2024年5月17日金曜日

清少納言の墓

  昨日、鳴門の岡崎海岸に近い「あま塚」に行ってきた。ここは清少納言の終焉の地という伝説があり、墓もある。今年の大河ドラマでも清少納言が出てくるので、それと関連して、いまちょっとした観光のおすすめスポットではないだろうか。

 ただし墓と言っても確証のあるものではない。清少納言の終焉がこの地だったという地元の伝承(口伝によるものだろう)をもとにしていて墓がたてられたようである。現代人の常識的感覚では「墓」はその人の遺骸や火葬後の骨灰が埋められているところであるが、千年も前の歴史的人物にその常識は当てはまらない。清少納言のライバルといわれている紫式部の墓あるいは墓所というのも各所にいくつかあるようだが、この場合も、そこに彼女の遺骸、骨灰、あるいは髪の毛などがあるわけではない。むしろこれは墓というより「供養塔」とでも呼んだらいいものではないだろうか。

 地元民の口承ということで確証はないからここが墓というには疑問だ、と思われる方もいるかもしれないが、後世の人が建てた供養塔というならば広い意味で墓と称してもいいと思う。千年も昔の人である、そう目くじら立てることもあるまい。

 このお堂の中にその供養塔(宝篋印塔)がある。


 この墓所のあるあたりは今は住宅や農地(サツマイモ畑が多い)が広がっているが、下図の江戸時代の阿波名所絵図をみると、墓所のすぐそばまで磯浜が迫り、清少納言の塚と称する供養塔(五輪の塔)はかあるいはの中島にある(弁天社はこのように池の中にあるがそれとよく似ている)


 鳴門駅近くの観光案内所で簡単な地図をもらい案内所の人に説明を受けたが、かなりな距離があるようである、おまけに方角もわからない。しかし岡崎に家のあるA君がちょうどその観光案内所から帰るところで、道がわからない私のために一緒に歩いてくれた。道々ここ鳴門の歴史や風土、伝承などについての話をしてくれた。墓所の観光より、彼の話の方が面白かった。気のいい青年で記念に一緒に自撮りをお願いしたら快く引き受けてくれた。

2024年5月13日月曜日

虫刺されの季節がやってきた

  3日前の昼過ぎ、快晴だが気温低め、風がやや強く吹いている。五月の薫風とでもいうべきさわやかな風だ。例によって目的もなく日向の往還をウロチョロ歩いていると小公園があった。歩いても暑くはないが日差しがかなりキツイ。木陰を求め公園内に入り、木陰になっているベンチを見つけ腰を下ろし、手足を弛緩させてくつろいでいた。気分は上々、その時右わき腹に近い背中にチクリとした鋭い痛みがあった。その瞬間だけの痛みであったが、どうも虫に刺されたような痛みである。虫刺されとすると、下着とシャツ、薄手のジャンパを着ているので、それを通して刺されたのではあるまい。何かの虫が下着の裏に侵入し刺したことが考えられる。

 まさか公園内でストリップするわけにはいかないから、ズボンからシャツを外に出し、下着のなかに手を入れて刺された部位の皮膚を触ってみるがそれらしい虫を手指で確認することはできなかった。ベンチを見ると蟻が這っているので蟻かもしれないとおもったが、実のところわからない。まる一日以上たった昨日、その背中を手指でなでるとプックリ膨れている。触ると少し痛くて、しばらくするとかゆみも出てきた。これは虫刺されに違いないと、遅まきながら虫刺されの薬チンキをつけた。一日たった今もその部位は腫れていて軽度だが痛みともかゆみとも表現できないような複雑な違和感がある。普通、蚊などに刺されたらすぐにかゆみが出てくる。この発赤とかゆみの遅さは蚊とは違う害虫に刺されたのだろう。

 これから気温も上がり湿度も高くなる。害虫が出てくる季節となる。蠅だのゴキブリだのは、ワイはあまり気にしない。家にぞろぞろ這おうがブンブン飛ぼうが、なんちゃかんまん、と思っている。嫌なのはワイの身体を刺したり、吸ったりする害虫である。蚊、ダニ、南京虫、ムカデ、ハチ、などである。

 数年前まではそれが嫌さに、殺虫剤を必要以上にたくさん振りまいていたが、薬剤の方が体に悪いのでやめた。家の中は、ものすごっく、ひこづりさがしている。害虫発生には好条件を提供しているようだ。それなら片付ければいいと思うが、ものぐさなのでそれもよ~しない。言い訳としては我が家の昆虫の世界にも生態系があって、我が家独特の捕食上位者の昆虫の生態系ピラミッドが存在する。例えば蠅とかダニが増えればその捕食者のクモ類(ハエ取りグモ)が増え、ぞろぞろ出現して蠅やダニの数をある一定数に抑えてくれる。というものだ。それでいえばうちの家の最上位のプレデタァは(捕食者は)ムカデだ。それが証拠に害虫の季節になると、たくさんのハエ取りグモが元気に飛び回っているし、夜は大中小のクモが這いまわっている。クモはワイを刺したりもしない、完全な益虫である、クモはワイにとって、愛(ぅ)い奴よのぉ~!である。

 ただ蚊だけは家に中に関する限り、捕食者の昆虫はいないので「電気蚊取り器」を使っている。しかし蚊には外で思いがけず刺されることもあり、季節ともなればある程度蚊に刺されるのは覚悟している。大昔、まだワイが若かったころは、かなり重度の(偏りはあったが)害虫忌避症であった。蚊に刺されると日本脳炎にかかるかもぉ、とか、蚊によってフィラリア原虫が血中にもたらされ、金玉(陰嚢)がドッジボールくらいになり、タヌキの大金玉と陰口をたたかれ、日陰の身で一生過ごすのか、とか心配したが、この歳になるとまぁそんなのは杞憂だ。

 しかし数日前のように、蚊以外のわからん害虫に刺されるのはちょっと気になる。一年に数度はこのように何の虫やらわからぬものに刺された発赤、かゆみ、その部位の重い鈍痛がある。正体がわからぬだけに大事になりゃすまいかと心配する。


 大昔、アンモニャとか唐辛子チンキの入った水薬の「きんかん」というのがあり、虫刺され(肩こりにも)よく効いたが今はないようだ。祖父の薬箱にはいつも入っていて、かなりなかゆみでもこれを塗るとおさまった。ネットで見ると写真が出ていた。そうだこれだ(左写真)。大昔のこのコマシャルソングも思い出したぞ。♪~キンカンぬってまたぬって~肩の痛みに~キンカンぽん!何とかかんとかで・・嫁をもたさにゃ、なおらない~ て、治るのは薬じゃなく嫁を持つからなのかよ、と突っ込みを入れたくなるなんとも不思議な歌じゃった。

2024年5月4日土曜日

岡崎海岸から

  大昔、帆船しかなかった時代、本州から阿波への路(みち)は、できるだけ海路が短くなるようにたどるのが無難とされた。そらそうだろう、天候に左右され、海難の恐れも多分にある木造の帆船である。旅人もそれを望んだ。それでいうと阿波へのもっとも短い海路は明石海峡を渡り、淡路島の陸路をたどり、島の南端の福良から鳴門海峡を渡り、鳴門の岡崎海岸当たりに上陸するコースである。文字通り淡路島は阿波への通路、「阿波路島」(あわじしま)である。大昔の旅人は、できるだけ陸路をたどり歩くのである。歩きのみでは金はかからない。しかし舟を利用すれば船賃が入用になる。とくに路銀などない遍路や巡礼者は必要最低限の船旅しかしなかった。だから淡路島から漁船などの小舟をたのみ鳴門の岡崎あたりに上陸したのである。


 連休の今日、岡崎海岸は多くの人でにぎわっていたが、現在ここから淡路に向けての船の発着はない。しかし四国巡礼が盛んになる江戸中期以降ここ岡崎はその玄関口の役割を果たした。


 海岸から数百メートル進むと、このような石の道しるべが立っている。四国へんろ道と読める。このみちをたどり一番札所霊山寺へ向かうのである。


 四国へんろ道の道しるべは残っているが、もう今はここから四国へんろを始める人はいない。だが昭和60年ころまでは淡路の福良港とここ岡崎を結ぶ巡行船があった。ちいさなポンポン船で旅客と自転車しか乗せなかった。まだそのころはお遍路さんもこのコースをたどり八十八か所の打ち立てをここから始めた人もいた。遍路ばかりでなく無銭旅行に近い長旅をする貧乏学生もいた。そんなことを考えながら歩いていると70mくらいの高さの妙見山が迫ってきた。山上に公園があるので登ろうと登り口を探しているとこんな看板があった。


