2026年3月5日木曜日

スマホと翼山

   

  今月でガラケイ(携帯電話)のサビスが終了して使えなくなるので、しぶしぶ、いやいや、スマホを持ちました。私はワープロ時代からだともう40年ちかくもうち叩くキーボゥドに慣れ親しんでいるので、このスマホのタッチパネルは好きになれません。スゥワイプじゃの、なんたらだのゆぅて、いろいろスマホのタッチパネルの愛撫の仕方があるようですが、その愛撫というか指の力の加え方じゃの手の滑らし方の違いがよ~わかりません。二回に一回は押し間違いをしてやりなおします。先月から持ってますが、なんどブチ切れそうになって叩きつけようと思ったか。

 若い衆みたいにスマホを自在に操ろうとするからイラつくもするし、癇癪も起こすのだと思い返し、とりあえず3つの機能だけで使うことにしています。「無線電話機能」「メール機能」、「ニュスと天気予報を知ること」です。

 下がワイのスマホです。


 今日、また翼山温泉に行ってきました。何回か行ったのですが、前から気になっていたことを温泉のスタッフの人に聞きました。

 「翼山温泉というネーミングは、翼山という山にちなんでいると思うのだけれども、どの山がそうですか、温泉から見えますか?」

 確かに翼山はこの引田町にある特徴的な山で、町内では温泉以外にも公民館やその他の施設のネーミングにも使われているそうである。その「翼山」という名から、多分、鳥が羽を広げた形になっているんじゃないかと思ったのですが、ネットで調べるとやはりそうでした。下はネットに張り付けてあった正面から見る翼山です。どうです、鳥が翼を広げているように見えますか?鳥と言っても、200m近い高さのある山ですから、小さな鳥ではなく、中生代にいた翼竜のプテラノドン、または怪獣映画の「ラドン」が翼を広げていると見た方がいいでしょうね。

 「たしかに空飛ぶ怪獣ラドンが地上に降り立ち翼を広げているようにみえるわ」


 しかし、温泉からは正面ではなく、横から見るようになるので上のようには見えませんでした。聞くと引田の漁港の方が正面に近いというので、帰りに引田駅でバスを降り、漁港に近い小学校の跡地から撮影したのが下の写真です。上の写真と比べると正面よりすこし左に寄っているようです。

2026年2月28日土曜日

河津桜を見に行った

  佐那河内村に今日、河津桜を見に行きました。写真と動画を貼っておきます。



動画

2026年2月25日水曜日

京都人の密かな愉しみ・洛中洛外図屏風より

 

 「京都人の密かな愉しみ」といっても、国営放送でやってるドラマ『京都人の密かな愉しみ』には全く関係ありませんし、現代でもありません。だから正確に言うと「中世の京都人の密かな愉しみ」かな。もう少し時代を狭めれば室町後期、将軍でいうと12代の義晴はんか13代義輝はんの時代。

 なんでそんな大昔の京都人の愉しみがわかるのか。それがわかるのです。その理解のもととなっているのが『洛中洛外図屏風』、原色で描かれた京都の町の風俗図となっているので、中世の京都人の生き様、風俗を知るうえでこの上ない史料となっています。

 さてこれからその風俗図をみて「密かな愉しみ」を知ろうと思うのですが、最初に断わっておきますが、密かな愉しみといっても、「何か」に幽玄・枯淡を味わう上品な「密やかな愉しみ」ではありません。品性下作にできている私ですから、密やかな愉しみときいては、すぐ性的なことを思い浮かべましたので、率直にそちらの方を、洛中洛外図で探してみました。

 今だと「性的な密かな愉しみ」なんどといえば、その半分以上は性犯罪になってしまうかもしれない。別の言い方をすれば性的な密かな愉しみは「危ない楽しみ」になってしまう。しかし、中世はそんなことはない。まぁ、これ以上ゴチャゴチャゆうよりまずは洛中洛外図よりそれを探してみましょう。


遊女との愉しみ

 この一画は中世京都の遊女街である。近代でも昭和33年までは赤線があり、それまでは売春が行われていたが、以後罰せられるようになった。ただそれ以後もすぐにはなくならず、赤線地帯は違法売春地区として存在した。他所は知らないが、ここ徳島の秋〇町の場末では今もって細々とその伝統を守って営業を続けている。その伝統だが、戸口にたたずむ女、遊客を口説き落とそうとする女、しかし時としては道行く遊客を強引にひっぱってくる、そして交渉成立かはたまた無理やりか、いずれにしても室へ男を導く女の姿態なんどは、500年以上前の中世末の上記の風俗図と変わらない。

 上図の遊女を見ると、どれも白粉で化粧してそれなりに美しい赤いおべべを着ているが、全員美女揃いではないようだ。客をとっ捕まえ早くも腕を回している遊女を見ると、顔も体も、男より倍以上あるのではないか。女プロレスラーにつかまったカマキリ男か。なにやら恐ろしげぇなセクスが室で展開されそうだが、そこは男と女、他人が推し量れない「密かな愉しみ」があるのかもしれない。石臼のような大女に上に乗られて責められて、ぐぇぇぇ~、苦しぃぃ、じゃがもっとやってぇ! 


