昨日、例によって小松島港あたりをふらついていた。天気いいし海風に吹かれようと港の岸壁に向かっていた。途中駐車場があり、そこを横切ればすぐ岸壁である。通っていこうと何気なく片側の工場のような建物の壁に目が行った。そこには大きな二枚の看板がかかっていて、「元祖・フィッシュカツ」と書いた看板とフィッシュカツの絵看板である。
駐車場を通り抜け、岸壁を歩き始めるとフィッシュカツの工場があった。
ああ、そういえば小松島はフィッシュカツ誕生の地と言われていて、小松島名産になっているな。と、そう思うだけでフィッシュカツが食べたくなるほど私は好物である。フィッシュカツは高校生の時、お弁当のおかずによく入れられていた。昼、弁当を広げた友人の幾人かもフィッシュカツのおかずだった。独特のにおいがあり、それとわかるのである。この独特のにおいは魚のすり身とカレー粉などの香辛料の混ざった匂いで、食欲をそそるものであった。弁当で魚の練り物食品(さつま揚げ、ちくわ)などをおかずにするときは醤油ベースの味付けで食べた。しかしフィッシュカツは魚の練り物ではあるがパン粉をつけてカツ様にしてあり、カレー風味もあってウスターソースをつけて食べるのが一般的だった。
私らの(県西の田舎だが)世代は、小中高校はずっとお弁当だった。小学校の時は家が近い場合は昼時、家に食べに帰る子もいたが、私は弁当だった。その経験からいうとフィッシュカツが弁当のおかずに使われ始めたのは、私が高校生になってからだった。だからそれまでは県西部に関する限りフィッシュカツは店頭では見かけなかった。このあたりで一般的になったのは昭和40年か41年ころである。ネットでフィッシュカツの誕生を調べると、小松島で生まれたのが昭和30年と言われているそうである。県西部まで普及するのには時間がかかったようだ。昭和30年代といえば、うちら近所の食品雑貨屋もまだ冷蔵庫や冷蔵棚などがなかった時代で、ここ県西にまで流通し始めるのは冷凍トラック等などの冷凍流通が発達してからだろう。
この時、近くの店頭に並んだのは長方形のフィッシュカツであった。下の写真の左が長方形のフィッシュカツである、今は右の楕円形が一般的である。そしてこのあたりの人はそれを単に「カツ」と呼んでいた。フィッシュカツなどと呼び出したのはずっと後のことである。どこで作っている(元祖)のかも知らず、小松島名産と知るのもずっと後のことである。
この頃(高校生のころ)の小松島名産と言えばいわゆる『カツ』(フィッシュカツ)などではなく「竹ちくわ」であった。また港の風物詩といっていい小松島港駅のチッカ売りのオバサンも旅客のあいだでは有名であった。阿摂航路(徳島~大阪・神戸)の出発地であったこの港は当時ずいぶんにぎわっていたのである。私も家族に連れられて京阪神への往復の時、チッカ売りのオバさんからこの竹ちくわを買い舟や列車の中で、まるでトウモロコシを食べるように手でもって頬張ったものである。
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