2026年5月20日水曜日

阿波の中世の城ぶらぶら散歩 その4 国実城、鳥坂城、矢上城

 国実城 4月12日に見学

 中世~戦国時代にかけての近藤氏の城館と思われるが詳細は不明、JR下浦駅からすぐ近くなのでその伝承地の写真を撮ってきました。

下の祠周辺がその地といわれている。



鳥坂城 4月12日に見学

 石井町にある気延山から北へ派生した標高75mの茶臼山に築かれている。鎌倉期に阿波国・淡路国・土佐国の守護となった経高が阿波国の拠点として築いたが、 承久の乱の後は佐々木氏に代わって小笠原長清が阿波国守護となり、長清は佐々木氏の籠る鳥坂城を攻め佐々木氏を排除した。

 登り口にこのように城の表示はあるが、城館跡とみられる山中では明確な城の遺構は確認できなかった。


矢上城

藍住町矢上にあった中世から戦国末にかけての城館で、矢野氏の居城と伝えられる。天正10年(1582年)土佐の長宗我部軍の阿波進攻に対する勝瑞本城の最前線としての城館であった。遺構として明確なものはなく、場所は正法寺橋の北側一帯といわれている。

5月9日バスで行ってきました。矢上バス停で降りて南に少し行くと、正法寺川が流れ橋が架かっています。この辺りだろうと見当をつけ、取った写真です。この左岸あたりが矢上城跡とおもわれる。



阿波の中世の城ぶらぶら散歩 その3 芝原城、桜間城、島田城

  もう一ヶ月以上前ですが、4月13日に自転車でぶらぶらと徳島~国府~石井にかけて中世の古城めぐりをしてきました。

芝原城 徳島市国府町芝原にあった城(もちろん中世の城ですから城館です)

 平山城で築城主は久米氏、廃城年は1553年(天文22年)

遺構は残っていません。このあたりにある八幡神社や蔵珠院あたりがその城館の跡といわれています。

八幡神社


蔵珠院


この蔵珠院にはサザエの泉(まいまい井戸とも)があります。螺旋の石畳をおりて井戸の水を汲んだようです(今は枯れている)


桜間城 徳島県名西郡石井町にある「桜間城跡(さくらまじょうあと)」は、平安時代末期頃の平城跡です。桜間氏の城館といわれています。現在は遺構は残されていません、町指定史跡「桜間神社」や「桜間の池跡」が残されている。

桜間神社遠景、横を流れるのは飯尾川

桜間の池の説明

現在の桜間池(昔はもっと広かった)

島田城 徳島市南島田町にあった「島田城(しまだじょう)」は、室町時代から戦国時代にかけて存在した平城(城館)です。遺構は残っておらず、また城主や歴史は不明です。しかし中世の小規模な領主の居城、あるいは城館であったと考えられています。

建造遺構や石垣などは発見されておりませんが、伝承地として南島田の「両八幡神社」がその城館跡とみられています。

両八幡神社、蔵本駅西踏切から歩いて数分

その場所の鳥瞰図 

 

2026年5月17日日曜日

黒い薔薇?

  先日(5月9日)藍住町を古城跡を探して歩いていると、バラ園があり見物客でにぎわっていたので、私も(入場無料もあり)見学してきた。

 まるで牡丹のような大輪のバラ、目に染みるような真っ赤なバラ、他、黄色、青、白など色とりどりのバラが咲き誇っていた。その中でも、私が一番みたいと思っているのは「黒い薔薇」、はたしてそんな花があるだろうか。


 植物は本当の意味で「黒色の花」が無いことは知られているが、紫や赤のうんと濃いのは黒く見えたりするので「黒い色の花」とも言われる。4月初めころに咲くチューリップ(北島のチューリップ公園)に黒といわれるチューリップがある。下がそうである。確かに黒といってもいい花である。


 それではバラはどうだろうか?ずっと見て歩いて行く、なかなか黒っぽい薔薇には出会わない。そしてほぼ見終ろうとする花壇の奥の方に「黒真珠」という品種のバラがあった。黒というからかなり黒いのか。これが一番黒に近い濃い色だが、黒というにはちょっと?まぁ部分的には黒と言えないこともないかなぁ。黒真珠は『ブラックパール』といわれるが、映画「パイレーツオブカリビアン」の黒の帆船を思い出した。



阿波の中世の城ぶらぶら散歩 その2 住吉城跡

  城といっても城館と言った方がいいだろう。後の江戸期でも国持ち大名は天守、石垣、櫓、堀などある立派な城を持っていたが、一万石~三万石程度の大名はそんな城ではない。「陣屋」と称した城館であった。