 もう廃業してずいぶんになると思うがなぜまだあるのかユースホステルの看板である。安く旅行をしたいと考えている昭和の若者が利用した格安の全国的な宿泊施設である。私も全国あちらこちらのユースホステルでよく宿泊した。右に見える手すりのある石段を上っていくと妙見山公園に行くが、途中廃墟になったユースホステルがあるはずだ。しかし草木がずいぶん生い茂っており見つけることはできなかった。山上には妙見神社があった。

2024年5月3日金曜日

5月3日新聞雑感

 憲法記念日

 あんまし政治向きの話はしとぅないんやけど、今日の新聞見ましたか?憲法記念日ということもあって憲法について話題が第一面にどの新聞もとりあげてました。憲法と言えばその改憲について様々な意見があるし、あって当然なんだけれど、個人がそれを表明したとたん保守か革新か、政治的に分けられ、レッテルをつけられるのが嫌ですね。

 おもっしょいことに国民をあいてに憲法改正についてアンケト調査をすると、調査したのが同じ日本国民であるにも関わらず新聞によってほとんど真逆と言っていいほど結果が違うようです。新聞社によって政治的主張が違うのはご存じのとおりですが、革新押しのA新聞はアンケト調査で国民は憲法改正には反対ないし慎重が多いちゅうし、保守的な新聞SやY新聞なんどは、過半数が改正支持と宣ってますわ。どっちゃが正しいやら、よ~記事を読むと、さすが頭の良い人が集まっている新聞社ですわな、アンケト調査の質問の文が、なにゃら誘導尋問みたいで、自分の新聞社の主張に近づけるよううまぁ~く作ってますなぁ。一応、どの新聞もどんなアンケト調査の質問か、その項目を書いてますから皆さん確かめてみてください。

 ところで、お前ぃは、いったい憲法についてどないに思うとんぞい、と聞かれるかもしれませんが、先ほどもゆうたように政治向きの話は、しとうおまへん。とくに改正賛成か反対かで保守じゃの革新じゃとレッテル貼られるのがねぇ。

 こちらもまたおもっしょいことに、革新と名乗る方が実のところ保守で、保守が革新的となってまへんか?77年間も憲法を変えてまへんが、それを一字一句も変えたらあけへんちゅう党もあります。これなんどはどう考えても保守でしょ。日本は西暦1640年ころからいわゆる鎖国(ホンマは貿易・出入国管理体制)を祖法とし210年間も(ペルリが黒船で現れるまで)守ってきましたね。これなんかはまさに保ち、守る、すなわち保守でしょ、憲法を80年も変えずさらにそのまま守ろうとするのは保守と言われても当然ですね。そして保守を名乗る党が時代にあった刷新を憲法に求めるのですから、憲法に対してはこりゃ革新でしょ。

 まぁ、鎖国をいう祖法を守り保ったため平和的で爛熟した江戸社会ができたのですから210年の保守もよかったとは思います。しかし、黒船の衝撃で、江戸社会は大衝撃を受け、あっちゅうまに、明治維新となり近代化社会に国民あげて突入しますから、憲法の保守も、いつか国家が生きるか死ぬかの大衝撃を受けたら、同じ日本国民のことですから、こちらもあっちゅうまに憲法は大きく変わるんじゃないでしょうか。それまでは別に憲法いじらんでも、ペルリが浦賀に来たような衝撃があるまで惰眠をむさぼるのもいいかもしれません。今は平和憲法のもと江戸時代と同じ太平の御代を生きよるんじゃと思うてまひょ。

映画の評論欄


 ワイの4月21日のブログで「異人たち」の映画を取り上げてワイの感想も書いた。人に積極的に薦める映画じゃないと書いたが、今日のローカル紙にその評論が載ってた。ワイの感じたこととよ~似たことを書いとった。ワイは次のようなことをブログに書いとったわ。

『イギリス映画で題は『異人たち』です。一昨日は封切り日でしたが、思っていた通り人気のない映画で午前11時から始まったのですが、ワイも含めたった二人の観客でした。事前に予想されていた通り地味で暗い映画でした。確かに人気が出るような映画ではないのですが、それでも惹かれていったのはこの映画は、35年前の日本映画、山田太一原作脚本、大林 宣彦監督の『異人たちの夏』のリメークだったからです。30代にそれを鑑賞し、感動したいい映画だった思い出があったからです。古い映画だがそのため筋も配役もよく覚えていました。

それでイギリス映画のリメーク版も見たのです。これは「面白いから見てみなはれ」と人に積極的に薦める映画ではありません。というのも日本のオリジナルの通り、幼い時に亡くなった父母と40歳になった一人息子の出会い、そして昔を取り戻すようなしみじみとした親子愛、別離の悲しみを描いているのはその通りなんですが、オリジナルでは(この世のものではない)彼女と(両親のとの再会と同時に)出会い愛し合うのですが、イギリス版ではその恋人が若い男になっているのです。つまりゲイということになります。現代風と言えばそうなんだけれども、大昔オリジナルを見て、よかったわぁ、と思い出のある人に(もう高齢になっているでしょう)見てみなはれとはちょっと言いにくいですね。

 でもそんな古い映画の記憶もない、まっさらピンピンの若者には見る価値のある映画かもしれません。大都会のロンドンでお互い孤独を抱え傷つきながら生きていく男二人がひかれあい、寂しさや冷たさをいやすためお互いすり寄り体を温めあう(象徴的にいえばです、映画ではもっと露骨だが)ことに現代の若者はそう拒絶感は感じないんじゃないかな。もちろんオリジナル通り一方は死せる者なんだけれど、日本版とちがいこちらの恋人同士はほのぼのとした終わり方になっているのがイイ。』

若者(わかいし)の惜しい生


 県南で18歳の青年が3人もなくなってから一週間たつ。しかし今日もY新聞のローカル欄にそのことが載っていた。それだけ若者の早い死は衝撃的で、いまだにあきらめきれない人々や社会の思いが渦巻いているのだろう。私もそうだ。このニュスを見るたび悲しくなる。ワイに子はいないが、もし自分の子がこんなに早く不慮の事故で旅立ったらどんなに悲しいだろうと充分想像はつく。ジジババばかり増えて若者は減っているのに、18歳のわかいしが死んでどなんなるんぞい。命を取り返すことができるなら、時を巻き戻せるなら、と不可能ではあってもそれを強く思ってしまうことが悲しい。



 そしてもう一人は20歳で老夫婦殺しに加担した若者である。全国的に耳目を集めたのはその若者は10年ほど前の大河ドラマで主人公の幼少時を演じた俳優だったことである。役は実年齢と同じ10歳くらいで、見るからにかわいらしいが、しかし凛々しさも兼ね備えたいい子役だった。なんでまた。どこでどう道を間違えた。よりによって殺人に加担するとは、多くの人、そして私が思ったのもそのことであった。続報が今日の新聞にも載っていた(ローカル紙に)。関心の高さがうかがえる。

 どちらの若者ももう取り返しがつかない。まったく惜しい生であることよ。



歯抜け老人の福音かと思ったが・・


 記事を見た途端、おお、これは、歯抜け老人にはいいニュースだ。とぬか喜びした。しかしよ~く読むと。

 毛生え薬ならぬ「歯生え薬」が開発されそうであるというニュス。昔から中高年の悩みは薄毛が進むことと言われていた。だから毛生え薬は切望されていた薬である。しかしワイに関してはずいぶん薄毛だが、それは全然気にしていない、薄毛が進み、つるてんピンカになろうがなんちゃかんまん。毛がのうて死ぬわけでもない。しかし歯は違う、歯抜けジジイは、見た感じがみっともないちゅうんもあるが、咀嚼できなくなれば、味わいもなくなってくるし、また消化にも悪く、いろんな病気になりやすくなるといわれている。統計を取ると歯抜け老人は平均寿命も短いそうだ。

 そんな歯抜け老人にとって歯生え薬は夢のような薬である。もう一度まっさらピンピンの歯が生えてくるなら、これほどうれしいことはない。回春剤にも匹敵する。しかし記事を読むとこれは先天的な無歯症の患者で対象は2~7歳とのこと、歯抜け老人は対象でない。最後まで読むとずいぶん気落ちする。しかし、これから発展すれば当然、歯抜け老人も治療の範囲に入ってくるとは思う、しかしそれが実用化されるにはかなりの年数かかりそうである。それまでワイはよ~生きとれへんわ。

