2019年5月31日金曜日

阿波の鎌倉時代の城跡

20180620

 元寇の歴史ゲームに触発され、わが阿波の鎌倉時代の武士に関係ある遺跡を調べてみた。すると鎌倉時代前期の山城の遺跡があるというので先日見学に行ってきました。この山城は鎌倉時代前期に阿波国の守護だった佐々木氏の城だということです。

 場所は徳島市と石井町の境付近にある尼寺というところ。そこの茶臼山という小高い山(70数m)が鳥坂城という山城の跡ということで大まかな歴史地図を参考にそれらしい場所に行きました。この小山だろうと思うのですが登り口がわかりません。そもそも遺跡あとの石碑のようなものも残っているかどうかもわかりません。


 尼寺分校から奥へ山道に入るところで地元の人がいたので聞くともう少し行けば城跡へ登る山道があるとのことでなおも進むと、ありました。


 登って行きましたがほとんど人が通らない山道で灌木や竹葎でほとんど道がふさがれています。


 それでも何とか頂上に(茶臼山)つきました。あたりを探してみましたが城跡を示す石碑も掲示もありません。鎌倉時代のこの規模の山城は、石垣もないし、土塁、空堀がその構成要素です。でも800年もたっているため元々土のみを積み上げたり掘ったりして作られた城ですから、崩れて風化が進み城の形もわかりません。下は頂上付近のようすです。木が生い茂り眺めはほとんどありません。


 どのような山城か推測するしかありませんが、鎌倉時代の山城の推測図はこのようなものではなかったかと思われています。(近江・甲賀郡の山城の推測図)


 この鳥坂城のある茶臼山をググルアースの立体鳥瞰図で見ると、やはり推測図と同じような山容になっています(指のように平地に飛び出している山)。画面左奥には国府がありその向こうには鮎喰川が流れ、右は飯尾川や吉野川の支流が流れ、平地に突き出た山城になっているのがわかります。山城の立地としてはいい場所です。


 この鳥坂城のある茶臼山の北の沖積平野の中にやはり鎌倉時代の桜間城(城というより環濠の砦と言った方がいいかもしれない)があり、鳥坂城にいた佐々木氏と連携していたといわれていますが、こちらの場所はよくわかりません。


 それらしき場所に行って見ますと、神社(八幡)があり、鎌倉時代の五輪の塔があると石柱が立っています。しかしそのそばにはそれらしきものはなく社殿の裏に風化の進んだ五輪の塔がありました。


 このあたりで鎌倉時代の遺跡で残っているのはこれだけですので、もしかするとこのあたりが桜間城跡かなと思いましたがわかりません。

 このあたりのパノラマ写真、右に鳥坂城のあった茶臼山が見えている。写真中央の数本の木が生えている塚(2m位の高さ)は地元でぎょんさん(祇園)と呼ばれる祠で、板碑もあります。これももしかすると鎌倉時代の桜間城(舘または砦)の何らかの遺構を残しているものでしょうか。誰か知る人がいれば教えてください。


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