 藍住ゆめタウンの近くに住吉神社があり、その付近である。1585年蜂須賀氏が豊臣秀吉から阿波の領地を賜ったのはみんな知っているが、阿波一円が蜂須賀氏のものになったのではない。一円支配ではなく阿波板野郡住吉あたりの一万石は播磨の名族赤松の子孫・赤松則房が領有したのである。その時の城館跡である。その後、赤松氏は一万石大名として江戸時代まで存続はせず、やがて阿波一円は蜂須賀氏の領有するところとなった。つまり蜂須賀藩に吸収されたということか。

 赤松氏本家は足利六代将軍義教を弑逆したため滅ぼされるが、旧臣の働きもあり、八代義政の時代に本家は赤松政則が後を襲い復活する。下が赤松政則の肖像画である。この住吉城の城主となった赤松則房はその子孫になる。


 5月9日に行ってきた。田園地帯にある平城である。説明板が住吉神社近くの八坂神社の横にある。


 そこから数十メートルいった畑の中に舘(城館)跡と伝えられる塚がある。

2026年5月13日水曜日

阿波の中世の城ぶらぶら散歩 その1

  少し間が開いた久しぶりの投稿です。後期高齢者になり、いろいろの面でかなりの衰えを自覚するこの頃です。今年になって、体のアッチャコッチャにときどき鈍痛を感じたり、日によっては「せこぉ~い」(しんどい)日があったりで、以前と比べると体が一段と老化したと感じています。ブログをこれからも書き続けようと思い、ネタも(暇はたっぷりあるので)うろうろ歩いてためていますが、書く気力も衰えているというか、何もせず暇になると虚脱感、脱力感におそわれ今日までブログの更新がのびてしまいました。

 さて、今年に入ってから、県内の古ぅ~いお城を、ぼちぼち、ぶらぶら巡っています。江戸期にはご存知のように「一国一城令」が幕府から出され、この阿波藩は渭津城 (いのつじょう・現代の城山)一つのみとなりますが、中世(鎌倉~室町~戦国時代)には、ここ阿波では100以上の「中世の城」がありました。中世の城は、石垣やそれで囲った堀、そして高層櫓や天守などのある近世城郭とは違っています。中世の城は土塁、土掘などで囲まれた土豪の住居兼戦闘のための本拠、あるいは天然の要害の川、山などでかこまれた砦のようなものでした。だから屋敷城(やしきじょう)や(やかた)とも呼ばれていました。

 イメージすると下のようなものでしょうか


 先月(4月11日)、自転車で回った城を紹介します。

高畠城(吉野町・柿原)、土塁も堀跡も何も残っていない。このような表示があるのみである。近くに川が流れている。戦国末、中富川の合戦で討ち死にした高畠氏の城であると伝わる



郡城、上の高畠城から1kmほど行ったところにある。創建は南北朝時代まで遡るといわれている。柿原氏の居城、やはり近くに川が二筋流れており、守りやすい要害の地だったのだろう。


 そこから北西へ数キロ離れたところにあるのが
秋月城、南北朝から室町初期に阿波守護だった細川氏の拠点の城であった(後に勝瑞城に移る)、阿讃山脈の麓扇状地にあり、吉野川水系、そして阿讃の谷筋から讃岐~瀬戸内へとつながっていて、今では考えにくいが、要衝の地でもあった。

 それから南へ転じ、吉野川の川島潜水橋を渡り向かったのが川島町にある
上桜城、戦国末、阿波史では有名な篠原長房氏の居城・山城、四国山地の中腹にあるため、ここからは吉野川流域の里、上記の三つの城の場所も一望できる。

 



 上桜城跡からの眺め

2026年4月21日火曜日

童学寺の藤

  例年より一週間ほど藤の盛りの時期が早まっているというので、石井の藤の名所「童学寺」の藤棚を見てきました。確かに今が真っ盛りのようでした。藤棚の下では藤の花の香りが漂い、それに引き寄せられ蜜を吸う「アブ」がうるさいくらい藤房にまとわりついて舞っていました。



2026年4月11日土曜日

日の出

   朝、庭へ出ると、ちょうど地平線から朝日が昇るところだった、午前5時43分。天気予報では今日は快晴、最高気温は夏日以上(25℃)になるとのこと。


 庭の雑草が勢いよく伸びだした。高齢になっての手での除草作業はキツイ、もう無理。除草剤を撒こうかなと考える。