徳島市にある塩田を知っている人はもう何歳になるのだろうか?昭和の30年代中にはなくなったのでおぼろげながらも覚えている人でも65歳はこえるであろう。
百年前、モラエスさんが墓参りをした後、数年前にできた眉山中腹をまわる森の中の新道を歩きながら、見た塩田は恐らく、南斎田浦か山城新田の浜あたりかと推理していたが、図書館の資料に昔の塩田の地図があった。それによるとモラエスさんの見た塩田は、南斎田浦は間違いないとして、山城新田の浜ではなく、南末広のあたりであったとわかった。今はイヨンモルの大ショッピングセンターができて、塩田跡などとは思いもおよばないが、当時の地図を見ると南末広には広大な塩田が広がっていた。
下の地図は昭和34年頃、かなり縮小しており、やがて数年ですべて廃止の運命にあった頃である。それでも黄色で示したあたりにはまだ入り浜式塩田が残っていた。
下の地図はもっと古いもので白い色のところ(小さい文字で何番浜という文字が見えるところが塩田である)が入り浜塩田である。
入浜式塩田は江戸時代から続く伝統的な製法の塩田である。
モラエスさんが眉山からみた塩田は、100年後、住宅地や商業地で建物が密集する場所になった。
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