瑞祥について・アルビノを考える
天文・地象を「見る」のは最近は研究のためだと思っている人が多いが、本来はそうではない。そもそも「みる」という言葉は、幅広い意味を包含している。seeという「見る」から、「考えて-みる」、『確かめて-みる」、「試して-みる」、「やって-みる」などがある。
天文・地象現象を「みる」とは単に見るのではなく、そこに未来・運命を「みる」のである。特に天文現象については、天球上をあっちこっち行きつ戻りつ不可解な動きをする「惑星」があり、また時たま「彗星」などが現れ、変数が多いだけに人の未来、運命と深くかかわっているものと考えられ、占星術が生まれ発達していった。
しかし地象(天文とは反対の地上の現象とでも解釈ください)は、天球上の星々の動きのようにまるで数学の多元高次方程式を解くようなものではありません。だいたい経験から繰り返されるであろうことが予測できる現象や一回こっきりの異常現象、を見ることであり、それはたとえ如何に不思議なものであっても独立した単純な現象が普通です。この点で多くの変数をもてあそべる占星術とは違っている。
このため地上界でおこる不思議な現象については、「兆し」として捉えられることが多い。2つあって、めでたい(吉として)きざし、と不吉なきざし、である。
今日は吉事としての兆しをとりあげる。
めでたい兆し、めでたいしるしとして「天」が感応して下界に下す現象を我々は「瑞祥」と呼んでいる。
いろいろあるが、古代史上よくある「瑞祥」は「白い雉」「白い亀」「白い鹿」「白い熊」「白蛇」など普段はない「白色」の動物の出現である。
これはアルビノ(白子)と呼ばれ、遺伝的な発現と考えられている。メラニン色素を生じさせない遺伝子の為である。低い確率ではあるがどの生物にも起こる。もちろん人にもあり、この場合、純粋の日本人ではあっても、金髪、青い目、透けるような白い肌の容姿となる。
「白いカラス」なぞシャレにはなるが白子・アルビノは生物界での生存競争は厳しい、目立つため天敵に襲われたり、仲間同士でも異質なため排除されたりで、生存は極めて厳しい。容姿が自分と著しく違っているモノについては容赦がない。
この白子・アルビノの発現はある意味で突然変異とよく似ている。その発現率、同種でありながらも外形の異常性、遺伝的変異など。
人間のいじめでもそうだが、極端に目立つ外形の異質さはどの生物でも排除されるのがふつうである。
ところが人間は、アルビノをめでたい兆しとしてみる。これはなぜだろう?
わたしは、遠い人間の祖先から受け継がれてきた「突然変異(mutation)」に対する畏怖がそうさせたのではないかと思うのである。
人としての進化の道のりは険しいものであった。その時期は氷河期と重なり、多くの枝分かれした人類になり損ねた種を絶滅させた。その中でちいさな突然変異はある確率で生まれたに違いない。多くは役に立たないか、不都合なものであっただろうが、100に一つは有用なものであった。小進化である。
しかし、猿から人類への進化は地質学的時間からすると極めてスピードが速い。そこには知能を持った旧人類だからこそできた「有能な突然変異」を守り育て、遺伝子として残そうという人為的な選択があったのではないかと思っている。
その数々の突然変異を積極的に受け入れ有能なものに仕上げ子孫に残した旧人類の子孫が我々なのである。
だからアルビノをめでたいしるしとして受け取るのは、遠い遠い過去に絶滅に瀕しながらも、突然変異に未来を賭け、それを希望として守り育てたわれわれの奥の奥の記憶から来ているのではないのだろうか。
七曜について
いやあ、全く知らない驚きがありました。七曜(日月火水木金土)は平安時代からあったんですね。それ以上に、その七曜の組み合わせが延々今まで続き、一度も間違うことなく今に連続しているというのですから仰天です。
平安貴族の日記に曜日が記されていて、それを今の曜日から遡って行けば、狂いなく繰り返し連続しているのがわかるそうです。以後、庶民の間では廃れましたが、暦の専門家の間では受け継がれ今日に至っています。江戸の暦法の専門家も使っていたそうです。
ということはですよ、七曜の二つ、日曜と月曜、は西洋でも太陽と(sun)、月(moon)から来てますよね。名前もそのものの日も一致してますよ。西洋の日曜日と平安朝の日曜日が一緒なんて???
これって、偶然の一致?不思議じゃ。と思ったら
やはり、東洋そして日本もこういう天文、星のことははるばるメソポタミア・エジプトの影響を受けてたんですね。唐の時代だそうです。
8世紀に奈良の正倉院にはペルシャや中東の文物が納められて現在に至ってますから、曜日、あるいは占星術もやってきたのもうなづけますね。
ただ日本独自なのは、日月以外の5つには東洋の五行思想が入ってることです。木火土金水。
日本は文化でも驚くべき古いものが残る国です。こんな1000年以上前から由緒ある七曜が連綿と残っています。ちなみに中国では天一二三四五六、と数えるそうです。味気ないね。年号があるのも今や日本のみです。韓国は日本と同じ七曜ですが、日本の植民地だった文化の遺物です。彼らはあまりおおっぴらには言いませんが。
参考になったリンクを貼り付けておきます。
http://www.kcg.ac.jp/kcg/sakka/koyomi/youbi.htm
http://www.ffortune.net/calen/calen/fromqa/qa103.htm