前のブログで見た谷に広がる水田をさらに奥に入っていくと谷もいくつにか分かれ、その一つの谷の一番奥に平康頼創建と言われる寺、『玉林寺』がある。
今、創建当時の寺がそのまま残っているわけではないし、また場所も火災や兵火などによって移転している。でもまあ創建時の寺の位置とそう変わってはいまい。平康頼の遺品あるいは持仏などがあればと思うがその時のものはない。寺宝としてあるのは「釈迦十六番善神像」(絹本の掛け軸様のもの)だが、康頼時代とは百年以上新しい鎌倉末期と言われている。平康頼が創建したのなら当時の寺の本尊あるいは寺に納めた自らの持仏などがあったはずだが時とともに散逸したのか今はない。ゆかりの寺というのはいいが彼の遺物は何一つ残っていないので「平康頼の寺」というにはちょっと弱い気がする。
玉林寺と境内
康頼が亡くなって550年以上たって、平康頼は神として祀られることになる。天明年間彼を慕う村人が社を作りお祀りした。康頼神社である。康頼を慕うったって550年もたてば言い伝えを伝える古老だって途切れたり、正確な言い伝えを伝えられるか怪しいものだが、康頼は時とともに有名になる傾向がある。それは平家物語が平曲として演奏さえ琵琶法師によって繰り返し聞かれ、あるいはこの天明年間になると出版が盛んになり木版刷りの「平家物語」が村人でも手んごろ易く手に入るようになった。百姓・庶民が広く康頼の歴史上の存在を認識するようになったのである。たぶんそんなこともあって江戸時代になり、おらが村にもあの平家物語で有名な平康頼はんがいたんじゃぞぉ~、すごいこっちゃわ、こら、神社でもたててこまして、お祀りし、おらが村も自慢しょぅ~や。となったんやないやろか。
康頼神社
横にいかにも古い(鎌倉期と思わせるような)五輪の塔がある(動画でも神社の境内の右にちらっと見えています)。銘はない。康頼やその子、などの供養塔と思いたいが、まったく確証はない。可能性は0%ではないにしても、神社ができた時、近くにあった古い五輪の塔を集めたの可能性のほうが高い。
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