2012年3月9日金曜日

やまさん中世を歩く その11 出家をとげる人


 このやまさん、一遍はんに影のように寄り添い、タイムトラベラーよろしく旅をしておりますが、この旅で様々な人と出会っております。出会う人出会う人、めずらしくじっくり観察しております。
 中世は職業・身分によって髪型や服装が違っていますから、どんな人かわかりやすいと言えます。
 その中で意外と多いのが「法体」姿、つまり僧、尼の格好をした人です。特に高齢者になればその比率はうんと高くなります。

 「なんでこんなに出家姿の人が多いのか?」

 古代は出家は律令によって国家によって規制されており、誰でも気安く出家はできなかったのです。しかし、この時代になると、適当な導師(出家を導いてくれる僧侶、旅の貧乏僧でも構わない)さえいれば、気軽に出家できました。昔は「私度僧」といって厳禁されていたのですがね。

 それにしてもいくら気軽に出家できるからといってこんなに僧・尼姿が多いのはなぜだろう。今の人とは違う、出家に対する中世人の独特の思い入れがあったんじゃないでしょうか。

 古典文学の「源氏物語」、「平家物語」を読むと、みんなよく出家を遂げております。愛する人が死んだ、出世が断たれた、病気になった、年が寄った、何もないのに無常を感じた、果ては風が吹いて花が散った、などということでいとも簡単に出家します。

 敬虔なものに対する中世人の心性、今と違い、若くてもいつ死ぬかわからぬ厳しい人生、末法思想、往生思想の蔓延などが出家を後押ししたんでしょうかね。

 さて九州をまわり、また故郷伊予に帰り、そこから安芸の国へ行き、弘安元年(1278年)の冬は、備前の国である女性の出家の導師となりますが、これが大変なことになります。

 それでは見ていきましょう。

 この家のあるじは吉備津宮の神主の子息です。一遍が滞在した日には不在でした。多分その妻がもてなし、一遍の話を聞いたんでしょう。その妻が一遍の念仏の勧めや法話ににわかに仏道に入る決心をし、そのまま出家してしまいました。

 どんな有難い話を一遍がしたのかわかりませんが急に

 「尼になる!」

 というこの奥さんも驚きですが、それをよしよし、として髪を剃り出家さす一遍にも驚きます。こういうところは現代人である我々と中世人との大きな違いですかね。

 やがて旦那が帰って来て、妻の姿を見ました。目も眩むほど驚いたとあります。そりゃあそうでしょう、帰って見たら妻が髪を削いだ尼さん姿になっているんですから。
 大いに怒ったとあります。

 「おにょれぇ~、ブチ殺してくりょうぞ」

 とでも言ったんでしょう、大太刀を持ち、追いかけ、福岡の市で一遍を見つけ対峙します。
 それが下の図。

 一遍さん、何やら行ってますね。なんといったんでしょう。
 この時点で一遍さんはこの武士が吉備津宮のあの妻の夫であるとは知りません。ところが一遍さんは最初から分かっていたように

 「ぬしゃぁ~、吉備津宮の子息か」

 と尋ねました。

 と、ここからこの話は、中世の宗教説話っぽくなります。

 言い当てられて、この武士はにわかに怒りも害意も消えたどころか、寒気がするほど畏れかしこまり、にわかに敬虔な気持ちが満ちてきて、即、髻を自ら切り落とし、一遍さんを導師として出家しました。
 まるで聖書にあるパウロの回心のように雷に打たれたようになったんですかね。

 ホンマかいな、と思うほどいとも簡単に出家しますね。でもそう思うのは現代人だから、この一遍さんの遊行の影響で普通の生活を捨てて、出家を遂げた人は大勢います。この夫婦は有力者だったため絵巻のエピソードとして取り上げられましたが、名もなき人で一遍にしたがって出家を遂げた人は多くいます。後の遊行ではそんな人が彼の後をゾ~ロゾ~ロついてきます。

 普通の人で出家をする人が多いのがこの時代なのです。


 つづく

2 件のコメント:

しんさま さんのコメント...

一遍さんが旦那に何を言ったか気になるのですが・・・。じらさないで、おしえてください。(^o^)/

yamasan さんのコメント...

いえ、もう答えは出ていますよ。すぐ後に書いてある言葉がそうです。
 「ぬしゃぁ~、吉備津宮の子息か」
 というのがそうです。詞書きでは言い当てられて・・・いかにも驚いたようにと書いています。
 でもだいたい予想はつきそうなもので、それで畏れかしこまって出家というのはやはりおかしいですね。
 こういうところが中世の仏教説話っぽくなりますね。