2019年5月30日木曜日

モラエスさんの飲み水

20180316

 前回のブログで紹介した徳島の時の鐘に続けて、モラエスさんは、徳島で変わっているもう一つのことに飲料水があると書いている。

 『あちこちにある井戸の水は飲むことはできない。仕方なしに風呂や洗い物などに使う。この重要な不都合の原因は、私の見るところ町が位置している沖積層の柔らかい土を通して海水が浸透することにあるらしい。』

 そうなのである。徳島市で井戸を掘っても地下水に塩分が混じり飲料には適さないのである。私はこのことを実際に体験したことがある。
 私の住んでいるところは徳島市から20kmほど遡った吉野川の南岸の中流域にある。旧町名は鴨島町であるがここは吉野川から伏流となって湧き出て流れる江川の水源地でもある。そのため私の住んでいる地域ではどこで井戸を掘っても夏冷たく冬暖かい清水をくみ上げることができた。もちろん飲料に適したおいしい水である。だから子供の時から、井戸水はどこでも飲めるものと思っていた。

 ところが大学生の時、通っていた学校があった徳島市の南常三島で、ある夜友達の下宿に泊まり、近くの銭湯へ行ったことがあった。大きな湯船につかり体が茹で上がったためのどが渇いてきた。二つあるカラン(当時はシャワーはなく湯と水の二つの蛇口が対で並んでいた)の水を手のひらですくいゴクッと飲んだ。最初はなんか水に味がついているぞ、と思ったが二口飲んで、これはしょっぱさだと認識できた。海水ほどではないが明らかに塩分が混じっている水である。この銭湯は従量により金がかかる市の水道を使わず風呂は自前の掘り抜き井戸だった。番台のおやじに後で聞くと、この辺の井戸は塩分が混じるため風呂や掃除、洗濯などには使えるが飲料にはできないということであった。
 なるほど、この常三島地区はその名前からもわかるように以前は流れ込む川が作った三角州の島だったところである。それを埋め立て整地して常三島の町ができた。だから地下の砂の層に川の水と海水が混じり合うのは納得できる。しかし、子供の時から育った地域では井戸水はどこでも清水がわいて出て飲めるのがあたりまえであったから、その時はちょっとした驚きであった。

 そういえば家康が江戸に幕府を開いたとき、困ったのは上水の水であるというのは有名な話で、江戸もこの常三島と同じで葦・ヨシが生い茂る洲を埋め立てて町割りをしたとのことだから井戸をたとえ掘ったとしても海水が混じる水であった。そのため江戸の町には水道を整備した。水道といっても密閉加圧式の鉛管で運ばれる現代の水道とは違い、傾斜で木樋や木管を流れ下る上水であった。

 ではモラエスさんのいた大正三年、徳島の井戸が使えないのなら、江戸のように旧式の浄水施設を使っていたのか、それとも近代的な密閉加圧式鉛管で排水していたのだろうか。再びモラエスさんの日記を読むと

 『・・・幸いにして、町に沿って南北に連なる山並みの諸所に良質の泉が湧き出している。そこで水売りの商売が始まった。水売り人は、ひと桶五レアルほどの水でいっぱいの大桶八個か十個乗せた車を引っ張って各家庭に水を運ぶ。
 各戸に出入りの水売人がいる。面白い習慣がある。家に水がなくなると大きな漢字で、水、と書いた長方形の木片を玄関先にぶら下げる。まもなく水売人が来る。』

 私のような郡部に住む高齢者ならこの水が台所にある大谷焼の大きな水瓶にいれられ、飲料、あるいは炊事にそこから柄杓ですくって流しなどで利用したことを知っている。昭和30年ころまでの郡部や山間部では、水は蛇口をひねって出るものではなく、井戸、手押しポンプ、あるいは谷川などからくみ上げ、それを台所にある水瓶に入れて柄杓で使ったのである。この水を運ぶ仕事は主婦にとってかなりな重労働である。しかし、徳島はさすが都会である。銭で水を買い、家の人は手間をかけず、札を表に出しているだけで水売人が台所の水瓶まで水を運んでくれたわけである。

 モラエスさんは三つの寺社の境内にある三つの泉が水を町に供給し、一種の講を作ってそれらの寺社に仕える水売人たちは・・・、と説明しているが、もしこの説明の通り水売人が寺社に仕える形をとるなら、これはまるで中世の「神人」(ある職業のギルドで特定の寺社に仕え排他的権利を有する)のようである。この三つの大きな寺社の具体的な前はないが、眉山にいくつもある谷筋にはそれぞれに小滝や湧水がある。そして大きな谷筋の出口にはたいてい寺社が建っているから、どの寺社でも水供給所の可能性はあるわけだが大きな寺社というとどこだろう。

 この平成の御代まで残っていて、寺社から湧き出て、今も清水を供給している泉といえばここ一つしか思い浮かばない。春日神社の入口にある『錦竜水』である。現在は利用しやすいように水道の栓が取り付けられそこから清水を取るようになっている。もちろんモラエスさんの頃は違っていたはずである。春日神社の谷筋の出口に本当に自然の泉のようになって湧き出ていたのかもしれない。

 現在の錦竜水

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