ところが随筆や日記はけっこう文が長いうえ、心の微妙な動きを表現しなければならない。古文を自由自在に使うようにしなければならない、これはかなり難度の高い作業となる。このような文章を書くためには、古文に精通していなければならない。つまりどんな古文を読んでもスラスラと読めて、意味が瞬時に頭に入ってこなければならない。そうなって初めて、古文を自在に使って創作もできるというものだ。
そうなるとまず古典の基礎をしっかり勉強して、数多くの古典を読まなければならないが、余命の残り少ないこのジジにとってそりゃぁ難しかろというもの。ところが、嬉しいことに、日本には世界最短の古典の詩がある。ひらがなでたった十七文字、『俳句』である。俳句は現代語のみで表現される場合もあるが、やはり格調高い作品となると「古文」を駆使したものになる。十七文字ならば、古文を使った創作もしやすかろ、またジジババの趣味としてこれほどふさわしいものもないだろう。
それで「俳句」のオベンキョをはじめた。まず、先に受講している、公民館主催のジジババの教養講座に「俳句をつくろう」講座がないか聞いた、答えは今までもなかったし、これからもないだろうとのことであった(この講座、ボランティアの講師でやっているため、そんな俳句の講師がいないとのこと)。しかたがない、独学で始めにゃならん。それでぼちぼちベンキョを始めたのが二ヶ月ちょっと前、しかし、たったの十七文字の詩文とあなどって始めたのは大きな間違い。それは狭くもなく浅くもない大変な文学の一部門であった。
だいたい十七文字の中に、世の中の森羅万象、こころの中にある様々な感情や感動を表現するのである。そこには高度の「抽象化」「象徴化」また蓄えてきた古典の教養があってはじめてそのような表現ができるのである。
「あ・・あ・・あまかった!」
それでも「俳句とは何か?」というような類の入門書、解説書から読み始めた。何とか俳句誕生のいきさつがわかったところで、読み始めたのが、今日のブログに取り上げた庶民派代表の江戸時代の俳諧師「小林一茶」である。日本古典全書の『小林一茶集』は発句(いわゆる明治以降の俳句と同じ)ばかりではなく、俳文、日記、随想のが入っているため、読みやすいし、この中におさめてある「父の終焉日記」や「おらが春」などは、近代の私小説にも似て、そういう意味で江戸時代の文集でありながら我々には読みやすい。
次のブログではこの作品集よりいくつかご紹介します。
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