鎌倉時代の始まりは公式には1192年、頼朝が征夷大将軍に任官してからと言われているが、今日では守護地頭の設置許可(朝廷から)の1185年をもって始まりとしている。
その始まりのころ平氏の姓ではあるが平家打倒の密議に加わり、平氏政権から流罪にされたこともある平康頼は頼朝に好意を持たれたのであろう。わが町にあった中世荘園の『麻植保』の保司に補任されている。実質荘園ではあるが国衙領とみなされ、在庁官人(郡司なども含む)らがその管理運営に当たる荘園を『・・保』といい、その荘官を保司といった。
その康頼の保司庁があったところは確定的にはわかっていないがわが町の、春日免、檀あたりではないかと言われている。この辺りは平康頼ゆかりの寺や神社がある。
その麻植保があったと思われる地域の鳥観図
麻植保(国衙荘園)の保司(荘園の管理所・保司の館)があったのではないかと言われているあたり(赤丸で囲ったあたりで字名は春日免)
この赤丸のあたりにある神社では①に春日神社がある。康頼は平姓であるが藤原氏とも関係が深いためここの春日神社のルーツは康頼が勧請したものかもしれない。下がその神社。
②には、若宮さんと言われている小さな祠がある。
③から①の方を眺める。ここに道祖神の祠がある。江戸期のものだが中世からつづく道であることを暗示しているのかもしれない。①の方に向かっては微高地になっていてこの道は少し上りになっている。この(道の)後方は小河川が流れ、低地になっている。上の鳥観図で見ると黒い曲線に見える部分が小河川である。地形的に保司庁は①あたりの微高地にあった可能性が高い。
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