2012年3月17日土曜日

やまさん中世を歩く その18 鎌倉武士蔵本太郎信一


 武士というと皆さんは江戸時代の武士をイメージしますよね。でも私から言わせれば一番武士らしい武士は「鎌倉武士」だと思うのです。なぜそう思うか?ここは鎌倉武士である蔵本太郎信一様に登場いただいてお話しさせていただきましょう。
 
 まず、わたしは阿波の国、名東郡にあるさる荘園の地頭である。この荘園は京のある大貴族が所有者となっておる。その荘園の地頭である。
 「え?鎌倉武士じゃないの?」
 とお聞きなさるかもしれぬが、歴とした鎌倉御家人じゃ、鎌倉殿から地頭職に任命されておる。さる貴族が所有者といってもそれはあくまで名目上、有力者を名義にすることにより、この荘園を守る為じゃ。
 この荘園を開発・開墾したのは我ら一族で(わしが惣領じゃが)実質的に支配しておる。
 この時代、うかうかとしておれば、土地などはより力の強いものにとられる。しかし、鎌倉に幕府が成立し、我らの土地支配を「地頭職」として認めてくれて、非法な侵害はなくなった。
 そして今までは他の一族との土地の例えば境界争いなどが起これば強いものの主張が通っていたが、幕府の成立により、土地争いも理非を明らかにする裁判によって公平に扱われるようになったのじゃ。
土地に命をかける我ら武士にとって、土地安堵と公平な裁判をしてくれる幕府は有難い。
 
 特に土地安堵(保障)はもっとも切実なものじゃ。鎌倉殿がそれを行ってくれたため、わしは鎌倉殿に「御恩」を受けたと思っておる。それが鎌倉殿に忠誠をつくす動機となっておる。「御恩」に報いる「奉公」じゃな。

 「奉公」?主なものは京・鎌倉の警護番役、阿波の名東郡内の幕府や公(おおやけ)に敵対する者、殺害人などの取り締まり、それと鎌倉殿の命を受けた戦じゃ。
 これらのご奉公に「功」があった場合は、「恩賞」がもらえる。恩賞といっても土地の権利じゃがな。新しい恩賞をくださることで増々、御奉公(忠誠)を励まされることになるんじゃ。

 この時代の武士の特徴は、自ら土地を支配する実質的な領主であったこと、それと封建的主従関係といっても、土地を安堵してくれ、主君の為に功をたてれば「恩賞」をもらえるため、反対給付として奉公(武力を提供する)という、ちょっとドライな契約的な関係であったことである。(少なくとも太郎信一殿はそう思っている)

 江戸期になると武士は一方的に忠義を要求され、そのようなそもそも(元来の土地を保証してくれるから反対給付として忠義を尽くすという)対等な契約的関係ではなくなっている。
 主君が「死ね」といえば唯々諾々としたがうのが江戸期の武士の理想などといわれるようになる。
 また江戸時代の武士はほとんどは領主ではなく城下町に住まいする行政官としてサラリーマン化している。

 この太郎信一殿を見ると、この時代の開発領主である武士は基本は「独立」であり、主君も自分に対する務めをを果たすから自分も主君に務めを果たす、というものであった。だから主君がそのような関係の務めを果たさないなら、封建的主従関係も

 「こっちから解除じゃ!」

 で主君を乗り換える。あるいは反抗することもアリだったのです。

 どうです。皆さん、江戸期の武士と、この鎌倉武士と、どちらの武士が頼もしいでしょう?

 さらに話を伺いましょう。

 具体的に奉公の内容を話そうかの、まず、京都の警護番役、まあ、警察のようなもんじゃな。

 それとたまにしかないが、命令を受けての「戦」じゃ、これは危険や出費も多いが、功をたてて恩賞を頂けるから、ありがたい、じゃから必死で戦うのよ。

 百聞は一見に如かず、まず絵巻で説明しよう 
これは京都の街中での小競り合い、といっても小合戦とかわらんな。

 次は命を受けての大戦(おおいくさ)、ほれ、蒙古襲来じゃよ。これはわしの知人の九州の竹崎季長の奮戦じゃ。

 そうそう、この後の恩賞で鎌倉武士の本質が見えるから話をしよう。
 このように働きがあったのに、鎌倉幕府は正当に評価してくれなかったんじゃ。それで彼は鎌倉に乗り込んで恩賞奉行と掛け合った。下のように、そして認めさせたのじゃ。
 おそらく正当に評価されず恩賞が無かったら、彼は鎌倉幕府を見限っていたと思うぞ。

 われら独立志向が強く、猛き武士なれど、守るべき道はちゃんとわきまえておるつもりじゃ。
神仏を敬い畏まること、行いは理非(まあ正義とでも思ってくれ)によってなされねばならぬと考えておる。
 理非といってもそれぞれの武士がめいめい勝手なことを言っては収拾がつかん、そこで鎌倉幕府はその理非を文にして明らかにされたのじゃ。
 「御成敗式目」
 われらが当たり前、公平だ、と思われることが書かれておる。そして「道理」によって訴訟は判断されるべきことが示されたのじゃ。
 下は、神仏に敬虔な武士の姿じゃ。騎馬の立派な武者じゃが、神の前では畏れ敬っておる。まわりのものと比べてもこの武士の信心深さがわかるであろう。

 どうでしょうか?みなさん、この蔵本太郎信一殿によって鎌倉の武士のことが少しでもわかったでしょうか。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

先日「 御成敗式目」をWikipediaでみましたが、漢字の羅列にしか見えず、全く理解できませんでした。しかし、本日のやまさんのブログを読んでからは、何とか意味を感じることができました。解りやすいっていいですね。この時代の武士の主従関係は理想ですね。私が一番嫌いな関係は、力とか権力で弱者をコントロールしようとすることですが、50対50の理想の関係が出来ていたとは意外でした。歴史に学ぶということはこういう事なんですね。御解説ありがとうでござりまする。山の上の文麻呂殿へ 阿倍の仲麻呂より!(^^)!

yamasan さんのコメント...

もうあけすけにやっているので隠すこともありませんが、この蔵本太郎のぶかず様はしんさまのイメージで生まれた鎌倉武士です。

 前に転生の前歴は中世の騎士や武士といっていましたので、それを膨らましキャラを創造しました。

  美髯、美男、勇猛果敢、正義の士、という設定でシリーズおわりまで突き進みますのでどうか笑ってお許しください。

 ちなみに私は同名の「一変」という乞食坊主をやっております。