2026年3月22日日曜日

いの川ぞいの水仙

 

 石井町のいの川の土手に植えられている水仙を見てきました。水仙といっても日本原産の日本水仙ではなく洋水仙です。ニホンスイセンに比べると大輪で黄色の色が鮮やかです。土手に沿って延々2km近く植えられています。今が真っ盛りです。天気が良く風もないので端から端まで歩きました。写真ではわかりませんが水仙の甘いちょっと酔うような独特の香りが漂っていました。


 東の端から撮る


 西の端から撮る


 ギリシア神話の絵画より

 水仙は水辺の美少年の美しさが昇華した花といわれています。見物の中に美少年を探しましたが、ここでも少子高齢化でしょうか、見つかりませんでした(美少年ナルキッソスと片思いの少女エコー、この後ナルキッソスは自己愛のエクスタシーのため水仙の花に化身する

2026年3月20日金曜日

春分の日

 

 今日は春分の日、先祖供養のためどこかお寺を、と思い、地蔵菩薩さまが本尊の立江寺へお参りに行ってきました。私が小ンまい時は切幡寺へ祖父母に連れられてバスで行ってお参りしていましたが、しかし切幡行のバスもとうの昔に廃止になり、また自家用車も持たない現在、列車とバスで行ける立江寺にしました。

 少し手前のバス停、旧遍路道入り口で降り、江戸初期の巡礼僧「真念はん」がたどったいわゆる真念道を歩きました。椿、早咲きの桜、その他の花々が道を彩っていました。写真右上に見えている白い花は白木蓮。


 立江寺

2026年3月11日水曜日

助任川沿いの蜂須賀桜

 

 今朝は霜が降りるほど寒かったが日中は穏やかな晴天となった。城山の助任川沿いの蜂須賀桜も満開を迎えていた。すこしぶらついて写真を撮影した。



 城公園の機関車展示の前にある椿のトンネルの椿も花をつけているが桜にくらべると花の数は少なく、艶のある葉っぱの方が目立っていた。

2026年3月9日月曜日

下浦駅の裏に城跡を示す表示があった

 

 下浦駅の裏に城跡を示す表示があった。轟城跡らしいが、聞いたことのない古城名だ。ネットでみても詳しいことはわからず、城主は近藤氏ではないかということと戦国末にその居城であったらしいということだけである。下の写真のように城跡を示す石柱が数メートル隔てて二本立っているのみで、説明も何もない。



 この周りを広く歩いてみたが、石垣、土塁、堀などの跡は見つからなかった。すぐ近くを飯尾川が流れているが、その土手から撮った写真が下、城跡は周囲より若干高くなっている。そばの飯尾川の流れを利用して堀をつくり、微高地を利用して城郭を作ったのだろうか。(写真の右上方土地が少し高くなっているあたり一帯が城跡


 地図(赤丸が轟城跡)

2026年3月5日木曜日

スマホと翼山

   

  今月でガラケイ(携帯電話)のサビスが終了して使えなくなるので、しぶしぶ、いやいや、スマホを持ちました。私はワープロ時代からだともう40年ちかくもうち叩くキーボゥドに慣れ親しんでいるので、このスマホのタッチパネルは好きになれません。スゥワイプじゃの、なんたらだのゆぅて、いろいろスマホのタッチパネルの愛撫の仕方があるようですが、その愛撫というか指の力の加え方じゃの手の滑らし方の違いがよ~わかりません。二回に一回は押し間違いをしてやりなおします。先月から持ってますが、なんどブチ切れそうになって叩きつけようと思ったか。

 若い衆みたいにスマホを自在に操ろうとするからイラつくもするし、癇癪も起こすのだと思い返し、とりあえず3つの機能だけで使うことにしています。「無線電話機能」「メール機能」、「ニュスと天気予報を知ること」です。

 下がワイのスマホです。


 今日、また翼山温泉に行ってきました。何回か行ったのですが、前から気になっていたことを温泉のスタッフの人に聞きました。

 「翼山温泉というネーミングは、翼山という山にちなんでいると思うのだけれども、どの山がそうですか、温泉から見えますか?」

 確かに翼山はこの引田町にある特徴的な山で、町内では温泉以外にも公民館やその他の施設のネーミングにも使われているそうである。その「翼山」という名から、多分、鳥が羽を広げた形になっているんじゃないかと思ったのですが、ネットで調べるとやはりそうでした。下はネットに張り付けてあった正面から見る翼山です。どうです、鳥が翼を広げているように見えますか?鳥と言っても、200m近い高さのある山ですから、小さな鳥ではなく、中生代にいた翼竜のプテラノドン、または怪獣映画の「ラドン」が翼を広げていると見た方がいいでしょうね。

 「たしかに空飛ぶ怪獣ラドンが地上に降り立ち翼を広げているようにみえるわ」


 しかし、温泉からは正面ではなく、横から見るようになるので上のようには見えませんでした。聞くと引田の漁港の方が正面に近いというので、帰りに引田駅でバスを降り、漁港に近い小学校の跡地から撮影したのが下の写真です。上の写真と比べると正面よりすこし左に寄っているようです。

2026年2月28日土曜日

河津桜を見に行った

  佐那河内村に今日、河津桜を見に行きました。写真と動画を貼っておきます。



動画

2026年2月25日水曜日

京都人の密かな愉しみ・洛中洛外図屏風より

 

 「京都人の密かな愉しみ」といっても、国営放送でやってるドラマ『京都人の密かな愉しみ』には全く関係ありませんし、現代でもありません。だから正確に言うと「中世の京都人の密かな愉しみ」かな。もう少し時代を狭めれば室町後期、将軍でいうと12代の義晴はんか13代義輝はんの時代。