2024年4月28日日曜日

時代行列と椎の宮のツツジ

  三時ごろ徳島駅前でバスを待っているとお城まつりの行事の一環として時代行列が通ったので撮影しました。先頭は蜂須賀のお殿様に扮した鎧姿の市長のようです。



 その待っていたバスで駅から佐古七番町まで行き、椎の宮のツツジを見てきました。最盛期はもう過ぎていて、ツツジ山の遊歩道わきにはたくさんのツツジの落花がありました。




2024年4月24日水曜日

ツツジの季節

 ツツジのこの赤い色(厳密にいえば紫がかった赤かな)は目にしゅむる(しみる)ような色である。しゅむるというとツツジからくるその赤い色が目に染み入る方向になるが、また、逆方向に目から出た視線を強烈にその色に引き入れる。近づいてじっとその花の赤を見ていると吸い込まれ、その赤色の中に落ちていき、すべてがその赤にとけこみそうになる。それほどこのツツジの色は強烈である。

 いまツツジの季節を迎えている。ツツジは深山にもあるが、県内で最も交通量の多い元町交差点の分離帯の灌木として植えられてもいる。自然の深山のツツジと形や色、形態は変わることなくほぼ同じである。自然のツツジは火山の噴煙のすぐ近くまで群生を広げる。火山性の有毒ガスに強い植物である。そんなところから交通量が多く、当然自動車の排ガスも多い道路の分離帯の灌木として適しているのだろう。


 高校の漢文でよく出てくる杜甫の五言絶句でツツジは吟ぜられている 「燃えんと欲す云々、」の花は赤のツツジである。つつじを漢字で書くと躑躅、ずいぶん画数の多い文字になる。音読みで「テイチョク」といったりする(ちなみに英語では、azalea(アザレア)、化粧品会社に同じ名前がある


以下のように吟ずる

こう みどりにして とりいよいよしろく

やま あおくして はなもえんとほっす

こんしゅん みすみす またすぐ

いずれのひか これ きねんならん

2024年4月21日日曜日

エントロピとAI

  「若い時はなぁ~」、言いたくなるが、そんなに昔でのうてもええ、今から数えると五年から三年びゃぁ前まではたくさん本が読めていた。ところが最近、図書館から数冊本を借りてカバンに入れ、持ち歩いても、その本をモモグリまくるだけで(阿波弁で、いじる、もてあそぶの意味)身を入れて精読できないようになった。集中力、持続力がなくなったのを感じる。老化か、以前からあった怠惰がとうとう好きな読書にも及んできたか。ともかく趣味の読書からも離れつつあるのを感じる。こうやっていろいろな能力が衰え、趣味も興味がなくなり、それらが一つ消え二つ消えして人は死んでいくのだなぁ、と思い知る今日この頃。

 そのももぐりまくっている本は何度も借りなおして常に持ち歩いている。いったいどんなテーマの本かというと「エントロピの関係の本」と「AI、メタバース、チャットGPTなどの関連の本」、あわせて5~7冊ほどである。今日のブログはそれについて書いていこうと思っている。といってもももぐりまくるだけで精読していないから、本を理解した上での私の感想や考えは書けない。しかしなぜこの歳になって理系の若い衆(わかいし)でもちょっと理解が難しいエントロピや、棺桶に足を突っ込んでいるジジイのくせに最新のコンピュゥタ技術のメタバース、チャットGPTの概論や入門書を読む気になったか、その動機、きっかけは書ける。また本をモモグリ回している間に、本は最近集中して読む力は衰えたが、それらを取り上げた、あるいは関連した映画やテレビがあると意識してみるようになった。幸い本と違い娯楽性のある映画やテレビはまだ興味深く鑑賞できる。といってもその内容はやはり娯楽性優先なので学術的な理解を助けるというよりファンタジー性が強いSFっぽいものになっているのは仕方ない。しかしそれをきっかけに本をさらに精読する力がつけばと思ってみている。以下はそれらを含めてのブログである。

エントロピ

 60代後半のころ、ワイは70歳まではとてもよぉ~生きんわ、と思っていた(ところが今ワイは算え74!生きながらえております)。だから終活という大げさなものでなく、心構えだけでも死ぬ準備のようなものがいるなぁ、と漠然と思い、そのころ仏教の本をよく読んでいた(この頃のブログをみるとよ~わかるわ)。特にどの宗派の本ということはなく、経典でいえば「初期仏教」の解説書が中心であった。その中でもブッダの行動や教えに、もっとも心がひかれた。ちなみにブッダは他宗派の教祖はんと違い、来世のことも、死後魂は残るのか、そしてそれがどうなるかとも、一切言わなかった。ただ世は無常であり、死は誰にも避けられないものであることを身をもって教え示したのである。

 ブッダは「無常」のことをこのような言葉で述べている。「今、私の身が朽ちた車のように壊れるのも、この無常の道理を身をもって示すのである」、じゃぁ死ねばハイそれまでよ、あとは無となり空疎な永遠の闇なのか、と思うが、さらにブッダはこのようにも言っている「しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母より生まれ、食によって保たれるのであるから、病み、傷つき、壊れることはやむを得ない。肉体はここに滅びても、悟りは永遠に法と道に生きている・・云々」

 この言葉の中で私は二つのキーワードを大事なものとして抽出した。「無常の道理」と「悟りは永遠の法と道に生きている」である。後のキーワードはこれは仏教そのものの神髄であろうが、先の「無常の道理」はこれは仏教を離れても一般化できる宇宙の理法、言い換えるなら、精神世界のみならず現実(カタチあるモノの世界)の実相、それは数学に裏打ちされた自然科学つまり天文学や物理そして化学や生物学などなどの包括的な法則と言ってもいいのではないか、と、そのとき思い浮かんだのが無常の道理と被さるかもしれない「エントロピ」という概念である。

「無常の道理とエントロピはどない関連しているんやろ」

 これがエントロピについてオベンキョしようと思いついたはじめである。いくつかの入門書、概論書を借りてオベンキョし始めたが、まぁ先にもゆうたようにそれらの本をももぐりまくるが一向に読み進まないというか深まらない。心底の理解にはいまだ遥かである。読み始めてわかったが基礎知識のないワイにとって入門書や概論書だけをベンキョしてすむ話ではない。熱力学についての一般的な解説説明は入門書や概論書におおよそ書いてあるのでそれは良いとしても、エントロピを理解するうえで欠かせないのが数学の「順列・組み合わせ、統計、確率」である。これはヒンズに(別に)数学の本を借りて読まねばならない。数学をベンキョしてた学生時代なら何とかなったがもう半世紀以上もたった今、数学のオベンキョはキツイ、でも二冊びゃぁ借りてなんとかベンキョしている。しかし数学の本ばかりやっていると肝心のエントロピについての本が読めなくなる、しかし理解のためには数学が必要、うぅ~~ん、ジレンマじゃ!

 エントロピについて確率・統計的なアプローチは心底理解するうえで大事だが、そこまで(心底理解っちゅうたらえらいこっちゃ、別にワイは専門家になるわけでもなく、まぁ程よい理解でもよいと最近思っている)でなくてもエントロピーを理解する方はある。それは理想的熱機関に出入りする熱量、そして(その熱機関を仲立ちとした)低熱源高熱源の温度とその差、そして機関の仕事効率からエントロピを導き出し、それを理解する方法である。

 


この理想的熱機関は「カルノーサイクル」と呼ばれていて、物理ではエントロピを説明するのによくこのカルノーサイクルが用いられる。理系人間にはあっという間に理解できるだろうが、ワイはこのカルノーサイクルを理解するのにえっとかかった。そしてエントロピを物理的に定義するところまでは進んだが、それがイマイチよ~わからん。その意義、重要性がである。左がカルノーサイクルに出てくるエントロピの定義である。

 知ったげぇに、エントロピを一言で言うのは本の受け売りそのまま言えば簡単である。

 「エントロピは増大する一方である」

 「エントロピ増大が極限に達すればやがて宇宙は熱的死を迎える」

 「まぁ、一言でいやぁ、乱雑さの度合いじゃな、なんでもほれ、放っておくと自然と乱雑になっていくやろ、ほのことじゃ」

 ここでワイは「エントロピが増えていくことは別の面から見れば無常が極まっていくっちゅう現象じゃ」と言いたくなる誘惑にかられるが、今まで読んだどの本にもそんなことは書いていない。いまのとこワイにとってエントロピの理解は未だである。


 エントロピが出てくるおもっしょい映画ないかいな、となにげなく、パソコンで検索してみたら、ある映画がヒットした。「テネット」である。ビデオ屋に行くとあったので借りてみた。監督はこのブログでも取り上げたアカデミ受賞作「オペンハイマ」の監督・キリシタハ・ノランである。面白かったが完全に空想SF映画であり、現実にはこれはどうかな、という筋である。

