前回のブログは江戸時代からの伝統のある藍の豪商の旧宅の見学、前々回のブログは賀川豊彦の記念チャペルについてであった。二つのブログには何の脈絡もなく、それぞれ別々の主題でブログを書いたのであるが、賀川豊彦の伝記を昨日読み、なんと、偶然にも二つは密接な関係があったことが分かった。といっても前回紹介した藍の豪商・旧奥村家が賀川豊彦の生家というわけではない。そうではないが、賀川の本宅はこの奥村家と同じ江戸時代から続く藍の豪商(大庄屋も兼ねている)だったのである。そしてその賀川の本宅の様子は(今は残っていないが)この旧奥村家とほぼ同じであったと思われるのである。
賀川の書いた自伝的小説『死線を越えて』より、賀川の本宅の様子を引用してみると
「先代盛平(賀川の祖父)は十八ヶ村の大庄屋であった。胆の太い男で二十四間に五間の大きな藍の寝床と四間に十二間の西の寝床を建てた。束納屋というのがその大きな方で、西納屋と呼んでいるのがその小さいほうだ。前納屋は二階付きで大きい高い建物だ。前納屋の東側に大きな門屋がある。」
前回のブログの動画で見る旧奥村屋敷と方角こそ少し違っているが、その各建物の様子は賀川の自伝小説における本宅の描写を髣髴とさせるものである。
賀川家の大きな門屋というのは、旧奥村屋敷と同じような長屋門であろう。
旧奥村家屋敷にもいくつかの寝床と言われる建物が存在する。これも賀川家の寝床、納屋と呼ばれるものと同じであろうと考えられる。
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