百年も前の徳島を懐かしむって?なんぼぅワイがジジイじゃけんちゅうて、そんな大昔に生まれてたはずがない。しかし、なぜかそのころの写真や日記類を読むと懐かしい。なんでか考えると、ちんまい時から成人になるまで明治生まれの祖父母にそだてられ、昔の話をよく聞かされたり、家にセピア色の明治・大正期の写真があってよく見てたから、そんな影響もあって、生きてもいなかった100年前の懐古にふけるのだろう。
百年前の日記といったが、残念ながらワイの祖父はそんな筆記の記録は残していない。では何かその時代の人が書いた当時の生活や世相を知る文はないだろうか?わが郷土の百年前の生活を知るのは、歴史としては浅いが、適当な史料を探すのに苦労する。これが江戸時代さらにはそれより古くなると史料として多くの著作もあり学術論文も書かれているため、むしろこちらのほうが手に入れやすい。
そんな中、モラエスさんや賀川豊彦の著作は当時の徳島ことを知るのによい資料となる。去年はモラエスさんの全集を読み、今年に入ってからは賀川豊彦の、特に徳島のことについて書いてある著作を読んでいる。先にも言ったように歴史として客観的に勉強するより、懐古の情を満足させることに主眼を置いているため、その著作集もかなり独断的で恣意的なムラのある読み方をしている。
郷土の史料・資料(百年前の)を読むだけでは懐古の情はわいてこない。しかし、地元であるため、実際に起こった場所にすぐ行くこともでき、また百年前くらいだと、当時の生活の用具も、骨董的な物品としてあちらこちらにまだ多く残っているから、目にし、時には手に触れることもできる。物品類はこのように現前と残っている場合もあるが、建物や風致は物品のようには残っていない。百年前のその場所に行ったところで建物はまず残ってはいないし、風景さえも大きく変わっていたりする。しかし当時の資料を読みその場所に行くと懐古とともに眼前に古い光景がよみがえってくる気がする。
今日は、賀川豊彦の家のあったあたりに行ってきました。江戸時代から続く大庄屋で藍の豪商でもあった賀川家ですが、ご存知のように20世紀の始まりとともに藍は合成染料にとってかわられたため、藍の畑も藍の豪商もほぼ絶滅してしまいました。その場所と推定されるあたりに行きましたが屋敷の土台さえも見当たりません。レンコン畑と数軒のレンコン農家があるばかりのところです。ただ一族の墓群だけは数百年の風雪に耐えて今も残っていました。その一族の墓地の一角に近年に新しく改葬された豊彦の墓が立っています。
行く途中、偶然道路に面してバラ園があったのでついでに見学してきました。
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