 どこでエントロピが出てくるかというと、タイムトラベル、つまり時間の遡りでエントロピの言葉が出てきた。因果関係はわからないがエントロピが逆に流れる(つまり自然と減少する方に)と、地に落ちていたボールが発散した摩擦熱を吸収して地から自然い飛び上がり手のひらに入ってくる、これはまぁわかる、えっと思うのは、逆になると人が火に包まれたら火傷するのではなく、焙られたところが凍り付き凍傷になるのである。そんなのありか?そして映画の説明では、エントロピの(増大の)流れは「時間の矢」の向きを意味するため、エントロピの逆流は時間の矢の逆向きを意味する、つまり過去に遡るタイムトラベルができるわけだ。確かにエントロピと時間の向きは同じ傾向を持つ、さらに言えばエントロピの流れが時間を進めるという説もあるが、その理論を実用化したタイムマシンがあり得るものか、かなり疑問である。おもっしょかったがワイのエントロピ理解の助けにはならなんだ。

AI

 もうこの歳がきていまさらAIでもあるまいと思っていた。今まではベンキョどころかそれについての新聞記事や雑誌記事でAI関連の欄があってもすっ飛ばしていた。しかしエントロピのベンキョのためその言葉が出てくる映画を探して見たのとは反対に、ある映画を見たことががきっかけでAIに興味がわき、「AI、メタバース、チャットGPTなどの関連の本」を借りて読んでいる(読んでいるだけでベンキョというにはほど遠い


 それは左のDVD映画である。『her・世界にひとつの彼女』、初めからAIに興味があったからではない。それではなんでみたかというと、主演俳優への興味からである。この人、中年イケメン風に見えるが、以前(今年の3月6日)のブログに取り上げた「ボーは恐れている」と同じ主人公で演じているのはホアキン・フェニックスはんである。ボーのほうは小汚なげぇな、だが複雑で繊細な傷つきやすい心を持つオッサンである。「her・世界に・・」のほうは都会風のそれなりに洗練されている孤独な中年男である。キャラによってずいぶん顔のイメージも違うが、それがホアキン・フェニックスはんの魅力となっている。彼は今までにもかなりキャラの濃ゆぅい役を演じてきた。若い時は悪のローマ皇帝「映画グラデュエイタ」、やはり悪の元締め的な「ジョーカ」、そして「ナポレオン」、と同一人物とは思えぬイメージと演技である。これらは今までに見ていたので、まだ見ていなかった彼の怪演作「her・世界に・・」を借りたわけである。

 見たのは二週間びゃぁ前だが制作年は意外とふるく2014年である。こちらもテネットと同じくSF映画の範疇に入るが、見ていても「そんなことありえん!」と突っ込みを入れたくなるテネットと違い、近未来(どころか今すぐにでもあり得る)に起こるであろう話となっている。話の筋は単純である。一言で言えば、コンピュゥタ技術が作り出したパソコンの向こうにある架空の(悩みや打ち明け話も含めたおしゃべりができる)彼女と主人公の話である。先に主人公は孤独と紹介したが、パソコンの向こうのバーチャルな彼女とのコミュニュケーションによって彼は癒される以上に関係が深まるのである。つまり主人公は彼女に恋をしてしまうのである。

 悩みを聞いてくれたり、慰めたり、あるいは何らかの解決を教えてくれたり、また日々によって変わる話題、人の揺れ動く心のため脈絡もなく話題が飛んだりと、普段我々がしている雑談をコンピュゥタにやらせるというのは昔から試みられた。まさにそれはAI技術の肝と言ってもいいだろう、しかしユーザー(こちら側の生身の人間)がAIと対話しながら違和感を覚えることは度々であった。コンピュゥタはまだ未熟だったのである。逆に言うと長く雑談・対話を重ねても違和感なく、ユーザーに向こうにいるのは人間に違いない、と思わせれば対話・雑話コンピュゥタは完成したといえよう。

 この映画が作られた2014年ではまだそこまで雑談・対話型のAIは完成していなかったと思われる。じゃぁ今はどうか?AIに疎いジジイである。なんかそれについて書かれている平易な読み物はないかと探すと図書館に週刊ニューズウィクがあり、こちらがよくその雑談・対話型のAIの現状についてレポートしていた。それを読むと全く知らなんだが一年か二年びゃぁ前にオプンAIが「チャットGPT」とかいうものを作り出し、それが人間との区別のつかない対話を繰り広げられるというのだ。キャラもいろいろ切り替えができるようで、あんまし頭が良いとはいえなくもないこともないオバはんの、しょぉもない雑談から、ノーベル賞級の学者との対話もこなせるのである。そして繊細な情緒も持ち合わせている(と人に信じ込す)。もっとも重要なことは、(人間が)話した相手が、AI技術が作り出したバアーチャルな相手だとは全く思わないことである。

 もうそこまで進んでいるのかとの驚きである。とすればこの映画の対手のバアチャルな恋人の存在は、近未来でなく現代にも起こっているのであろう。映画ではハッピィエンドにはならない。驚くべきことにバーチャルな恋人は主人公とのセクスを望むのである。そしてバーチャルな恋人はその設定も行う。どないしてセスクするんぞぃ?と見てない人は興味津々だろう。まぁ詳細は言わない、見てのお楽しみとしておこう。ただ繊細な主人公はそのようなセクスは拒否する。ここで二人(一方はバーチャル恋人だが)は齟齬をきたし、しっくりいっていた関係は揺れ動いていくのだが、これもAI技術が作り出したものかと再度驚く。もう完全に(生身ではないことを除けば)一人の人間としか思えない。

 いま公共放送で夜十時遅くある連続もののドラマをやっている。題は「VRおじさんの初恋」(VRはヴァチャル・リアリティか)、数回見ただけだが、こちらは「メタバース」たらゆう仮想現実の世界に行ってその世界の人を好きになる筋のようである。さえない主人公のサラリーマン(オッサン)はバーチャルな立体映視ができる特殊眼鏡をかけ仮想現実に入っていくのである。そこでなんと自分は少女になるのである。そして「現実世界」と「バーチャル世界」。2つの世界を行き交いながら、中年サラリーマンの初恋が描かれるというのが大筋のようだが、公共放送にしてはなにやらロリコン趣味、倒錯の性世界の雰囲気が漂う。もちろんなんぼぅ深夜帯に近いっつうても天下の公共放送である、そんなそぶりはチラリとも見せないが、普通に想像力のある視聴者ならばアブナク、イケナイ世界にこうすればのめりこみ、そして幸福になれることを思ってしまう。バーチャルな世界だから犯罪にもなりにくいだろうし。

 主人公は立体映視の眼鏡をつけるだけでなく両手には多分センサーや反応機構のついた手袋をはめている。視覚だけでなく感覚や触覚も現実に近づけるためである。そうするとその世界で美少女の手を取れば、手袋状の中のセンサーや刺激機構が働いて現実に手を握る感覚が享受できるのである。しかし先ほども言ったようにこれは視聴者の想像を痛く刺激する。手に人工的な感覚を与えることが可能なら、陰茎や女陰にだってそれは可能だろう。陰茎にはサック型のセンサーや刺激機構のついた装置をかぶせ、女陰にはやはりそんな機構のついたタンポン様のものを突っ込めば、バーチャルな世界だけど、現実とほとんどかわらぬ満足できるセクスのエクスタシが味わえまんがな。アブナイ、イケナイ性世界に遊ぶ、つまり美少女とか美少年とかに対して即犯罪になるような楽しみが・・・。ジャニィズの爺さんも、まちっと長生きして唸るほどある金の力でセクス・メタバース(性の仮想現実)のAIを作りゃぁ、そこで美少年のチ〇ポを咥えようが、自分のモノを美少年のア〇ルにぶち込もうが指弾されなくてすんだのにな。いやぁ、実のところこれはドすごい時代になりましたな。倫理や道徳でどう解釈し、行動したらええのやら、混乱しますなあ、全面禁止つぅても、人知れずバーチャルに遊ぶことまで禁止することができるか。うぅ~ん。


 エントロピとAIとは直接関係ない映画だけど一昨日、イヨンのシネコンまで大枚1100円も払ってわざわざ見に行いきました。イギリス映画で題は『異人たち』です。一昨日は封切り日でしたが、思っていた通り人気のない映画で午前11時から始まったのですが、ワイも含めたった二人の観客でした。事前に予想されていた通り地味で暗い映画でした。確かに人気が出るような映画ではないのですが、それでも惹かれていったのはこの映画は、35年前の日本映画、山田太一原作脚本、大林 宣彦監督の『異人たちの夏』のリメークだったからです。30代にそれを鑑賞し、感動したいい映画だった思い出があったからです。古い映画だがそのため筋も配役もよく覚えていました。