稚児との愉しみ


   

   

 




この愉しみは現在では凶悪性犯罪、幼児強姦は数十年の懲役刑、しかし中世の京都ではおおっぴらに行われていた。主に寺院の僧侶が身近に男児を弟子としてはべらせセクスの対象とした。仏教では、出家者は女性とのセクスを忌避したため、その代償として男児をセクスの相手としたという説が有力だが、武家でも稚児は性的に可愛がられたため、たんなる代償ではないだろう。主人と従者、先輩と後輩、師匠と弟子、兄貴分と弟分、なにか特別な絆を求める性的な衝動が両者にあったのだろうか。その絆は言葉や気持ちの上にとどまらず、まさに体を合一することにより高められたのだろう。

 上図で先頭を行く白面の若者が後ろを行く禅宗の僧侶の稚児、つまり性的な愉しみの相手、額に銀杏形の前髪をたらすのが特徴。この幼児との性愛は「稚児灌頂」という儀式に昇華され(?)ている。その絵巻(史料ですぞ)を見たが、幼児が受け身の赤裸々な肛門性交の描写があり、本人また両人にとっては密かな愉しみかもしれないが、私も含めた他人には見たくない想像したくない密やかな儀式(愉しみ?)である。


男同士ガチの愉しみ

 現代では幼児性愛はどのような条件でも許されざる凶悪性犯罪だが、成人男性同士の、相思相愛、つまり同意の上での性愛・セクスは違法でもなんでもなく、むしろ明治以降、男性同性愛が抑圧される方向にあったが、今では大いにその自由度が増している。

 もちろん中世京都でも稚児愛・小姓愛ほど広まらなかったが、男同士ガチの愉しみはあった。ただこれが稚児愛・小姓愛のようにおおっぴらにできたか、また非難されるものではなかったか、については、浅学の私には何とも言えない。ただ、咎を受けるようなものではなかったことは確かである。これこそ(男同士の)「密かな愉しみ」であったかもしれない。

 上図をよく見ると、男同士が手をつないでいる。先を行く男が引っ張っているようにみえる。ただならぬ雰囲気が漂っているようにも見えるが、二人の表情を見ると、嫌な表情ではない。後ろの男はむしろなにやら期待して喜びをかみしめているようにも見える。そう見ると、先を行く男は、一刻も我慢できず、せかすように、しかし、後ろの男を気遣いながら、手を引いているように見える。この辺りは大通りではなく、狭い路地である。どこかすぐ近くの目当ての家に急いでいるようだ。そこにしけこみ、間髪を入れず、むしゃぶりつくのだろう。

 幼児性愛の場合、ほとんどは幼いほうが受け身となるが、成人男性ガチの性愛だと、どちらがタチ起ちから来ている、つまり勃起の男性器をぶち込む方)か、はたまたネコ受け身で、たいてい肛門性交だが、口の場合もある)か、はっきりしない、状況によってタチとネコが逆転したりもする。しかし上図の場合、せかしている先に立つ男がまさにタチで後ろの細面の優しそうな男がネコとみるのが自然であろう。腰にぶら下げている袋にはもしかすると「ふのり液」(海藻から作った粘り気のある潤滑剤で、これにより肛門性交がスムーズになり快感が増す)が入っているのかもしれない。これから二人だけの密かな愉しみが待っている。

2026年2月24日火曜日

青春18きっぷの思ひ出

 

 青春18きっぷは昭和58年から存在する。学生の春休み、冬休み、夏休みの期間中にあわせて発売され、5回まで全国の国鉄(現在は各JR)の普通列車が終日乗り放題となるものである。

 これを私が知ったのは昭和の末年(昭和63年1988年)ころだった。一日乗り放題切符が五枚がセットになっていて、8000円という安さだった。期間中はセットをばらして任意の日に五回(五枚)使えた。生来放浪好きの私には、安さといい、時刻表が許せばどこまでも(普通車だが)行くことができるし、ちょっとしたあてどのない旅をしてみたいとおもうには、もってこいの切符であった。

