以前のブログでも書いたが徳島市の地形は海抜0mに近い沖積平野(デルタや洲が陸化したもの)の中にドデンと眉山や城山が鎮座している。おそらく縄文期には平地部は海で、その上に眉山や城山が島として突き出ていたのだろう。
徳島中心部ではないが市の南部にもよく似た地形がある。それが津田山である。地図を見てみると、濃い緑の部分が津田山で眉山と同じく麓まで密集した家々があるが、山そのものは原生林におおわれている。
その津田山、眉山や城山のように山に入って巡る遊歩道がない、自転車ですそ野をまわったが遊歩道らしきものはなかった。なんとか山に入る道はないかと探すと、津田山のくびれの細い部分、山体がその部分低くなっているあたりに歩行専用の峠道らしきものがある。今日はこのちょっとした峠道を歩いてきました。鎌倉の切通しを歩いているような感じでした。西の方から入り、切通しのようなところを抜けて東へ下りると小学校横に出ました。
この津田山の東の南半分、大変広い墓地が広がっています、墓地のすぐそばまでは密集した市街、墓の真ん中に立っていると、先年行った京都の鳥辺山の真ん中に突っ立っているような錯覚に襲われました。
下の航空写真を見ても広い墓地の部分が見えています。
その墓地の山際に「穴観音」(実は狸・六右衛門大明神)があります。ここの狸の神さまは阿波の他の祠にお祀りされているお狸さまより位が高いそうです。
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