それでイギリス映画のリメーク版も見たのです。これは「面白いから見てみなはれ」と人に積極的に薦める映画ではありません。というのも日本のオリジナルの通り、幼い時に亡くなった父母と40歳になった一人息子の出会い、そして昔を取り戻すようなしみじみとした親子愛、別離の悲しみを描いているのはその通りなんですが、オリジナルでは(この世のものではない)彼女と(両親のとの再会と同時に)出会い愛し合うのですが、イギリス版ではその恋人が若い男になっているのです。つまりゲイということになります。現代風と言えばそうなんだけれども、大昔オリジナルを見て、よかったわぁ、と思い出のある人に(もう高齢になっているでしょう)見てみなはれとはちょっと言いにくいですね。

 でもそんな古い映画の記憶もない、まっさらピンピンの若者には見る価値のある映画かもしれません。大都会のロンドンでお互い孤独を抱え傷つきながら生きていく男二人がひかれあい、寂しさや冷たさをいやすためお互いすり寄り体を温めあう(象徴的にいえばです、映画ではもっと露骨だが)ことに現代の若者はそう拒絶感は感じないんじゃないかな。もちろんオリジナル通り一方は死せる者なんだけれど、日本版とちがいこちらの恋人同士はほのぼのとした終わり方になっているのがイイ。

 とまぁ、一昨日11時ころから見始め、午後1時過ぎには見終わったんだけど、その時点でこの映画をAIと関連付けるなどとは夢にも思いませんでした。ところが見終わって図書館へ行き、今日のニュースはなんぞないかいなぁ、と図書のパソコンでヤッホーニュースを見るとこんな記事がありました。

『「パパ、ママ、会いに来たよ」AIで死者を“復活” 中国で新ビジネス』

 中国は時々とんでもないことを考えるが、これはどうなんだろう、愛していても死んだ人には触れもできないし、せめて会話でもと思っても無理、もしや夢でも見ないかと淡い期待を抱く、死んだ人にもう一度会いたいみたい、話したいという願いは切ない。でもそれは無理、だがニュースによると、あらかじめ死者についての詳細な情報を得れば、まるで生きているように死者を見ることも話すことも生前と同じようにできるのだ。AIを使ってである。それを中国ではビジネスにしてしまったのである。

 このニュースを読んだとき、さっきまで見ていた映画「異人たち」を思い出した。この映画は、まるで異界と不思議な交差が起こったかのような死んだ両親との出会いだったが、なんと現代ではAIを使えばありえぬ不思議な出来事ではなく、現実にそれは可能なのだ。35年も前は想像だにしなかったが、今はAIを使ったバーチャルだが現実感たっぷりの死者との出会いが用意されているのである。

 まぁそんなこんなで今はエントロピの本にも心惹かれるが、こちらの「AI、メタバース、チャットGPTなどの関連の本」の方が強く私の読書熱を掻き立てているのである。いま教養書である新書版のその本を二冊借りて初歩の知識を得ようとしている。今日のブログを書いたことをきっかけに気を入れて本を読んでオベンキョしょぉや。

2024年4月18日木曜日

石井の藤

  石井町の藤で見所は、地福寺、徳蔵寺、そして童学寺の三ヶ所と言われているが、山際にある前山公園の藤も見事である。今、こちらは見ごろを迎えている。

 まるで幅広い滝のような藤である。藤波というより藤滝という方がふさわしい。


 その藤滝の裏に回って見上げるとこちらは藤のシャワーである。


 今日は遠景がかすんでいる、白っぽいが黄塵黄砂という人もいるが微粒子なのでこちらの方がふさわしい)が大陸からたくさん飛んできている。そう思ってみると遠景は若干黄色がかって見える。昨日の天気解説でも、洗濯物を外へ干すのは黄塵のため控えましょうとか、外出から帰って家に入る時は服を払いましょうとか言っていた。それくらいひどいのかと思ってしまう。しかし今日は昨夜遅く四国の南予地方で発生した地震のニュースのため「黄塵」の扱いは軽くなっている。

2024年4月17日水曜日

ローカルな民俗芸能歌のある解釈

 


 私が子供の時にある門付けが回ってきていた。正月のはじめである。祖父はその民族芸能を「でこまわし」と呼んでいた。人形浄瑠璃のような人形を数人の男のでこ回しが扱い、なにか目出度い歌を歌いながらそれに合わせてデコ(人形)が舞うのである。家々をその民族芸能集団が祝福して歩いていたのである。もう私が高校に上がるころには回ってこなくなっていたのでそのころには廃れていたのだろう。大人になって民俗芸能ことについて書いた本を読むと、昔我が家に回ってきていたのは「三番叟」という民俗芸能であったことがわかった。左のような三番叟の人形であった。

 私の思い出の民俗芸能はそれくらいのものだが、ここ阿波でも場所によってさまざまな民俗芸能が昔は行われていたのである。今日、小松島港をそぞろ歩いていると、このような民俗芸能の碑が建っていた。



 「せきぞろ」とある。その言葉の語源は、その碑を読むと、「節季で候(そうろう)」、節季つまり年末でございますよ、という意味からきている。そういえばうちの祖父も年末のことを「せっき(節季)」と言っていた。そのせきぞろはここ小松島では明治の末期まではあった民俗芸能である。もしかするとうちの祖父の出里の善入寺島にもその時代まではあったかもしれない。明治末年と言えば祖父はまだ十代だっただろう。もし生きていた時に聞いたら確かめられたのに残念である。左の絵がせきぞろである。三番叟と同じで、目出度い言葉を連ね、歌などを歌いながら、言祝ぐのである。ただしこちらは年末にやって来ていた。

 その歌も碑にある


 ちょっと皆さんも読んでみてください。適当に節づけて歌ってもかまいません。どうですか?私は読み終わった後、思わず微笑んでしまいました。

 なんで微笑んだかって?これ、何を言祝ぐ(ことほぐ)のでしょうか、わたしの考えは、もうそれは一つしかありません。つまり男女の性(セクス)をことぼぎ、子孫繁殖を願うものであります。

 ♪~ししは喰わねど、とあります、古語でシシは肉体のこと、~♪~シシ喰いこえて・・とは、つまり、ふかい男女の性器の結合のことを言うとりまんな、えげつないからこれ以上の解説やめますが、〇〇〇を喰う、っちゅうたら、わかりまっしゃろ、また擬態語のゾロリャ、ゾンゾロリ~も、性器結合の、擬態語でんな。

 ♪~橋の欄干腰うちかけて~、橋の欄干つまり橋の擬宝珠(ぎぼし)はこれはもう陰茎の亀頭そのもの、それに腰を打ちかけるんですから、女性上位で肉深く入ってまんな。そして~♪~キュキュキュと立ったは~ありゃなんじゃ、ってもうそれ以外考えまへんやろ。

 ここまではワイの妄想と思われるかもしれまへんが、次よんだらはっきりしますやろ、~♪~義経はんと静かはんが・・夜も昼も抱いて寝て、とあります。これセクス以外になんぞありまっか?そして擬態語が続きますな、ヨンボリ、ヨンボリ、ヨヨンボリ、これは性器結合のある形態を表してます。烏帽子かけたる烏帽子岩、烏帽子は当然陰茎の亀頭、烏帽子岩はそうすると女体の秘所っちゅうことでしょうな、そして締めは、ゾロリャ、ゾンゾゾリ~、こりゃ愛液か精液がゾロゾロ出てくる解釈も考えられますが、最後は、目出度い、というんですから、セクスの結果、子供がゾロゾロ誕生で目出度い、とした方がええですわな。

 いやぁ~、昔の民俗芸能は性の描写もおおらかでよろしおまんな。

2024年4月13日土曜日

さんぱっちゃ

  昨日、佐古二番町の大通りを通っていると、銭湯でよく会う兄ちゃん二人が店の前に立っている。「あ、ここが彼らが働いているお店か」とわかった。自転車に乗っていたので会釈だけで通り過ぎたが、掲げてある店名が読めない。四文字の漢字で三戻生変、「なんと読むんやろ」、昨夜も銭湯であったので読み方を聞くと「サンモドリウマレカワル」という。店名にしては不思議な名前だ。


 ところでこのお店、何の店かわかりますか?大きな看板にはイラストも描いてある。これがヒントだがさて?

