昨日、鳴門の岡崎海岸に近い「あま塚」に行ってきた。ここは清少納言の終焉の地という伝説があり、墓もある。今年の大河ドラマでも清少納言が出てくるので、それと関連して、いまちょっとした観光のおすすめスポットではないだろうか。
ただし墓と言っても確証のあるものではない。清少納言の終焉がこの地だったという地元の伝承(口伝によるものだろう)をもとにしていて墓がたてられたようである。現代人の常識的感覚では「墓」はその人の遺骸や火葬後の骨灰が埋められているところであるが、千年も前の歴史的人物にその常識は当てはまらない。清少納言のライバルといわれている紫式部の墓あるいは墓所というのも各所にいくつかあるようだが、この場合も、そこに彼女の遺骸、骨灰、あるいは髪の毛などがあるわけではない。むしろこれは墓というより「供養塔」とでも呼んだらいいものではないだろうか。
地元民の口承ということで確証はないからここが墓というには疑問だ、と思われる方もいるかもしれないが、後世の人が建てた供養塔というならば広い意味で墓と称してもいいと思う。千年も昔の人である、そう目くじら立てることもあるまい。
このお堂の中にその供養塔(宝篋印塔)がある。
この墓所のあるあたりは今は住宅や農地(サツマイモ畑が多い)が広がっているが、下図の江戸時代の阿波名所絵図をみると、墓所のすぐそばまで磯浜が迫り、清少納言の塚と称する供養塔(五輪の塔)は池かあるいは潟の中島にある(弁天社はこのように池の中にあるがそれとよく似ている)
鳴門駅近くの観光案内所で簡単な地図をもらい案内所の人に説明を受けたが、かなりな距離があるようである、おまけに方角もわからない。しかし岡崎に家のあるA君がちょうどその観光案内所から帰るところで、道がわからない私のために一緒に歩いてくれた。道々ここ鳴門の歴史や風土、伝承などについての話をしてくれた。墓所の観光より、彼の話の方が面白かった。気のいい青年で記念に一緒に自撮りをお願いしたら快く引き受けてくれた。
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