無料のネット映画配信で海外ドラマシリーズの『ダークエイジ・ロマン大聖堂』を一話から見ているがこれが面白い(まだ全編見ていない、現在配信の関係から4話まで見た)。12世紀のイングランドのある町に大聖堂を建てるというのが大本の筋であるが、それに絡む王、貴族、聖職者、聖堂の建築技術者、そして多くの庶民のさまざまなエピソードが挟まれている。日本でいえば「大河」的ドラマである。そもそもは小説で人気が出たのであるが、大作であるため、単発の映画では描ききれぬところがあり、そのため8回の連続テレビドラマとなったようである。テレビドラマとはいえハリウッドの大作映画に劣らぬ中世の街並み、教会などの大セット(どこまでCGかはわからぬが)、すばらしいコスチューム、細部にこだわった家具、什器、その他の小道具、どれも素晴らしい。ヨーロッパ中世史の専門家でないからわからないがワイら素人が見ると、
「ほ~ぉ、中世ヨーロッパの生活とはこんな感じだったんやな」
と素人ながら、歴史の勉強になりそうな気もする。とはいえ、海外ドラマの中には真面目に受け取ってはいけない悪名高い韓流時代ドラマもある。あれが古代や中世朝鮮と誤解しているオバさんも多いと聞くから、英独加制作のドラマとはいえ眉に唾をつけて批判的に見た方がいいかもしれない(韓流ほどひどくはないだろう、韓流はなぜか時代が遡るほどセット、コスチュムがド派手になる)
そのドラマのタイトルであるが、「ダークエイジ・・」とついている。直訳すると闇あるいは暗黒時代とでも訳せるが、これは歴史の英語をちょっと知っている人には「中世時代」ということがわかる。そして本題は「大聖堂」だから大聖堂にまつわる話ということが題からもわかる。その大聖堂の前にロマンという語がついているのは、ダークエイジの反意語的意味がある。ルネサンスが始まると、中世を、ダークエイジ(暗黒の時代)と批判的にとらえていたが、19世紀になって、中世を騎士道精神、キリスト教博愛精神、吟遊詩的な時代、と解釈して見直された言葉が、この「ロマン(時代)」であった。だからこちらの言葉はダークと違い、肯定的でポジティブなイメージがある。
そのダークとロマンの反意語が入っているようにこのドラマは、ダークである迷信・不合理・邪悪とロマンである愛・神秘・奇跡とが、黒白の二本の縄が絡み縺れあうように展開する。それが面白いのである。
現代のダークはただただ悪であり、暴力殺人などとなるが、中世はそれに加えて、邪悪な迷信、魔女裁判、拷問、残虐な刑罰(火あぶり、身体をちょん切る)がある。またロマンにしても、現代だと男女の恋愛などが主流になるが、中世だと、神の恩寵、神々しい自然の美、奇跡などでロマンは美しく彩られる。
このように二つの時代精神が複雑に絡み展開することに加え、12世紀のイングランド社会の面白さは権力は一元的でないということである。中国や韓流時代ドラマだと、皇帝、王という絶対的な一元権力があり権力争いなどはそれを中心に展開するが、中世封建時代のイングランドは、王は決して一元的権力の根源ではない。王以上にそびえたつローマの教皇がいるし、王とほぼ同格の大司教がいるし、各地には王も無視できない力を持った封建領主がいて、その三者がまた複雑に集合離散し、ドラマの展開を面白くしている。
そんなこんなで、ボンヤリしたワイとしては一回見たくらいでは、プロットの把握や登場人物の関係などが呑み込めない。幸いネット配信なので、いつでも自由に見られる。2~3回繰り返し同じ回を見てようやく呑み込めた。これは原作となった小説もあり、最初は小説でベストセラーとなった。こちらも同時並行で読もうかなと考え、図書館でこの小説を見たが
「ひぇぇぇ~~~、長いわ」