 イラストのおっさんが赤塚不二夫のおそ松くんに出てくるキャラのイヤミに似ているが、それはともかく、どうみてもこれは風呂屋(銭湯)の内部ではないか、しかし風呂屋ではない。右から手が伸びていてバリカンを握っているのが見えると思うが、ここは理髪店(さんぱっちゃ)である。店の名も看板もシュールすぎる。

2024年4月8日月曜日

勝浦さくら祭りに行ってきた

  我が阿波各地のさくらの満開もおおむね過ぎつつある昨日、勝浦のさくら祭りに行ってきた。先日下のような祭りのパンフをもらっていたので場所や祭りの各イヴェントについてはあらかじめ知っていた。ところで下のパンフのイヴェント(催し物)日程票を見てほしい、これで見ると4月5日にはすべてのイヴェントは終わることになっている(ライトアップのみは10日まで)、これはパンフを作ったのはおそらく冬頃と思われ、この時点では例年のように暖冬で桜が早く咲き、早く散るということを見越してのことのであった。ところが2,3月と気温が低い日が続き今年は開花が遅れたため、このパンフよりイヴェントは遅くまで続けることとなり、昨日まで盛りだくさんの催しが行われた。


 日曜ということもあり、祭り会場付近の駐車場はどこも満杯、係の人に「どっか、とめるとこおまへんか?」と聞くと、少し遠いが(上の地図の左端切れた所より少し行ったところ)小松島西高校勝浦分校の校庭に駐車できるとのことで、そちらにいって駐車した。休日で静かであったが、勝浦分校と聞いてある思い出がよみがえってきた。この分校は以前は「勝浦園芸高校」といって独立した高校であった。今から半世紀以上前、大学の時、親しくしてもらった大学事務局職員の人がこの学校出身だった。国立大学の事務職員なので国家公務員になる。高卒で採用されて私より二歳ほど上の人だった。お互い波長が合ったのだろうか、向こうが暇なときは用もないのに事務室に邪魔をしていろいろな話をしたものである。また親しくしてもらったおかげで、学割や各種証明書に便宜を図ってもらった。ただそれだけの思い出で、しかも半世紀以上も前の記憶がふとよみがえったのである。「こりゃ、なんぞ?死ぬときは走馬灯のように過去の思い出が次々浮かんでくるというが、まさか、ワイ、死期が近いんとちゃぁうんかいな」

 上の地図の左上の川沿いの桜並木を歩いた(生名ロマン街道となづけている)。多くの桜並木の満開の桜が盛大に散っているため、流れの遅い川面はところどころ堰かれてこのように水面がピンクの絨毯を広げたようになっている。右にチラリと写る美女は、この日のイヴェントの一つ、衣装やメィクでアニメキャラになりきっているオネィさんである。県の不手際で今年の徳島のマチアソビが中止になったが、ここ勝浦では代わりに開催されているようだ。


 観光のかんどり船も出ている。もちろん銭をとる。


 高曇りの空の下、桜木と空を映した水面に、あてなくたゆたう「花筏」、明日は雨、

 桜の鑑賞も今日までか。

2024年4月5日金曜日

椿とウコン桜

 徳島城公園のソメイヨシノは今日、ほぼ満開を迎えた。週末にあたる今夜は夜桜見物の人が大勢でていそうである。

 同じ公園でこちらの花も咲いているが、桜ほど目立たないので見る人はほとんどいない。

 栽培種の椿(八重椿)、枯れた樟の巨木のそばにある。たくさんの花をつけている。


 椿の野生種・ヤブツバキ


 こちらは桜の仲間ではあるが花の色が変わっている。その色の名前から鬱金(うこん)桜と名付けられている。厳密には輝くような黄色のうこん色ではなくそれに似た緑がかった黄色である。


2024年4月3日水曜日

眉山の桜を遠景に見る

  ほぼ一日雨の今日だが、昼頃、一時小降りになった。アミコビルから眉山を見るとあちらこちらが桜色になっている。もう満開に近いのだろう。雨雲の層雲が千切れて眉山にまとわりついている。雨中、正面に眉山が見える図書館の雑誌閲覧室で本を読みつつ、窓から、時々眉山の桜の遠景を見るのもちょっとした風情がある。徒然草の一節が思い浮かんだ。(写真は雑誌閲覧室から撮影した

 「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、垂れこめて春の行くへ知らぬも、なほ、あはれに情深し」

2024年3月30日土曜日

オペンハイマの映画の感想につけくわえます

  最近ボケがきたなぁ、と思うことしきりであるが、先のブログをアップした後、当時の日本の原爆開発はどないなっとんやろ、とググルの検索で「日本原爆開発、原子物理学者・・」などのキーワードを入れて探していると、ヒットしたのがなんと一年以上前の私のブログであった。書いたのを忘れての検索であった。何を書いたのかも忘れていたため読んだが、へぇ~、と自分の書いたブログで勉強させられた。日本の原爆開発についての映画の感想文であるが、オペンハイマの映画以上にいろいろあったことが書かれている。

 オペンハイマの映画を見たひとは、ぜひこちらの日本の原爆開発についての映画も見てほしい。DVDのレンタル屋で120円びゃぁで借りられます。その日本の原爆開発に関する映画の私の感想ブログはこちらです。よかったら読んでみてください。

ここクリック

 アメリカが広島に投下した原子爆弾に日本人が(もちろん戦前の)発明した技術も使われていたことを改めて知った。まぁこのブログも読んでみてください。

映画の感想 その2(前半からのつづき)

  一方、オペンハイマの内面も映画の見どころである。離婚、相手の自殺と配偶者をめぐっての彼の家庭的な苦悩も描かれているが、そんなのはまぁ誰にでもありうることでどうでもよい。やはり一番の関心は原爆製造に手を貸した科学者としての、さらに言えば「原爆の父」と称賛されるまで上った彼の苦悩である。

 最初はそのような苦悩はなかったはずである。映画でも描かれているようにユダヤ人の彼としてはナチスより一刻も早く原爆を完成させねばならないと使命感にあふれていた。それが都市部で使われた場合、前例のない悲惨なことになるのはわかっていたが、しかし彼はこう言っている、「原爆が完成すれば、戦争がなくなる」、国家どころか人類をも消滅しかねない可能性を秘めた原子爆弾の完成で、それを持てばむしろ戦争を抑止できると考えてのことであろう。後の「核抑止理論」に結び付く考えである。

 しかしそれは原爆ができあがるまでの言い訳にすぎなかったことがわかる。確かに原爆製造にかかわった科学者はオペンハイマを含めて、「威嚇のために、敵方の無人の場所で使うべきだ、少なくとも民間人の居住地では使うべきではない」との考えが多数で、政府に上申もするが、いったん完成すれば科学者たちのそんな思惑をこえて兵器として実戦に位置づけられていく。やはりな、という感想である。それはオペンハイマもわかっていたはずである。

 科学者も含めアメリカ軍・政府にはこのような言い訳もあった。「原爆を使うことにより日本の降伏が早まれば、地上戦での我が国の兵士の死傷を数十万単位で減らせられる。そもそも卑怯なだまし討ちである真珠湾攻撃で戦争を仕掛けたのは彼らである。相当の罰(つまり原爆)を受けてしかるべきである。また降伏が早まれば彼ら日本人だって死傷するのを抑えられるではないか。」

 原爆完成前であってもオペンハイマも含めた科学者の良心の疼きはあったはずである。科学者も原爆使用の決定に参与させよ、という動きもあった。しかし事実でも映画でもそのような意見があるだけで、決定権は軍および大統領に帰属することははっきり示されている。いったん完成してしまえば科学者の良心だの思惑だのは無視され軍・大統領の手に原爆は委ねられるのである。どうしても原爆使用することに科学者の良心が許さないならば、アインシュタインのように初めから開発にかかわるべきではなかった。しかし関わったがゆえの様々な苦悩があるから、その人々を取り上げ、それを映画として作れば、それは深みのある作品になるのである(アカデミー賞を受賞した)。


 映画のクライマックス1945年7月16日の原爆爆発実験の成功である。体を揺さぶられるような光と音の大迫力の爆発のシーンである。日本人の一人としてそれを見た時

「あぁ、もう広島の運命は決まった一直線に死と破壊へむかっていく」

 と悲嘆にとらわれる。しかし日本人の間には「いや、そうではあるまい、この7月16日から8月6日まではまだ間がある、もし日本がその間にチャッチャと早く降伏を受け入れてさえいれば、広島の悲劇はなかったんちゃうか。回避できたんじゃ。」ちゅう意見がある。しかし映画をよく見てほしい(キリシタハ・ノラン監督もアメリカ側の人でありながらよくこのように描いてくれたと感心するが)、映画では(事実でもそうだ)大統領・軍の確定的な意向は、1⃣ 必ず原爆は日本に使用すること、それも二発一発は衝撃を与え無条件降伏を迫るため、二発目はまだ戦争継続すればさらなる原爆使用されることをわからせるため)、2⃣ 都市は広島、小倉、長崎、新潟など決めてあること、そしてここが重要なところだが、3⃣ 日本に使用するため投下されるまでは降伏を引き延ばすこと、である。3⃣ については異論がありそうだが、映画ではかなりはっきりとその意向が描かれている。