 なんでそんな大昔の京都人の愉しみがわかるのか。それがわかるのです。その理解のもととなっているのが『洛中洛外図屏風』、原色で描かれた京都の町の風俗図となっているので、中世の京都人の生き様、風俗を知るうえでこの上ない史料となっています。

 さてこれからその風俗図をみて「密かな愉しみ」を知ろうと思うのですが、最初に断わっておきますが、密かな愉しみといっても、「何か」に幽玄・枯淡を味わう上品な「密やかな愉しみ」ではありません。品性下作にできている私ですから、密やかな愉しみときいては、すぐ性的なことを思い浮かべましたので、率直にそちらの方を、洛中洛外図で探してみました。

 今だと「性的な密かな愉しみ」なんどといえば、その半分以上は性犯罪になってしまうかもしれない。別の言い方をすれば性的な密かな愉しみは「危ない楽しみ」になってしまう。しかし、中世はそんなことはない。まぁ、これ以上ゴチャゴチャゆうよりまずは洛中洛外図よりそれを探してみましょう。


遊女との愉しみ

 この一画は中世京都の遊女街である。近代でも昭和33年までは赤線があり、それまでは売春が行われていたが、以後罰せられるようになった。ただそれ以後もすぐにはなくならず、赤線地帯は違法売春地区として存在した。他所は知らないが、ここ徳島の秋〇町の場末では今もって細々とその伝統を守って営業を続けている。その伝統だが、戸口にたたずむ女、遊客を口説き落とそうとする女、しかし時としては道行く遊客を強引にひっぱってくる、そして交渉成立かはたまた無理やりか、いずれにしても室へ男を導く女の姿態なんどは、500年以上前の中世末の上記の風俗図と変わらない。

 上図の遊女を見ると、どれも白粉で化粧してそれなりに美しい赤いおべべを着ているが、全員美女揃いではないようだ。客をとっ捕まえ早くも腕を回している遊女を見ると、顔も体も、男より倍以上あるのではないか。女プロレスラーにつかまったカマキリ男か。なにやら恐ろしげぇなセクスが室で展開されそうだが、そこは男と女、他人が推し量れない「密かな愉しみ」があるのかもしれない。石臼のような大女に上に乗られて責められて、ぐぇぇぇ~、苦しぃぃ、じゃがもっとやってぇ! 


稚児との愉しみ


   

   

 




この愉しみは現在では凶悪性犯罪、幼児強姦は数十年の懲役刑、しかし中世の京都ではおおっぴらに行われていた。主に寺院の僧侶が身近に男児を弟子としてはべらせセクスの対象とした。仏教では、出家者は女性とのセクスを忌避したため、その代償として男児をセクスの相手としたという説が有力だが、武家でも稚児は性的に可愛がられたため、たんなる代償ではないだろう。主人と従者、先輩と後輩、師匠と弟子、兄貴分と弟分、なにか特別な絆を求める性的な衝動が両者にあったのだろうか。その絆は言葉や気持ちの上にとどまらず、まさに体を合一することにより高められたのだろう。

 上図で先頭を行く白面の若者が後ろを行く禅宗の僧侶の稚児、つまり性的な愉しみの相手、額に銀杏形の前髪をたらすのが特徴。この幼児との性愛は「稚児灌頂」という儀式に昇華され(?)ている。その絵巻(史料ですぞ)を見たが、幼児が受け身の赤裸々な肛門性交の描写があり、本人また両人にとっては密かな愉しみかもしれないが、私も含めた他人には見たくない想像したくない密やかな儀式(愉しみ?)である。


男同士ガチの愉しみ

 現代では幼児性愛はどのような条件でも許されざる凶悪性犯罪だが、成人男性同士の、相思相愛、つまり同意の上での性愛・セクスは違法でもなんでもなく、むしろ明治以降、男性同性愛が抑圧される方向にあったが、今では大いにその自由度が増している。

 もちろん中世京都でも稚児愛・小姓愛ほど広まらなかったが、男同士ガチの愉しみはあった。ただこれが稚児愛・小姓愛のようにおおっぴらにできたか、また非難されるものではなかったか、については、浅学の私には何とも言えない。ただ、咎を受けるようなものではなかったことは確かである。これこそ(男同士の)「密かな愉しみ」であったかもしれない。

 上図をよく見ると、男同士が手をつないでいる。先を行く男が引っ張っているようにみえる。ただならぬ雰囲気が漂っているようにも見えるが、二人の表情を見ると、嫌な表情ではない。後ろの男はむしろなにやら期待して喜びをかみしめているようにも見える。そう見ると、先を行く男は、一刻も我慢できず、せかすように、しかし、後ろの男を気遣いながら、手を引いているように見える。この辺りは大通りではなく、狭い路地である。どこかすぐ近くの目当ての家に急いでいるようだ。そこにしけこみ、間髪を入れず、むしゃぶりつくのだろう。

 幼児性愛の場合、ほとんどは幼いほうが受け身となるが、成人男性ガチの性愛だと、どちらがタチ起ちから来ている、つまり勃起の男性器をぶち込む方)か、はたまたネコ受け身で、たいてい肛門性交だが、口の場合もある)か、はっきりしない、状況によってタチとネコが逆転したりもする。しかし上図の場合、せかしている先に立つ男がまさにタチで後ろの細面の優しそうな男がネコとみるのが自然であろう。腰にぶら下げている袋にはもしかすると「ふのり液」(海藻から作った粘り気のある潤滑剤で、これにより肛門性交がスムーズになり快感が増す)が入っているのかもしれない。これから二人だけの密かな愉しみが待っている。