昨日(12日)、中林海岸へ行ってきました。8月に阿南市の淡島海岸へ行きましたが、そのすぐ南にあるのが中林海岸です。両海岸を隔てるのはちょっとした岬で、中林海岸へ行く道は、岬の丘を越えるため、これもちょっとした峠になっています。
淡島海岸から中林海岸へ行く峠道から撮った写真、8月に行った淡島海岸が見えている。
中林海岸の全景動画、岩石のみの小島が見えているが「猫島」の名前がついている。
淡島海岸から中林海岸へ行く峠道から撮った写真、8月に行った淡島海岸が見えている。
中林海岸の全景動画、岩石のみの小島が見えているが「猫島」の名前がついている。
早朝、墓参りした後、家に帰って洗濯。秋分は統計的に毎年曇りから小雨が多いが、今日は快晴で洗濯日和である。洗濯物を干した後、午前中はゴゾゴゾして時を過ごす。昼すぎ洗濯物は充分乾いたので取り込み、それからどこか札所へお参りしようと考える。昨年のブログを見ると秋分の日には立江寺へお参りしている。その数年前はまだまだ元気だったのか、切幡寺まで自転車で出かけている。今はちょっと無理だ。私はバスのフリー定期『ながいき定期』を持っているのでバス路線のあるところの札所はバスで楽に行けるが、残念なことに切幡寺への路線はない。
今年は近くで自転車で行ける札所・藤井寺にした。私が小さい時、明治生まれの祖母と一緒に傍系の祖先の墓のある切幡寺へ毎年のようにお参りに行ったが、その時、悪天や都合で切幡寺へ春分や秋分の日に参拝できないときは、近くの藤井寺へ参拝してもよいと言っていたのを思い出した。祖母は藤井寺といわず親しみを込めてお寺のことを「ふじっさん」と言っていた。
最短コースをとらず、ちょうど彼岸の時期でもあるのでヒガンバナの咲いていそうな飯尾川沿いの道をとって藤井寺に向かった。
飯尾川沿いに咲く曼珠沙華(ヒガンバナ)
それから藤井寺に着き、参拝を済ませる。下は山門と本堂
本尊・薬師如来、真言、「オンコロコロ、センダリ、マトゥギ、ソワカ」
一昨日のブログにハマゴウの香りが嗅げなくて残念と書いた。機会があれば、また(行って今度は香りを嗅ぐ)、とも書いたが、今年になって物忘れが一段と進んだ。いつかなどどと悠長に構えていては、そのうち忘れてそのままになってしまう可能性が高い。そこで思い切って今日、再び一昨日の場所に出かけた。
砂地に這うように自生し、薄紫の花をつけている。
香りを嗅ぐため今回は採取した。
自生している群落のまわりを見ると、一昨日見たときより心なしか花が少なく、実が目立つようになっている。ハマゴウは夏に花を咲かせ、秋に実がなる植物である。ここ数日で枯れる花が多くなり、そのぶん結実し始めたのであろう(実はまだ青い)。遠くに大鳴門橋が見える。
花、実、茎、葉、の各部を少し揉んで香りを嗅いでみた。
一番香りが強かったのは「実」、そして次に「葉」、花と茎はほとんど匂わなかった。さて、私の鼻が感じた香りであるが、表現するとしたら、ミントやハッカのようなさわやかな香りで、ミントやハッカよりマイルドかな。確かに、香料として名が知れているので芳香であることには間違いない。
今年は例年にない暑さで、まだまだ暑い日が続いている。九月も中旬になろうかというのに今日も32度の最高気温を記録した。昔の人は「暑さ寒さも彼岸まで」といったが、暑さが治まるのも次月くらいまで後延ばししなければならないだろう。だから彼岸の入り頃から、野山のそこかしこに、ある日を境に赤い色の派手な花であるヒガンバナ目につき始めるが、それも暑さのせいで後に伸びるだろうなと思っていた。
ところがである。今日、例によって自転車であてどもなくさまよっていると、ほとんどが緑色一色に近い夏草の中に、パッと目立つ大輪の真っ赤な花が目に入った。彼岸花である。私の大、大、大、が三つくらいつくほど好きな花である。日本人は一般的に桜の花が好きである。桜が好まれる理由はいくつかあろうが、その中でも花期が季節に合い、その花期も短いことがあげられる。ところがヒガンバナはその名の示すように季節感にもぴったり合い、その花期も彼岸頃と短いにもかかわらず。桜のようには親しまれない。
親しまれないどころか、(今の時代はそうでもないだろうが)私の子どもの頃は露骨に嫌がられた。小学校低学年の頃、野山に咲き誇るこのヒガンバナを、時代劇に出てくるお姫様の真っ赤な美しい簪(かんざし)のように感じて、いく輪か手折って家に持ち帰った。するとそれを見た祖母から、縁起が悪い花だから捨てなさい、といわれた。そういえば子ども同士でも「あれは葬レン花じゃ」といっていたようにおもう。手折った茎から立ち上る酔うような香りとともに、なんでこんなにも美しい花を・・子ども心に理不尽に感じた。
