仏教でもキリスト教でも大本山の寺院はみんなとてつもなく大きい。寺院はただ大きければいいというわけではない。寺院はお参りする信者の祈りの場所である。その中では敬虔な気持ちを起こさせ、神聖な雰囲気を醸し、神や仏の存在を感じさせしめることが大事である。
そのために寺院がデカいことは効果的である。巨大な寺院に入り、その広い床、回廊、そして大袈裟かもしれないが上を見ると、霞がかかり雲が舞うかとも思われるほどの遥かの高みにある天井、そんな高い高い天井を見ると荘厳さをいや増させるように思う。
中に入り、高い天井、そびえる高い壁、など広大な空間の四周を見回すと自分の小ささを感じる。ここは建物内部ではない。これは一つの小宇宙だ!という感を強くする。その小宇宙に仏教ならば仏像があり、キリスト教なら神のシンボルである十字架や聖像がある。そこで敬虔な気持ちを起こさせ、神聖な雰囲気を醸し、神や仏の存在を感じさせるのである。
大寺院といっても(仏教、キリスト教も含め)そんな小宇宙を感じさせるような大伽藍はそう多くない。私が先日の旅行で参拝した大伽藍はその一つであった、東大寺の大仏殿である。また37年前に欧州旅行で見たローマのサンピエトロ寺院もその一つである。イスタンブルにある聖ソフィア寺院もそうであろうが、私は見ていないからわからない。
古い写真を引っ張り出してきた。指折り数えるとなんと37年もの大昔だ。サンピエトロ寺院広場で撮影したものである。後ろの建物がサンピエトロの大伽藍である。遠くに大伽藍の入り口が見えているがその前にいる人の大きさからこの大伽藍の大きさがわかる。中は大ドーム天井であり、天井の宗教画が印象に残っている。確かに建物内部は神の『小宇宙』である。
入り口前に集う人の小ささからこの大伽藍の巨大さがわかる。
つい先日(21日)の東大寺参詣でも似たようなデジャブ感を味わった。
やはり入り口に集う人の小さいことよ!なにせ世界最大の木造建築物だ。
内部も広大な空間、高い天井、中に鎮座する巨大大仏、ここも仏教の『小宇宙』である。サンピエトロの大伽藍の中は光があふれていたように思うが、東大寺大伽藍は薄暗い、こちらは「寂光」の小宇宙である。
これでも創建当時の三分の二というから創建当時の巨大さは驚くべきものである。そして今はないが創建時には高さ100mに近い塔が建てられていた。下はと大仏殿内部にある、創建時のミニチュア模型。
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