 この年、私は38歳で、「青春18(きっぷ)」の旅というにはあまりにも薹が立ちすぎていたが、気持ちは青春18のつもりで、購入し、何日かにわたる「旅」を楽しんだ。泊まるところも安く上げるため「ユースホステル」を選んだ。最初は四国からわりと近い九州や近畿、そして40歳を迎えるころまでには、舞鶴発小樽着のフェリーと青春18きっぷを組み合わせ、北海道までの普通列車の旅を二度も楽しんだ。さすがに1セット五回のフリー切符では足りず、2セット分の青春18きっぷを購入した。それでも日本海航路の三等フェリー運賃と組み合わせで、どの方法よりも安く北海道を旅できた。

 そして今、令和八年、私が使わなくなって久しいが、今でも青春18きっぷはあるにはある。しかし、五枚を切り離しては使えなくなり、5日間連続での一回使用のみとなった。これでは私の住んでいる四国からだと、九州や近畿、少し遠いが北陸、東京あたりまでは普通列車の旅ができても、北海道旅行までは無理ではなかろうか。そう考えると、いい時代に青春18きっぷを使えて北海道まで旅をしたなぁと、今、駅に張ってあるポスターを見ながら思う。

 その駅ポスターであるが、今年の春の青春18きっぷのキャンペェィンポスターって、なんか見覚えあるぞ!とおもってよく見ると、これ、徳島線の穴吹川橋梁をディジェル列車が走っている写真である。遠くには剣山系の山が見えている。

 もう半世紀近く前、「いい日旅立ち」という言葉と歌が一世を風靡したなぁ、ま、一度、青春18の旅をしたいなぁ、「いいぃ日ぃ~、旅立ちぃ~、過ぎ去りぃし、日々の~、夢を、叫ぶぅとぉ~き~」 しかし現実は・・・あの世への、いい日旅立ちを願う身となったわ


 青春18の思ひ出1、北海道宗谷岬


 青春18の思ひ出2、サロマ湖あたりの原生花園


 青春18の思ひ出3、九州の山奥、某(幻のユースといわれた)ユースホステルで

2026年2月23日月曜日

蔵本駅付近の旧跡・神社

 

今回紹介するのは三か所です。①蔵本城跡 ②蔵王権現神社 ③塩竈神社

下に地図で位置を示しておきます。


蔵本城跡

 蔵本駅のすぐ裏、ほとんど鉄道敷地に隣接している。旧城跡といっても遺構は全く残っていない。と言うことは大規模な石垣や土壙、堀などはなく、田宮川の流れを堀に利用した中世の領主館のようなものだったのだろう。戦国時代の終わりとともに廃城となったようである。今はこのように祠と解説版があってこの位置が旧城跡であったと知られる。


蔵王権現神社

 大きな神社ではないが、推定樹齢800年にはなろうかという大樟の神木がある。蔵王権現は修験道の神様である。

 神社と大樟



塩竈神社

 近年、元の位置より50mほど西に移転している。製塩や海事の神様である。ちょうど今の時期椿の花に囲まれて祠型の神社が二つある。一つは船戸神社の神か? 



2026年2月20日金曜日

ある花を見てのジジイの回想

 

 次の花を見てほしい。何の花かおわかりか?

 拡大図


 二軒屋駅の踏切のすぐそばの家から、まさにこぼれんばかりに鉄道沿線、道にはみ出て、満開に咲き誇っていた。これは「ミモザ」の花。今、私はブログで知ったげぇに書いているが、ミモザという実際の花を見たのはわずか数年前で、神山のしだれ桜を見に行っていた時、沿道に咲く黄色い花の灌木が、「これがミモザの花じょぉ」と教えられたからである。

 「そうかぁ~~、これが、ミモザの花かぁぁ~」

 その時、ちょっと懐かしい感慨にふけったのを覚えている。しかしその後、豪華絢爛たる素晴らしい「しだれ桜」の森を散策したため、それ以上はミモザについて考えることもなく、忘れてしまっていた。それが昨日、二軒屋駅から「ふれあい健康館」(ジジババの福祉娯楽施設のようなもの)に歩いていく途中、上記の写真にあるミモザの花を再び見たのである。

 ミモザという名を知ったのは高校2~3年生の時であるからもう60年近くになる。それは雑誌『平凡パンチ』に連載されていた(北原武夫作)「ミモザ夫人」という名からであった。その時はミモザという名が花にちなんでいるとは知らなかった。雑誌連載小説であるミモザ夫人も読んだことはあるが、今までその内容が記憶に残っているものはなかった。しかし高校生の私にはかなりインパクトのある名として記憶に刻まれている。

