。
 
 そこで遠慮なく運動場の端をとおり、モラエスさんが散策した道を歩いた。

 
 運動場の端、山際にへばりつくように幼稚園があるが歩いていくとその幼稚園の入り口に出た。


 そこから再び普通の道に戻り、またできるだけ山際を歩く、モラエスさん当時ほどではないが墓地があり、無縁墓になって整理された墓石が集められていた。


 途中、道横に木陰の小公園がいくつかある。


 そして、天神社前に出てくる。


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