 原爆で降伏が早まり結果としてアメリカ人や日本人のさらなる死傷が抑えられたという説についても、映画の中では疑問を呈した描かれ方もしている。戦後しばらくはアメリカでは受け入れられなかったような描き方である。現代日本人からは、この映画に対し原爆の悲惨さの描かれ方が物足りない、あるいは反核をもっと強調すべきである、との意見もあるが、私はそうは思わない。反核のプロパガンダ映画なら確かに物足りんだろうが、原爆開発者の、開発したがための紆余曲折の人生を描くドラマとしてはこの映画のような描写で十分であると考えている。

 爆発の火球に巻き込まれなくても2km圏内にいる人は爆発の光を浴びるだけで表面温度は数千度に達するのである。皮膚は瞬時にめくれ上がり重度の火傷をおう、そして次に来る衝撃波で形あるものは破壊されるのである。ふつうの想像力を働かせるだけでその悲惨さはわかる。映画でもオペンハイマが想像のイメージとして、強烈な閃光を浴びた人々の皮膚がめくれあがり炭化するほどの火傷を負っていくのが映像化され、足元には完全に炭化した人の死骸らしきものも転がる。また直接ではないが広島の惨状の映画を見るシーンがあるが、ナレーションの声で、火傷や身体的損傷は負わなくても数日から数週間の間に健康とみられていた被爆者がバタバタと死んでいくとの説明がある(放射能被害である)、オペンハイマの原爆とかかわった生涯を描くドラマとしては、原爆の悲惨さは充分伝わっている。

 この映画で私の印象に深く残ったセリフが二つある(シーンとしては三つになる。そのセリフの一つは映画の前半部での物理学者の言葉、大意は「結局、宇宙での生起は、エネルギーと確率(&統計)である」、この言葉「神はサイコロを振らない」と対置の関係にあるのか?何のことかよくわからず見逃してしまいそうなところではあるが、最近、宇宙の行方とエントロピーについての本をいくつか読み、それについて考えている私としては見逃しにできないシーンである。この意味は何なのか、それは宇宙論的な宿命を内包しているのか、この映画でのその言葉の位置づけは何なのか、すぐにはわからない。ワイの足りない頭でもちょっと考えてみたい。


 そして第二のセリフは、「われは死なり、世界(宇宙)の破壊者なり」の言葉である。これはインド古代の聖典「バガバッド・ギーター」(韻詩)の一節からの引用である。映画の中ではこのセリフは二度発せられている。最初のシーンはなんと!(オペンハイマが性交中いや前後かな、ともかくその一連のシーンで)にサンスクリット文学の話をし、そこからこの言葉が出てくるのである。その体位ちゅうんが、これまたいうのも恥ずかしながら気色エエんが、素っ裸で女性が騎乗位(上)になりながら(下はもちろんオペンハイマ)お互いの性器を結合させてエクスタシーに達しようとしているのである。前後の違いはあるが、大胆な体位での性器の結合、そして我は死なり・・、というインド古代聖典の引用は、ワイには、その映画のシーンが、ヒンズー教の男神で女神とともに性交して一体になっている神像をイメージさせた。ヒンズー教にはこのような男女結合神像がたくさんある。

 そして次に発せられる同じセリフのシーンは、度肝を抜くような強烈な光と爆発、燃え上がる炎の原爆実験成功を見た時である。同じく「われは死なり、世界(宇宙)の破壊者なり」と呟く、こちらの方はオペンハイマの伝記にもあり、みんなよく知っている。死と破壊の神の降誕を見た思いから以前読んだインドサンスクリット語の聖典その言葉が瞬時に浮かんだのであろう。こちらの方が、死と破壊の引用としてはよくわかる。そうならば、前者のシーンは、大胆な性交を繰り広げながら、なぜ死と破壊を意味するこのフレーズを引っ張ってきたのだろう?

 性交は快楽と結びつくがそれだけに終わるものではない。皆さんもよ~くご存じであるが性交はある結果を生み出す。受胎・妊娠である、これは別の表現でいえば創造である。ワイらやみんなは「子ども」を生み、儲けることのみにしかならないが、神話ではすべてを含むモノの「創造」になる、そこでは宇宙も生み出される。その性交のシーンで、なんで死と破壊の神話引用なのか、おかしいと思うかもしれない。しかしインドの聖典では、例えばシヴァ神は矛盾しているが破壊と創造の二面性を持っている。この聖典の引用文はシヴァ神に当てはまらないといわれているが、インドの神はこのような対立する性質を併せ持つものである。だから性交イコール創造の前者シーンにも、「我は死であり破壊である・・」が裏側に一体となってあるのである。創造と破壊は表裏一体である。

 これはワイが深読みしすぎたのか?いや、もしそうでないならば、あの大胆な性交シーンの前後になぜこの「死と破壊」の聖典が入ってきたのかわからない、しかし二面性のある創造と破壊の神の聖典なら納得できる。キリシタハ・ノラン監督がそのような意図を持っていてこの映画作ったのかどうかわからない。しかし、当時のトルーマン大統領がラヂヲで降伏を迫る日本に向けて発した「この爆弾は宇宙の根源的な力を使い・・」の、その根源的な力言い換えれば原子力は)は破壊のみでなく、有用な原子力利用にもなる、それは破壊ではなく創造といってもいいだろう、そこまで考えてこのような背反するシーンに取り入れたのではないだろうか(これは私の独断的な推理)

 どうもワイはインドの聖典とインドの神にこだわりすぎているのかもしれない。こだわりついでで、もう一つ言わせてほしい、この世界初の原爆実験はトリニティー実験と呼ばれている。トリニティーとはキリスト教の肝である「三位一体」という意味である。しかしオペンハイマが原爆実験にこう名付けた理由は諸説ある。映画で出てくるインド聖典では宇宙そのもの、そしてその破壊と維持、創造を担う神は、それぞれブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァである。その三つの神は三神一体と言われる、もしかするとトリニティにもそのような意味(破壊、維持、創造)が付与されて名付けられた可能性もあるのではないか。

 原爆を落としたアメリカに対して、落とされた日本としては、反省、悔悟もあって欲しいと願うのはもっともだが、過度にそのような期待をしてみない方がいい。客観的にみて、核兵器は悪であり、将来廃絶すべきであるとの意図が映画の基礎になって作られていることは間違いない。だからそのうえで科学史的にみるのもよし、政治あるいは軍事戦略的な観点から批判的にみるのもよし、また私のようにかなり偏っていると自覚しているが、インドの聖典や神話にこだわって見るのもよしである、自由に様々な観点から楽しまれるのがよいと思う、アカデミィ賞をとっただけあってみる価値のある映画だと私は思う。

2024年3月29日金曜日

話題の映画を見てきた感想 その1(前半)

 

 さっきオペンハイマの映画を見てきた。いろいろ話題になっている映画である。といっても本日が封切り日なので、一般の人が見た評判というものはまだである。しかし事前に評論家や被爆者団体あるいは関係者からは一部否定的な意見が出ていた。肯定的評価では先日アカデミィ賞をもらった(作品賞)ということがある。ワイとしたら「毀誉褒貶あい半ばする映画かな、まぁ、自分で見て確かめたらええわ」ちゅうことで早くから見ることを決めていた。

 で、一般の人であるワイが見た感想は「おもっしょかったわ」である。原爆関係映画であるのに、おもっしょかったわ、は不謹慎だろといわれるかもしれない。このおもっしょかったわ、はわくわくして楽しくなるようなおもっしょさではない。科学史の面から見る面白さである、少なくとも前半部は。そこには現代物理学を作り上げた大物が続々でてくる。顔もできるだけ似た人を持ってきているため科学史に関心のある人は映画のその人物を見るだけでおもしろい。またその大物が出ているシーンのセリフには、科学史に燦然と光を放っているその人物の発明・発見、理論のエッセンスが込められている。アインシュタインの相対性理論、ボーアやハイゼンベルグの量子論、など、そのセリフ一つ「神はサイコロを振らない」というのがある。知る人ぞ知る、量子論に対するアインシュタインの態度を表してものであるといわれている。

