小説の中のセリフ(「」で表示されている)が百年前の阿波弁を知るのによいが、今、この復刻版でどれだけの人がそのニュアンスをとらえられるか疑問だ。徳島以外の人はもちろんだが、現代の徳島の人でさえわかるかどうかは怪しいものだ。百年前と比べると各地方の特徴のある言葉(方言)はどんどん標準語に近くなっている。それはここ徳島でも変わらない。
しかし、私のような高齢者になると、さすがに100年前には生存はしていないが、子どもの頃、明治生まれの人の話す方言ガチガチの言葉を日常聞いて育っているため、その意味はもちろん、ニュアンスの微妙な違いも分かる。
小説の中から一例を抜き出してみよう。シュチュェーションは、金持ちの家の使用人が、報謝(お金)を強要する遍路(巡礼だが現代ではホームレスに近い)にあきれて追い返す、セリフである。
『おまはん、国へ、いぬ、国へいぬ、というて幾日この徳島でグズグズしているで、うちが知ってから、もう一月にもなるでないで、・・・それにおまはんはこの間・・・あまり欲が深いでよ。二十銭ももろたらけっこうでないで、・・・一円ももらいたいってなんで。』
「おまはん」は当時、徳島で相手のことを言うのによく使った二人称である。今でも使うことがあるが、若い人はまずつかわない。
文末に「で」という言葉が入っているが、一般的に疑問を表していると思われようが、疑問の意味は転じて、この当時は疑問を若干含めてのニュアンスに非難の意味を込めている。「・・・でよ」は疑問の意味はなく本文の確認・非難のニュアンスを込めている。
そして「・・・なるでないで」、これは「・・・あるでないで」と同じで、外形的には肯定と否定が同時に使われているように見えるが、先ほど言った「・・で」も使われており、「・・ないで」は英語で言えば didn't you の付加疑問文に近く、あいてに確認したり念を押したりするニュアンスがある。
よく似たニュアンスで使われるのに「・・・でかな」もある。先ほどのつづきのセリフ(金持ちの使用人が近所の人に同意を求めているセリフ。やはりあいてに確認したり念を押したりして非難するニュアンスがある。
『こんな者に二銭もやるものがあるでかな。な。こんな者に』
阿波弁は「・・・で。」とか「・・・な。」とか、セリフ文をよめば婉曲な文末のように見えるが、小さな疑問、確認、念を押す、という意味に込めてかなりきつい非難が込められている場合があるから注意が必要である。そして実際にしゃべる場合はネイティブの独特のイントネーションがなければ生きた方言にはならない。
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