それからは花を手折ることはなかったが、いつだっただろうか、これも小学校時代と思うが(昭和14年に流行った)「長崎物語」の一番目の歌詞に、♪~赤ぃ~花なぁら~、曼珠沙華~~♪がある、誰か私の身近な人が歌ったのをおぼえたのか、だれかに歌を教えられたのか、今となっては定かでないが、花を見るとその歌のそのフレーズを歌った。その癖は今でも続いている。
それから飛んで、高校時代、特に私の好きな教科は日本史であった。その高校時代の日本史の教科書の副読本である「日本史史料集」の中に、「ジャガタラ文」を発見し、それが実は私の子供時代から歌っていた長崎物語の歌のもとになっていることを知った。
鎖国が始まった江戸初期、長崎で生まれたヨーロッパ人とのハーフである「お春」が、クリスチャンであることとハーフであることを理由に国外追放され、その後、遠い異国の地から望郷の念を切々と訴える「ジャガタラ文」と呼ばれる手紙を日本に送る、その文を日本史史料集の中から発見し、読んだときには、文に込められたお春の気持ちと、歌い知った長崎物語の歌詞が同調し、目が潤む(うるむ)くらい心が動かされた。以下その原文
「千早振る 神無月(かんなづき)とよ、うらめしの嵐や、時雨(しぐれ)とともに、いづくともなき海の原に踏み迷ひ……」(あぁ恨めしい嵐と時雨のなか、どことも知れぬ大海原へと迷い出てしまいました……)「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」(あぁ、日本の国が恋しい、ゆかしい、一目見たい、見たい見たい……)
なるほど、長崎物語は1~4番まで歌うと、そのお春の悲しい物語となっているのである。以後私は曼珠沙華を見るとそのお春の悲運を思い、その花の前で必ず歌うようになった。ちなみに今でもフルの歌詞で最後まで私は歌える。
今日野原の中に一点の赤い花が・・・
近寄ると、あぁ~私の好きな曼珠沙華だ
探すと、数メートル離れたところにもう一輪が・・・
一年のうちでわずかなこの期間だけしか曼珠沙華は見られません。さぁ、歌いましょう(藤圭子さんの歌です)
小鳴門橋を渡り大毛島に入りすぐのトンネルを抜けると海が見えてくる。そのあたりは『竜宮の磯』と呼ばれている。その近くでバスを降りて海の方へ歩いた。
浜から少し行った海中に見えている磯が竜宮の磯だ。足だけを浸すばかりでそこまで行けそうだが剣呑なことはしない方が良い。
このあたりの海を見ると中世歌謡「閑吟集」の切ない歌が思い出される。
身は鳴門舟かよ、阿波(逢は)で漕がるる(焦がるる)
人買舟は沖をこぐとても売らるる身をただ静かにこげよ船頭殿
一つ目は恋に身を焦がす歌、二つ目は安寿と厨子王の説話に出てくる人買い船にのせられ売られる身を嘆いた歌
その近くに、鳥取砂丘ほどではないが砂丘と呼んでもよいような砂の丘があった。
薄紫の可憐な花をつけた海浜植物がそこかしこに自生している。写真に撮り帰って調べると「ハマコウ」というしそ科の植物である。ハーブのようなよい香りがするそうだ。ネーミングの由来は、浜の香(はまのこう)から来ている。その時は香りのある植物とは知らず、どんな香りか嗅げなかった。ちょっと残念、また行く機会もあろう。
日が変わった深夜、先ほどパソコンを開いていて最新のニュースを見ると、森本レオさんの訃報の知らせがあった。特にファンではなかったが、私が三十代末から四十代初めにかけて、プウ太郎してて全国をふらふら旅していた頃(昭和から平成に変わる頃だ)、ユースホステルに何度か泊まったとき、幾人かの女性から「あなた、森本レオに似てるわね」と言われたことがあった。
森本レオはその当時、女性に人気のあった芸能人であったため、そういわれて気分がよくなった。そのあとも、旅先で知り合った女性何人かに「オレ、森本レオに似てるって言われたけど、似てる?」とこちらから聞いたりした。反応は「そういえば、にてるわね」と肯定的な答え、ますます気分がよくなったことを覚えている。まぁ、それをネタに不埒な行いなどはしなかったが、女性に結構モテた森本レオ似というのは、私にとっては名誉なことであった。
そのレオさんが亡くなった。ご冥福をお祈りします。
下が森本レオさんの写真(左は近況、右は中年の頃)
そしてこれがオイラの30歳後半から40にかけて、プー太郎やってた時、似てますか?