 アインシュタインが池のほとりで佇んでいるシーンは俳優さんが似ていることもあってちょっと感動した。理論の人でもあるが科学者の良心も代表する人である。しかしそんな彼でもナチスに先に原爆開発されるのをおそれアメリカにわたるとアメリカ政府に原爆に関する注意を促す。原爆開発に携わったわけではないが、ナチスが手にするならばむしろアメリカが先にと、考えていたのではないだろうか。そもそも彼が理論的に導き出した「質量とエネルギーは等価」であるというのを実践して見せたのが原子爆弾爆発であった。広島型原爆は1gの質量が消滅しエネルギーになったのである。原爆の使用にショックを受けたが自分の理論の正しさ(質量=エネルギー)が確かめられたのは皮肉なことである。

 チラリとしたシーンではあったが、なんとアインシュタインと数学者ゲーデルが二人並んで話しているところがある。かたや物理(言い換えるならば)宇宙における空間と時間の観念の大転換をもたらした人、かたや数学的世界ではあるが人の理性の知りうる限界を明らかにした人である。世紀をまたいでも現れるかどうかわからない知の巨人二人が対するすごいシーンであった。ただいったようにチラリとしただけで、アインシュタインの短いセリフは「彼は精神的治療をしている」という意味のことであった。ものすごい天才は夭折するか狂うのかと考えさせられるシーンでもあった。

 映画の前半はこのような科学史のお宝映像(大物物理学者とその理論のごく短い概略が詰まったセリフ)が次々出てくる。そうそう私が意外だったのはオペンハイマは宇宙論もやっていてその言及もあることである。ブラックホールの予言である。これはのちに別の人が理論的に説明し、実在がはっきりしたものになる。

 科学史のままの映画であってくれたら(現実も)よかったのだろうが、ある発見によって暗転する。映画の中でドイツのハーン博士がウランの核分裂を発見したというニュースが飛び込み、続けて、中性子をウランに当てることによって分裂したウランより膨大なエネルギーが解放されること、そして分裂と同時に飛び出た数個の中性子は次のウランの核分裂をもたらしそれが連鎖反応を引き起こし、ほとんど瞬時に全体にひろがること、それは信じられないような規模の爆発になること、がわかる。それはまたたくまに世界に広がり、原爆の少なくとも理論は物理学者の秘密でもなんでもなくなる。もちろん本家のドイツはナチスがさらに研究を進めるであろう、もちろん日本も入っている。そういえばワイの故郷ここ阿波でも戦前のSF作家・海野十三(うんの・じゅうざ)はこのニュースや研究をもとに都市全体を破壊できるマッチ箱くらいの大きさの爆弾(原子爆弾をイメージしている)を考え、科学小説に書いている。

 そこから後半部はロスアラモス研究所(というより原爆製造科学都市と言った方がいい)を中心に原爆製造に向かって邁進する所長オペンハイマが描かれる、科学者同士のすれ違い、軍、政府との思惑の違いからおこる軋轢などが描かれるが、そんなことよりワイが感心し舌を巻いたのは、アメリカという国の凄さである(別に褒めよぉわけではない)、惜しまない物量を投下し、当時の金で20億ドルの予算をつけ、また国内ばかりか亡命者も含め海外から核物理学者などの学者、技術者を集め、それを組織化し、原爆開発の工場をつくる(なんと史上初めての原子炉まで作りプルトニュームというおまけまで造るが)。当時の日本どころかドイツでさえできないだろうと思われる。

 理論的に考えられていたものを具体化したのが「原爆」である。こんな方法で誕生させたのは原子爆弾が初めてじゃないだろうか。すべて物理・数学でキッチリ計算され、予測されたものを莫大な物量・資金の投下し、科学者および技術者の知恵によって完成させたのである。

その2(後半につづく)

2024年3月28日木曜日

讃岐・五色台

  数日前、松田聖子さんが中央大学法学部通信制課程を終えて卒業したというニュースを見た。大学の通信課程で学ぶ人はけっこういるが、元々大学を卒業していて、その上で資格が欲しい、例えば教員免許、福祉資格、司書、学芸員などの免許資格を取るため開設されている資格取得過程に入って一年ほどで終了する人が大多数である。卒業まで勉強する通信生は少ない(原則四年以上かかる、多くの単位を取得せねばならないなどのため)。だから聖子さんが卒業までこぎつけ、学士号を取得したニュースを聞いたときは「努力したんだなぁ」という感想をまず第一に持った。

 毎日大学へ通う普通課程と違い、通信課程は延べ1か月程度のスクーリング(面接授業)を除けば、大学から配布されるテキストなどでの独学である。そしてその教科に応じた課題のレポートを作成し、大学へ単位に応じた数のレポートを出さねばならない。そしてレポートが認められ、なおかつその教科の最終試験が合格して初めて単位が取得できる。そのような独学形式であるため、家事や仕事にかまけてついつい勉強を先延ばしにすれば当然、レポートの作成提出が覚束なくなる。結局、卒業課題(昔は卒論と言っていた)までたどりつけるどころか卒業要件の124単位以上を取得できず挫折する人(途中でやめる)が多くなる。

 通信制課程の大学を卒業するのは、よほど強い意志をもって独学をコツコツ続けることが必要とされる。くじけそうになるのをサポートしてくれるのは、面接授業での教師や学友との交流、あるいは通信大学生の学習会や交歓会である。

 実は私も半世紀ほど前に通信制大学で在籍し学んでいたのである。専攻は日本史であった。卒業(学士取得)までめざしていたが、やはり挫折しそうになった。しかし最後にはなんとか卒業できたのは、一年にのべ1か月ほどある大学本校でのスクーリング、その中での先生や学友たちとのコミュニュケーションで励まされたからである。また時々開かれる四国地方での学習会・交歓会に参加し皆と話しできたことも力になった。

 昨日、友人の車でドライブした。行く先は香川の五色台である。台地上の山でかなり広い。上には札所三ヵ寺もあるうえ、さまざまなスポーツ娯楽施設もある。行く動機は、朝から久しぶりの快晴だったこと、展望が素晴らしく瀬戸内海の島々の風景を見たかったこともあるが、半分の動機は、この五色台のある施設で半世紀前、上述した通信課程大学の交換会・学習会が泊まり込みで開かれ、その思い出の場所ということで、懐かしさがあったことである。そのある施設名も思い出せないが、青年の宿泊センターのようなところであった。(ユースホステルとか青年会館のような)、半世紀もたった今、その施設はなくなっている。

 半世紀前の五色台のその施設について思い出すと、台地上になった南の崖近くの建物だった記憶が朧ながらにある。今の五色台の鳥瞰図をググルマップの3Dで見る。

 方位から見ると五色台の台地上の山塊の南のほうの崖近く、讃岐国分寺を見下ろせるあたりじゃなかっただろうかと不確かながら推定している(推定位置を矢印で示している)。そこで一泊の学習会交換会が開かれた。徳島から中古の360ccの軽四に乗り、高速などもない時代、国道や細い山道を運転しながらはるばるとやってきた。ほとんどの学生は顔も知らない、年齢も社会の階層もバラバラ、ただ通信生という一点だけの仲間である。

 その思い出は学習会の内容についてはほとんど残っていないが交換会での内容は今でも思い出す。一緒に夕食をとった後、大学から来ていた職員が司会し、レクレーションなどをやった。これは普通の大学で行われているような学生同士のコンパと同じようなものである。季節は11月末だった。歓談やレクが終わった後、就寝のため部屋に向かったが、そこはユースホステルような二段ベットの集合寝室である。就寝時間が来てもいろいろな話題で同室のみんなと話がはずんで、しんしんと冷え込む秋の夜長をほとんど寝ずにすごした。

 歳ぃいくとこのような半世紀も前のほんの少しだけ残っている懐かしい記憶が、わざわざ友人を駆り立てて(現在私は車を持っていないので)行く動機となるのである。友人はこのブログを読むまでこんな動機が半分あったことも知らない。

 さて以下は昨日の五色台での撮影写真と動画である。言ったように半世紀前の場所は思い出せないので、今どうなっているかは知るすべもない。

 まず八十八か所の札所「白峯寺」を参拝した。


 この寺は十年ほど前に来たことがあった。しかしこの寺の近くにある崇徳上皇の御陵は参拝したことがなかったのでそこへ行った。老体には石段がきつかった。


 眺めがいいといわれる多島海、その多島海ではエーゲ海なんどが有名だが、それに劣らず瀬戸内海の島々と海の風景は美しい。(といってもエーゲ海がどんなんやら行ったことないから知らんわ!


 五色台の北向の端あたりに五色台のホテルがある。そこの展望喫茶で風景を見ながらしばしくつろぐ。下の動画はホテル展望喫茶からの眺め