少なくとも10年も若ければ読んだかもしれないが、80歳近い今、こんな長い小説を読むのは無理やわぁ、やっぱ、テレビだけで見よぉ~、ということにした。現在、第四話まで配信されている。第五話は来週の水曜日だ。もしネット配信(ギャオ無料サイト)で見るならここクリックしてください。
さて、こんな面白い、ヨーロッパ中世時代劇を見ていると、日本史好きのワイからみると、同じような時代背景、設定、(もちろん同じといってもよく似ているというくらいの意味だが)をわが日本史上で考えてみたくなる。そこであんまし知恵のない頭を絞ってみる。
まず「ダークエイジロマン大聖堂」の大主題である聖堂建築の元となったのはドラマの最初のほうに起こる既存の大聖堂の炎上による崩壊であった。第二話は「聖堂炎上」というタイトルで、実際に聖堂が炎上する。その場面を見ながら、頭にはピピピと日本史上有名なある場面が思い浮かんだ。
第二話の「聖堂炎上」の場面より
日本史上有名なのは、やはりこのイングランドと同じ12世紀に起きた「大仏殿炎上」である。時代も同じなら、権力が一元でなく、朝廷、平氏政権、寺社権門、の三つ巴の権力相克(後には頼朝の鎌倉勢力も加わる)、そして封建領主が各地で割拠し、片や騎士が活躍し、もう一方では武士が活躍する時代背景もよく似ている(というか中世ヨーロッパのこの時代にもっともよく似ている欧州以外の他地域は日本の封建前期しか世界史には思いつかない)
ご存知のように東大寺大仏の大伽藍は、8世紀創建されたものである。その規模は12世紀から建てられだしたゴシック様式の大聖堂(石造)に劣らぬ世界最大の木造建築物。これが1180年の平氏政権と南都の僧兵の兵乱の中炎上するのである。この後、僧侶の重源は全国を勧進し、大仏再興を果たし、十年ほどのちには、鎌倉幕府などの援助も得て大仏殿も再建し、落慶供養を果たす(頼朝もその直前やってきてこの威容を見ている)、開眼までの期間、さらにはその覆い屋である大伽藍の建築にもかなりの年月を要したことを思うと、重源はんも資金集めにはかなり苦労したようだ。そうそう、歌舞伎で有名な『勧進帳』はこの大仏炎上を受けて大仏再建の費用を集めるため全国を勧進してまわったというその勧進聖がもとになっている。
そう見てくると、中世の封建時代、多元的で分散的な権力構造、騎士と武士の時代、大聖堂・大伽藍(大仏殿)が炎上し、その資金集めに狂奔する聖職者、などなど、我が日本史のこの1180年の大仏殿炎上から始まる時代とお互いなんと似ていることか(ワイ一人の思い込みかもしれんがまあエエわい!)
炎上中の大仏殿
平家物語巻五では「奈良炎上」という一節を設けてこの大仏殿炎上を叙事詩的に述べている。
「・・・御くしは焼け落ちて大地にあり、御身はわきあいて山の如し、八万四千の相好は、秋の月早く五重の雲におぼれ、四十一地の瓔珞は、夜の星むなしく十悪の風にただよふ、煙は中天にみちみち、ほのほは虚空にひまもなし。」
炎で大仏の首が落ち、首以下の胴部分も溶けて形定かならぬ山のようになったと描写している。このようになったのだろうか、(映画の大仏炎上より)
そして本節はこのように締めくくる。
「聖武皇帝、宸筆の御記文には、我が寺(東大寺のこと)興福せば、天下も興福し、我が寺衰微せば天下も衰微すべし、とあそばされたり、されば天下の衰微せんことも疑いなしとぞ見えたりける。あさましかりつる年も暮れ、治承も五年になりにけり。」
これは日本の中世の開幕を告げる衝撃的な事件であった。もし1180年の大仏炎上を中心にこの前後の時代背景、人間関係、そして荒廃した大仏と大伽藍を再建するために東奔西走した人々のことをドラマにすれば。洋画ドラマ「ダークエイジロマン大聖堂」に劣らず面白いドラマができるような気がするがどうだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