2026年7月8日水曜日

今日は何の日 明日は何の日

 


 昨日7月7日は誰もが知ってる「七夕」だった(私のブログにもアップした)。そして今日はダジャレのようだが、「質屋の日」である(左の図は江戸時代の質屋)。7月8日を「しち(7)、や(8)」と読むのである。その話は今日友人から聞いた。そこで明日、7月9日もきっと何かの「日」になるに違いないと思い。ネットで調べる前にまず私が予想してみた。

 7と9か?単純に語呂でいうと、ナ・ク(泣く)つまり「泣く日」となる。まさかなぁ、そんな日なんぞ制定するはずはなかろう。で、ネットで調べてみた。するとなんと!本当に明日は「泣く日」として制定されているのである。いったい泣く日とは何を意味する日なのか。ネットにはその趣旨も説明されていたが「感情を豊かに表現しストレスを和らげることを目的とした泣く日」なのだそうである。まぁ心理学でいうところの「カタルシス」っちゅうやっちゃな。

 7月9日は他にも制定されている。「腸内環境を整える、おなかキレイの日」だそうだ。これは7月9日を三桁の数字079として、0・、7・か、、9・リーン(きれい)、という語呂になるそうだ。乳酸菌飲料の会社の販売促進に資するような日じゃなかろうか。

 なにやらふざけた言葉遊びみたいな制定過程である。そこで私もふざけ半分に独自に考えた。7月9日をシャックリの日とする、と。語呂合わせはシャックリの擬音語「ヒック、シャック」のヒックをとしたのである。

 これは私しか認めないシャックリの日だ。まさかこの日に限らず「シャックリの日」なんぞある筈がないだろうと思い、ネットに聞くと、なんと!日本にはないがアメリカには「シャックリの日」というのがあるそうだ。ナショナル・ヒックアップ・デイ(National Hiccup Day)というそうである。Hiccupはご存知英語でシャックリの意味である。3月16日となっている。


 ところで「ヒック、シャック」の擬音語で思い出したことがある。大昔、私が小学校の高学年くらいの時だから昭和35か36年、に藤山寛美主演の時代劇捕り物帳「しゃっくり寛太」という白黒テレビドラマがあった。推理が終わり犯人の目星がついたとき、シャックリが起こり、事件は解決に向かうのである。それで「しゃっくり寛太」といわれるのである。その主題歌はたしか橋幸夫さんが歌っていた記憶がある、そのフレーズはうろ覚えだがヒック、シャックのぉ~、しゃっくりぃぃ~、かんんん~たぁ~と歌っていたようだ。

 今、ヨウツベ、ネットでその歌を探したが、題名がヒットするのみで、その歌、歌詞とも全く情報が途絶えていた。

2026年7月7日火曜日

今日は七夕

  ここのところずっと雨の日が続いている。今日も朝から今にも降りそうな曇り空、低い乱雲が前山の上部付近にわだかまっている。

 昼近くになって薄日が差してきたが、スッキリしない空模様である。こんな空だが、今日は7日、「七夕」の日である。昔、子どもの頃、歌った歌に ♪~笹の葉サァラサラ~軒端に揺れる~お星さま、キィラキラ、金銀砂子~、とあるが、このぶんでは今夜の夜空はお星さまキラキラ金銀砂子(銀河・天の川)とはいかないであろう。

 そもそも7月7日頃は梅雨の時期であるから、美しい星空を眺める可能性は低い。それというのも7月7日を七夕(星祭り)として太陽暦の7月7日で祝うからである。本来は陰暦の7月7日が七夕である。この陰暦7月7日は今年は太陽暦では8月19日である。だいたい毎年8月上旬から中旬にかけてが陰暦の七夕となる。この頃は梅雨も終わっており、太平洋高気圧に覆われ暑い晴天が続くことが多い。夜にはいっても晴天は続く、だから涼しさの感じる夜、星空を見ながら七夕を祝うのである。

 とわいえ、イベントとしての七夕祭りの飾りである「笹の葉飾り」は今日7月7日に行われている。わが町の駅前通りもこのように七夕飾りをしている。短冊には地元の子供が願いをいろいろ書いているようだ、達筆になるよう、あるいは音楽などの技芸が上達するように祈るのが祭りの趣旨であるようだが、春秋に富む子供や若い衆ならいいが、老い先短いこのジジイに達筆じゃの技芸が上手になるじゃのは関係ない。それよか「長患いせんとポックリ逝きますように」とか「失禁だ脱糞だ、それオシメじゃと、下のトラブルにならんうちに楽に死ねますように」がジジイの願いじゃ。

2026年7月4日土曜日

初めてスマホから撮った写真をパソコンに取り込んだ

  一昨日列車に乗ったら下ろしたてのまっさらピンピンの新型車両だった。下浦駅で降りたときにホームからスマホで撮影した。


 さて、今までブログに挿む写真は、デジカメか使われなくなったガラケーのカメラ機能を利用して撮影したものだが、今日、上記の新型車両の写真は、初めてスマホのカメラで撮ってブログにアップしたものである。

 スマホで撮影した写真はスマホ内にたまる一方で、それをブログに使いたいが、どうしたらブログに取り込めるかわからなかった。というのもブログはすべてパソコンから作っているから、結局のところ、パソコンにどうやってスマホから写真を取り込めるか、といいうことに帰するのである。(厄介なことにスマホとパソコンのググルアカウントは違っている

