2012年3月21日水曜日

やまさん中世を歩く その22 中世社会パノラマ・行く人・往く人・生くる人

行く人     
 
 中世の街道には様々な人が行き交よっている。中世は封建時代でみんな土地に縛られていると思っているかもしれないがそんなことはない。定住しない人もたくさんいたのである。
 中世ヨーロッパではジプシー(ロマ)が有名だが、わが国でも傀儡。白拍子、琵琶法師、などの遊芸人、土地を通した支配を受けぬ人、逆に言えば定住を許されぬ人。その中には、乞食もいるだろう、その他、名称はよくわからないが放浪する一定の種類の人々がいた。

 このような人々はめいめい勝手に誰の規制も受けずバラバラに動いていたかというと、そんなことはない。土地を通じた支配を受けないだけで、人的な支配は受けている場合が多かった。放浪する集団、社会の中にも秩序・階層はあり、長(おさ)はいたのである。

 このような人々が社会にいるのであるから、中世の街道は人が絶えることはなかった。

 定住する人であっても太郎のぶかず様のように京鎌倉へ所用の為旅行に出る者、また情事姫のように諸国寺社参拝の為旅行する者、乞食坊主一変(いっぺん)のように修業と称しフラフラと出歩くものも多くいた。

 このように人の行き来が多くなると、主な街道の街では、街道に面した家の間口に棚を作り、品物を並べ常時、商品を売るいわゆる「店棚」、今日の店(みせ)が生まれてくる。
 また、人を泊める専門の家もできるようになります。

 前置きはこれくらいにしてさっそくいつものキャラに登場してもらいましょう。

 弘安5年、片瀬の浜で7月くらいまでいた一遍一行は、京の方へと旅立ちます。太郎のぶかず様、情事姫さま、それとこの私、一変笑人(いっぺんしょうにん)も後について旅立ちました。

 行き行きて駿河の国に入り、霊峰富士が大きく見えるところまでやってきました。
 これが中世の富士さんです。なぜわざわざ中世の富士山と断るのか?
 皆さんよく富士を見てください。左右対称の美しい円錐形をしてますね。実は今の富士山は見たことがある人はわかるでしょうが左右対称ではありません。右のすそ野の真ん中あたりにおできのように宝永山が出来たからです。この宝永山は18世紀の初め、徳川綱吉の時代に噴火でできたものです。そのため左右対称が崩れました。
 しかし中世の富士はきれいな左右対称をしてますね。
 この3人も感動して眺めております。

 街道から街へ入ると家が立ち並んでいますがよく見ると店のような家がある。

 拡大してみましょう。あ、さすが買い物好きの女性ですね、情事姫が店を覗いています。何か買うのでしょうか。

 原始的な店が出来つつありますね。じゃあ、宿はないんでしょうか。おや、太郎のぶかず様の横の家は、もしかして宿?変わった入り口広い板屋、宿泊施設かな?

 太郎様、情事姫が疲れたといってますよ、この屋でちょっと休みませんか?

往く人   

 一遍さん一行は踊念仏を行い、またその時に紫雲がたなびき、花びらが降ったりして、だんだん人々を熱狂に巻き込んでいきます。
 そのような宗教的な熱狂の中から、進んで「往生」する者が現れました。極楽をこいねがうあまり自ら進んで往生する(つまり早い話が自殺ですな)というものです。
 この年、伊豆の三島では一行の中より7~8人が一度に往生をとげたとあります。今だと完全にカルト教団の烙印を捺されそうですね。一遍さん自身、この往生を急ぐ行為に対し、肯定も、勧めもしていませんが、人々の中にそれを「よくやった、りっぱだ」という空気がありました。

 人々は往生することを決して命を粗末にする自殺などとは考えなかったのです。このように念仏を信じ立派に往生した人は、人々から尊崇を受けました。

 次の図は一遍さんの影響を受けた「あじさか入道」という人が富士川に自ら入水して往生をとげたものです。

 往く人とは極楽へ往く人、往生をとげた人だったのです。
 実はこのように極楽をこい願うあまり往生(自殺)する作法はなんと、江戸時代まで残っていたのです(詳しくはここクリック)。 キリスト教では自殺は厳禁されていますが中世の我が国の宗教界ではこのような往生という自殺行為は許されていたのです。

生くる人  

 誤解しないように言っておきますが、往生は決して厭世的な自殺とは違います。中世の人は生きることに関してみんな必死です。厭世的な感傷から自殺などというのは現代人のものでしょう。
 どうしたら楽しく生きられるか、よりよく生きられるか、その一つの道が極楽へと再び生きかえる道だったのです。

 中世人と云えどもよほど熱狂的な人以外はみんな生を全うしております。上の図のあじさか入道のように入水して往生をとげる人もいましたが、生きて精いっぱい現世を楽しんだ人がほとんどでした。

 同じ水に浸かっていますが、こちらはザンブと水浴びし、泳いで楽しんでいる若い武士4人です。若々しい見事な肉体、生を楽しんでいるではありませんか。生きる喜びを感じる図とは思いませんか、

 次の図も見てください。おそらく社会の最下層の人々です。でもみんな必死に生きてます。
 私のよけいな説明はいらないでしょう。よくこの生きざまをご覧ください。

2 件のコメント:

しんさま さんのコメント...

人生いろいろあっていいですね!最後の方の最下層の人々は、本人はみじめだとは思っていなくて、こういう生き方を楽しんでいる方もおられるのではないでしょうか?人それぞれ進化の段階や方向性が違いますから、その人に合った状況で、みなさん生きているのだと思います。自殺はせっかく狭い関門をくぐり抜け挑んだ人生ゲームを途中で放棄することですから、けしからんことですね。即身成仏はいいけど、即身仏はいけませんね。(-"-)

yamasan さんのコメント...

しんさまもやはりそう思われますか。
観念的に考えればこういう最下層の人々って悲惨で同情を持って見られます。
 しかし、この絵巻を見る限り、みんなけっこう明るく、あっけらかんと生きているように私には思えます。
 この作者があえてそのように書いているとは思えません。今までのこの絵の作者の描き方でわかると思いますが、ずいぶん写実的に描いています。
 かわいそうな虐げられた人々、というようには表情からは見えませんよね。
 しんさまのいう通りかもしれませんよね。