2019年5月29日水曜日

徳島の青石

20170819

 モラエスさんのいた頃、徳島市内には採石場があった。今でも阿波の青石として有名である。緑泥片岩とも呼ばれている。いろいろな用途に昔から使われてきた。青石を採掘したのは百年も昔なので市街化が広がった今日、その採石場の跡があったこと示すものはほとんど残っていない。

 モラエスさんは大正三年五月十四日の随想でこのように書いている。

 『私は石のことをお話ししてきた。ところで、特に書きたいと思うのは、徳島やその近傍の山肌には、石材が豊富であること、つまり、絶えず掘り続けている大きい石山がふんだんにあるということだ。そこらあたりにざらにある岩は、主に緑がかった灰色の薄板状をした片岩である。ときには、時間と環境との為化石化になっている樹幹や緑青の斑点が散っている精銅塊を思い出させるものだってある。これらの片岩のうちから、装飾の目的で、きれいなのを選んで使用する。たいていの場合、この岩の美しい断片を、運河のように長く続いている下水溝にそって、道路縁に並べ、溝床に使用している。はしわたしに並べて、家の中に入る重要な役目をしている断片もある。』

 比較的良質の青石を当時産出していたのが佐古の大谷である。今は山のギリギリまで家が建てこんでいるのでちょっと見た目には、ここが昔採掘場であったとは信じられない。

 まず、この地域の航空鳥瞰写真を見てみよう。こんなとき便利なのはググルマップの航空写真である。最近のバージョンは、写真の見る角度を自由に変えて立体的な映像として見えることだ。これで見ると山の斜面が不自然な削られ方をしていて北にせり出している山が半分に断ち割れている。このため急な崖となっている。崖のむき出し面は今はコンクリートで護壁されているから、青石の断面は見えない。青石を切り出し続けたためこのような地形になったものと考えられる。ここが百年前まであった青石の採掘場である。


 そこへ行ってきた。南佐古二番町の山際で諏訪神社の少し東である。細い路地を入ると崖が迫ってきていて、落石防止の鉄骨組みの柵がある。


 採石あとの露頭はコンクリートで覆われているが、一部、青石の露頭が残っている。


 モラエスさんも書いているようにこの青石は市内の溝の床板や側壁に使われている。今でも昔築かれた川岸の護岸石としてところどころ残っている。下は佐古川の護岸。


 動画でもご覧ください。


 我が家にも横2m、縦1.5mの平板の青石がある。今は庭に放置してあるが、私の祖父が魚屋をしていた80年ほど前、店頭でこの青石板の上に魚を氷とともに並べて売っていたそうである。私には記憶はない。野ざらしのため薄汚くなっているが、大雨が降った後などは埃が洗われて、美しい青緑色を呈する。

 

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