2019年5月31日金曜日

緑、緑、緑の大正二年七月四日、徳島

20180704

 今からちょうど百五年前の今日、大正二年七月四日、モラエスさんは徳島に永住するつもりで神戸からの船を降りた。当時阿摂航路の定期便が着岸したのは中洲桟橋である。阿摂航路の定期便が就航したのはもちろん明治になってからだが明治の中頃は今の富田橋のたもと付近から出ていた。明治後期になり船も大型化したのと新町川の浚渫もあり、今の中洲市場あたりから出航発着するようになった。しかしモラエスさんが大正二年七月に徳島へ来たときは同じ中洲でももう少し下流の今の県庁前ヨットハーバーあたりに着いた。なぜならこの同じ年の四月に小松島まで鉄道が開通し鉄橋が架設されたため中洲市場はこの鉄橋の上流に当たるためそれより下流の中洲の岸壁に桟橋が移動したのである。それが今のケンチョピアあたりである。

 船を降り午後の徳島市内を住居と決めてある(伊賀町)町へ歩きつつ感じた徳島の第一印象は彼の七月四日の随想で繰り返し繰り返し述べられている。

 『圧倒的な緑!』 『陶酔した瞳の中にどっと入り込む緑』 『震える鼻孔にどっと流れ込む緑、緑、緑、緑一色』

 徳島が最初にモラエスさんに強烈な刺激を与えたのは、洪水のような徳島の緑であった。彼はこの印象を魅惑的で快いものといっている。緑は視覚的な印象ばかりでなく、嗅覚的印象も与えている。彼はいがらっぽいにおい、と言っているが、松脂やそのほかの樹木の樹脂の匂いだろうか。ずっと徳島に住んでいるものにはちょっとその嗅覚的印象はわからない。もっともモラエスさんも後になって緑の視覚的印象は何年たった後も残っているが嗅覚的印象はあっという間に消えてしまったといっている。彼はそれを環境への順応だといっている。そうだとすると生まれてからずっと徳島の緑に親しんでいる我々は生まれてすぐに順応したわけで緑の嗅覚的印象が薄れているのも頷ける。

 モラエスさんが七月四日に徳島に上陸したこともこれ全市緑ともいえるような印象を濃くしている。今の時期、雨は多く気温湿度も高く、植物の繁茂にはもってこいの季節である。裸地でもあっという間に雑草がはびこる。また直射日光も曇天で弱く、雨天が続くと砂利や岩石の表面でさえ緑のコケや地衣類、藻類がはびこって緑っぽくなってしまう。まさに全市どことも緑になる季節である。
 もしやってきた時期が1,2月の厳冬期であればモラエスさんの徳島の印象は違ったかもと考えるが、いや、むしろ、厳冬期でも緑の色を失わない常緑樹や照葉樹が多い徳島にまた別の意味で緑の色は彼の印象に残ったかもしれない。

 今、モラエスさんの歩いていった通り町~新町橋~新町小学校から伊賀町にかけての町は家が建てこみ地表もコンクリやアスファルトで覆われてしまって緑の少ない灰色の町となっているが、徳島を囲む眉山と中心に鎮座する城山はモラエスさん当時の緑の面影を残している。

 徳島城大手門跡、松の緑が美しい。モラエスさん時代とほとんど変わっていないのはこの辺りだけだろう。

 城山と助任川、山裾の濃い緑とたっぷりと流れる川を両側に見ながら小道を散策すると心地よい。

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