 これは内容は詳しく覚えていなくても、当時の純情な高校生にとっては読んではいけないエロティックな「官能小説」であることがわかっていた。そもそも連載雑誌の「平凡パンチ」が成人男性向けのそれも、おピンクやエロで味付けされた(エログラビヤ、桃色写真なんども多く入った)雑誌で、当然当時の高校生が読むようなものではなく、学校に持ち込み先生に見つかればかなりやばいことになるいわば禁断の雑誌である。

 しかしそのような雑誌に興味津々となるのも思春期を迎えた男子高校生である。私は買ったりしなかったが、クラスの友達の幾人かは父親かまた本人が買ったのかそれを学校に持ち込み、みんなで回し読みしたりした。私も都のおこぼれに預かり、よく読ませてもらった。1960年代頃の高校生にとって、性的刺激を受けるメディアは極めて少なく、その中で平凡パンチは数少ない、気色の良い性的刺激を与えてくれるものであった。内容の写真、イラスト、文章にさえ、勃起をもたらす刺激となった。全くもって今どきの高校生が聞いたら「お笑い」にしかならないほど淡白で薄い性的刺激素材であった。その中にタイトルがミモザ夫人という官能小説があったわけである。それが私の頭にミモザと言いう名の刻まれた初めである。


 踏切横の零れ落ちるように咲くミモザの花をよく見てみた。黄色い小さな可憐ともいうべき花が沢山群れるように咲いている。これがなんで「ミモザ夫人」という官能に溺れる女性の名になったのだろうとちょっと不思議な気がした。大輪で派手な花や匂いのキツイ花なら納得もしようが意外である。帰ってからミモザの花ことばを調べた。第一に友情、愛情が来て、秘められた愛、と言う言葉も並んでいたから、この連想から小説家はミモザ夫人としたのだろうか。





エピソード


 ワイが28歳の時公開されたアメリカ映画「エイリアン」、面白くて一作目から全作見ていたがこの作品に、ちらっと上記の雑誌「平凡パンチ」が出てくる。女主人公のリプリーがアンドロイドに襲われるのだがその時、アンドロイドが持っていたのが何故か日本の雑誌平凡パンチであった。これも今回ネットで調べるとその雑誌は昭和53年3月20日号で表紙が木之内みどりだったことがわかった。

2026年2月19日木曜日

フレイル

 

 某スウパの回廊を歩いていると、下のようなポスターが貼ってあった。見出しに曰く、『知ってまっか?フレイル?』

 「うんにゃ、知らん!」「なんぞいなぁ~」

 たちどまってそのポスターの意図するところを読む。あぁ、これ高齢者に対する注意喚起だ。この大見出しに書かれている「フレイル」とは、高齢者に対する心身の健康上に関する新しくできた術語であろう。いままでに全く聞いたことがなかったから、フレイルという術語、最近できて周知せしめるよう広告し始めたのだろう。

 よく読むとなるほど、来月に(はめでたく?)後期高齢者に仲間入りするワイが納得できることばかりである。最近のワイは、これといった重い病気ではないが、なんとなく体の力が入らない、歩くのに覚束なさが増してくる、体力もそうだがもっと深刻なのが何かをする気力が落ちてくる、ボォッとしている時間が多くなる、そういえば好きな食べ物だったものもそう食べたいと思わなくなり、食欲もかなり落ちてきている・・そんなことを思うと、このポスターに書いていある「フレイル」という言葉が、現実味を増してくる。

 カタカナ語の「フレイル」というのを見たときからこれは英語が語源だということがわかっていたが、そもそもの英語のfrailとは「もろい、はかない」ということである。それを高齢者社会で増えてきた、病気でもない、介護認定者でもない、その一歩手前の心身とも弱って来ている老人に対する術語として、フレイルがカタカナ語として定義されたのであろう。

 フレイルという語を周知するだけでなく、このポスターにはその予防策も書いてある。三本柱となっている。①栄養、②運動、③社会参加、なるほど、そりゃそうだ!

 じゃけんどなぁ~、ワイのような独居老人で偏屈、さらに75年間の厳しい風雪にさらされ歪みすぎてこんぐらがった性格になったジジイには、この三本柱を満足に実行するのは難しい。このポスターでは三本柱と言いながら、よく見るとその横に「口腔ケア」の大切さを訴えてもいる、と言うことは四本柱ともいえる、じゃがこれも、「もうすぐ死ぬんだから」と言う言い訳のもとに、歯科治療をズゥ~~と行ってこなくてボロボロの歯になったワイには痛い注意喚起である。

 ワイには「フレイル」ちゅう言葉より「ピンコロ」が一番いいが、そううまくいくか。