 若い人なら何だそんな簡単なこと!といわれることでも、このジジイには難問となる。しかしよくしたもので、そのスマホに質問すればその方法・手順を丁寧に教えてくれた。試すと難なくスマホの写真ホルダーからパソコンのググルフォトに取り込めた。で、今日ブログで早速その写真を使ったわけである。

 下の写真もさる6月11日、鳴門・大毛島の潮明寺のアジサイをわがスマホで撮影したものである。


2026年6月30日火曜日

美味しそうな県木の実

  今日で6月も終わり、一年の半分が過ぎた。体力気力の衰えもあり更新が間遠くなっている。先ほど更新した前のブログ(今日6月30日)は、前月5月10日に散策した古戦場だ。6月は体調不良もあり、ブログにアップできるようなこれといった場所には行っていない。6月中に散策と言っていいのは小松島の立江八幡宮のあたりを歩いたことである。写真の日付を見ると6月15日となっている。

 八幡宮の境内は奥行きが広く、大きな神社である。「阿波花火発祥の地」という表示が境内にあった。


 境内にはおいしそうなヤマモモが実った木があった。このやまももの木は我が県の「県木」である。

阿波の中世の城ぶらぶら散歩 その7 中富川の合戦

  ちょうど今週の大河ドラマで、土佐の戦国大名の長宗我部元親信長から四国全土の征服を承認されるシーンが出てきますが、その征服の最終段階としての合戦が、阿波の国の当時の政治の中心地であった勝瑞城の近く、中富川のほとりで戦われた合戦です。長宗我部に対するのはわが阿波の戦国大名の三好氏一族及び諸将でした。結果は長宗我部軍の最終勝利となり、三好氏一族(十河)は敗れ讃岐に逃れます。

 今回の「中世の城ぶらぶら散歩」は古城めぐりでなく、古合戦場巡りとなります。まず当時の古戦場跡及び古城あとの地図を下に示します。


 破線矢印の進路が長宗我部軍で川を対して向かい合っているのが阿波の三好氏一族及びその諸将の軍です。

 中富というバス停で降りました。


 西へ向かって歩くと旧吉野川の堤防、そして旧吉野川が見えてきます。



 その手前、今は畑となっているところが中富川の古戦場とみられているところです。


 地元の人に聞くと、農地整理する前、昭和の初めころには、古戦場であったことを示す供養塚か?小塚があちらこちらに点在していたようですが、今は全くありません。

2026年5月31日日曜日

阿波の中世の城ぶらぶら散歩 その6 板西城、新居見城

 板西城 板野町

 5月22日に散策してきました。城址であるが明確な遺構は残っていない。言い伝えや地名の分析によりこのあたりではなかろうかというところの中心に現在地蔵堂が立っている。


 その入り口に板西城址の説明板がある。


新居見城 小松島市新居見町

 5月30日に行ってきました。南小松島駅から南へてくてく歩くと芝生川(しぼう)を渡りますが、その川を上流に向かって進むと新居見城址の小山があります。ここも明確な遺構は残っていない。板西城は平城、新居見城は山城である。


 その山のすそに城址の石柱が立っています。説明文も彫ってあります。以下のようなことが書かれています。『平安時代末期に近藤六家親が在城しており、源義経を先導して屋嶋に攻め入ったと云われている。その後、近藤六親家は板西城主となっていたが子に恵まれなかったため赤沢兵庫頭宗定に板西城を譲り新居見城へ移った。戦国時代には赤沢氏が城主で、天正10年(1582年)三好方として中富川合戦で戦った』

 近藤氏そして赤沢氏は、板西城、新居見城の城主と重なっているようである。


 芝生川は思っていたより川幅があった。30cm近い大きな亀が何匹もいる。外来種のアカミミガメ(みどりがめ)だ。そして川沿いに列をなしてさいている黄色いコスモスに似た花は外来種のオオキンケイギクだ。私が子どもの時の昭和三十年代は亀も野生の菊も在来種ばかりだった。60年以上経て環境も変わり植生も変わっていった。日本文化の基盤である風土がどんどん変わっていく。これからの日本はどうなっていくのだろうか。


2026年5月25日月曜日

季節の花 花菖蒲

  助任にある蜂須賀家菩提寺・興源寺横の公園に花しょうぶの花がきれいに咲いているというので見に行ってきました。これは花菖蒲とのことですが、よく似た、というか私には違いが全く分からない花にアヤメ、カキツバタがあります。まぁ違いは専門家に任せ、これから梅雨にかけて咲くこれらの花を愛でましょう。あ!今、(あやめ)とパソコンに打って変換をおすと「菖蒲」と漢字が出てきた。ということは、アヤメと花菖蒲(ショウブ)は同じなのかなぁ?

 有名な和歌を思いだし口ずさむ

  五月雨に 沢辺のまこも 水こえて いずれあやめと ひきぞわずらふ (源頼政



 水辺の花しょうぶと噴水、これからの季節、見るだけで涼しくなるような風景だ。


 ここの公園には十数代にわたる阿波藩主の墓もある。有名なお二人のお墓を紹介します。

十代藩主蜂須賀重喜公の墓、吉川英治作「鳴門秘帖」の小説・映画・テレビで有名なのはこの人


今年の大河ドラマで秀吉兄弟を助ける子分のような役、野武士風のキャラの蜂須賀正勝の墓、彼は藩祖である。