2025年3月7日金曜日

われても末にあはむとぞ思ふ

  寒い時、銭湯はいいもので、家の貧ちょこまい浴槽に比べるとずいぶん温もるし、湯上りして時間がたってもホカホカしている。また顔見知りや、親しい人どうしがなんやかやと喋ったりする湯中の風情は、体ばかりでなく心まで温かくする。

 昨夜、30代の若い兄ちゃんが入っていた。彼とは挨拶を交わすばかりでなく、当たり障りのない会話もする。ひげが濃く、小柄だが均整の取れた、男らしい若者である。プライベートなことなぞは(銭湯のマナーとして)一切話さないが、まぁ、ワイのみるところ、女性にもてるだろうなとおもう。だからたぶん結婚しているやろな、少なくとも恋人くらいは、それも一人や二人じゃなく、とまぁ、思わせるエエわかい衆(し)であった。

 ちょうど、着かえて銭湯から出る時間が彼と一緒になった。暖簾を押し分けでると、長椅子が向かい合わせに並んでいて、そこは待ち合わせや、喫煙の場になっている。その兄ちゃんは、その椅子に座り、女性風呂から出る人を待つ様子である。私が、「おっ、彼女を待っているの」と声をかけると、「ええ、だけど、もう出てきて、暖簾から出てきますよ」という間もなくきれいなベッピンさんがでてきた、わかいしも立ち上がり、二人暖簾の前で並んだ。

 前のワイだと、「いいねぇ、かぐや姫の神田川の世界やなぁ、♪~いつも二人で言った横丁の風呂屋~♪」と歌の一つも口ずさむのだが、その夜は違った、二人の前で、いまくぐってきた暖簾を指し示し

「われても末にあはむとぞ思ふ、やな」

 といった。その銭湯の暖簾は今年は下のようなものである。


 これは百人一首にもある崇徳院の句で、『瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の(上の句)・われても末に あはむとぞ思ふ(下の句)』

 そのこころは、恋しい恋しい二人、一時も離れたら、さびしぃぃぃ~、でも銭湯に入る時は別れなければならない、別れはつらい、しかし、温もったあとは、また、一緒になろうな~、愛してるぅぅ。

 暖簾を指し示し、「われても末にあわむとぞ思ふ、やな」といっても、まずハッと気づく人はほとんどいまい。やはり、ふたりともキョトンとしている。そこで暖簾の左右に分かれている上の句、と下の句を解説、上に述べたようにそのこころをいった。一応、礼儀としてか、二人は納得してくれたふりをしてくれたので、このジジイも、面目を保った。

 ジジイの悪い癖で、風呂屋のこんな暖簾の前、おあつらえ向きな風呂上がりのアベックがいれば、言いとうになるんよなぁ~。あのわかいしに、ますます、みょぉなジイやんやわと思われたやろな。

 ちなみにこの銭湯の暖簾は毎年一月に変わる(スポンサから贈られる)、そして今年が崇徳院の和歌だった。去年は確か、富士、鷹、なすび、だった。「初夢の、一富士、二鷹、三なすび」をかけていたっけ。

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